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ミネルバの梟を殺さないために – または失敗した者の未来への責任

  先日、革共同再建協議会(俗称:関西派、今後このサイトでは「再建協」という)が出した、25年前の第四インター活動家へのテロ行為に対する自己批判をとりあげ、若干のコメントをしました(こちら)。その後、四トロ掲示板などでも若干の投稿をさせていただき、何人かの方々とはメールのやり取りなどもしました。
 そこにおいては、その当時に中核(革共同)系におられた方は、私がこの自己批判を辛辣に批判して認めない立場に立っているという認識のようでした。逆に、インター系だった方からは、私がこの自己批判を容認している、もしくは甘い態度をとっていると思われているようです。そして私が一番その見解を聞きたくて、いろいろと議論したり教えも請いたい方々は完全に沈黙して「俺には関係ない」という態度をとっておられます。

 そんなこんなでちょっと嫌になりました。私が言っているのはそんな簡単なことではなく、再建協が「議論の入り口」に立ったことを歓迎すると共に、今後の議論の深化によって自己批判を「完成」させることを求めているのです。それは単純な「中核派糾弾」で出来ることではありません。ですが今のところ、私のそういう考え方は孤立無援といったところです。
 まあ、当時指導的な立場にいたような人々や当事者でさえ「関係ない」「まだそんなこと言ってんの」という態度なのですから、その「指導」に従っていた末端活動家の私が、火中の栗を拾って傷つくこともないのかもしれません。ある方がそういう私を心配してくださって、大意、次のようなメールをくださいました。「余り考えるな、いくら考えても、なるようにしかならない。僕等がどうこう出来ることなどない。『ミネルバの梟は、黄昏て漸く飛び立つ』んだから」と。

 けどね、去年の末に読んだ鎌田慧さんの『抵抗する自由』という本の中に、三里塚用地内農民の島村昭治さんのインタビュー記事が載っているのですが、そこにあった島村さんの話で、反対闘争は用地内の人たちが土地を売らなければ必ず勝つ、脱落するなよと言われ続けてきたが、実際には用地外の人が、騒音補償で金をもらって真っ先に出て行って、逆に敷地内の農民だけが孤立させられているんだという記述を読みました。私(たち)支援も同じことを用地内の人に対してしてきたんではないでしょうか?私はこれを読んで顔から火がでるほど恥ずかしくなりました。「用地内がんばれ!」「用地内を支えよう!」「用地内さえ脱落しなければ」と応援し続け、もちあげ、そして彼らが後ろを振り向けば、そんな私たちの姿はどこにも見えず、自分達だけがぽつりと残されていたと。

 だから私は自分なりにできることがあれば何でもしていこうと決めたのです。それは管制塔カンパ運動で、かつてさんざんに持ち上げて運動に利用した管制塔戦士たちを、いまさら「俺は関係ない」と見捨てることは人間として許されないと思ったのと同じことです。この自己批判問題の議論も同じことであり、その一つです。現に三里塚で市東さんの農地強奪問題や滑走路北進問題が焦点化している中、そういう現実の攻防や残された農民の苦しみには全く無関心な地平で、単純な「中核派の糾弾・追い落とし」や「一坪擁護」の議論にしてしまっていいのかと思います。北原派だの熱田派だのレッテル貼りも今さら糞食らえと思います。

 それで私は、当時運動にかかわっていた者の一人として、上のような問題意識からこのメールをくださった方に、「(当事者だったくせに)そういう一人ごちた上から目線で、無責任な態度をとるのはよくないと思う」「ちゃんとした『教訓』を後世に残すように努める責任が私たちにはある」という趣旨のお返事を差し上げました。
すると今度は「そういう先行世代の責任という考えは止めました。責任は未来に向かってしかとれませんから」「僕らの年代-新左翼は、もう試され、失敗しており、再登場は有り得ない」から、できることは「若い人たちの後ろをついて行くことくらいです」という返事がきました。

