福島第1原発:村の回復求め結束 飯舘村で住民団体発足へ
(毎日2011年4月25日)
福島第1原発事故の影響で、全域が「計画的避難区域」に指定された福島県飯舘村の青年らが、村の環境回復と十分な補償を国や東電に求める住民団体を発足させる。26日午後6時半、村内で「愛する飯舘村を還せ!!村民決起集会」を開く。
村には約6200人の住民がいたが、自主避難が相次ぎ、現在は約5000人に。さらに計画的避難区域の指定を受け、今後約1カ月をめどに全村避難をしなければならない。家や仕事を失うことへの怒りや今後の生活への不安が村民に広がっている。
「負げねど飯舘」を合言葉に発足する団体の中心メンバーは、ラーメン店を経営する大井利裕さん(37)ら村の青年たち。大井さんが「住民が声を上げないと、小さな村は国の言いなりになる」と仲間を通じて呼び掛けると、すぐに約30人が集まった。
避難先が分散した後も村民のつながりを維持していくことや土壌の汚染除去を国や東電に求めていくことが活動の柱になる。インターネットを通じ、村の窮状も発信していくという。
大井さんは「ふるさとを奪われ、家族も仲間もバラバラにされてたまっか。住民の力を結集してうねりを作り、村を取り戻す」と力を込めた。
『愛する飯舘村を還せ!! 村民決起集会決議文』
http://bit.ly/egHCOF
春の訪れの遅い飯舘村も、ようやく桜が咲き始めました。いつもの年なら村内のいたるところで、農作業に汗を流している人々の姿が見られました。今年は5月の始めには飯樋地区の大雷神社の遷宮祭で、笛や太鼓の音が村の山々に響きわたり、楽しい祭り気分のひとときが過ごせたはずです。
見慣れた山並みを見ていると、やるせない悔しさと憤りが込み上げ、涙が止まりません。地震災害だけだったら、飯舘村の人達は人情が人一倍厚いので、南相馬市や近隣の被災地に復興応援に駆けつけたに違いありません。私たち飯舘村の人達は何一つ悪いことはしていません。何の過失もありません。それなのになんで、この愛する住み慣れた村を離れ、苦渋の生活を長期間にわたってしなければならないのでしょうか。
自然災害なら悔しさも憤りも耐えることもできます。
これは人為的災害ではないですか。事故前は「原子力発電所は安全です」と言い。事故が起きたときは「今回の事故は想定外でした」「この数値なら直ちに健康に影響はありません」と言い。最近になって「計画的避難地域になりました。避難してください」
ふざけんじゃねぇょ!! 馬鹿にすんじゃねぇょ!!
そもそも原子力発電については、建設前に専門家の中からさえも危険性が指摘されていました。特に福島原子力発電所については、建設後にも危険性が指摘されていたのにもかかわらず、東京電力や政府はこれに真摯に対応もせず、「想定外」という詭弁で、責任を逃れようとしています。
私たちは許せません。絶対に許せません。私たちは被災者ではなく、被害者なんです。
東京電力と政府に対し、「一日も早く被曝前の飯舘村を還すこと」「平成23年3月11日以前の生活状態に戻るまで、村民生活全てについての補償を確実に早期に実施すること」これを勝ち取るまで、村民の怒りを結集して、最後の最後まで闘いぬくことをここに決議する。
平成23年4月26日