[スポンサーリンク]

昨日のエントリに関する自己批判

 前のエントリの一部について自己批判いたします。私は自分を卑下(謙譲ではなく)するあまり、少し考え違いをしていたと思います。田中洌さんのコメントを見てそのことに気がつきました。

◆自分が「動員一人にすぎない」という表現について

 何よりも、自分が鈴木加代子さんにお世話になっておきながら、しょせんは集会の「動員一人」にしかすぎないという表現は、三里塚闘争に参加した自分自身の行動の意義を貶めるのみならず、この間の反原発運動などを含め、いろんな集会やデモに参加されたすべての善意の人々に対しても、非常に失礼でシニカルな表現であったと思います。それは同時に、鈴木加代子さんや鈴木謙太郎さんから受けたご好意を踏みにじる態度であったと言わざるを得ません。

 それが20人の集会であれ、千人の集会であれ、一万人の集会であれ、結局は「動員一人」の決起が積み重なって実現しているのです。そういった善意が22集まれば22人の集会やデモであり、一万集まれば一万人のデモになります。もちろん、その総和としての規模は大変に重要なことですし、三里塚や反原発などの大衆集会の場合、政治団体の集会などとは違って、そこに集まった人の考えや主張は実に様々です。素朴な正義感から参加した人もいれば、団体などで勉強を重ねて理論武装した人もいるでしょう。ですが根本的ところでは、一人一人の善意に優劣などあろうはずがありません。

 まずは自分が「動員一人」としてその場に参加すること、そこからすべてははじまり、そして最後はまたそこに戻るのだと思います。自分では何もせずに、他人に対して何かを要求したところで、そんなオシャベリは誰の心にも届かないことは子供にだってわかる道理でしょう。三里塚農民への理不尽な仕打ちに憤りを感じて現地にかけつける。原発への怒りや被曝に対する義憤、ネットやテレビでデモの映像を見て、これはいったい何だろうと生まれて初めて「デモ」というものに参加してみる。そういう人たちの一人一人こそが尊敬し、私(たち)が学ぶべき人々なのであり、そういうことの一つ一つの連なりがすべて尊いものなのです。やがてそこからいろいろと考えや行動を「発展」させていったとしても、迷ったときはそこに返って考えることが大切なのだと思います。「あの時の自分」から見て恥ずかしくないことを今しているのかと。

◆初心を忘れていた私

 鈴木加代子さんや鈴木謙太郎さん、その他にも多くの方々が、私のようなちっぽけな存在を助けてくださり、うぬぼれかもしれないけれど過分の好感を示していただけたのは、決して私がたくさんの人たちに影響を与えるような「エライ人」だったからでもなければ、動員力のある組織の人間だったからでもなかった。どこにでもいるようなただのおっさんが、それでも自分なりに三里塚のことを一生懸命に語り、集会のたびに現地に足を運んだり、最初はアッテンボローさんの呼びかけで、後にはマイミクのSFさんや中野由紀子さんの尽力でネット上にできた「三里塚勝手連」に協力したり、たとえちっぽけでもそういうことを精一杯やっていたからこそ、ああして親しく声をかけていただき、集会場に向かう私に弁当まで持たせていただいたのです。このとき私は普通のおっさんであると同時に、かつて自己の理念の中の存在にすぎなかった「人民」であったのだ。私はそのことを忘れていた。

◆スターリン主義への一里塚だった

 私はこういった鈴木さんをはじめとする皆さまの、ご厚意を受けるような資格のある人間ではありません。それに足るようなことも何もしていません。それはそうなのですが、謙太郎さんの訃報に接してそのことを気にやむあまり、なんとかご厚意に応えうるような「成果」を出したい考えるような発想に陥ってすっかり初心を忘れてしまっていたと思います。もちろん「成果」は大切なのですが、そういうのを仏作って魂入れずと申しましょうか、思想的にはまさにスターリン主義そのものの発想でした。これでは共産党だの中核派だのを批判する資格がありません。