 なんだか私には非常に頓珍漢な反応に思えたのですが、ああ、そうか、そういう目で見られていたのかと、つまり「新左翼の歴史的再登場」を目指す立場から私が発言していると思われているのだなと合点しました。思わず「俺は塩見孝也かーい!」と突っ込んでしまいました(笑
 なんと言うか、喜八さんへの反応でも書きましたが、「新左翼はもう古い」とか「組織や党じゃだめだ」みたいな手垢のついたたった一つのモノサシや、色眼鏡で、なんでもかんでもスパスパと切ってレッテル貼って分類してしまう発想そのものが、私に言わせればすでに一段階古い硬直した考え方だと思うんですよね。で、「失敗した」というんであればなおさらのこと、武勇伝や思い出話なんではない「私はこんなに失敗しました」ということを、ちゃんと語り、歴史化して残しておいてほしいんですよね。「君たちの今していることは、私がした失敗と同じことだよ」と。

 誰もかれもがそういう恥をかかずに「ミネルバの梟は黄昏て漸く飛び立つんだ」とエエカッコして傷つかずに「沈黙」を守っている間に、この国の大衆運動は歴史化も教訓化も伝承もされず、いつまでも同じことを縮小再生産的に延々と繰り返してきたのではありませんか?中核派じゃないから、セクトじゃないから、自分はそういった「中核派的なもの」からは免罪されて自由で無関係だと誰も彼もが思い込んでいます。党や組織なるものの感情的な反発にすぎないものを「新しい持続的な運動」と称しています。そしてその「新しい運動」の中をよく見てみれば、ちゃんと「中核派的なもの」の萌芽が見える。もちろんそういったことに気がついて、暗中模索している人も大勢おられます。すると今度は「全共闘運動的なもの」に近づいていくことが多いわけですが、ではなぜ全共闘は敗北したのかという話になります。私はミネルバの梟が飛び立つ黄昏まで「何もしないで待つ」ことはできません。だってそれでは黄昏るまでに梟は死んでしまいかねないと思うから。「黄昏」を呼び寄せた人の努力を横目で冷笑している自分にはなりたくないから。

 そういう「若い人たち」の努力にちゃんと協力し、自分なりの経験から、うるさがられて恥をかいてでも、しつこくそれを支えようとしている「年寄り」がどれだけいるでしょう。いるのは、それこそ「新左翼の歴史的再登場を目指すような二段階古いお年よりの説教か、そうでなければ距離を置いた安全地帯から恥をかかずに悟りきった風情で、昔のことを聞かれても「俺には関係ない」と沈黙を守る無責任な人々ばかりです。はたしてそれが「若い人の後をついていく」とか、ましてやそれに協力したり応援することになっているのでしょうか?要するにそれは「俺は関係ない」と言った誰かさんと何も変わらない態度でしかありません。

 だからね、この方の思っていることとは全くちがって、私は「新左翼の歴史的再登場を目指している」んではないんです。つーか、そんなの私にできっこないし(笑)。ちゃんと成功体験も失敗も、何がよくて何が間違っていたのか、そのあたりをちゃんと精査して、「もう古いよ」の5文字でお気楽極楽に「俺は関係ない」「もう卒業した」ではなくてね、失敗なら失敗なりにちゃんと責任もって総括して今後の自分の人生や「若い人」が利用できる形にしていきたいのです。

 別の言い方をすれば、私のやっていることは「運動の復活と再生を目指す」というよりは、以前に土岐さんのブログで引用されていた内田樹の文章における「運動の『死に水』を取る」というほうが表現的にはるかに近いです。要するに「死に水を取る誠実な喪主がいない運動は衰退する過程でゾンビ化する」みたいなことが書いてあって、それを自分は「一人の実践家」だという土岐さんは「その通りかもしれんが、お前ごときに言われたくないな」とまとめておられるわけですが、それを「お前ごときに」と言われないよう、同じ実践家として果たしたいということであり、それがわたしなりの「若い人についていく」ということの内実なのです。

 そういう意味からも、私は今回の自己批判問題を、襲撃の発端になった一坪再共有化運動がどうだったかみたいな狭い議論で終わらせたくないし、自己批判がその中でもさらに「インターをテロったこと」についての謝罪だけですますなんてとんでもないことだと思うのです。しかし今のところ、四トロ掲示板などの議論では(当然と言えば当然なのですが)旧インター系の方々、それにプラスしてせいぜい一坪再共有化に協力した人々による発言ばかりが目立ちます。インターでもなく、一坪再共有化運動路線を批判して距離を置いていた人々で何らかの発言したのは、今のところ私とアルミさんだけではないでしょうか。もっと様々な人に(傷つくことを恐れず)公式に発言してほしい。メールとか、会った時の雑談だけではなくしてさ。

