先日、横堀に住む山崎さんの団結小屋について、高裁で強制撤去の命令(仮執行付き)が出ました。その仮執行を許すな!という緊急行動で、横堀から辺田まで往復デモがあったので、私も参加してきました。
『横堀・団結小屋破壊を許さない!5.20三里塚・横堀現地集会とデモ』
◇日時:2012年5月20日午後1時半~
◇場所:横堀農業研修センター(旧労農合宿所)
◇主催:反対同盟大地共有委員会(Ⅱ)
三里塚空港に反対する連絡会
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東成田駅(京成・芝山鉄道)前。公安私服刑事の車がお出迎え。(# ゚Д゚) ムッ!
迎えの車を待つ参加者たち。珍しくスカートや背広の参加者もおられました。公安は車の中から望遠鏡で参加者たちをじろじろと眺め、無断でそこにいる人々を無差別に盗撮していた。もちろん違法行為。
・空港直下の寂れた駅 ・夜6時の東成田駅 怖すぎだろ
横堀農業研修所内の芝生にて。旗やデモの準備をしながら、集会開始を待つ人々(上左)。「三里塚勝手連」のトラメガと旗も(上右)。
準備完了!…であります(・o・)ゞ
集会開始まで時間があるので、付近を見て回った。
会場に通じる狭い農道周辺には、思わず「えーっ!」と声を出してしまったくらいに、機動隊と私服がうじゃうじゃびっしり。おまけに上空には監視ヘリまでが旋回している。
左写真の機動隊員を背にして、破壊が目論まれている横堀団結小屋の入り口を撮影していると、マスクと帽子で顔を隠した「過激派スタイル」の公安私服刑事が頻繁にいきかう。私が撮影しているのを見ると、マスクを忘れた公安などは、慌てて手帳などで顔をおおって足早に通り過ぎていく。
入り口看板のアップ。元々は某大学の学生さんらがお金と労力を出し合って建てた小屋で、所有権は今も彼らにあるはずだが定かではない。その後、管理者や住人も何回か移り変わり、反対同盟からの正式な許可を得て労闘-労活評の皆さんが使用。現在では同派メンバーでもある山崎さんが運動を続けながら自宅としても居住。管理権者は反対同盟。他にもいろいろあって権利関係は複雑だ。
看板越しに中をのぞくと木立に囲まれた二棟の建物がある。けっこう広い。元々は労闘-労活評の小屋ではるが、現存する旧熱田派系の支援の小屋としては唯一のものであることと、住民である山崎さんの、誰からも慕われる真面目で穏やかなお人柄もあり、事実上は旧熱田派支援全体の現地代表部のような役割を担っている。
会場へ通じる公道には機動隊の検問が(上右)。同じ人が通り過ぎて忘れ物をとりに戻るだけでも、いちいち何度も検問を受けねばならない。つまり、全く意味のない嫌がらせ程度のものであるため、それを命じられた機動隊員個人の士気は低く、検問も徐々に投げやりで、「すみません…」と申し訳なさそうな顔をする者までいるくらいだ。
カメラを向けると辛そうにうつむく若い機動隊員(上中)。公務執行中の状況を記録するのは違法でもなんでもない正当行為だが、安全なポジションで顔を隠している私服にくらべ、なんだかかわいそうになって、カメラを向けながら「顔は隠していいからね」と思わず言ってしまった。
機動隊に嫌がらせの実行行為を命じながら、自分たちだけは空港会社の所有地内(柵の向こう)にたむろする公安私服(上左)。これでもまだほんの一部だ。腹が立ったので公務執行中の写真を撮ろうと近づくと「おまえらは入るな!」と叫びだした。公道なのになんで?と聞くと「いや、あの、その、今日のところは……ね?」などとノートで必死に顔を隠しながら言う。お前らが帰れ!
会場の少し奥にある、旧戦旗・共産同の団結小屋跡地。機動隊に破壊され、今は残っていない。上右写真の正面遠景くらいの場所にあった。あれだけ大騒ぎで破壊・接収しておきながら、20年経っても空き地のまま放置されている。
集会開始時刻前には会場に戻ったが、早めにはじまったのか、加瀬勉さんの基調的な提起がもう終わるところだった(上左)。
右は居住する小屋の破壊と追い出しの危機にさらされている、横堀住人の山崎さん。こんな大変な事態にも、温厚な笑顔をたやさない。山崎さんはもはや三里塚・横堀の地に、表で検問している機動隊員が生まれる前から何十年も住んで生活している、れっきとした住民だ。強制収用は、単なる「支援の小屋の撤去」ではなく、住民の強制的な追い出しである。
歴史を感じさせる反対同盟のヘルメットたち(上左)に見守られながら、清井礼司弁護士より、強制撤去の法的な問題点、今後の見通しや闘いの方針などの提起を受けた。参加者一同で自らの正当性(道義的にはもちろん法的にも)を確信し、さっそくみんなでデモの準備にうつります。
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横堀農業研修センターの前庭芝生から、いよいよデモに出発。横堀-菱田ー辺田までを往復のコース。
ご高齢や障碍のある方に気を使ってか、山崎さんは「けっこう長距離のコースですよ」と言っておられましたが、それほどでもなかったよ。これくらいなら、徒歩じゃなくマラソンでいけますよ~。つか、都内の反原発デモのコース設定のほうが長いです。
横堀地区をすすむデモ隊(上写真)。かつての熱田さんの家のあった近所を進む。このあたりは私のような赤ヘル系にとっては懐かしい地域です。
集会のあと都合や体調で帰られた方もかなりいて、デモにまで参加したのは約60人。北原派系の現地集会にくらべると少ないようですが、普段の熱田派系の集会よりは多く集まつた。空港会社などは人数もさることながら、それが「増えているか減っているか」をすごく気にしているそうだ。その感覚は正しいだろう。ちょっとでも強制執行を遅らせ、最終的に中止させるためにも、さらに2倍、3倍の人が集まってほしい。
菱田地区を流れる成田用水と「用水菱田工区管理委員長」名の欺瞞的な看板。
この用水はれっきとした「空港整備事業」として計画され、とりわけ空港の用地内と用地外の農民を分断して争わせるために作られたものだ。まんまとそれにのせられた人もいたが、多くの用地外農民が「空港用地内の人たちとの連帯」を掲げ、喉から手が出るくらい欲しい用水を拒否して闘った。私たちもそんな農民に応えて逮捕を恐れずに決起し、80年代半ば「用水闘争」と呼ばれる一時期が続きました。
上左写真は空港会社の行っている「農業研修事業」の拠点となっている建物です。農家のように見えますが、これも空港関連施設です。
空港会社は農民から取り上げた土地に、「農業研修生」を募集して地主まがいのことをやっている。そんなことをするくらいなら、どうして元々の農家で農業を続けることが許されなかったのか?
