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ブログ 「暴論・雑説・独言」様 > エントリー「性教育についてあれこれ」への草加の投稿コメントより転載

 二人の娘を持つ親としては複雑。
 私の時代には小学校で性教育なんて考えられんかったし、中学校でほんのさわり程度あっただけでした。しかし当時でもすでに、生徒はセックスについて一通り知っていることを前提に、その「誤りを正す」的なもんだったと思う。「中絶を軽く考えるな」みたいな。

 今の世の中はもう「親父のエロ本」どころの騒ぎではないし、普通の子供が援助交際(=売春以外の何物でもない!)してたって、少しも驚かれないという、まったくもって異常な世の中です。中学生で初体験も珍しくないし、小学生でも昔の高校生なみの知識をもっています。そんな中で、親としては早く「性への正しい認識とセックス観」を身につけてほしいと切に願わずにいられません。子供には道を誤ってほしくない。自分の性を大切にしてほしい。そのための性教育は早いほうが良いと思う。

 で、そのための性教育はいかなる内容であるべきかということになりますが、議論の前提として、あるべきというか、少なくとも「子供に教えるべき」セックス観とは何かを先に議論しておくべきだと思います。

 たとえば自民党の山谷えり子氏が言うような「セックスは命をはぐくむ重く神聖なもの」つまりは生殖のための神聖なもの=結婚した男女だけがするもので、婚前交渉(死語)なんてとんでもない的な発想でいいんだろうかとも思います。そんな発想で子供に高い所から「性の道徳」を訓示しても、実際には無力な自己満足だと思えるのです。

 私も娘の親として、これではいかんと思いつつも、口に出してはちょっと苦しくて言い難いことなんですが、今時、子供らだけでなく、その親でさえ「処女のままで嫁に行け」と頑なに思っている人がどれだけいるのでしょうか。恋人達が結婚前にセックスしてないなんて、もう考えられない世の中です。つまりセックスは山谷氏が考えるような「生殖のための神聖な儀式」ではなくて、お互いの愛情を確認する「愛のコミュニケーション」となっており「神聖」であるとすればそこ(恋愛感情)に根拠が求められています。いいも悪いも現在の道徳観ではそれが許容されているというか、そうあるべきだとさえ思われています。

 そういう現状で「情報」だけは街にあふれかえっている。そんな中、子供達に何を伝えるべきなんでしょう。伝えるのは基本的には具体的な性交や避妊の方法以上に、正しい「セックス観」なんだろうと思います。高校生で売春するような子供は、自分の性というものを、ものすごく軽く簡単に考えているという共通点があります。それは命や人権を軽く考えているということであり、いじめや非行、犯罪、学級崩壊など、すべての問題に通じる、つまりは「根はひとつ」ということなんだと思います。

 その上で、こういう「自分と相手の性や人権を大切にする。人としての愛情を大切にする」という回路を子供に伝えるための方法だけど、それはエントリー本文リンク先にあるような、ストレートで包み隠さない「体当たり」な方法でも別に良いし、昔ながらの「おしべとめしべ」でも、どちらでも良いと思う。
 どうせ情報は小中学生のうちから伝わってしまうのだから、教材に書かれた情報量の「えげつなさ」を云々しても、あんまり意味がないように思う。

 まあ、どんな教材を使ったって、教える先生自身が性を大切に考えていない、ソープランドで買春してるようなアホ親父だったらどちらでも同じこと。
 むしろこういう「昔ながらの買春」「プロの売春」には比較的寛大な人のほうが、逆にリンク先で紹介されてるような教材には眉をひそめて「家庭の大切さ」を説く傾向があるように思う。これはウヨサヨ問わずにそうだし、偽善だと思います。

 要は(くりかえしになるが)教材をどうこう言う前に、各々のセックス観を議論しないと実のある議論にならないように思います。これが違えば必要と思われる教材も自ずから違ってくるわけですからね。

コメントを見る

  • 子どもの性行動が活発になったといっても、今のところ、性交経験のある高校生というのはまだ少数者だそうです(1999年の調査で、男子26.7%、女子23.7%……http://d.hatena.ne.jp/asin/4098370468)。

