(投稿者:司宮二)
パフォーマンスの勝利か 東村山「セクハラ捏造・職業差別」を仕掛けた市議が再選
(日刊サイゾー2011/05/02)
東京・東村山市で起きた「セクハラ捏造・職業差別事件」から、早くも4年が経過しようとしている。この事件は2007年春、同市議の矢野穂積氏と朝木直子氏(草の根市民クラブ)が、新任市議の薄井政美氏が以前、風俗店や飲食店の情報などを扱う出版社で編集等の仕事をしていた職歴を取り上げ、「超セクハラ」「風俗マニア」「女性蔑視」「違法セクハラ活動家」などと攻撃したことに始まった。
だが、薄井氏自身が違法および公序良俗に反するような行為をした事実は一切無く、矢野氏と朝木氏による事実無根の言い掛かりであることは明らかだった。
これに対して、08年4月に薄井氏は根拠のない誹謗中傷によって名誉を棄損されたとして、矢野氏と朝木氏に対して損害賠償などを求める裁判を起こした。そして、10年3月8日、東京地裁立川支部は矢野氏と朝木氏に200万円の損害賠償と矢野氏自らが運営するFMラジオ局での謝罪放送などを命じる、薄井氏勝訴の判決を下した。
これを受けて、矢野氏と朝木氏はただちに控訴するも、11年3月16日、東京高裁もまた矢野氏と朝木氏に対して100万円の損害賠償などを命じる判決を言い渡し、薄井氏の主張をほぼ認めた。どこから見ても、矢野氏と朝木氏の敗訴であることは明白だった。
ところが控訴審判決後、矢野氏と朝木氏は自らが運営するサイト「東村山市民新聞」において、「『エロライター』裁判で、薄井市議が、東京高裁でまた敗訴!」などという奇妙な記事をアップする。その記事を読むと、薄井氏が裁判で主張した数多くの矢野氏と朝木氏によるものとされる誹謗中傷の類についての、裁判所によるこれまた数多い判断の中の「『まるでエロライター』等の記事は名誉毀損にはあたらない」という、ごく一部分だけを取り出して「薄井は敗訴した」などと、まったくの虚偽のプロパガンダを行った。
しかも、矢野氏と朝木氏は「薄井は敗訴」とアナウンスしているにもかかわらず、この裁判では控訴審判決後に上告していたことも判明した。なぜ相手が「敗訴した」のに上告するのか、実に奇妙奇天烈と言わざるを得ない。
実はこの矢野氏と朝木氏、議会ではあれこれといわく付きの人物で、ほかにも自らに対して議員辞職を求める請願を出した市民を裁判に訴える行為も行っている。これはいわば、市民の当然の権利である請願に対して因縁まがいの言い掛かりをつけているに等しい。
また矢野氏と朝木氏は、最近特にその名が知られるようになった民族派を自称する一派、すなわち、在日特権を許さない市民の会(在特会)や、主権回復を目指す会、日本を護る市民の会(日護会)などといった団体とそのメンバーが、矢野氏と朝木氏による間違った主張をそのまま街宣活動などの際に繰り返したり、主張に従って行動したりする例が何度も確認されている。
そしてこの矢野氏および朝木氏、先の統一地方選において、東村山市議として再選を果たしてしまった。一方、両氏から言いがかりともいえる「セクハラ捏造・職業差別」を吹っかけられた薄井政美氏は次点で落選するという結果になったのである。
すると、両氏の再選について、保守・民族派を自認し、自らジャーナリストと称する瀬戸弘幸氏が、自身のブログ「日本よ何処へ」において、「創価の牙城で草の根会派が議席を死守」というエントリーをアップ、矢野氏と朝木氏の再選を「ご当選おめでとう御座います。今後のご活躍を期待しております」などと絶賛。「4年間に及ぶ汚い攻撃に遭いながらも、正義を貫き反創価学会の旗を鮮明に揚げ続けて来た事が多くの市民の共感を得たものと思います」とコメントした。
だが、この数年にわたり、矢野氏と朝木氏が具体的に創価学会を糾弾するような活動をしたという形跡は一切無く、「両市議の反創価学会というアナウンスは、単なる人気取り」という声が少なくない。
実際、草の根会派、特に矢野氏は人目を引くパフォーマンスにたけており、つい最近も「私は『原発いらないネット東村山』代表として、原発事故の記事が新聞に出るたびに、地元FMラジオ局のニュース解説番組『ニュースワイド多摩』で、原発は不完全な商品、廃棄物処理ができない『トイレのないマンション』、『高速道路を暴走するブレーキのない車』だと、繰り返していい続けてきました」などと発言している。
しかし、地元住民に聞くと、「矢野さんが反原発なんて言ったのは聞いたことがない」という声がほとんどで、実際に矢野氏がそのような発言をした形跡もまた、まったく認められない。そもそも、『原発いらないネット東村山』なる活動も、その実態がどこにも確認できない。
矢野氏はほかにも、『宗教法人問題を考える草の根市民の会』『東村山市民オンブズマン』『ストップ!ザ「政教一致」市民実行委員会』その他にかかわっていると自称しているが、いずれも活動実態があるかどうか、まったく分からないものばかりである。
さて、いかに疑問符が多く付せられる人物であっても、当選してしまえば「議員」という地位と権力、そして非常に安定した身分が与えられてしまうのが日本の現状である。こうした現状をどう理解するかは、今後の課題ともなろう。