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ついにこの話題に言及-北朝鮮と拉致問題-

ここ数年は反戦派や左派にとって「鬼門」だった北朝鮮の問題ですが、ようやく評価も定まりつつあり、それまで慎重だったこういう人々からも、いろいろな意見があがるようになってきました。何よりイラク問題などで国内の世論が割れたりした時に「北の脅威」を持ち出して引き締めをはかるなんていう、独裁時代の韓国の朴正煕政権もかくやと思わせる露骨な手法が、あまりと言えばあまりにも目につくようになってきました。これはやはり何かを言わなくてはなりません。

たとえば中国のチベット人への弾圧が「人権問題」として国際的な非難をあび、その被害者への救援がアムネスティなどのNGOを中心にして世界的に行われ、成果をあげているわけです。ところが拉致問題について言うならば、安倍晋三前自民党幹事長などは、これを世界のどこでも通用する不偏的な人権問題ではなく、非常に国家主義的な「日本VS北朝鮮」の民族問題、国家問題にしてしまっています。
また、北朝鮮により強硬に臨んでほしいと願う人の中には(多くは善意からだとしても)その根拠として「拉致はテロだ」という規定をすべきという主張があります。これはアメリカが「テロとの闘い」を最重要課題と位置付け、日本がそれに追随する現状では、危険な主張に転化する可能性があります。「対テロ戦争」は、アメリカがイラク、中国がチベット、ロシアがチェチェンで、人権抑圧や人殺しの口実として使っているからです。

総じて言うならば、まず第一に拉致問題を「対テロ戦争」「民族問題」「国家問題」として位置付けることによってこれを利用し、イラク侵略から国内の目をそらして有事体制の整備や「改憲」へと民衆の意識を集約していく政策を批判することが必要だと思います。何より今現に虐殺が行われ、そして私達日本の民衆が加害者であるイラク戦争への反対、その日本における課題である辺野古闘争を忘れてはなりません。小泉政権がいくら「北の脅威」で民衆を脅そうとも、この闘いにいささかの変更も加えず、付け足さず、言い訳もせず、ひるまずに取り組むべきです。

第二に国家主義的に「NGOや民間は口を出すな」という政府の姿勢とは別に、人類不偏の人権問題として、私達なりに、そして世界的に、北朝鮮の人権抑圧を民衆の力で取り囲んでいく方向を模索していくことです。政府がこれに協力するならまだしも、敵対することは断固批判すべきです。

そして第三にこの問題つき言葉をかき集めて自分達を「正しい立場」に置くことに汲々とするのではなく、返り血をあびる覚悟で自分達の過去を見つめ直してみることです。なぜ国内世論において北朝鮮問題が反戦派の「鬼門」となってしまっていたのかということです。

私は現在では左翼とは言えませんが、過去には確かに左翼だった時期があるし、これからまた左翼になる可能性もあります。そして北朝鮮は明確に「左翼」なのです。日本共産党の活動家などは「あれは左翼ではない」とか言って「北朝鮮糾弾!」ですませていますが、まさに噴飯ものです。広い意味で「自分達左翼(の一部)が拉致を行った」ことの苦痛と批判を受けなくてはなりません。それらの整理なしに、第一と第二の課題に口をぬぐって取り組んだとて、誰も信用しないでしょう。

この問題に論及することは、多くの批判にさらされることでもあると覚悟しています。また、私達なりに「取り組む」といったところで何ができるかまったく見当もつきません。だいたいがイラク反戦ですら、統一的な大きな取り組みは何もできていないし、辺野古の住民らの献身に頼りきっているのが日本の反戦運動の現状です。ましてや私なんて、ほとんどネットで独り言をつぶやいているだけに近い状態なのですから。

とりあえずはこれらの手探りの第一歩として、「四トロ掲示板」で公開しちまった意見をここにも掲載して批判をあびたいと思います。(書き込みの意味がわからなくならないように、私以外の投稿者の関連する書き込みも引用・掲載しています。不都合があればご連絡ください)

よろしければクリックして下さい→

「左翼」はすでに「護憲派」に屈しつつあるわけですが 投稿者:草加耕助  投稿日:12月14日(火)19時20分0秒

>「左翼陣営の敗北」とは、この北朝鮮「問題」を軸に、左翼の中にナショナリズムや排外主義や、
>更には帝国主義戦争の承認というような論理を生み出してしまう事、そのものです。

私がバリサヨ(バリバリの左翼)だった頃に、北による大韓航空機爆破事件がありました。また、ソ連による撃墜事件もあった。街頭での情宣では苦労したのも覚えています。「ソ連の核軍拡をどう考えるのか」ともよく聞かれた。しかしあの頃の左翼は今よりはもう少しだけしっかりしてたように思えます。

爆破や撃墜についてはもちろん同意しかねるし糾弾対象でもあるわけですが、むしろそれを口実にした日米の有事体制構築やら、国内民衆の(まさに今行われているような)イデオロギー的とり込みをこそ糾弾していったわけです。それとて、かかる主張を積極的に「売り歩いていた」わけではなく「ほれみい、だからやっぱり軍隊が必要やでぇ」という敵の側の主張に対する「反論」としてありました。

つまり、かかる事件がおこる前から取り組んでいた闘争や主張や運動(今ならさしずめイラク反戦)について、いささかの変更も加えなかったし、付け足さなかったし、言い訳しなかったし、ひるまなかった。そしてちゃんと反論をした。

もちろん当時でも、一番大きい左翼団体である共産党は「北朝鮮糾弾!」だったし、革マル派はソ連と米国を並べて糾弾(実際にはソ連主敵)することで「すっきり」しようとした。しかしそういう「すっきり」しようとするあり方に対しても、私達はそれぞれ自分達の内容をもって批判してきたはずだと思うのです。
また、社会党みたいに拉致も爆破も「北の犯行ではない」みたいに断言して後に自爆してしまう例もありました。今では「北に騙されていました」みたいに北朝鮮に責任を押し付けて断交状態(だんまり)のようですね。ちゃんと対処しておれば、今こそ「北とのパイプ」を生かせる好機だったのに。

