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カテゴリ: レポート(報告)

昨春以降の活動を駆け足でふりかえる(4)ー6・11集会をめぐって

 昨年は忙しくて参加した闘争の報告を全然書かなかったので、まとめて書いてすっきりしよう企画の第4回です。今回は全然駆け足ではなくて、6・11集会のことだけで一エントリー使ってしまいました。いろいろと集会報告以外で書くことがおおかったものですから。。。

◆戦旗派同窓会(笑)で新宿に乗り込む

 さて、ようやく6月分ですが、この月は、6・11新宿・原発やめろ超巨大サウンドデモに参加しました(→動画報告画像報告)。この日は数千人から1万人規模のデモが都内3箇所で同時多発で実施されました。だいたいまあ、左翼系は芝公園、エコロジー系は代々木公園、高円寺集会からの非左翼雑多系が新宿公園と、大きくわければそんなとこでした。もちろんこれ以外に、以前から反原発運動を地道にやってこられた市民・住民運動の皆さんもおられますし、とりわけ新宿公園は「誰でもウェルカム」という姿勢でしたので「芝にも代々木にも行けない」ような人、たとえば市民運動潮流からは嫌われまくっている中核派系の人たちが押しかけ的に参加したり、一部の共産党の人たちも会場に来ていたりしました。だから必ずしも厳密にきっちりした線引きができるわけでもないし、すでにそういう線引きが厳密にできるような時代でもない。あくまでも大雑把な傾向です。

 とりあえず、私の知り合いとか、古くから名前だけはお聞きしているような、左翼または市民運動界隈では名前の知れた人はだいたい芝公園にいきました。私も今回はどうしようかなー、新宿のほうがおもしろそうだけど、一度は芝に行かないといかんかなーとか、いろいろ考えていましたが、普段からメールのやりとりなどで細々と交流のある、旧戦旗・共産同の元活動家の間で、「新宿に行こう」「新宿にいきたい」という声があがりまして、元戦旗派の人たち20人くらいで新宿集会に参加することになりました。

 今まで戦旗派を離脱してから、一度も集会などには参加したこともないという人まで、わざわざご自分から連絡をとって是非にと参加された方までおられました。もうとにかくみんな、東電や政府が引き起こした原発震災の深刻さ、そしてその後に人々が自発的に抗議に立ち上がっているという状況に、居ても立ってもいられない、自分も微力ながら何かしたいという焦りにも似た思いにじりじりしていたのです。

◆なんで私たちは「新宿」にひかれたのか

 この戦旗派グループ(つかただの「共通体験を持つ顔見知り」だけど)では最長老の土岐幸一さんなどは、元戦旗派である前に日大全共闘OBでして、私ら下の世代と違い、全共闘体験者って今でも「○○先輩」とか呼び合って、党派を超えたつきあいとかがあるのね。その団塊世代の元全共闘の人たちも、この6・11などを機に「今までおとなしくしていたが、もう黙っていられない」と、連絡をとりあって大勢の人が集会に参加しました。土岐さんもその一人ではあるんですが、この元全共闘OBの皆さんも、だいたいが芝公園にいきました(→こちらを参照)。その他、友人や知り合いでも元インター系だった人や元プロ青同系だった体験を持つ人は、みんな芝公園に行った。ところが不思議なもんでねえ、元戦旗派だった体験を持つ人はみんな一様に、高円寺→新宿公園の若い新興勢力のほうに魅力を感じていたんです。

 まあ、それはなぜかと考えるに、あんまり私たちって、現役時代から、ベ平連以来の市民(運動)主義みたいなものに魅力を感じていませんでしたから、その方面の知り合いやしがらみも少ないですしね。それにYouTubeなどの映像で見る限り、芝公園の集会の流れやデモの雰囲気とか、ほぼ80年代の反トマ運動の頃から(もっと言えばベ平連の頃から)変わっていない市民主義の「定石」な流れや雰囲気です。もちろん、「変わらない」ことも大切で、そういう人がいてくれて、苦労を重ね、ふんばって運動を続けていてくれたからこそ、今、新しい人だって出てこれたわけです。そこを間違えては絶対にいけない。古くから変わらずにいてくれた尊敬すべき人たちを「古い」と見下したり、ましてや切って捨てては運動の未来だってありません。また、実際、同窓会的な意味では、芝公園に行ったほうがある意味居心地はいいんだよね。自分らの過去の経験が一種の「キャリア」として通用する世界でもあるから。

 ただ、私ら元戦旗の人たちにびっくりするくらい共通していたのは、自分のような古い人が前に出て威張ったり、「経験」をひけらかして指図したりしないようにしよう(というか頼まれたってしたくもない!)という気持ちでした。たとえそれがもはや「左翼運動」とは言えないようなものでも、それがどんなに危なっかしく見えても、ただ若い人のやるにまかせ、自分たちはその後ろを歩いていく。自分の「経験」は、その若い人をサポートし、身体をはってでも彼らを守るためにだけ生かそうと。そう考えると、やはり選択肢としては新宿集会になるということなんです。

