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2012衆院選ちば 脱原発 託せるのは「裏切らない政治望む」
(東京2012年11月23日)
「前回の衆院選では、野田さんのビラ配りを手伝ったのに、裏切られた思いだ」。衆院解散後初の日曜となった十八日、野田佳彦首相の地元・船橋市薬円台地区であった脱原発デモの群衆に、こう話す市内の男性会社員(51)の姿があった。
男性は二〇〇九年の衆院選当時、政権に就く前の野田氏を自分たちと同じ目線に立っていると感じていた。「書いていることは命がけで実行する。書かれていないことはやらない」とマニフェストの実行を約束する姿は頼もしく見え「大丈夫だと思った」と信頼した。普段は通信工事会社に勤め、政治に関わってきたわけではないが、初めてのビラ配りは「ここで政権が変わらなくては」との思いからだった。
でも今の首相は「財界とべったり」と憤りを見せる。デモは原発問題が起き、「子どものことを考え、後に悔いを残したくないという義務感から行くようになった」と言う。「市民目線の、裏切らない政治を望みたい」。男性はこう願いながら野田首相の地元事務所前などを歩いた。
この日は百人以上がプラカードやのぼり旗を掲げて行進し、太鼓やかねの音とともに気勢を上げた。「子どもを守れ」「未来を守れ」。首相の事務所や自宅前に差しかかると、叫び声がひときわ熱を帯びる。
デモは、首相が関西電力大飯原発(福井県)の再稼働を表明した直後の六月十六日に初めて行われ、七、九月に続き四回目。市民ネットワーク・ふなばしなどの呼び掛けでできた市民団体「原発さよなら千葉」が主催する。
ネットで開催を知り、都内から参加した男性(44)は一九九六年から一年半、福島第一原発で働いていた。福島県双葉町で生まれ、原発のそばで育った。「チェルノブイリの事故もあり、いつか福島も爆発を起こすのではと妻とも話していた」。震災で何人も友人が亡くなった。助かった人も強制避難を余儀なくされ、両親は鹿児島にいる。「正直、今までは選挙には行っていなかった。今回はよく考えて投票したい」
デモに参加する人はさまざまだが、脱原発でつながっている。船橋市の女性会社員(57)は「脱原発は譲れない。自民から民主になって、少しは良くなるかと思っていたが…。よりましな人を選んでいくしかない」。脱原発を掲げるのは中小政党が多く、反対の民意が生かされるか不安が残るという。
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◇「原発さよなら千葉」HP