多くの左翼が、それまで住んでいた「天上の左翼界」があまりに過疎化したため、多少なりとも人の残っている「地上の護憲平野」へと降りたって、そこに「左翼村」を作ろうと汗しています。私はそれには非常に懐疑的で、すでに過疎化が進んでいる「護憲・平和」で今更何をするのかと。そういうのは社民にまかせた上で、左翼は社民とも柔軟に共闘していけばすむ問題ではないのかと思います。

今必要なスローガンは「護憲」ではなく、「改憲粉砕」ではないかと思います。改憲して世の中が良くなるのなら大賛成です。しかしそうではない。有事立法や自衛隊の派兵と同じようなものとして、その集大成として反対しているわけでしょう。決して「憲法だって金科玉条ではない」という当たり前の議論とは無縁なわけです。だから、「今の憲法が素晴らしいから守る」という護憲派と、改憲阻止派は共闘はできますが、似て非なるのものです。

総じて、「護憲平野に降り立った左翼」が、「北朝鮮は悪い」だの「憲法だけでは時代にあわないのではないか」といった一見当たり前で価値中立的にみせかけた議論にまきこまれて右往左往している。私にはそのように見えてなりません。

また、伊達さんや、ふむふむさんの問題意識のように「一般の理解と支持」ということを考慮するのも必要なことだと思います。ただ、それと並列して「たとえ一人になっても」という心構えも同じくらい必要だと思うのです。ブッシュの戦時体制構築で、アメリカ国民の70%以上が戦争に賛成した。これほど酷い状態になっても信じがたいことに反戦一色にならず、まだ50%が賛成している。私は日本人なんて、少なくとも当初は赤子の手をひねるように戦争動員されてしまうんじゃないかと思います。
家の壁に「非国民」とスプレーで描かれ、窓に石が投げこまれるくらいのところまでは私は覚悟していますし、最低限そこまでの覚悟は反戦派に必要な時代かと思います。(それ以上、たとえば虐殺・拷問などの覚悟は私にはない!)

今みたいにふらふらしていたら、アメリカのように「反対しにくい理由」で「世論の支持をうけて」一気に戦時体制が構築されてきた時に、左翼はどこまで頑張れるのか、「戦時体制の左足」にならないかと心配しております。

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切断線をどこに引くのか? 投稿者:黒目  投稿日:12月14日(火)22時08分28秒

なんか、福本イズムのイニシエより、あんま理論的に発展してないよなと思うわけでありますが(w
草加さんの「護憲派」vs「改憲阻止派」という図はなんか懐かしの80年代という感じがやはりします。90年代には既に状況は更に悪化し、左翼内部から自衛隊合憲論を主張する部分が発生しています。
マルクス主義から一足飛びに飛び越えて亜細亜主義に回帰したようなんもあるわけです。

で、問題の根元は、やはり左翼も護憲派も含めて、国家という概念に対峙するという事が全くできてこなかった、という事なのではないか。
90年代の吉本隆明だの、最近では宮台真司がどっかでやってるやくざ営業だの(w、なんかあの辺ってホントに、いつの間にか国家を主体化しちゃってんですよね。あの、最も根元的に国家を対象化していたようにみえる連中が。
んで、「古き良き革新」みてえなばあさまのが、よっぽどまともに見える今日この頃。

草加さんの文脈で言えば、左翼は護憲派に屈しているんじゃなくて、国家に屈しているんですよ。

追記しますと、北朝鮮に対して、国家の暴力の発動を要請する部分が発生する、あるいは逆に金氏朝鮮の王朝国家に一体化する、そういった立場、これらが裏返しの構造のほとんど「同じもの」に見えるというのは、やはりその「国家への対し方」が同じであるという事の結果ではないのか。
また、社会党は村山政権の時に、戦争被害者への救済を民間基金によって行うという事をやった。これは国家が責任を負うべき事柄を、民衆の手によってケツをふいてしまおうという話として機能しました。「民衆の戦争責任」という問題を逆向けに接続し、民衆の運動を国家の補完物として動員しようとした。こういうのも、ちゃんと「国家」というもんを考えていない結果ではないのか、と思うわけです。

さらに追記
はっきしゆうて、「武力を保持しない」ようなもんは、明らかに「国家じゃない」んであって、そういう見え見えの事をはっきりと主張するという事が「護憲」であったのであって、下手なマルクス主義者なんかより「護憲派」のがよっぽど国家を対象化できる位置にあったんじゃないか?(暴言

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黒目さんからも言われちまったい 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼  投稿日:12月15日(水)00時06分50秒

>草加さんの「護憲派」vs「改憲阻止派」という図はなんか懐かしの80年代
>という感じがやはりします

どわー!黒目さんからも言われた。いえね「アベック」とか口走って職場のバイトの子から「80年代の香りがする」と言われたもんですから。

まあ私は「80年代反スタ左翼」の出身すから(・・。)ゞ
それから左翼をやめてるんで、発想方法としては時間が止まってるかもです。んで、そういう「止まった目」で見ると、むしろあの頃より「左翼」というものの存在が(勢力とかいう意味でなく)退歩しているように感じる今日この頃なわけで、もう一度原点を見てみろと。

>問題の根元は、やはり左翼も護憲派も含めて、国家という概念に対峙するという
>事が全くできてこなかった、という事なのではないか。
>「古き良き革新」みてえなばあさまのが、よっぽどまともに見える今日この頃。
>左翼は護憲派に屈しているんじゃなくて、国家に屈しているんですよ。

ふーん。なるほどねえ。私は「規律と秩序を求める無政府主義者」みたいなところがあって、折衷的に左翼になったようなわけわからん人間やから、左翼の最終目標は「国家の止揚」やろと。それを忘れて「国」の枠からしかものを考えられへんのがソ連や中国みたいなスタやろと。それは左翼業界ではもう説明したり再確認する必要もない自明のことやろと思うてましたけどね。

だから「自衛隊合憲論を主張する部分」だの「亜細亜主義に回帰したようなん」は、わたし的には「脱落派」なんで(w「左翼」の数には入れてませんでした。まあ、昔から左翼が耐えきれなくなると、いっきに愛国化してしまうんはようあることだと。

