「新宿燃えろ!」黒猫の憂鬱 Ver.2
収録CD「君が僕を追い越すまで」
メディア掲載レビュー
2016年のインディーズ・アイドルシーンで注目を集めるセルフ・プロデュース・アイドル“黒猫の憂鬱”が、ファーストにしてラストとなる待望のアルバムをリリース。
現在、メンバーだった くり子さんがメジャー系の事務所に所属。同事務所のサイトにて、今でもこのアルバムの購入が可能です。
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背景動画は国際反戦デー・新宿騒乱事件。おそらく動画の作成者がシャレで本当に新宿が燃えてるのをあわせたものと思われる(問い合わせたところ、“黒猫の憂鬱”の大ファンの方で、その解散後に著作権者に許可を得てアップしているとのこと。この背景が嫌いな方用に地下アイドルVerも作ったそうですが、こちらはまだ許可を得てないので非公開設定だそうです公開されました)。
・CD「ロールプレイング」 ・DVD「ロールプレイング」(くり子sleep ver)
国際反戦デー・新宿騒乱事件とは
新宿騒乱事件の発端は、1968年10・21国際反戦デーにあたり、 三派全学連などのデモ隊約2000人が、日本から米軍の戦車やジェット燃料がベトナムへ送られていることに抗議し、その輸送を阻止するため新宿駅に突入して線路を占拠したことだった。これにより日本から米軍への輸送は一時ストップした。
それだけでも大事件なのだが、実はそんなものは前座で、本番はここからだった。居合わせた市民や駅の利用客らが駅の閉鎖に怒るどころか「もっとやれ!」などと学生を声援しはじめたのだ。実はこの前年8月にジェット燃料輸送車が新宿駅構内で衝突、あわや大爆発の事故があり、まだその記憶も新しかった上、ただでさえアメリカのベトナム戦争やそれに全面的に軍事協力する政府(自民党・佐藤栄作首相)の方針には反対や批判が多勢だったのだ。
やがて市民らが自然発生的に学生に合流してデモ側が爆発的な勢いでふくれあがった。その数は元の全学連のデモ隊の10倍以上になる2万人を超え、時間と共にさらに増え続ける様相をみせる。これに対する警視庁機動隊側はわずか3200人だった。
構図としては駅に突入した2千の学生を包囲したはずの3千の機動隊が、2万の市民に逆包囲されて完全に孤立した形だ。焦って高圧的な態度で群衆を解散させようとやっきになる機動隊に対し、これに怒った市民の中からも機動隊に物が飛びはじめ、やがてあちこちで警察車両が炎上しはじめる。
市民の「援軍」を得た学生たちも反抗に転じ、群衆の前面に立ちつつ、駅からその一帯へと衝突が徐々に広まっていく。おそらく鎮圧に手こずって数日を要せば、デモ隊による街頭占拠「解放区」とバリケード戦という、当時のフランスなどでも見られた事態へ進みかねない状態だったと思われる。
次々と拡大する一途の事態に驚愕した佐藤政権は、「伝家の宝刀」である騒擾罪(現・騒乱罪)を首都のど真ん中とも言うべき新宿地域に適用する事態へと追い込まれ、同法をもってそこに居合わせた人を無差別に蹴散らし、一晩(つまりわずか数時間!)で743人という無差別逮捕と、それ以上の多数のけが人を出す大弾圧を決行してようやく鎮圧した。地域内にいるだけでも無差別に激しい暴行を受けて逮捕されるので、弾圧時の内部画像はほとんど残っていないが、それはまるで今も独裁国家がデモの市民を「暴徒」と呼んで鎮圧しているのと全く同じ風景だったろう。
だがこれは新宿事件が通常の警察規制では全く対処できない「大衆反乱」だったと政府が認めたことになり、そのインパクトも大きい苦渋の判断だ。また、機動隊の武力を直接に一般市民に向けることで、逆に一歩間違えれば大衆騒乱の拡大から政権崩壊にもつながりかねない薄氷の事態だったのだ。「騒乱罪を引き出すような闘いを!」と豪語した学生側の戦略もそこにあったのではないだろうか。むしろだからこそ政府は、二度とこんなことのないよう、やるからには「毒食らわば皿まで」の勢いで市民への無慈悲な血の弾圧を決行したのだろう。
警察はこの2万人もの大群衆の出現を、民衆の中にある不満の現れとして反省するのではなく、「単なる野次馬」で「暴徒」と言い捨てて事態の沈静化をはかる。これも独裁国家と同じ手法で、実際、誰が聞いてもかなり無理のある大本営発表だ(だが実際は、これ以降警察は、自己正当化の宣伝や、デモの封じ込め、街頭の民衆との切り離しなど、現在も続く策を弄するようになった)。そういう意味で政府-警察側の大敗北であり、新宿騒乱は70年安保・ベトナム反戦闘争の頂点の一つとなった。
japan-shinjuku-riot
BreakCom “japan-shinjuku-riot”
Music : Shinjuku moero(Shinjuku Burner)
Artist : Kuroneko_no_youutsu(Black cat’s melancholy)
October 21, 1968. In opposition to the Vietnam War, 2000 students entered Shinjuku Station and stopped the train to stop the transport of US tanks and jet fuel. In the previous year, the US military jet fuel was exploding at Shinjuku station. Twenty thousand citizens who remembered that had joined the students. The government launched an armed police officer. Violent violence was added to students and citizens. 743 people were arrested overnight.
RT @kousuke431: サイト更新ー動画集】1968.10.21 国際反戦デー 新宿騒乱事件 & 新宿燃えろ/黒猫の憂鬱(旗旗) https://t.co/RnWhpC1QGk
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