 たとえば、インターだって反対同盟分裂の過程では、なんら妥協や話し合いで分裂を回避しようとはせず、むしろ「中核排除」の大義名分のもとに分裂したくてウズウズして突っ走っていました。手続き論ではどうか知りませんが、少なくともメンタルな部分ではそれは事実であり、その空気と言うか意図は痛いほどに感じられました。もちろんインターばかりでなく私たち戦旗も含め、「農民の主体性」と言いつつ、一坪運動に代表される路線に不信感や反発をもっていた北原派農民の「主体性」については全く考えもしなかった。中核派のオマケ扱い、中核に洗脳されているか騙されているか支配されているという、非常に馬鹿にして見下した態度をとっていたのではないか?

 一坪路線反対派の農民と「話し合う」と言ったって、頭から相手の農民の主張を中核と二重うつしにして「間違っている」という態度ですから、そんな何の妥協も譲歩もする気がない「話し合い」など、空港会社の連発する「反対派とも話し合いたい」と同じで、全くのアリバイ的なものにすぎません。そこで手続き論を振り回しても、北原派の用地内農民には悔しさと、用地内で頑張っている自分たちの意向が小ざかしい理屈で無視されたという憤りが残るだけです。

 そして彼ら農民の「間違った主張」がどうして出てくるのか、インターにしろ戦旗にしろ、私たちはこぞって「中核派のデマ」という以外に誰も考えもしなかった。北原派系の農民の批判や心情に、何の前提もつけずに謙虚に耳を傾けたおぼえなんて、少なくとも私には一度もありません。北原派を中核に支配された「中核系の団体」扱いしている人までいた。これは私たち熱田派系列がこぞって反省し、北原派の農民に謝罪・自己批判するべきことです。それは中核派が当時どうしたこうしたなんて話とは無関係に謝罪するべきです。

 確かに私は団塊の世代からみれば、20歳以上も年下で何の経験もない若造でしょう。組織的にも単なる支部キャップでしたから末端活動家にすぎません。「組織指導」なんてやったことがないも同然です。だから(最近は慎重になりましたが)「本当はこうだったんだよ」と片方の陣営だけで通用するような一方的な歴史観を聞かされたりしても、「えっ!そうだったの」と驚いて右往左往したりして、別の場所で恥をかいたりしてきました。私は上の年代の「本格的」な方々が心に持っている痛みも理解していないと思います。だからこの文章を読まれても「ふんっ!」と小鼻で笑われるでしょう。でもだからこそ、こんな若造があちこちで恥をかいているのです。その若造が手をさしのべて教えを請うても冷たく払いのけられ、聞けるのは、武勇伝と説教と「ミネルバの梟は黄昏て漸く飛び立つ」だけなのでしょうか?私が求めているのは、夏目漱石の『こゝろ』における「先生」なのかもしれません。自殺なんてしなくても、ちゃんと質問にも答えてくれ、エエカッコではなくて本当の意味で「若い人の後をついていく」勇気をもった「先生」です。

 とにかく、そういう人がいないもんはいないのですから、「ないものねだり」しても仕方がありません。柘植さんという「先生」のいるまっぺんさんが本当に羨ましく思いますが、「見捨てられた末端」として、今は末端活動家なりの経験と視点から、そして単なる個人として、私なりに考え、発言し、そして何も知らないがゆえに恥をかきまくって傷つきながら一人で進んでいくしかありません。

※ミネルバの梟
ミネルバはローマ神話における知恵の女神。梟はその使いで、一日が終わる夕暮れになると世界を飛び回って様々な情報をミネルバに伝えたという。
「ミネルヴァの梟は黄昏とともに飛び始める」は有名なヘーゲルの『法哲学』に出てくる一節。その解釈は人によって様々なようだが、一般的には「真理はその時代のすべてが明らかになった後でしか分らない」という哲学者の態度を説いたもの、あるいは「すべてが明らかになった後でこそ、はじめて知恵の花を開かせることができるのだ」などとされることが多い。