こうなると「古き良き革新みてえなばあさま」というより、無政府主義系のほうがよほど「古き良き左翼」らしく見えちまうなあ。(サウンドデモの黒旗はまぶしいよ)

あと、私は「護憲派」vs「改憲阻止派」という図を描いたつもりはないんで。つーか、vsしてるほど余裕はあるんかという問題ですね。私は「改憲阻止派」で「護憲・平和」にはどうしてもなりきれんけれども。。。

「古き良き革新」と「懐かしの左翼」の共闘で、黒目さんが付き合っておられるような「新しい人々」を支えて、「一足飛びに回帰した人々」や「ピースな人々」の群れの中に飛び込み、国家という存在に対峙できたらいいなあ。日本政府とかそういう狭い意味ではなくてね。歴史的・過渡的存在としての国家そのものと。私は時間さえ許せばいくらでも「新しい人々」の手足になって働くよ。
それで飲みにいったら若い人々に囲まれながら「おっちゃんの言うてることもう古いわー」とか言われて「何ぬかす。まだまだ時代は変わっとらんわい」とか実は嬉しそうにスルメ齧りながら赤い顔して酒のんでる左翼オヤジを目指そっと。

問題はどこにいけば「新しい人々」と出会えるか?ですが。。。

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拉致に抗議するのなら、合わせてやる事があるでしょ。 投稿者:高林千春  投稿日:12月14日(火)01時37分35秒

確かに、拉致という行為は到底許せるものじゃないし、国を挙げて事実の解明と被害者の奪還に動くべきだと思いますよ。それが、国家としての責任と義務ですからね。
でも、そういう(北朝鮮という)国を作ったのは紛れも無い日本なんですよ。被害者の家族の人たちも、「助けてくればかり」言ってないで、もっと根本的な所に触れないといけないんです。彼らは、根本的にそこが分かっていません。

経済制裁を強く要求してるようですが、果たして効果があるのでしょうか?少なくとも、6カ国協議に参加してる他の4国が同調しない限り期待薄でしょう。それなのに、自分たちの都合だけで政府に詰め寄る姿は、先のイラク人質事件と本質では変わりません。

拉致被害者の奪還を要求するのであれば、合わせて太平洋戦争で日本が朝鮮に対して行った数々の極悪非道ぶりを真摯に謝罪し、その賠償に全力を尽くすよう働きかけるべきです。骨が偽者だったから卑劣だとか、そんなの戦時中の暴挙に比べればちっぽけな事じゃないですか。同じ国民として過ちを犯してしまったのだから、その償いを政府に要求すべきだと思いますけどね。少なくとも、私がぐぐった限りではそういう動きは見つかりませんでした。

端的に言えば、日本が満州に侵攻しなければ今の金正日体制は存在しないんですよ。過去を恥じないで己の都合だけで被害者面してる彼らを見ると、同情を通り越して憤りさえ覚えます。彼らは、いったい何様のつもりなのでしょうか?

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拉致被害と日本の国家犯罪と 投稿者:まっぺん  投稿日:12月14日(火)12時53分31秒

高林千春さん、いらっしゃいませ。\(^o^)

過去、日本が国家としてアジア諸国に多大な迷惑をかけ、多くの人々に絶望的なまでの被害を与えた。それは事実です。では、横田さんをはじめとして拉致された日本人たちは、この戦前の犯罪行為に荷担した人たちなんでしょうか? そんなはずないですよね。拉致被害者たちはみんな戦後生まれ。それどころか朝鮮戦争すら知りません。その人たちが拉致され、もしかしたらそのまま北朝鮮で死んでいったかもしれない事に対して、また拉致被害者たちを心配し悲しんでいる家族に対して「日本の歴史的犯罪を謝罪しない者は被害者づらするな」っていうんですか? ただ「日本人である」という理由だけで自分の身にふりかかった不幸を我慢せよなんて、あまりにもひどい。それは裏返しの「日本民族主義」ではありませんか。

ぼくは高林さんの主張の中に「歪んだ日本民族主義」と共に「人の悲しみや同情よりもイデオロギーを優先する」傾向を感じます。朝鮮人の苦しみも、日本人の苦しみも、苦しみは同じではありませんか。一方を排撃し、一方にだけ同情するような「イデオロギー」は真実、人類を幸福にするとは思えません。もちろん同じ理由から、朝鮮人を排撃し日本人にだけ同情するような考え方にも反対します。

日本の国家犯罪について「日本人としての反省」を考える事には多いに意義があります。しかし、その「反省」はどう生かしていくか、に懸かっているのではないでしょうか。僕たちは「日本人としての加害者性」とともに「国家犯罪に荷担させられた」被害者としての「日本人」でもある事を自覚するべきなんじゃないでしょうか。また、「被害者・加害者」といっても、少なくともぼくは太平洋戦争の時にはまだ生まれていませんから、実際にその犯罪の渦中にいた日本人とはちがった立場にある、とも思っています。そうした立場から、民族の壁を超えて国家犯罪を告発する共同の闘いを求めていくべきなんじゃないでしょうか?

北朝鮮の国家的犯罪に対しても、在日コリアンからも声があがっています。この問題について、日本・朝鮮・韓国・在日の立場を超えて拉致被害者を支え共に告発していく事が、日本の国家的犯罪に対しても闘いを拡げていくことになるんじゃないでしょうか?

