※現在、映画『戦車闘争』はイオンシネマのバーチャルシネマにてご覧いただけます(2021/8/26現在)
怒った市民が戦車を止めた。
天下の米軍を相手にした戦いの行き着く先は?
そのとき政府はどう動いた?
そして50年経って社会はどう変わった?
いったい、日本は誰のもの!?
ベトナム戦争末期の1972年、神奈川県にあるアメリカ軍施設前でおよそ100日間にわたって行われた、普通の市民たちによる知られざる抗議行動を追ったドキュメンタリー。
神奈川県の相模総合補給廠。 アメリカ軍はここでベトナム戦争で破損した戦車の修理・整備をおこない、港湾施設である横浜ノース・ドックへ輸送。再びベトナムへと送り込んでいた。だが当時の世論は日本のみならず、世界的に米軍のベトナム侵略には批判的であった。
いつしか 横浜ノース・ドック前には、報道などで知った一般の市民が個人や少人数ごとに集まりはじめ、戦場へ送られる戦車に抗議するようになった。やがて膨れ上がった多数の市民でドック前は埋まり、戦車は港湾に入れずに引き返した。ついにただの市民が米軍の戦車を止めてしまうという前代未聞の事態がおこったのだ。
このニュースは衝撃的に全国や世界を駆け巡り、学生運動などの団体や反戦活動家たち、さらに宗教者なども市民の動きに触発されて集まりだす。その後も世界的な世論を背景に横浜ノース・ドック前の座り込みは続き、およそ100日間にもおよぶ抗議活動が行われた。のちにわかったことだが、ベトナムでは「今日も日本の人たちが戦車を止めてくれたのか」と感動と共に毎日かたずをのんでニュースを聞いていたという。高齢の方の中には今でもこちらがとまどうくらい「親日的」な人もいるそうだ。
一方、米軍の強い要請をうけてベトナム戦争に協力していた政府はこの事態に衝撃を受け、弾圧と排除にあたった機動隊の暴力は、市民運動などに対するものとしては類をみないくらい凶暴で激しいものとなっていく。だが、むしろ非暴力・不服従の市民が最も頑強に抵抗し、機動隊の盾で滅多打ちにされて、血まみれになりながらも一歩も引かず、無抵抗で座り続けて戦車を止めた。そういう意味でベトナム反戦運動の頂点である新宿騒乱事件とならぶ稀有な闘争でもあった。
映画は当時の貴重な記録フィルムのほか、当事者や専門家などを加えた54人の証言で事実を立体的に構成。現在の日本とアメリカの関係や憲法の問題にも迫る。監督を辻豊史が務め、ナレーションをミュージシャン・俳優の泉谷しげるが担当する。
公開:2020年12月12日/104分/日本
配給:マーメイドフィルム、VALERIA、コピアポア・フィルム
企画・プロデューサー・インタビュアー:小池和洋
監督:辻豊史、ナレーション:泉谷しげる
現在、映画「戦車闘争」はイオンシネマのバーチャルシネマにてご覧いただくことができます(2021/8/26現在)。