※歴史上のニュースの記録として掲載しています。転載はご自由にどうぞ。
※写真の説明は原資料に準拠、【メモ】は個人の体験に基づく私見であり、いずれも正確性を保証する趣旨ではありません。詳しくは こちら。
1975年の主な出来事
・ニュース
第一回サミット(フランス)、昭和天皇が訪米、三木武夫が首相として初めて靖国参拝、サイゴン解放・ベトナム戦争終結、エリザベス2世来日、沖縄海洋博、日本赤軍クアラルンプール闘争、韓国・徐勝他18人の留学生を逮捕拷問
・ヒット曲
昭和枯れすゝき(さくらと一郎)、シクラメンのかほり(布施明)、時の過ぎゆくままに(沢田研二)、時代(中島みゆき)、22才の別れ(風)、冬の色(山口百恵)、ロマンス(岩崎宏美)、「いちご白書」をもう一度(バンバン)
【草加メモ】 ここでいう天皇とは昭和天皇・裕仁のことであり、皇太子とは後の平成・明人天皇のことなのでお間違えのないように。
「首都圏では2.11集会実行委の元、 先進的学生・高校生百余名の参加で『安保‐日韓体制打倒!紀元節粉砕総決起集会』が勝ち取られた。また名古屋でもこの闘いに呼応し、70名の高校生による『全愛知2.11紀元節粉砕 高校生集会』が勝ち取られた」
「日帝支配下で決死的に闘われた3.1朝鮮独立決起56周年、安保‐日韓体制打倒総決起集会は、戦闘的労働者・学生・高校生300名の決起により、今秋天皇訪米阻止に向けた高揚のなか勝ち取られた。2.11紀元節粉砕闘争を、天皇訪米阻止の第一波としてたたかったわれわれ戦旗派は、この3.1集会でさらに強固な意志を固めていったのである」
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「首都圏の労働者・学生・高校生1200名の結集のもと『4.19日韓労働者連帯総決起集会』は勝ち取られた。60年李承晩独裁を打倒した4.19学生革命の伝統を引き継ぎ、今も朴独裁と闘う韓国民衆・学生の闘いに連帯すべく戦闘的に決起しぬいた」
「当日、金芝河の3.1アピールによる日本人民への呼びかけに応え、韓国民衆の反朴・反日帝の果敢な決起と連帯する闘いを、安保‐日韓体制打倒の一大決起として実現することを意思一致した労共闘400の部隊は、独自の前段集会を開催し、ぞくぞくと結集してくる人民に訴えた」
「ベトナム革命戦争勝利に連帯して闘われた『5.15沖縄返還粉砕3周年、沖縄海洋博粉砕、安保‐日韓体制打倒総決起集会』は、戦闘的労働者、学生2000を結集して勝ち取られた」
本集会は「本土」で沖縄解放の闘いを持続的に続ける沖縄青年たちとの連帯のもとにかちとられたものであり、海洋博粉砕、皇太子訪沖阻止の隊列を登場せしめると共に、10月天皇訪米阻止の切り口をこじ開け、日帝による沖縄の反革命統合との決死的対決をつくりだしていった」
「6.15闘争は4600の労働者、学生、市民の結集を勝ち取り、安保‐日韓体制打倒の革命的水路を切り開いていった。統一集会ではベトナム青年、反戦米兵をはじめとした発言が続き、参加者一人ひとりが沖縄海洋博粉砕!三木訪米阻止!天皇訪米阻止!を闘うことを決意した。集会後、革命的人民がデモに出発する中、わが労共闘の強固な赤ヘル部隊350は、韓国民衆の自己犠牲的・英雄的な戦闘精神に学び、断固とした戦闘的デモで闘いを牽引していった」
「アメリカ大使館、外務省前では機動隊の弾圧を押し返して阻止線を突破し、赤坂見附では一名の逮捕をものともせず交差点いっぱいのジグザグデモを貫徹して沿道から喝さいをあびた。これに恐怖した権力はついに三列規制をはじめ、二名の同志を奪い去ったがこれに屈せず、数寄屋橋では沿道の市民、労働者と連帯するための座り込みをおこない、弾圧を跳ねのけて沿道市民との交歓を実現した」
1. 1975年前半期