    しかしながらその少数の中で性感染症が拡大しているため、結果として社会全体に性感染症の脅威を増大させています。

    これらから、性教育においては、

    1.性行為自体を特別なもの、素晴らしいものとして特権的に扱うのではなく、成熟した人間のごく普通の営みであって、焦って経験したり、神聖視したりする必要はないこと

    2.性行為に対しては、最低限、性感染症に対する正しい知識と、その防御方法を知ったのちにあたるべきであること

    といった点を抑える必要があると考えます。

  • >性交経験のある高校生というのはまだ少数者だそうです
    そりゃーそうでしょうね。地域や学校によって偏りがあるでしょうけど、のどかな田舎の学校も含めて過半数が性交経験者なんて時代が(私が生きてる間に)来るのでしょうか?私の感覚では26.7%という数字も、結構びっくりするもんなんですけど、古いですかね(笑
    1、2、の観点については最低限という感じで異論はありません。「セックス観」は「人生観」に通じるものですから、教えるといっても難しいものがあるかもしれませんね。でもそれをしっかり持っていることが「大人」ということではないでしょうか。それを持たない「子供」のうちに「知識」だけが先行することに問題を感じています。

  • 弟がまだ、小学生だった頃に、性教育を学校で受けたらしく釈然としない顔で帰ってきたことがありました。

    「ねえちゃん、これって理科でもわかることだよね、なんんで別に授業せなあかんことなん?」

    当時すでにわたしは大人の範疇に入る状態でしたが、ちょっとドキリました。教えている内容はというと、解剖学や衛生学みたいなものでしたね。それはそれで、実際自分の身体上に確実に起こりうる変化として知っておく必要のあるものではないかと思ったのですが、その変化に対して、自分がどう対応するべきかはほとんど触れていなかったように思います。

    草加さんの仰る「正しいセックス観」というものを教えることが、初期段階で必要な教育だと思うのですが(うちでは「自分がされて嫌なことは大概他人も嫌だからしないように」とだけ教えておきました)現時点では誰もそういうことはしたくないんですね。親達が教えることを放棄して学校に押し付けているようにしか見えないですよ。

  •  今回は小学校でしたが、以前あった七生養護学校のような例もあり一筋縄ではいきませんよね。(私は七生養護に関しては、政治家と行政の先走りすぎ、という見地に立ちます。)
    残念ながら 性欲 > 社会的理性 となるケースに老若男女の別はありません。また全ての『健常者』が(今日明日にでも)そうなり得ると考えるべきであって、「加害者にも被害者にもならないために」ということを 常に頭に置いておきたいと思っています。
    勿論、皆さんのように子供のことを第一に考えて発言する人 《ばかりではない》 という、嫌~な側面もあるわけですが。

  • 連続コメント、ひらにご容赦!! 唐突ですが書籍の紹介をさせてください。

      青少年に有害! 子供の「性」に怯える社会
       ジュディス・レヴァイン 著,藤田真利子 訳
       2004/6/30 河出書房新社,¥2,900-,ISBN4-309-24316-9

    理性ある「一方の極」を知るに貴重な一冊だとおもいまして。
    ちょいとまとまりの悪いところがあり(著者の混乱?)、訳者解説から読むことをオススメします。
    マイケル・ムーアの「ボーリング フォー コロンバイン」で示された、アメリカの「恐怖」についても言及されます。
    ちなみに、実家の母に見せたら噴火しました(笑)。私に怒られてもな~。

  •  ごみかきは社会に出てから、ある種の性教育を受けたことがあります。
     職場の上司が作業中にとなりで突然
    「ごみかき君、子どもの作り方を知っているか?」
     と聞くわけです。
     ごみかきはまだ未婚でしたのでそういう意味で
    「知りません」
    と答えました。
    すると上司は
    「簡単だよ。入れてこするだけ」
    そう言いました。
     その時にある種のセックス観を漠然と学んだのです。
     ただこれは男性のための教育だと思います。
     つまり、男性は男性からしか学べないし、女性は女性からしか学べないような気がします。
     だからそういう意味で男の子には父親の性教育が必要ですし、女の子には母親の性教育が必要なのではないでしょうか。
     当たり前か・・・

  • 非難されるべきは、レイプのような性暴力であって、このような問題を軽く考える人間が正しい性情報を子供に教えたと言って怒り狂うのは間違っている。それが正しい情報ならば、誰でもやっていることだし、むしろ性を罪悪視しながら、女性への暴力を過小評価しようとする自民党権力者の下卑た考えこそ問題だろう。自民党が本当に女性が性暴力にさらされていることに真剣に悩んだ上での性教育問題化なのか?性教育などなくても、性暴力は吹き荒れている。大人の、である。