※ 献花用の花などは9条改憲阻止の会で用意いたします。
僕は季節や気候というものを割と親しいものとしてきました。例えば、人によって嫌うことの多い梅雨や梅雨時を僕は親しいものとしてきました。この時期の代表花である紫陽花が好きだったのもその一 つです。もっともこの背景には少年期に梅雨時を過ごしたことがあるのでしょう。
季節や気候への僕らの感覚の異変は大変のことなのだろうし、それは文明史的事柄であるのだと思います。季節や気候の変動がどこまで続くのか、何処に至りつくのかは分からないのですが、僕らに重要な問いかけがなされているのだと思います。
他方で世界は暗雲がたれこめています。それは「自国第一」、あるいは「愛国心」という妖怪が蠢いている状態とでもいうべきでしようか。「愛国心」は 二つの大きな戦争の要因だったのですが、それに対する人々の反省の意識が薄れてきているのでしょうか。この愛国心の台頭はかつて国家を超える、国境を超えるという人々の声の対極にあるものですが、現在のこの愛国心の台頭に対してはそれに対抗していくことが難しいことが特徴づけられているように思います。
二つの戦争の要因だった「愛国心」は国家主義や全体主義と結びつきファシズムとしてあらわれ、戦争への道を切り開いていきました。だから、この動きを警戒する人々の意識もその基盤も強くあります。ただ、それを「愛国心」に対抗し、それを超えていく運動や理念とすることが難しいこともあります。 戦後の革命的、反体制的運動や理念が解体と後退の中にあり、反転する思想と運動が困難な場所におかれてあるからでしよう。でも反転の道はありますし、希望もあります。「愛国心」が吹き荒れるようでも、その可能性は限界も含めて見えてもいます。
1960年の安保闘争からは既に60年に届かんとする月日が経ちました。 あの時に、若かった人々もいつの間にか高齢者に達しました。そして、鬼籍に入る人も増えています。この1960年の6月15日に闘いの中で亡くなられ た樺美智子さんを追悼し、偲ぶ会を僕らは毎年やっているのですが、いつもここに顔をだしていた渕上太郎さんや正清太一さんも旅立ちました。
樺さんのことを思うことは、同時に彼女の生きられなかった時間を思うことです。それは僕らが生きた時代と歴史を思うこともあります。潰えた夢、果たせなかった約束、鮮やかな印象を伴う歓喜、僕らはそんな日々を樺さんとの対話で再現します。これは未来の糧になるものです。そんな列に多くの人が加わっていただくのです、今年も6月15日の樺美智子さんの追悼の会をひらきたいと思います。
(9条改憲阻止の会 三上 治)