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高林さん・まっぺんさんの書き込みに思う 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼  投稿日:12月14日(火)22時23分25秒

高林さん、はじめまして。草加耕助と申します。高林さんのお気持ちはとてもよくわかります。管理人さんのレスへの若干の違和感も含めて、私もレスさせていただきます。

1)日本政府や与党にみられる「制裁論」に関しては、高林さんのご指摘の多くが該当すると思います。
たしかに「拉致という行為は到底許せるものじゃないし、国を挙げて事実の解明と被害者の奪還に動くべきだと思いますよ。それが、国家としての責任と義務ですからね」ということです。しかしこういうアジア情勢を作り上げてきた責任は、日米にもあります。それを棚上げすることは許されません。「戦時中の暴挙に比べればちっぽけな事じゃないですか」というのもその通りですし「過去を恥じないで」「被害者面して」北を批判する彼らを見ると、確かに私も「憤りさえ覚えます」

小泉首相がはじめて訪朝した時のテレビの街頭インタビューでは「それ(過去の侵略)を言われると確かに弱いですよねー」とか「お互いに堂々と謝ってほしい」という意見が多勢だった。事前の世論誘導がない「サプライズ」だったがこそ、人間としての自然な意見が多かったように思います。私達はイデオロギーや「自分の正しい立場」を確保することに汲々とすることをやめて、もう一度この自然な原点に立ち返るべきかと思います。もともと日本が北に賠償することについて世論の反発はなかったし、ましてや有事体制の構築や改憲と結びつけては誰も考えていなかった。それが現在は、あたかも北朝鮮と金正日を、アメリカにとってのアルカイダとビンラディンのように利用して、「北朝鮮」「拉致」と言えばなんでも通るような状況を作り出している。

高林さんのお気持ちで一番わかるのは、こういう「国家としての当然な責任と義務」とは縁もゆかりも無いただの「北を利用した戦時体制作り」に、危機感を持ってきちんとした異議を申し立てる人なり勢力がいないことです。いたとしても、それこそ「偉大なる将軍様マンセー」な人だけで、冷静な議論がないということですね。みんな首をすくめて黙っています。これは私も含めて反省したいところです。

2)被害者家族(というかマスコミに登場している『家族会』の中心的な人たち)についての論評は、高林さんの言い方もわからないではありませんが、全面的に同意はできません。

「助けてくればかり言ってないで、もっと根本的な所に触れないといけないんです」「彼らは、根本的にそこが分かっていません」とのことですが、これは間違ってはいないにせよ、被害者である個人に対して、歴史的な経緯を踏まえてものを言えとはちょっと酷だと思います。
このあたりは管理人さんの「ただ『日本人である』という理由だけで自分の身にふりかかった不幸を我慢せよなんて、あまりにもひどい。それは裏返しの『日本民族主義』ではありませんか」に同意します。ただ、高林さんは「触れないといけない」つまり「ふまえて」ということで「我慢せよ」とは言ってないので、その点は管理人さんの勇み足とは思います。

もちろん、家族としての当然の情を超えたところでの、政治的な活動や発言、そしてそれが日本にもたらした結果や影響については、いくら「家族会」といえども責任を持たなくてはならない場面も出てくるでしょう。
昨年だったか蓮池事務局長が、憲法記念日に改憲派の集会にゲストスピーカーとして登場し「日本よ国家たれ」みたいな講演をしているのをテレビニュースで見ました。最後には壇上で「君が代」を斉唱しておられました。
横田さんなんかは少しニュアンスが違って、もっと素朴な肉親の感情が表に出ておられるようですが、蓮池さんは完全な国家主義者で、国家機関以外の民衆レベルで拉致問題に取り組もうとする動きを、非常に批判されておられるようです。交渉は国に一本化しNGOや政党は口を出すな、そして対外政策は改憲してでも強硬な姿勢で臨むべきであると。つまり小泉よりも強硬な安倍晋三の路線ですね。

しかしそれにしたところで、やはり「個人」です。たとえば北に太いパイプを持つ当時の社会党が、「拉致問題」について北の代弁者みたいな立場に立たず、しっかりとした対応をとっておれば、被害者をこんな政治的立場に追い込むこともなかったのではないでしょうか。

もともと政府・外務省も自民党も、家族会や「拉致問題」について真剣に取り組んだこともなく、拉致の事実をつかみながらも、ほとんどやっかいなお荷物扱いで家族と真剣に向かい合ってきませんでした。それにのっかって同じような対応に終始していたのが社会党だと思います。
今になって急に政府-与党は被害者を持ち上げ、改憲などの方向に政治利用し、社民党などの「左派勢力」は置いてきぼりをくわされて自爆したわけですが、そういう政府のあこぎなやり口を批判しようとも、それをもって利用されている被害者を批判することはできません。

3)まず・政府-与党、・被害者と家族、と見てきました。あと、・北朝鮮当局、・日本国内の左翼、・一般の人々(世論)について検証しなくてはなりません。これらを包括的に検証しないと、私達(反スタ左翼の系譜に属する者)なりのこの問題に対するスタンスが見えてこないと思います。今回は脳味噌がオーバーヒートしてきましたので書き切れませんが、つまりは同じ視点ですべてを論及・批判しようとするところに高林さんの無理があるように思います。

管理人さんの疑義は、政府-与党を批判する視点で「家族会」に論及している高林さんへの違和感ですし、私の管理人さんへの疑義は、北朝鮮当局を批判する視点で、そのまま政府の「北朝鮮政策」に論及していくことへの違和感です。つまり管理人さんの意見は一般向けに「すっきり」しすぎています。これでは北朝鮮を口実にした、政府-与党の有事体制作りに抗し得ないというか、最後は支持していかざるを得なくなると思います。

この問題については多少の返り血を浴び、左翼としての過去や立場が汚れてしまったりする覚悟も必要だと思っています。その覚悟なしにあれこれ言葉を寄せ集めて整合性のある「正しい立場」を確保することに、党派でもない個人である我々にとって、どれほどの積極的意義があるというのでしょうか?

4)高林さん。最後にぶっとんだことを言いますが、ジョンレノンの「イマジン」を思い出してみてください。(はい、ほらそこの人!目が点にならないで!)
「想像してごらん 国境なんて存在しないと。そう思うのは難しいことじゃない。殺す理由も、死ぬ理由もない」
人が人を拉致し、あるいは死に追いやった。そして別の人が被害者の嘆き悲しむのをいいことに、敵をうってやるとばかりに人殺しの準備をしている。
だけれども本当は「日本人」も「朝鮮人」も関係ないんだと。殺す理由も、死ぬ理由もないんだと。

世の中も歴史もこんな単純なもんではない。でも「ここからはじめる」べきだと思う。それをふまえてもう一度管理人さんの高林さんへのレスを読み返してみてください。この原点に反するものは排除して考えるべきだと思います。

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ちょっと言い方が悪かったですかね。 投稿者:高林千春  投稿日:12月15日(水)05時29分39秒