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  • 草加さん、僕らには先輩がいないっていうのは同感です。僕らがどんなふうに「若者のあとをついていく」存在になれるかどうかってところで、僕らの世代は学ぶべき先輩がいないのです。たしかに3・8分裂とかデリケートな問題ですし、健忘症のフリでもして距離を置かないと自分が耐えられないという先輩方の心情もお察しすることはできるくらいには僕らもオトナにはなったけど、だからってさー、いくらなんでもさー、居直ったり、関係ないとほざいたり、ましてやだから新左翼はダメだったんだと新左翼だった人から言われたりと、僕ら系の先輩方におかれましては、見てらんねえほど醜悪で軽蔑したくなるような態度を取ってはダメですよね。卑怯で弱虫で自分だけがかわいい社会性のないエゴイストな若造の若気のいたりですか。もう老人だから許されるとでも思っているんですか。もういいよ。僕らは僕らの道を行こう。

    誠実に自分たちの敗北を語りつづけていく以外ないのかもしれません。でも先達の失敗談を聞く若者だった頃、やはり耳で聞いたことは身につかなかったものですよね。自分で失敗してみるまでは。そういうことも含めて、誰とでも、投げ出さずに熱い心で付き合っていきましょう。夏目漱石「こころ」の「先生」っていうのは良いメタファーですね。

    >「新左翼はもう古い」とか「組織や党じゃだめだ」みたいな手垢のついたたった一つのモノサシや、色眼鏡で、なんでもかんでもスパスパと切ってレッテル貼って分類してしまう発想そのものが、私に言わせればすでに一段階古い硬直した考え方

    場所的にも僕はこういう流行に敏感にならざるをえないんですが、問題にすべきなのは、「そのとき歴史が動いた」っていうときのひとりひとりのメンタリティーみたいな考え方の部分。党派だったかどうかなんてことじゃないというのは同意です。そして正解なんてないような問いでもあるかと思います。その意味で、中核派関西派の声明は、パンドラの箱を開ける勇気をもった人々の心意気だけは、評価されるべきだろうな、と個人的には思っています。だけどパンドラの箱ですから、開けたら収集がつかなくなるとも危惧しています。僕の畑にも別のパンドラの箱がまだ放置されたままになってますので、その扱いには悩まされています。しかもブルブル震えたり中から声がしたりする箱だからなおさら始末が悪くて・・どうでもいいことを言ってしまいました。

  • 通りすがりで失礼します。

    >そして彼ら農民の「間違った主張」がどうして出てくるのか、インターにしろ戦旗にしろ、私たちはこぞって「中核派のデマ」という以外に誰も考えもしなかった

    私の会ったインターの方は、反対同盟の分裂について「あれは農民の路線対立の結果だ」とあっさり語っていて、こちらが驚いた覚えがあります。また、「北原派だって一つの反対同盟だ。そんなのあたりまえだ」とも言っていました。

    あまりご自分の感覚や体験を一般化するのはいかがなものですか?

    なので、

    >これは私たち熱田派系列がこぞって反省し、北原派の農民に謝罪・自己批判するべきことです

    ↑という前提がどれだけ成立するのか、ということは置いておきましても、中核派のテロ襲撃の脈絡で、このように対置しても「どっちもどっち論」や「喧嘩両成敗論」にしかならないでしょう。これは別の文脈で語られるべき事柄です。こんなことは「戦争責任」の問題に置き換えれば、自明のことです。

    それでは、失礼しました。

  • >これは別の文脈で語られるべき事柄です

    中核派のテロの問題や、中核VSインターの路線闘争の問題と、北原派を含む現地農民の方々とは別です。まさにそのことが言いたかったのですが、文意が伝わらなかったのなら、私の書き方が悪かったのでしょう。

    再建協派の自己批判問題をめぐる議論では、あまりに一坪再共有化の正当性への思いが強いあまりに、テロそのものではなく「再共有化運動への攻撃」の不当性という脈絡で語られることが多く、さらにその中では北原派も今では一坪運動してるじゃないかとか、北原派農民はどう考えているのかとか、あるいは北原派系の農民や、ごく普通に支援している市民運動の人にまで中核派問題を問う、ありていに言えば「中核のしたことをお前が謝れ、そして反中核の旗幟を鮮明にせよ、そうしなければ一緒に闘わない」と言わんばかりの傾向が多いように感じています。問題にされている部分は、まずもってそういう認識を前提として書いた文章であり、それとは違う視点を示したかったものです。

