「暑さにも、寒さにも負けず」という言葉が自然に口にのぼるが、それにしても、この夏な暑さは半端な暑さではなかった。人々の記憶に残る暑さだったのだが、政府は8月24日に汚染水の海洋放出をはじめたし、その闘いも熱かった。暑い夏に熱い闘いなんて、乱鬼龍さんの川柳句会で飛び交う言葉のようだが、熱い闘いにしたかったという僕らの願望のようなことかも知れなかった。
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実際のところ、僕らはそれを期待したのだが、どちらかと言えば、むしろクールな闘いだったというべきかもしれない。「政府の用意周到な汚染水対応と報道統制が働いているのでは」と疑わせるような、メディアの対応もあって、汚染水放出に対する抗議の声は盛り上がらず、散発に終わったという印象がぬぐえないのだ。
これには、それなりの理由があるのだと思う。先に述べたように政府の用意周到な準備やメディアの対応もあるが、放射能汚染水の放出の危険性の認識が難しいということもある。
原爆や原発事故で発生する放射能の危険性の認識は広くいきわたっている。放射能(線)の外部被曝については、その認識も広められ、人々の意識として高まっている。だが、残留し、蓄積された放射能が食物連鎖のような形で取り込まれ、内部被曝を招き、それが健康障害に結果することはあまり認識されていない。
なぜなら、この疑惑はそれなりに広まってはいるが、それは解明が難しいこと、政府や体制(原発企業)側から、それを無視する、軽視する対応が続けられてきたからだ。正確には政府や企業(原発企業)などの立場を代弁するICRPやIAEAなどによって残留放射能による内部被曝が無視されたり、隠蔽されたりしてきたからだ。今回の汚染水放出にIAEAが安全宣言をだし、政府がそれにお墨付きを得たかのように振る舞ったのは、そのためだ。
汚染水放出に対して、政府の宣伝に多くの人が疑問を持ちつつも、それに乗せられている状態には、こうした背景がある。
このような事態の中で僕らに要請されているのは、放射能汚染水の危険性について、その認識を高め広めることで、その放出をやめさせるために、これまでの闘いを変えなければならないということである。(誤解のないようにいえば、従来のような闘いが不要ということでない。何か別の闘いが加えられなければいけないということだ)。それは汚染水の海洋放出に反対する方向性というか、それが明確なる闘いを創出していかなければならないということだ。
原爆投下や原発事故はそれがもたらす放射能被曝(外部被曝)によって、放射能の危険性を人々に知らしめる。だから、この危険についての意識、反応を認識に高め広めて原爆や原発の廃棄に発展させていく道が考えられる。
これに対して汚染水放水は放射能を残留させ環境を汚染することで内部被曝を招くが、この危険性については外部被曝の時のような放射能の危険を感じさせない。直接性として。だから、想像力によってよってその認識を獲得しなければならない面がある。汚染水の放水は放射能を蓄積させ、「水俣湾化」を招くというように。
これは科学的推論(疑惑の進化)によって得ることであり、放射能の危険の認識をひろめることは、啓蒙運動のような形にならざるを得ないところがある。しかし、これを啓蒙運動のように知識として広め高めていくということだけでは不十分というか、不足もある。ここは汚染水放出に対する闘いの難しさでもある。
想像力を持って獲得した放射能の危険性、これは未来の視線(像)であるが、これを僕らは現実意識、あるいはその喚起になるような運動を考えなければならないのだ。「水俣湾化」するという未来像が現実に進行していることして人々に知らせる行動(運動)がいる。それは放水が進められて汚染度が進む状態を調査し、情報として人々に知らせていくことだ。
政府や企業も調査をするだろう。しかし彼らが事実を情報として出すとは思えない。権力や企業に対する不信がある。ここには権力企業の所業というより、彼等の原発事故に対して取ってきた態度、その経験がある。彼らの残留放射能や内部被曝についての対応は科学的であったことはない。その不信が僕には強くある。
僕らが想像力で獲得した未来の視線(像)を現実として喚起させる運動。そのことによって放射能の危険の認識を高め、広めていくことは、これまでの脱原発や反原発運動、あるいは反核運動ではなかったことではない。そういえるだろう。
だが、そこが自覚的で意識的あったかといえばそうではない。事故を契機に起こった運動とは違う形の運動を創出し、切り開いていくことは可能である。
この間、浪江での行動(現地行動)によって僕らが見出しつつあるのは、汚染水放出反対運動の方向性である。蓄積される残留放射能の危険性の認識を高め、広めることがその基本的なことだが、そのためには僕らが何をしたらいいのか、どうしたらいいのかの道が見えてきた。その可能性があると思える道が見えてきた、というところだろうか。
従来の運動のように事故などを契機に急速に盛り上がり、それをどのように持続化していくかではなく、汚染水反対運動は、最初はしょぼくても時間の中で、末広がりのようになっていくものと思う。そうならなければならないが、その可能性は十二分ある。
考え方が大事なのだ。全共闘運動と似ているともいえるのだが、そこには運動的な工夫や知恵がいる。そこに気づき始めたということだろう。暑い夏の闘いは、暑い闘いだったが、熱い闘いになる端緒は見出したのではないだろうか。
10月26日(土)・27日(日)には浪江の請戸川河口での集会も予定されている。
味岡修(三上治)(見出しは旗旗でつけたものです)