去る1月10日、三里塚反対同盟(連絡先・市東孝雄さん)呼びかけで、東峰神社の新年しめ縄かざりから、市東孝雄さんの畑とご自宅での反対同盟新年デモと旗開きに三里塚勝手連で参加しました。そのまま反対同盟(柳川代表)の支援連主催の東峰現地行動・デモに参加させていただきました。
今回は別のデモで知り合った方の車に同乗させていただき、市東さん宅に着きましたが、13時からの東峰神社しめ縄飾りまで2時間近く前に到着。一般参加者はまだ誰もおられません。今年はコロナ対策で旗開きも屋外でおこない、飲食はいっさいなしです。私は手指消毒後に早めに持参したおにぎりで昼食をとり、旗開きの設営をお手伝いさせていただきました。その後もこまめに滅菌消毒です。
地域の産土神である東峰神社も綺麗に清掃され、新年のしめ縄も新調されました。今年は住民の皆さんにより参拝前に手を洗うための手水場の屋根も葺き直されたそうです。一時は空港会社が住民に無断で木を切り倒して、罰当たりにも神社を丸裸にしたこともありましたが、今では最低限のお社を守る樹木も復元し、私の知り合いでもある方が植えた桜の苗も、いつしか若木へとすくすく成長していて嬉しかったです。
しかしまったく飛行機が飛んでいません。いつもは東峰神社はひっきりなしに低空で飛ぶ飛行機の車輪の溝まで(冗談やたとえではなく)はっきりみえる爆音下で、昨年のコロナ禍でも多少は飛んでいたくらいなのですが、今やまったく機影がない!こんなに静かな神社ははじめてです。
こんな状態でも「ナリタ」と「辺野古」だけには潤沢に税金が注ぎ込まれ、コロナの危険も対策もかえりみずに大量の人員がつぎこまれ、大規模な工事や暴力による強制収容がすすんでいく。地元住民や反対派でなくとも、ちょっと立ち止まってみてもいいのではと、誰もが素直に思ってしまえる光景です。
東峰神社に参拝後、本日の行動の集合場所である市東さんの南台の畑に移動しました。機影ひとつ見えない青空の下、旗開き会場である市東さんのご自宅庭まで20分ほどの団結デモです。市東さんが親子三代100年にわたって耕してきたこの農地は、昨12月17日に東京高裁によって強制収用を可能とする理不尽な判決が強行されました。21世紀にもなって未だに強制収容とか、いったい何をやっているのか!古臭い政府や空港会社の化石頭どもは何も学んでいない。
裁判では空港会社が提出した「証拠文書」が空港会社によって偽造されたものだと明らかになったり、そもそも政府・空港会社(当時は公団)・住民のあいだで、今後いっさい強制収容はしないという約束をして閣議(自民党海部内閣)で確認もされています。また、空港会社が「ついでに」強奪しようとしている土地の大部分は特に必要なものでも、空港の障害になるものですらありません。航空需要もコロナで激減であり「アフターコロナ社会」においても、需要が短期間で以前以上の水準に達すると超楽天的に考えるほうがおかしい。
以上のことから本来は市東さんに有利な判決が下されるのが常識的な見通しなのですが、ナリタに関してはいっさいの常識が通用しない。すべてが空港会社の言うがまま。政府部内でも「もうナリタよくね?」と思っている人もそれなりにいるとは思うのですが、誰も火中の栗を拾ってまでそれを口にしないまま、税金がドブに捨てられていくのが現状です。
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デモのあと、市東さん宅の屋外で旗開きが開催されました。市東さんは挨拶で「空港会社の田村社長はコロナと関係なく空港の拡張をやると言ってますが、本来そんなことをしている余裕はないはず。国策と言えば何をやってもいいのでしょうか」と訴え、続いて東峰農民の萩原富夫さんからの挨拶のあと、「闘争宣言」が読み上げられました。
他の方の発言でも、高裁・菅野裁判長の一方的な訴訟指揮と判決への怒りのほか、コロナ対策に苦慮しつつも「共助」のために走り回って闘いを継続している様子、菅政権の「罰則付き自助」というコロナ方針や、医療体制を第一にしない見殺し政策への怒りが多く表明されました。
特に印象に残ったのは、大阪の全国水平同盟の方が紹介された八尾北医療センターの事例で、ここは元々被差別部落が70年前の天然痘流行時に「隔離」しかされない中で200名以上が見殺しにされた歴史から作られた診療所だそうです。コロナ禍で多くの病院で受け入れ拒否された発熱者のために、いわゆる「発熱外来」を屋外にテントをはって受け入れ続け、冬になって寒空の中、プレハブ小屋新設を申請したら、なんと大阪府八尾市に「この場所には必要ない」という意味不明の理由で不許可にされたというのです!わけがわかりません。
もうひとつは市東さんの農地取り上げに反対する会の方の発言で、菅政権のコロナ対策やその無策ぶりに怒り、反対するのはわかるし当然だと。その一方で、「だから何をしてもいいということではない」「自分や仲間たちの命を守るための対策をとって行動しよう」という趣旨でした。緊急事態宣言などに翻弄されず、どちらかの極端に走らず、理性的に行動すべきと思っていた私には、非常に腑に落ちる提起でした。
反対同盟(連絡先・市東孝雄さん)の旗開きは3時までということでしたが、この日は3時から反対同盟(柳川代表)の支援連の主催で東峰現地行動・デモがあったので、少し早めにぬけてそちらの現地デモに参加させていただきました。知り合いの方々に「熱田派のデモにいってきます」とことわってから抜けましたが、みなさん「頑張ってね!」と言ってくれました。みんながそうではないけれど、今はおそらく旧北原派の半分以上の人がそんな感じです。
両者の会場は徒歩で5分くらいしか離れておらず、10分ほど前には着いたのですが、3時はデモ出発の時間ということで、お話がほとんど聞けなかったのが残念です。
「北原派から来たんだね」「あっちはどうだった」とか笑顔で何人もから話しかけられて「バレテーラ!」と思いました。「いい時代になったねぇ」とか言われて、反対運動の分裂当時を知る身としてはちょっと複雑。だいたい旧熱田派も8割くらいの人がそんな感じですが、当時に酷い目にあわされた方の中にはそうでない人もいるようなので、最後尾でおとなしく参加です。でも実は両方に参加している人って、言わないだけでわりといるだんけどね(ぼそっ)。
ほんとうに私がいた場所からは飛行機はほとんど見えず、10時から17時くらいまでで、10機もなかったのではないかと思います。たまに見かけるのもLCC(格安航空)ばかりで、大手の正規便は見かけませんでした。
こんな状態で、人が100年も耕してきた農地をはじめ、反対農家以外の人々の土地も次々と取り上げ、もう一つ空港を作るくらいの大拡張をやるのでしょうか?私でなくとも、あるいは政府の立場に立ったとしても、アフターコロナの社会状況を見定めてから熟慮したほうがいいと考えるのが当たり前ではないですか?