    >「あれは農民の路線対立の結果だ」とあっさり語っていて

    インターは路線闘争ではなく、「運動の自立の問題」としていたはずですが。今から考えればあれは路線闘争以外の何者でもないのは、衆目の一致するところでしょうし、それを否定するほうが意固地というものでしょうが。私は分裂前の、様々な路線や考えがごったに共存し、口先ではなく、自分が実践でそれを示していく中で試され、ふるいにかけられていくような、そういう三里塚のあり方こそが、この闘争の魅力の一つだったと思っています。分裂から以降は、「他人はともかく自分の言ったこと(路線)をまず自分が実践で示していく」のではなく、当たり前のように「路線闘争」が行われるようになったことを悲しいと思います。

    さらに言うなら、インターは分裂を「これは内ゲバ主義者との闘い、中核独裁から運動を自立させる闘い」だと位置づけて大衆に訴えていたはずであり、「戦旗の諸君はその重要性を理解しない」と批判していたはずです。そこでは熱田派の農民こそが(だけが)自立した大衆として語られ、北原派農民は(少なくとも「自立」した大衆としては)論理の中に登場してきませんでした。だから私の書いていることのほうが当時の実態に近いと思います。

    分裂に向かう一連の過程の中では、熱田派系支援団体のほとんどは、一坪運動を擁護するにも、それは「中核派批判」としてしか語っていなかったし、用地内農民の間に不信感や不満があるなんてことはほとんど問題にしてなかったでしょう。語られたとしても、それは中核との論戦におけるオマケみたいに、ただの「誤解」の一言で、最大限好意的に見ても中核のデマに「騙されている」みたいな言い方でした。それどころか、北原派に名前を連ねる用地内農民の名簿を見て、はじめて「えっ?!」「なんで?」と愕然とした人が多かった。ただしそれは北原派の支援の人が用地内の小川源さんが熱田派と知った時も全く同じだったでしょうけど。

    >あまりご自分の感覚や体験を一般化するのはいかがなものですか?

    あなたはそういうインターの方の言葉を聞いたのでしょうが、別の人は「北原派農民は『脱落』しないように中核派にがんじがらめに監視され、支配されている」という北原派への認識を語っていました。つまりどちらにせよ、中核批判でヒートアップする私たちは、中核派のほうばかり見て、一坪に反対する農民には中核の背中越しにしか対していなかった、それを私は個人的にせよ謝りたいと思うのです。そういう気はなかったというならまだ議論の余地があるところですが、事実としてそうではなかったとまで言い切ってしまえば、それはもはや歴史の歪曲です。

    むしろ逆に農民同士の意見の違いに介入し、そのどちらかに加担して分裂までさせてしまったいうのなら、それこそ「どっちもどっちの議論」になってしまうのではありませんか?そうではなく、私たちは主観的には「中核派の横暴」だけを批判していたのです。その中核派のイチャモンに対する反論は概ね正しい事実を指摘していたと思いますが、ただ、すべてをその色眼鏡で見すぎていたのではないかというのが私の提起です。

    重ねて言いますが、中核のテロと北原派農民との対話や支援、謝罪するべきは謝罪すること、それは「別の文脈で語られるべき事柄」であり、北原派農民への支援や謝罪を中核のテロとからめて語られることのほうが私としては遺憾です。それは対話の内容、つまり中身の議論としてはありうるでしょうが、対話するための「前提」とか入り口、つまり「まず謝れ、対話はそれからだ」とか「反中核の立場にたて、なんで今でもあいつらと共闘してんだ」とかまでは思いませんし(もちろんあなたがそうだと言っているんじゃないですよ)、もし、最初から「自分のほうが100%正しかった」というところからはじまるなら、それは「対話」の名に値しません。

    どちらにせよ、分裂前の三里塚精神に則り「それは誤解です。わかってください」と言うようなことはもう言いますまい。私は一個人としてできる範囲内で、自分の言ったことを実践していきたいと思います。私の言ったことは、その中で、かつその限りにおいて批判にさらされるものだと思っています。その節にはまたご意見を賜ればと考えています。

  • 自分はそういった「中核派的なもの」からは免罪されて自由で無関係だと誰も彼もが思い込んでいます。そしてその「新しい運動」の中をよく見てみれば、ちゃんと「中核派的なもの」の萌芽が見える。 http://t.co/WaqeqZkPEX @kousuke431さんから

  • RT @Apeiron__: 自分はそういった「中核派的なもの」からは免罪されて自由で無関係だと誰も彼もが思い込んでいます。そしてその「新しい運動」の中をよく見てみれば、ちゃんと「中核派的なもの」の萌芽が見える。 http://t.co/WaqeqZkPEX @kousuke4…