by 味岡 修
今年は桜の開花が早い。子供の頃は入学式のころに桜が咲いていた。そう記憶しているが、あまり間違ってはいないと思う。入学式は4月8日ころだったとおもうが、それから比べると今年の開花は速いし、見頃も早々と過ぎて行きそうだ。もっとも好きな花見もできないような状態だから、いいとするか、と舌打ちしている。
そんな日々だが、3月20日は渕上太郎さんの命日である。一週間、遅れてだが、墓参に出掛けた。彼の眠っているのは八王子の奥のほうの上川霊園である。雨も降りそうな気配だったので少し、厚着をして出かけたが、雨のお見舞いは受けず、余分だった。渕上さんの眠る、霊園には桜も三つ葉つつじも咲いていて、気持ちをなごませるというか、癒してくれた。
霊園を取り囲むような自然の光景はかつて彼とピース・ウォークでは箱根路を歩いた時のことを思い出させた。季節はもう少し後だったのだが、箱根路から見る箱根の山々は桜(多分、山桜)を含めて花々が咲き誇っているようにみえた。お互いに花を愛でながら、僕は少年期を過ごした故郷の山々のことを話した。色とりどりの花のさく小山を牛車に乗って眺めるともなく眺めていたと時のことを話していたのだと思う。どこか桃源郷のように思えたのだ。最も、これは後の回想として思ったのかもしれない。
渕上さんは彼のたんぽぽへのおもいというか、こころを傾けていることを話してくれた。それは西欧たんぽぽに駆逐されるように少なくなっていく和種(日本たんぽぽ)のことだった。道々でたんぽぽを探しながらであった。
僕らは自然や自然なものへの愛というか、こころを傾けることを禁じられた世代だった。これは自然や自然的なものへの愛、いうならパトリがナショナリズムに利用された歴史があり、その警戒心を持たされた世代だった。僕らが、その事から解放されて、自然や自然なものを見つめられるようになるには時間が必要だった。この歴史というか、体験があって彼のたんぽぽへの思いはあったのだろうと思う。
たんぽぽを見れば渕上さんを思い,こんな風に連想が広がっていく。やっぱり渕上さんは僕の中に生きている、そんなことを思った墓参だった。
思い起こせば次から次といろいろの事が浮かぶ渕上さんのことだが、あれからもう二年も経つ。この間にいろいろの事があった。コロナは想像を超えて広がり、今も終焉は見えない。彼はもうコロナのある程度の広がりは気づいてはいたろうが、こんな広がりを予想していたのだろうか。無為無策で安倍が政権を投げ出すとまではどうだったろうか。あれこれと渕上さんに話しかけていた墓参だったが、何か背中を押されたというか、無言の励ましのようなものも受け取った。
味岡 修(三上 治)