by ジグザグ会/草加耕助
ジグザグ会有志企画、映画『原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録』上映会+堀切さとみ監督のトークに、たくさんのご来場ありがとうございました。
おかげさまで、暖かい雰囲気の中、今後に向けた貴重な場となりました。
→企画案内・映画公式サイト
拙い宣伝と運営でしたが、それでも映画と堀切さんの力で、トークがはじまる頃には会場として貸切させていただいたお店「新宿ラバン★デリア」様を、立ち見が出る満員御礼とすることができました。
また、映画やトークが終わってからも参加者の多くがお店に残って語り合い、おかげで閉店時間を大幅にオーバー。お店には迷惑をおかけしましたが、お店のスタッフ様から「普通は映画やトークが終わると半分以上帰るんだけど、こんなことは珍しいです。いい催しでした」と言っていただき、とても嬉しかったです。
実はほとんど宣伝してなかったので、会場がガラガラだったらどうしよう、堀切さんや会場を貸してくれたお店の方に申し訳ないなあと思っていましたが、満席以上の方々に来ていただき、一部に立ち見がでてしまってかえって申し訳なかったです。
私は企画を準備した有志の中には入ってなかったんで、若干のお客様気分もあってゆっくりしてたところ、当日の開始1分前に「あ、司会はあんただからね」と。はい?
なんという無茶ぶり。w|;゚ロ゚|w 映画やトークの内容で何度も泣きそうになりましたが、なんとか最後まで頑張りましたとも!ぜひ多くの方に見て欲しい映画です。制作していただいた堀切さんと、準備したジグザグ会有志の仲間には感謝しかありません。参加の皆様もありがとうございました。
映画の内容には何度も泣きそうになりました。個人的に一番心に残った点は、最初は肩を寄せ合っていた被災者同士が、徐々に対立に追い込まれていく様が見ていて辛かったことです。そう、本当にそうなるように「追い込まれていく」んですね。
少しでも放射能から住民を遠ざけ、被災者と共に東奔西走していた町長も、さっさと「終わり」にしたい人たちから責められ、辞職に追い込まれいく。身も心もフラフラになっている県外への避難民に「殿様暮らし」などと考えられない言葉も、県内に残った同じ被災者から飛ぶようになる。
けど、そういう言動をする人たちもまた、ふるさとを愛し、平穏な暮らしに戻りたいと願っている人々で、「自分たちの言う通りにすればもう終わるよ」と、国や東電にささやかれた人たちですよね。その場にいたら本当に腹がたって、どうなるかわかりませんが、やはり私は彼らを責める気にはなりませんでした。
同じ被災者同士ならまだしもですが、避難先での被災者への偏見や差別というものを身をえぐられる思いでみていました。
たった一枚のDVDをレンタルして家で見ることさえ、こんなもの見たら「賠償金で暮らしているくせに」と言われるかもしれないと、身をひそめるようにして暮らさざるを得ない現実。避難先に落ち着いて農業を続けようとしても、地元の農家から「邪魔だから早く帰れ」と言われて畑を借りられない。たとえ借りられても周囲の農家から受け入れられないと、営農を続けることは難しい。
生き残った牛の殺処分にも農家がすべて納得していたわけでもない。たとえ出荷できなくてもモノみたいに殺したくない。国にそう言うと「あんたらは原発でさんざんにいい思いしてきたんでしょ。あきらめなさい」と言われて取り付く島もなく、とても悔しい思いをさせられる。もうちょっと説得というか、言い方というものがあるだろうと思う。事故後に発症したガンで夫をなくした農家の女性が、死んだ牛の骨をなでながら、ずっと話しかけるように、いつまでもうずくまっている姿に、本当に泣きそうになりました。
「原発でいい思いしたくせに」「補助金で遊んで暮らしてる」「県外に逃げるのは裏切り者」そんな心無いことを言う人もいると、噂では聞いていましたが、こうして必死に生きようとしている被災者の苦しい生活と、そこに浴びせられるそんな言葉、それをセットで噂ではなく、生々しい現実として見せられると、心臓がえぐられるような気がしました。どうしてそんな酷いことを言えるのかと。