私が言いたいのは、拉致被害者の方々の政府に対する発言の中に「過去の過ちを正し、人道的措置を取って欲しい」という主旨のものが無い事なんです。北朝鮮という国を生んだのも、元を辿れば日本のエゴが原因です。もちろん、それは拉致被害者のせいじゃありません。その点は理解しているつもりです。でも、実際に被害に会った方(従軍慰安婦の人たちとか)から見れば、「じゃあ日本は私たちに何をしたの?」という事になり、同じ日本人として見るわけです。

私が言いたいのは、彼らに、政府に対して被害者の救出要請とともに「戦後処理をきちんとやって欲しい」と訴えて欲しいと言う事です。何も彼らに直接謝罪しろとは言ってません。「そもそも拉致のような事件が起きるのは、歴代政府がこれまでそれ(戦後処理)をサボったからだ。だから、そこも合わせて実行して欲しい。」の一言がどうして出てこないのでしょうか。

かなり失礼な言い方ですが、こう言わないと伝わらないようなので、批判覚悟で敢えて言います。彼らは、拉致という不幸に見舞われた事で、日本政府に対して戦後処理の不備を糾弾出来るポジションと背景を手にしているんです。もちろん、自ら望んでそうなった訳ではありません。でも、人の痛みが分かる人だからこそ、そういう行動が取れる立場にいるんです。なのに、自分の身内の事しか考えていない。それが悲しいんですよ。

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出典を書かないと・・・ 投稿者:まこと@休憩  投稿日:12月16日(木)09時10分20秒

>「RENKの目標は北朝鮮の民主化です。戦争反対ではありません。北朝鮮の
>民主化のために戦争するべきだ、というのも一つの意見です。奴隷の平和か、
>自由のための戦争か、という究極の選択を迫られたら、私だって戦争に賛成
>するかもしれません。それで戦争容認派と言われても結構。なんとでも言え、
>です。」

↑の発言は↓の掲示板から引用したものですよね。

「アフガン・イラク・北朝鮮と日本掲示板」
http://8330.teacup.com/netkikaku2/bbs

この発言が出てくるまでの一連の流れを書くと、猛獣文士さんがとあるRENK会員Kさんに「RENKのイラク戦争認識」について問い質したところ、Kさんからは”RENKは米軍のイラク攻撃を支持していない”というレスが返ってきて、さらに猛獣文士さんが”RENKがイラク戦争に反対しているとは思えない、北朝鮮への米軍の介入を期待しているのではないか?”と返したところ、Kさんから件のレスが返ってきた、という按配です。

詳しくは、上掲掲示板をご覧ください。

>自分のところの人民が何百万人か餓死しても平然としている奴に経済制裁を
>加える事が、なんかの政治的効果があると本気で日本政府は思っているんだ
>ろうか?
>金正日にとっては、どう考えても、自分のところの人民の食料なんか、手持ちの
>カードのひとつに過ぎないんであって、で、そのカードを「切らせる」という事が何
>を意味するのか、という事は、日本政府も北朝鮮の民衆の飢餓の片棒を担ぐと
>いう事に他ならないんですが。

>つーか、金正日体制が一番嫌がる事を、日本政府がしようとするのであれば、
>中国と仲良くして、東アジアを緊張緩和してしまう事じゃないのか?
>中国は、アメリカに対する「クッション」として金正日体制を必要としているのであ
>り、それがあのわけわからん国がいまだに存続している唯一の理由である。東欧
>の例を見ても、中国との国境を開いてしまうのが、「北朝鮮問題」の決着としては
>唯一の結末であると思うんですが。(黒目さん)

私も上掲投稿と似たような認識を抱いているのですが、私が↑とほぼ同じような趣旨の投稿を某「拉致板」に投稿したところ、「非現実的」「空理空論」、果ては「北の手先」といった類のレスが返ってきました(汗)。

ただ、東北アジア版ピクニック計画については李英和氏やファン・ジャンヨブ氏も提唱してはいますが、現状では実現は難しいのではないかと思います。あの計画は「ピクニック先」のハンガリーの民主化の動きの中で生まれたものですが、中国の水準は当時のハンガリーとは比較にならないと思いますし。

草加耕助@懐かしの80年代左翼さんへ

草加さんの真摯な姿勢に、心を打たれます(ご意見の全てに賛同している訳ではありませんが)。

ただ、件の投稿を「拉致板」に行えば、良くて「北の手先」、悪くすれば「人殺し」呼ばわりされるでしょう・・・、それが現実なんですよね。(実際、この板の常連の中に「人殺し」呼ばわりされた方がいます(汗)。)

草加さん、もし宜しければ草加さんも上掲の「アフガン板」にいらっしゃいませんか?私達は1年以上前から、草加さんのような問題意識を共有しつつ、意見交換を行ってきましたし・・・。

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一応、私の知る限りの事実を 投稿者:三浦小太郎  投稿日:12月16日(木)20時40分31秒

拉致被害者家族、数名の方とは、多少は集会なり、また懇親会なり、お手紙のやり取りをしたことがあります(勿論、特に親しいわけでも何でもありません)一応、これは論議をしたいのではなく、その範囲での私の知る事実としてお伝えいたします

まず、草加さんの
「蓮池さんは完全な国家主義者で、国家機関以外の民衆レベルで拉致問題に取り組もうとする動きを、非常に批判されておられるようです」
という点ですが、私は蓮池透さんの違う面もかなり見ておりますし、それは公的な媒体では最近明らかにされていると思うんですよ。
ちょっと今手元に資料がなくて申し訳ありませんが、最近「諸君」「フライデー」等々の記事で、蓮池透さんは繰り返し「私たち家族会は家族を救い出すという運動をしているのであって、北朝鮮を打倒しようとか、そういう運動とは一線を画さなくてはならない」「靖国問題とか歴史問題とかは専門家でもないし、語りたくない」という趣旨の発言をしているんですよ。これは、ある意味私は分かりますしね、政治運動に利用されたくない、というお気持ちは。私は元々北朝鮮独裁政権打倒と言うところが原点だから、私なんかが蓮池さんたちに、大してしてあげられることもないのに近づくのはやっぱり控えなくてはいけないな、と本当に思いましたよ。