山崎さんはちょうど元熱田さんの土地にいた「研修生」を目の前にトラメガで、「あの人たちはパレスチナ人の土地をイスラエル軍が強奪した後に入ってくる入植者みたいな人です」とおっしゃっておられ、なるほどそういうことかと思いました。
その後、折り返し地点の辺田に到着(上右)。かつて空港会社(旧公団)が取得した土地は、草ぼうぼうに荒れ果て、薮蚊や害虫、蛇の巣となって近隣に大迷惑をかけるばかりではなく、何よりも見た目が悪くて空港の未来を暗示しているようでした。それから農民の防衛策としての自主耕作運動が自衛的にはじまったわけですが、今では自主耕作を許さず、少しでも見た目をよくするため、こうして欺瞞的に花の種をまいて見栄えをとりつくろっています。
辺田地区を横切る農道を進むデモ隊(上写真)。ここで折り返し前に少し休憩です。休憩時間をとることを執拗にすすめてきたのは、むしろデモ申請時の担当刑事だったらしい。警備課の刑事だったのかな?機動隊ご一行も休憩中です。まあ、そのへんは利害の一致(?)つーことで。
お隣の中郷地区に住む鈴木加代子さんの家も近いのですが、ちょうど通りかかった加代子さん(反対同盟北原派所属)がデモ隊を目撃されたらしく、そのことを「あれ、三里塚勝手連の旗だなと思いながら田んぼの向こうの道を登っていった軽トラに乗っていました」と、ブログに書いておられたのでびっくりしました。(→こちらです)。
山崎さんの怒りは、私達の思いと共通するもの。この地で唯一残る農家としては、やはり、顔くらい出すべきだったか?文句がある奴には、言わしておくだけ。
「農家便り(ブログ版)」より
そうか、彼「山崎君」も追い出されるのか?近所に闘争関係者誰もいなくなるのか。彼の怒り、憤りが多少なりと理解できるだけに複雑です。
休憩中、参加者と話して思ったこと。旧熱田派系の支援の一部の人には、中核派とか戦旗・共産同とか、自分らと考えがわかれた人たちの三里塚への取り組みについて、すごく小馬鹿にしたり、遊び半分な表現でからかったり、同じ三里塚を闘っている者への批判のあり方としてどうかなと思う言い方をする人もいました(一部ですが)。凄く気分が悪かったです。
一方で、北原派系の人たちの中でも(全員ではないでしょうが)、熱田派系を批判する時にも、同じ三里塚を闘うものとしての立場から、へらへらせず、よっぽどまっすぐ真面目に批判してくる方々もいます。もちろん私は反論しますが、それでも討論してて気持ちがいいんです。お互いにみんな命がけで真剣なんですから、両方の集会に参加してた感想として、このあたりはちょっと熱田派の一部の人には、批判のあり方として考えて欲しいなと思いました。
デモ隊には機動隊がびっちり張り付きでついてくる。あと、集会場や団結小屋周辺にもわらわらいる。さらに機動隊と同じくらいの私服刑事。空からは機動隊のヘリコプターがつけてくる。
そのままデモ隊は辺田から菱田にぬける坂道を登っていきます。用水闘争の、9・29辺田大会戦の時は、ちょうどヘリからの死角になるこのあたりで武装(装備)をととのえて、先の坂道をザーッという感じで大勢の同志たちと共に駆け下っていったんだよなー。戦闘現場に近づくにつれ、武者震いとも恐怖とも違う、何か熱いものがこみ上げて、なんだか涙がにじんだっけ。
再び横掘地区に差し掛かるデモ隊。関西から駆けつけた釜ヶ崎日雇労組の旗が翻ります。
横堀農業研修センターに帰還(上左)。おつかれさまでした。
終了後、横堀鉄塔で交流会。交流茶屋である「案山子亭」(上右写真)に入るには人数が多すぎるため、屋外の鉄塔下でおこないました。ここで携帯カメラの電池切れ。
交流会では関西・三里塚闘争に連帯する会の渡邉充春さん、木の根プロジェクト、田んぼくらぶから発言がありました。そしてなんと、私世代の赤ヘル三派系には懐かしい、たじまよしおさんが駆けつけてくれました。なお、木の根ペンションは、現在太陽光で電力完全自給化工事をすすめているそうで、6月にはその完成イベントがあるそうです。