 何よりも、前のエントリにおけるこういうスターリン主義的な思想では、一番大切にするべき「動員一人」の人民、実はそこからこそ一番に学ばなくてはならない「遅れた民衆」、自らが苦楽を共にしてよって立つべきそういう人々を愚弄しきるものでしかなかったということです。私は三里塚の集会に来ている一人一人の個人を愚弄しました。反原発集会で生まれて初めてデモに参加した人たちを愚弄しました。「三里塚勝手連」の仲間たちを愚弄しました。そのことを痛苦な思いをもって、とりわけ「勝手連」の皆さまに自己批判します。

 前のエントリで私は何かしら綺麗に書いてはいますが、要するに私は、自己以外の人を機能的に動員していくこと、つまり虐げられた人によりそい、共にそんなことのおこらないような世界のためにできることをしていくという左翼本来の発想ではなく、まさに自分の理念の中での「正義」を実現するために(自己実現のために)、他者をその道具や手段のように発想していくという資本主義的な発想(ブルジョア個人主義)を基盤とするスターリン主義的な発想の延長線上に、3・25結集を呼びかけるという陥穽に陥っていたということです。

◆田中洌さんへの感謝

 最後に、田中洌さんに感謝申し上げずにはいられません。こんなエントリに田中洌さんより、たった一言「3/25を今から予定に入れておきます。」というコメントをいただきました。それを見た時、私の脳天に「これでおまえは満足かい?!」という声が響きわたり、ガツンと殴られたようなショックを受けました。あの誰一人来ない日でも東電前に座り続けた田中さん。それを威張りも宣伝もせず、大勢の人が来て、派手な抗議を繰り広げる時には、邪魔にならないよう一番後ろで控えめにしていた田中さん。誰かに聞いた言葉ではなく、ずっと自分の言葉で自分の怒りをそのまんまビラにして、自分が話した人に手渡ししていた田中さん。

 さらに頭の中の声は続きます。「よかったねえ、よかったねえ、これで『動員1』確保だねえ、鈴木さんに応えられたねえ。田中さんにお礼いわないとねえ」と。違う。そうじゃない。もちろん知り合いに声をかけて、三里塚のことをわかってもらって、それで現地に来てもらったりするのはとても大切なことです。でも何か違う。私のやろうとしているのは、そういうのとはどこか違う。鈴木さんに応えるってどういうことなんだっけ……。そうして悩んでいるうちにこの文章ができました。これが田中さんではなく、他のひとだったら気づかされたかどうか疑問です。未だに「動員1」を喜んでいたかも。確かに「自己批判」というにはあまりに散文的で、何らかの分析や自己切開がされているとは言いがたいものになってしまいました。始末書にもなってない、詫び状というのが一番適切な表現でしょうか。それでも書かないよりはマシだと思ってのっけておきます。

 真摯な批判は私への厚意(好意)に他なりません。そして不断の自己切開や自己点検、自己卑下ではないところの反省(自己批判)なくして人間は成長しません。これからも今回みたいなたくさんの恥をかき続けると思います。もちろんそんなことは少ないほうがいいに決まっているのですが、それを恐れずに進んでいこうと思います。

コメントを見る

  • 「動員1」でもいいじゃないかと思ってやっています。よっぽどのことじゃなければ、自分のいないところで決まった方針にも従います。多少、意見が違っても、感情的に許せないものでなければ文句は言いません。たまにあるので困ってますが(笑)理論にならない自分の流儀に反しない限り、大勢に従い、動きます。

    党の理論や綱領を納得せずとも党の活動家になり得た私はずっとこうでした。だから、いいんじゃない?既に何かを組織せねばならない人間ではないのですから。やれる範囲で地味にしぶとくやろう。

    では、3月、現地で。

  • なのなさん>
    まあ、私もそんなとこで、「方針が決まる現場」にあんまりいたことがありません。つか、あまりそんな場所にはいたくない人なんで。
    人に指図するのが嫌い、自分の考えを押し付けるのも嫌いすから。時にはそういうことも多少必要というか、現役時代にはよくやってましたけど。

    それでふと思いましたが、「自己批判」って、なんか本来の意味を離れて悪い意味で使われているというか、ものすごくカルト的な印象の言葉になってしまっているよなあと。本来は常に自分がする内省的ものである「自己批判」ですが、もっぱら自己を絶対化して意見の違う他人に要求するものと成り果てていましたからね。悪しき左翼文化の一つです。

    まあ、そんなこんなでぼちぼちいきます。3月にはよろしくです。