◆新しいものは常に「理解できない」「けしからん」ものである

 これは蛇足になるかもですが、往々にして従来の「新しい運動」って、結局は何十年も前からいる古い長老さんが、せいぜいが80年代の市民主義やエコロジー運動の感覚で「きっとこういうのが新しいに違いない!」と思って考え付いたようなもんにすぎなかったんじゃないかなあ。むしろそのあたりの世代の人に「理解できん」「けしからん」「あいつらは何をやっとるんだ」とか思わせてこそ「新しい」と言えるのであって、そういうのが出てきたのはほんのつい最近のこと(ネットが普及しだしてから)でしょう。

 まあ、いくら新しくてもそれが残るかどうか、発展するかどうかはまた別問題ですが、もし将来、何かの勢力や運動が発展して、かつて旧来の左翼が占めていた地平を回復するとしたら、それは、2、30年も前からいて今も威張って指図したがるような人が「素晴らしい!」と絶賛するような運動ではなく、「けしからん!」と怒ったり「理解できん」と頭を抱えるような運動の中から発生してくることは確実だと思うのです。そして古くから地道に続けてきた人が、そういう運動や人をサポートし、権力弾圧やくだらない内輪もめに潰されないよう、経験と知恵を貸すこと(経験の歴史化)が問われているんだと思います。

 って、さらりと流すつもりが気がつけばこれだけとうとうと自説を展開しているわけで、こんなもの誰が読むのだという話ですが(あとでこの部分だけmixi日記に転載しとこ)、とりあえず急ごう。

◆「団塊世代ジャズバンド計画」の頓挫と「旗旗6号」

 事前のお話では、当日は土岐さんのお知り合いで、ジャズバンドをやっている方(アマチュアではなくて本職!)がバンド仲間と一緒に私たちと合流し、10人くらいのバンドを先頭にして一隊列つくって練り歩こうというという計画でした。そうなると30人くらいの隊列になって、当日の会場内の左翼としては、中核派に次ぐ第二党派ですよ(笑)。

 ところが当日の朝はおりわるく雨。結局、集会がはじまるまでには雨もやんで、集会そのものはこと無きを得たのですが、ジャズなどの木管楽器は、ほんの少量でも雨に濡らしてはいかんもんなんですよ。なのでこの「団塊世代ジャズバンド計画」は残念ながら実現しませんでした。

 でもやっぱり音は出したい。そこで急遽、後にミニサウンドデモシステム・旗旗7号へと発展するアンプを引っ張り出し、一晩かけて大急ぎで充電・整備。ところが肝心の流すべき音楽がない!アンプだけでは単にめちゃくちゃ重たいただの箱だという。んで、中野由紀子さんをまきこんで、さんざんにご迷惑をかけたあげく、清志郎だのソウルフラワーだののCDとラジカセを用意して、えっちらおっちら超汗だくになって会場に到着したのでありました。もう、新宿の階段の多さに(たとえではなく)マジで血管ぶちきれそうなくらい腹たちました。

 集会はあいかわらず(私たち以上の世代の左翼から見て)カオス状態の異文化交流状態に見えました。当日は右翼がどうのこうのという有名な揉め事がありましたが、私の世代から見たら、それ以前的にもう「なんでもありかよ」という感じで、充分に「理解できん」「何をやっとるんだ」感がありありでした。が、それは不快ではなく、充分に楽しめるものでした。制服向上委員会とはこの集会でファーストコンタクト。びっくりした!こいつらなんだ?アイドル…なのか?いやちょっとまて、そういや大昔、自分が若い頃(←使いたくない表現だが)に「制服向上委員会」というアイドルグループがあったはずだがとか、ずいぶんと混乱しました。

 どう反応していいかわかりませんでしたが、とりあえず、隣にいたコスプレの男性がすごくノリノリで声援していたので、せっかく若い子が「脱原発」とか言って集会に来てくれているのだ。それを左翼の悪いクセで「そんなもんじゃないよ」的に冷たく接してはいかん!とりあえず歓迎しなくては!話はそれからだ!と思いなおして、強制的に盛り上がりました。それを見ていたニャンケさんや土岐さん、中野さんからは呆れられた。

◆右翼がどうのこうのという話について

 あと、以前に書いた右翼がどうのこうのという話であるが(→ブログ記事1ブログ記事2ブログ記事3)、実際のところ、当日の私は会場の後ろのほうでアンプの準備とかしてて、はるか前の演壇付近の揉め事にはほとんど気がつかなかったんよ。ただ、なんか日の丸もった人がデモの前に困惑した表情で会場から出て行くのと、その人たちにつきまとって相手の顔を下から覗き込みながら、恐い顔で何かを詰問しているような人々を見ただけ。正直、なんか事情を知らない人が見たら印象よくないやり方じゃないかなぁと思った程度のことで、後からそんな騒ぎになるとは思わなかった。