堀切さんのトークでは、映画完成の後も積極的に被災者のことを語っていた女の子も、今では自分が被災者であることを周囲にも黙って、何も語らないようになってしまったというお話もありました。
ほんとうは映画の中で井戸川町長が言うように、原発災害は人類史の視点にまで立って考えるべきものです。放射能の問題も100年単位で考えるしかないし、被災者は手を取り合って、国や東電と相対していくしかない。
確かにそれしかないのですが、精神的にも追い詰められ、原発にふるさとを追われた被災者たちにとって、それはあまりに大きくて遠すぎる話です。避難生活も2年を越すと、そんな遠くの目標で団結するのではなく、逆にいつしか自分のすぐ身近にいる、意見の違う被災者同士で攻撃しあうようになっていったと、堀切さんはトークで語っておられました。なんか左右の運動圏での内ゲバの発生を思わせるような話です。
そんな被災者同士の「内ゲバ」では、何かしら古臭い公共事業の感覚で、「金を引っ張ってくる」「国や周囲の自治体と歩調をあわせろ」「もう事故は終わりだ」「風評被害はやめろ」みたいな人の声が徐々に大きくなってくることは想像に難くありません。10年ほど前までの沖縄はそれで何度も国や米軍から騙されてきたし、三里塚(成田)闘争でもそうだった。そうやっていいように国から分断され、意志の強い人も徐々に疲れ果ててくる。行政はそれをよく知っていて、疲れるのを見計らって甘い言葉で分断してくる。
映画では他にもいろいろな切り口から見えることもありました。最初は何も語ってくれなかった被災者たちと、話ができるようになっていく過程もトークで聞けました。原発に対する複雑な思い。原発で働いていた自分の息子が自ら志願して、最後まで爆発の危険と放射能の中で事故処理にあたった、そのことを「誇りに思う」と語る父親の姿。
そんないろいろな思いを持ちながら、国会前の反原発集会でマイクを持った人も何人かいます。そこに至るまでの経過も、万感の思いも知らず、集会でその発言の部分だけを聞いて「被災者の訴え」と受け止めるだけではわからなかっただろうことが、映画の中から伝わってきました。
でも、それは何だと言われるとちょっと言葉にならない。映画を見て感じてもらうしかない。無理に言えば「自己の加害者性」ということになるのかもしれないけど、それもちょっと違う。そういう「理屈」ではないというか。正直、映画の中でちらっと出てくる賑やかで大人数の反原発デモにはじめて、なんとなく違和感をもったのは事実です。自分もその中の一人であった(ある)はずなのに。「原発こわい、死ぬのは嫌だ」もちろんそれでもいい。全然いいんですが……。
この違和感はおそらく沖縄や三里塚でも感じるべきものなのだと思います。映画からいただいたこの違和感をこそ大切にして、これからの人生を生きていきたいと思いました。それは社会運動とかそういう意味だけに限らない、あらゆる場面、自分の人生そのものの中で大切にすべき感覚なのだろうと私には思えました。
こういうことを教えてもらえたこの映画、そしてそんな映画を作ってくれた堀切さとみさんには大きな感謝しかありません。最後に司会としてそう述べますと、会場から堀切さんに大きな拍手がおこりました。
また、その場で「避難先がなくなってからの被災者のその後を撮りたい」という、堀切さんの次回作へのカンパを呼びかけ、会場からの1万5千円を堀切さんにお渡ししました。
なお、映画のDVDは上映権つきで三千円です。映画公式サイトから購入することができます。
映画とトークが終わってからも帰る人は少なく、10時閉店のお店には、11時を過ぎて終電ギリギリの時間になっても、まだ何人もの人たちが残って語り合っていました↓。堀切さんも最後までつきあってくださいました。
ラバンデリア名物の猫ちゃんたちにも癒された。(=ΦエΦ=)
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