そして、弟さんが帰ってからの彼の苦労と、北朝鮮に対する認識の深化は私は評価すべきだと思っています。最近のテレビ発言でも、かなり冷静な発言をしていますよ。あと、「交渉は国に一本化しNGOや政党は口を出すな」というのは、自民党の売名行為に走る議員やいかがわしい利権屋がNGOをなのってかってに交渉をする事を批判したのであって、その限りでは正等ではないでしょうか。

さらに、高林さんの
「人の痛みが分かる人だからこそ、そういう行動が取れる立場にいるんです。なのに、自分の身内の事しか考えていない。それが悲しいんですよ。」
というご発言に関してですが、私の知る限り、横田滋さん、早紀江さんご夫妻にせよ、増元照明さんにせよ、北朝鮮の現在の人権問題については、本当に深いご理解をしてくださっています。脱北者の証言集会などに、かなり初期からご参加くださったこともありますし、朝鮮日報の記者で、北朝鮮で収容所体験者でもある姜チョルファン氏の本も読み、彼の話を同じ集会で聴き、ある在日コリアンの人が「本当にありがたい」と涙ぐんだほどのいいお言葉を聞かせてくださったこともあります。被害者家族を聖人扱いするのはやめるべきでしょうが、私の知る限りの横田ご夫妻は、決して自分と自分の身内しか考えないようなお方ではありません。勿論、高林さんは違う印象をもたれるような場にいらっしゃったのかもしれませんし、決して私の体験だけが全てだとはもうしませんが。

ちょっと、直接関係はないんですが思い出したこと。
私は北朝鮮帰国者の人権問題にかかわって、すごく矛盾があるのは、結局日本にいる帰国者の在日親族も、また脱北者も、自分の家族を人質に取られているからどうにも身動きが取れないんですね。本当に、「テロ」というのは、単に人を殺すとか暴力で意見を変えさせるんではなく、「恐怖(テラー)」で人間精神を押さえつける事だという事がよく分かりました。それまでは理屈でしか読めなかった、ハンナ・アレントがいきなりものすごく分かりやすく読めるようになったんですよ。(まあ誤解かもしれんが)でも、私が帰国者家族に対し、「身内の事だけを考えずに行動を起こしてください」という権利はやっぱりないと思うんですよ(どうしても言ってしまう時も正直あるんだけど)。

勿論、高林さんの意見を封殺しようというのではありません。こういう事実もあったことは知って欲しい。歴史観や経済制裁是非論もいいですが、繰り返しますけど、難民救援に力を集める時では?
そして、これは私の政治的立場からの偏向かもしれませんが、中国の現在の対北難民政策を変更させる事は、日本が単に中国に歩み寄るだけでは不可能と思います。何らかの政治的・経済的圧力を、私は中国にもかけざるを得ないと思いますよ。そのためには、日本版の「北朝鮮人権法案」は是非必要。

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拉致被害者救出運動 投稿者:鍋山  投稿日:12月16日(木)22時47分8秒

あらっ、三浦さんに先を越されてしまった。
しかし、まことさん、「まとめ」がうまい。これも訂正・補足してください。(汗)
三浦さんも異論を。
私、「人殺し」呼ばわりされたっけ?鈍感でボケてるから、だから覚えていない・・・(大汗)

『拉致被害者家族会』は、言うまでもないですが一つのイデオロギーで活動しているわけではありません。それぞれ、さまざまに考えがあると思います。家族会に入っていない人もいます。

しかし、報道はされませんが、横田さんをはじめ家族は、ことあるごとに在日朝鮮人に対する差別や嫌がらせ・暴行などに対してやめるように発言されています。

~TAMO2さんも参加した集会での横田さんらの発言~
「7.20集い」報告2. 投稿者:鍋山  投稿日: 7月22日(火)00時42分55秒
http://redmole.ktplan.net/2003/2003-07b.html

「7.20拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」
http://tsudoi0720.at.infoseek.co.jp/index.html

2・15「拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会」報告
http://www.linelabo.com/act0302.htm

蓮池透さんについては、三浦さんが書いていますが、
もう少し踏み込んで言うと、救う会指導部=佐藤・西岡・荒木ら「現代コリア」「旧民社(的反共グループ)」の『政治利用主義』にたいする歯止めに蓮池透さんが位置しているのではないかと。

今年1月「共同通信」の対談
http://afghan2004.hp.infoseek.co.jp/kakolog33.htm
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石丸次郎 
 (家族会の)支援団体「救う会」はいろいろな人を抱えている。ある幹部は、日本が核武装すべきだと言ったり、(金正日)政権を打倒しない限り拉致は解決しないと言ったり。
 私の住んでいる大阪の「救う会』のホームページを見ると「経済制裁で金正日政権をつぶし拉致問題を解決する」「経済制裁を阻むものは謝罪外交、土下座外交」「戦後に終止符を打ちましょう。教科書問題、靖国問題、拉致問題・・・」と書いてある。
 別の政治目的を持った人が拉致を利用しているようにも思う。その中で世論が形成されていく現実に憂慮を覚えている。核武装、靖国まで出てくると、拉致被害者を応援したいが拉致問題についていけないという人がわたしの周りにも多い。

蓮池透
 それは、私も憂慮している。わたしたちは、拉致されて家族を取り返したいと運動しているわけで、その気持ちを了解してもらって、その一点で支援していただきたい。わたしも靖国の専門家でないし、触れたくない。北朝鮮打倒に拉致を利用するというのは不服。ごく一部の特殊な人がやっている運動と思われても嫌だし、国民運動にしないといけないと思うから。

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この対談と同じころ、佐藤勝巳は「救う会会長」の名前で、「センター試験において、ありもしない強制連行を試験問題にする事」に対する声明を出しています。

横田さん夫妻は、2002年暮、めぐみさんの娘「へぎょんちゃん」との対面のための訪朝を希望したのですが、たぶん、救う会の「説得」によって断念し、それ以降、「拉致被害者救援運動」の顔として前面に立つ立場にいます。