 んで、最初はその「事情を知らない人」向けに、むしろ「ヘイトスピーチに反対する会有志」をかばう内容で何かを書こうかなと思って、同会のHPをチェックしました。まあ、右翼に対する思想的な批判としてはこれでいいと思った。ところがそこに「そんな行動やるべきでないと思ったら、たとえ仲間の行動でもそれを実力で阻止することが許される」みたいな表現をみつけて、「カッチーン!!!」と頭にきたのね。さらにその行為を「直接行動」などと表現している人までみて、血管がぶちきれたわけよ。だって今まで「直接行動」という言葉は、たとえば戦車の前に生身で座り込むとか、そういう敵にさえ敬意を抱かせる、人間的にも感動を呼び起こすような行動に対してのみ使われてきた。自分の価値判断でおこなった賛否がわかれる行動については、たとえ自分がどんなに正しいと信じていようと、そんな尊大な表現ではなく、せめて「実力闘争」くらいにしといてほしいし、かつての私たちはそうしてきた。で、いっきに気が変わって「主張の正しさは行為を正当化しない」という、同会有志の内ゲバ主義、左翼スターリン主義に対する批判(まあそういう左翼用語はなるべく使わないようにしたけど)の文章を書いた。

◆内ゲバ主義批判がなぜ「右翼擁護」にすりかえられるのか(怒

 そのエントリにも書いたことだけど、この時点における同会有志の論理構造は、三里塚闘争の分裂に際し、中核派が自分たちと対立する意見と行動をとった第4インター派の労働者を、内ゲバ襲撃して重症を負わせたときに、自分たちを正当化するために展開した論理構想とまったくおなじ。私たちはそれでどれだけ苦しめられてきたか、三里塚の運動全体が、それでどれだけ大きなダメージを受けたことか!

 だが中核派の個々の活動家だって、別に人民を苦しめて独裁してやろうと考えて内ゲバしてたわけじゃない。アッテンボローさんのブログなどを読むとわかるが、こうしないと運動がダメになる、三里塚闘争と農民を守るためにという動機で、悲壮な気持ちでやっている(少なくとも労働者部隊は)。だからこそ、当時、そんな中核派の内ゲバ恫喝政治を批判していた者ならば、小なりと言えども自分が当時の中核派と同じ立場と気持ちに立った時、当時の中核派と同じ論理や行動をとらないでいられるのか、それが一人一人に鋭くつきつけられているのです。

 と、いうことでわかるように、私はどこまでも「611集会主催者 vs ヘイトスピーチに反対する会有志」の問題として書いています。だから私のエントリへの「反論」として「右翼批判」「右翼との共闘批判」を書いてもまったく意味をなさないし、そういう「反論」しかた、そういう論理構造こそが「当時の中核派の論理」だと言っているのです。

 ところがその後、なんやら「右翼との共闘は是か非か」「義勇軍の評価」みたいな、このブログのエントリとは全然関係ないところにばっかり議論が流れてしまいます。私は事件後にはミクシィなどでは他人様の日記にて、その日記の主を援護する形で書いた程度ですが、事件前から当ブログで何回も書いている通り、右翼との共闘は「非」という考えです。そんなの野合以下のしろもので、誰の理解も得られません。義勇軍については「評価しません」。だって私は左派だもん。個人的、人間的に尊敬できる人がいたとしても、組織・団体として評価や支持のしようがないでしょうが。さらに主催者が右翼団体に対して唐突に登壇をお願いしたことをどう思うかと言われたら正直に言えば「よくなかった」と思います。ですがそれは私の書いたエントリで論じていることとは、また別の論点なのであって、それをごっちゃにしてはいけません。

 事件後、もちろん勉強になることを書いて気づかせてくれるありがたい人もおられますけれども、変にというかもはやセクト的に熱くなっている人の場合、どちらの陣営の人も、無理やりに自分の論じていることに私の論点を落とし込もうとして、「草加は右翼の味方だ」みたいなピントはずれのことを言う人までいるので、本当に嫌になってしまいます。

 まあね、ちょっと怒りにまかせて、いろんな論理をモザイク的に思いつくまま書いてあるから、わかりにくいかもね。あと、そんな怒りのあまり、同会有志に厳しい表現しているから、とりあえずこの論点ではどうでもいいと思って、普通に書いてある右翼への表現は好意的に見えるのかもしれませんね。なお、この件については、現在の左派全体が抱える病理、克服するべき課題として、またもう一度書いてみたいと思っています。その前に、とりわけ「左右共闘派」の人には冷たいようですが、お互いのためですからまことに失礼ながら言わせてください。「オレになつくな!」

◆中核派のデモに入っちまった!

 と、いうようなことがありまして、「挨拶→報告→基調→決意表明→行動提起→スローガン」という具合にキチンと組み立てられた左翼の集会に慣れきっている私にとっては、いつの間にか終わったような印象のある集会ではありますが、いよいよデモに出発します。前回の代々木公園での集会の時は、警察の不当なデモの出発妨害をこの目であまり見ることはなかったのですが、今回は一段とデモ妨害が酷く、それに抗議する人々との攻防を直に見ることができました。思わず「うわ、これはひでえ」と絶句してしまうような状況。

 警察の法的根拠のまるでない強圧的な妨害で出口付近は大混乱。押し合いへしあいでなかなか出られません。「僕たちだけでジャズ演奏の隊列作ろうか」なんてのんきなことを言ってましたが、この大人数と大混乱では、もうはぐれないようにするだけで精一杯。やっとのことで外に出て、デモ行進をはじめました。その時、土岐さんがぽつりとつぶやく。「おい、これ中核の隊列じゃないか?」そうです。出発の大混乱の中、気がつくと、私らは中核派系の隊列のど真ん中を歩いていたのです。「うーん、ほんとだ……ま、いいんじゃないすか」と私。「まあ、いいけどな」と土岐さん。結局、私らは最後まで中核の隊列の一員となってしまったのであります(笑)。

 テレビや新聞の取材もたくさん来ていましたが、土岐さんは「日大全共闘OB」の幟(のぼり)旗をもって歩いていたせいで、ひっきりなしに取材を受けていました。そのたんびに「もう黙ってはいられないと……」とか、流暢に話しておられました。反して「三里塚勝手連」の旗を持って歩いている私には取材なし。. (´・ω・`) ショボーン.
 さて、せっかく苦労してもってきたアンプですから、使わぬ手はない。うーん、だけど中核の隊列のど真ん中で使っていいんんだろうか?とりあえずソウルフラワーユニオンのインターナショナル(チンドンバージョン)とか、おそるおそるかけてみる。「ふざけるな!」とか言われるかと思ったら、私のすぐ前にいた中核のおじさんが大喜び!かなり年配の方に見えましたが、旗をふりながらノリノリで踊りだしてしまった。その姿がとてもユーモラスでほほえましかったです。また、途中に沿道から声援したり手をふってくれる人も多かったですが、とりわけ信号待ちのタクシー運転手さんが優しい笑みで長時間車から手を出して振ってくれた。こちらも精一杯手を振り替えしたりしてうれしかったです。でもひょっとして、あれがこちらのサイトの方だったのかもね(笑)。

 さて、また警察のせいで超長時間のデモになってしまいましたが、ようやくのことで解散地点の新宿アルタ前広場に到着。新宿集会とデモはここで終了しましたが、別行動として夕刻より情宣と演説会が呼びかけられており、都内3箇所でのデモに参加した人々も続々と合流してきました。最終的にその数は2万人に達しました。前回に続いて「在特会」も何箇所かにいたらしい。前回は愉快な思いをさせてもらいましたが、今回はとにかくものすごい人で、私は彼らがいたことに気がつきもしませんでした。最初は「広場に集まるな、解散しろ」と根拠もなくがなりたてていた機動隊の宣伝カーも、あまりの人の多さに、包囲されて孤立しかねないありさまとなってついに沈黙。もはやなすすべもない。大変なことがおこっているという感じがひしひしとしました。中にいると、いったいどれくらいの規模になっているのかさえわからない。見渡す限りの人の波。帰宅してからニュースの空撮映像を見て、はじめて事態の大きさがわかったような具合です。

 とにかく立錐の余地もない大人数の中、もう立っているだけでふらふらのご高齢の方も。土岐さんら全共闘OB組も、そろそろ体力の限界。早めに一人また一人とご帰宅になります。最後に残ったニャンケさんら(比較)青年組で、後からの合流部隊を含めて「反省会」の打ち上げに向かいます。駅に向かう途中、新宿駅からアルタ前広場への通路を機動隊が封鎖して、駅から演説会を聞きにいけないようにしているのを見てびっくり。ここまでやるか!もちろん何の法的な根拠もないただの「お願い」にすぎませんから、毅然として「通せ!」と抗議すれば、機動隊にそれを阻止することはできません。現に何人もの人が抗議して通行しているのを見ました。デモ隊を混乱さえてわざと通行人に迷惑をかけたことといい、こういう不必要な迷惑行為でデモ隊のイメージを落とそうとするのはやめていただきたいものです。

 ふう、しかしいったいいつになったら去年の報告が全部終わって、今年の報告が書けるのかな。やっぱり報告はすぐに書かないとダメだね。とにかく頑張ります。

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