2003年5月、救う会は『拉致はテロ!今こそ経済制裁を!』というスローガンを掲げます。
これは、ブッシュのテロと戦う戦略に乗っかった驚くべき排外主義煽動でした。
しかし、「家族会」も、問題の解決が見えない中で、ともにこのスローガンを掲げざるをえない関係にあります。

「救う会指導部」の排外主義的利用主義を批判するとともに、それにかわる「拉致問題解決」の道すじを運動として作り出さなければならないと考える。

参考リンク

四トロ同窓会二次会掲示板
四トロ同窓会三次会掲示板

Yahoo! Japan NEWS 北朝鮮日本人拉致事件
北朝鮮による日本人拉致問題総合情報サイト
朝鮮民主主義研究センター
アフガン・イラク・北朝鮮と日本

救う会全国協議会
RENK東京
あべ晋三のホームページ
 └北朝鮮拉致問題

つぶやき手帳
 └金正日体制崩壊のために
 └金正日体制崩壊のために その2
 └金正日体制崩壊のために その3

勘繰り屋
 └拉致問題、どうしたものか
反米嫌日戦線
 └経済制裁したら、殺されるかもしれない
marimoの革命日記
 └拉致被害者家族会
FAIRNESS
 └内にある矛盾
ぷち総研
 └遺骨は別人――戦略的な北朝鮮外交を
極悪読売を斬る!!
 └12月9日付・読売社説(1)[“遺骨”は別人]「『北』の愚行が自ら制裁を招く」
BigBan
 └少し落ち着こう–北朝鮮というカルマをどうするか
逃避日記
 └キーワードは「死語について」だと思うな。

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  • 草加さん、こんにちは。TBありがとうございます。のみならず「参考リンク」まで貼っていただいて大汗です^^;)
    さきほど「その3」を投稿しました。草加さんほどの筆力がないので、どうも私はいつも一点突破(全面展開)主義です(笑)。ひとつのエントリーで、言いたいことはひとつ書く、という芸風で。
    「返り血」という点では、少し私は感覚が違いますね。元トロということなのかもしれませんが、北朝鮮を「左翼」の一部とするのに個人的には違和感があります。(もちろん世間の捉え方が違うのは承知ですが)
    当時も、ともに社会主義の未来を開拓していく陣営の一部として、北朝鮮を見ていたわけではありませんでした。ソ連の覇権でできた東欧共産党国家よりも、さらに人為的に造られた体制というイメージです。スターリニズム以前のような。
    「責任」という文脈では、また違ってくるでしょうけど。この点は詳細をまた、別稿でできたらいいなと思います。(できるかな?)

  • 私は(一時ネット界のある種の部分を席巻した)「共産趣味者」系の人ではないので、特にパフォーマンスや芸風を競っているわけでもないんですが、いったん書き出すと、あれもこれもと文章が長くなったりネット上の資料を集めてみたりと長大になりがちなのが「芸風」と言えば言えるかな。特に面白いわけでもない長い文章なんて誰が読むねんと自分でも思いますが。。。
    確かに主義者Y様のおっしゃる通り、左翼の間では(口にこそ出さねど)むしろ一般の人の間でよりも北朝鮮は嫌われていたような気がします。でも、やはり侵略の歴史というのがあったし「南の傀儡独裁政権」を批判しているという対抗上、理屈で批判するのは控えていたようなところがあったと思います。
    しかしたとえばポルポト政権の虐殺はどうでしょうか。ベトナム戦争の終結時、左翼にとって「インドシナ3国」は解放された光り輝く地域だったんではないでしょうか。ポルポト政権に対して「あれは社会主義ではない」と言いきって、なんら真剣に向き合おうとしなかった日本共産党の活動家の態度が今でも忘れられません。私達は「社会主義者ポルポト」とこそ、反共主義者とはまったく違う地平で、対決する軸を持たなければならなかったのではないかと思えるのです。このへんを反スタ左翼も含めて単なる「スターリン主義批判」ですませてきたのではないか。それはフルシチョフ報告によるスターリン批判に対し「我々には関係無い、解決済みの問題」とした共産党と同じ態度だったんじゃないかと思うのです。
    このへんはエントリーをあらためて深めていくつもりですが、やはり同じ「元反スタ左翼」でも、トロ系とブント系の違いみたいのが出るんやなあと、主義者Y様のコメントを見て思います。もう関係ないと思っていたのに、こうして並べてみると染み付いた発想というのがあるんだと気づかされて苦笑します。

  • 立川反戦ビラ裁判の件、TBありがとうございました。
    何かやりはじめようと、いろいろ模索しているkamakazuと申します。
    自分にもなにかしらの責任を感じつつ、テレビを見ながら、こんな袋小路をつくったのは、誰よ?と怒っていてました。「自分にもなにかしらの責任を感じつつ」になってしまうのが、管理人さんと似たところなのかもしれないと安心しました。
    北朝鮮関係の議論、参考になりました。「第一」の論点、もっともです。負けずに堂々と言うべきです。

    >それで飲みにいったら若い人々に囲まれながら「おっちゃんの言うてることもう古いわー」とか言われて「何ぬかす。まだまだ時代は変わっとらんわい」とか実は嬉しそうにスルメ齧りながら赤い顔して酒のんでる左翼オヤジを目指そっと。

    これをただ今、実践中であります(^^)理論が苦手なもんで、酒とギターと写真で前進しようと思っています。今後とも参考にさせてください。

  • こんにちは。拙文ながら左翼の責任論を自分なりにまとめてみました。エントリーがふたつに分かれてしまいましたが、それぞれTBさせていただきました。
    草加さんのおっしゃるとおり、やたらすっきりする「スターリン主義批判」があると、そこから先に進めなくなってしまうのですね。理論で満足・安心してしまう知識人の陥る陥穽です。
    「第二」の論点。普遍的な人権問題として深化させ、解決の方法論を探っていくことが、いよいよ必要になってくるでしょう。

  • 私は所謂ノンポリという奴ですが、皆さんの御議論を拝読していると何となく懐かしい気がしてきます。「四トロ」「反スタ」「ブント」セピア色ですね。

    恥ずかしながら2年前の小泉訪朝まで拉致問題については無知でした。別に「反動勢力が捏造したのだ」とか言った主張に惑わされたというようなことではなく、単なる無知だったのですが、同時に自分の中に所謂進歩派・リベラル派と呼ばれる人々に対する失望が生まれてきました。

    拉致が明白になったあとも「労働党に騙された」とか「拉致は許されないが、過去の植民地支配に対する反省・謝罪も忘れてはいけない」等等、言い訳に終始する「護憲派」の方々の姿を拝見しているとため息が出る思いがします。

    確かに一部には国家主義的な動きが見られますし、皆さん方も指摘なさっているように何らかの目的のために利用しようとしている人たちもいるようです。家族の方々が訴えることに100%同意できるわけでもありません。

    でも植民地支配を持ち出すことそのものが彼らの犯罪行為を何パーセントかは免責することになるのではないでしょうか。

    安部のような人物が大きな顔をしている現状は必ずしも好ましいものではないと思いますが、元はといえば拉致被害者家族の必死の訴えに耳を貸さなかった「護憲派」「進歩派」にも大いに責任があると思います。

    日頃、口角泡を飛ばすほど人権擁護を唱えている人たちが消極的態度に終始しているのを見る時彼らの言う「人権」とは一体如何なる実体なのか大きな疑問符が浮かんできます。

  • DHFさん、自分はノンポリとか自称して何らの政治性を背負わないで、他人の言説だけを非難しているだけの人はラクでいいですわなー。

    「護憲派」とやらを非難する前に、じゃあなんであなた自身は2年前まで拉致問題に無関心だったかを考えてみたらどうかな?他人を責める前に、わが振りを直せですわな。

    ていうか、こんな政治性プンプンのサイトで政治的発言をしていて「自分はノンポリ」と自称できるってねえ~。まずは自分の政治性を正直に晒せっていいたい。自分は政治的責任を背負わずに、時勢に応じて日和見発言することなんて誰にでもできるし、そんな人間が偉そうに他人の政治的行動の責任を糾問できるとは思えないけどね。

  • 別に私は「護憲派」「進歩派」ではないのですが(おそらく社民党を筆頭とする人々に対する意味で使っておられると思うので、言い訳ではなく本心から「一緒にされたくない」という意味で)。
    これは続編で書こうと思ってることですが、要するに北朝鮮を擁護してきて自爆した人も、制裁発動を叫んでいる人も(そしてDHFさんも)、みんな「国家」という呪縛から逃れられてないんじゃないかと。「日本国」や「日本人」というところから北朝鮮を批判すると、どうしても「国家主義的な」「安部のような人物」に荷担させられてしまうというジレンマがあって、思うように北への批判ができてないんじゃないかと思うわけです。これは「植民地支配の反省」すら国家という枠内でしか語ってこれなかった「護憲派」のツケが回ってきたという認識でいます。また、DHFさんの「植民地支配を持ち出すことそのものが彼らの犯罪行為を何パーセントかは免責することになる」というのも、私からみれば、まさに「国家」の枠内からの発想そのものということになります。
    「植民地支配の反省」と「拉致への糾弾」はまったく同時に成り立つし、また同時にしなくてはなりません。私達は「日本人として」「北朝鮮に対して」反省したり糾弾したりするわけではないのです。もちろん「国家」が存在している以上、無視するのは現実的ではありませんし、それを徹底すれば「過去の侵略の責任なんて今の私達には関係無い」とも言えるわけですが、私とてそこまで言うつもりはありません。このへんも、もう少し整理したいところです。
    (しかし「四トロ」「反スタ」「ブント」という言葉に対して「何となく懐かしい」「セピア色ですね」というDHFさんも、決して「素人」とは言えませんね(笑)

  • 丁寧な御返信ありがとうございます。
    決して草加さんを「護憲派」と規定したつもりはなかったのですが、読み返してみるとそう取られても仕方がないですね。お詫びいたします。
    貴方にとっては本来むしろ敵対する勢力になるのでしょう。

    あと、何方かわかりませんが「政治性を晒せ」とのことですが、ことさら晒そうとするまでもなく自ずと晒されているのではないでしょうか。
    「ノンポリ」と称したのは特定のセクトや組織に属してはいないという程度の意味です。ただし、暴力的世直しには反対です。「革命」といったところで結局は大量殺戮行為に過ぎない。

    「政治色プンプンのサイト」であろうとなかろうと自分の意見や感想を書き込んでも差し支えないのでは?

    >時勢に応じて日和見発言することなんて誰にでもできるし

    人間の認識は様々な要因によって変化する可能性を有するものです。重要なのは変化の方向、質ではありませんか。日和見だって誰にでもできるものではありませんよ。それなりのセンスがなければむつかしい。

  • いや、これはDHFさんが言うほど簡単な問題ではなくてね。たとえば掲示板なんかでも、自分からは意見提起しないで、ひたすら他人の言説だけを批判・糾弾し続ける人いうのはいるわけです。その人がどういう意見の持ち主かは、まあ他人の批判を通じてなんとなくはわかるのですが、そこをついて反批判しても「自分はそんなこと言ってない」と逃げて、正面から論争しないのがそういう人の常套手段なわけです。また巧みにその逃げ道を作っておくのがうまいので、まともに相手すると本当にウザイ。
    おそらく[661] さんは、DHFさんの「私は所謂ノンポリという奴ですが」という書き出しに、そいう「あらかじめの逃げ道」めいたものを感じたのだと思います。実は私も少し感じましたけどね。
    まあ程度の問題だし、それが「荒らし行為」になるかどうかは、管理人の判断一つにかかっています。それにDHFさんの言われるように、確かに「自分の意見や感想を書き込んでも差し支えない」わけです。もともとブログのコメント欄というのはこういうものですし、ある程度は[661] さんの指摘するようなことがあってもやむを得ないと思います。議論のためのものではないし、そのための補助手段として掲示板も設置しているのですから。
    私も他人のブログにコメントする時はそのへんに気を使いますが、もともと「他人の意見に対する自分の感想」ですからね。それにこうして自分のブログがあるので、そのURLを入れておけば、自分の意見をさらしたことになり、充分にフェアだと思っています。