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カテゴリ: ウヨ・サヨ論

「真の○○」という表現

 三浦小太郎さんこちらのコメントに対するお返事です。
 三浦さんの問題意識に正面から答えることになっていない、断片的な感想であることは自覚していますが、そのあたりは、どうしても右翼の三浦さんと、自称左翼である私とですれ違いが生じてしまう範囲内ということでご容赦ください。もう少しふっきれたら三浦さんの問題意識の土俵内で書くこともできるかもしれませんが、まだ私はカッコ付であれ「左翼」なんでしょうね。

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> 戦後、自民党はそれなりの役割を果たしてきたと思います。
> 左派の過ちの一部が明らかになっただけで勝ったつもりになったのが全ての間違いでしたね

 もちろん左翼の原則的な立場からは「何を言ってるんだ!」ということになるんでしょうが、一般的な政治意識と資本主義を前提とした国内政治に限定した場合、その他いろいろな前提をいっぱいつけた上で、「それなりの役割を果たしてきた」こともあったと私も思います。自民党が尻尾のはえた悪魔であるなら別ですが、普通、人間は100%の善にも悪にもなりきれないものですし、政策や制度にも多かれ少なかれ光と影がある。三浦さんや右派の方々とはかなり違う意味であるとは思いますが、何もかもが100%悪いとはさすがの私も言いません。

 しかし、三里塚農民のことを思うとこの程度の認識を持つだけでも私は罪悪感を感じますし、ベトナムで虐殺された何の罪もない農民からしてみれば、アメリカやその協力者たちなんて「尻尾のはえた悪魔」以外の何者でもなかったでしょうけど。もちろん今の北朝鮮もしかりですね。要するに、何かしら「左右」にわけて、左なら擁護し右なら批判する(もしくは反対の立場ならその逆)という発想に無理があるんだろうなと思います。「左派の過ち」というなら、大部分がそこにあって、右派もそこから自由ではあり得ていないと思っています。

> 社会党や共産党が政権を取るよりは自民党のほうがどちらかといえばよかろうと思って、私なりに支持してきたことも事実です

 ソ連の人民抑圧体制を見抜けずに礼賛していた当事の共産党が、政権をとってうまくいっていたかは非常に懐疑的なところですね。もちろん、「真の」左翼政権ができるのが理想なんですが、それが望めない現実の中では、共産党スターリン主義政権の元でソ連の子分にならなかったことで、かえって左翼運動に対する決定的な嫌悪感を日本人民に植えつけられずにすんだし、保守政権への反発からくる理想主義的な考えや雰囲気だけが運動に受け継がれ、倒し甲斐のある憎々しげな強い自民党が残ったことは、結果として左翼にはよかったのかもしれません。その後、何度も「チャンスはあった」のに「それを逃してきたのも」基本的には左翼自身の主体的な問題だと思います。

 ただ、個人的に議会主義政党の中では、日本国憲法の精神を体現しているという意味での社会党に、10年くらいやらせてみたかった気がします。というのも、憲法や旧教育基本法を攻撃する人々は、口をそろえて日本社会の問題は何もかも「憲法などの戦後民主主義が悪かった」という結論にもっていきたがるのですが、実際には自民党など戦後の保守政権が、憲法やその精神を政権の正当性として掲げ、その実現をはかってきたことなど、敗戦直後の一時期をのぞけばただの一度もないわけです。むしろ一貫して邪魔者あつかいしてきたわけで、憲法の精神を守ろうとしてきたのは在野の人々だけだった。だからむしろ「平和や人権などの憲法の精神をないがしろにしてきたのが悪かった」という主張のほうが説得力がある。

 今の日本国憲法は、ある意味で理想主義的な態度をとっているし、論理的な意味では非常に良くできたものであることは確かだと思います。で、その精神を現実の国際社会で具現化した国家があったら、はたしてそれはどんなものになり、どんな道筋を通って、何を残していたか。冷戦の真っ只中に存在する非武装・平和・非同盟・中立・人権擁護・言論の自由などを国是とする理想主義的な国家と教育。「経済大国」にはなれなかったかもしれませんが、今の私たちと比べて幸福だったろうか、不幸だったろうか。意味もなくソ連が攻めてきて占領されていたなんてのは、今日では極右派や軍事万能主義者の妄想だったということは明らかだし、もう一つの「あったかもしれない日本」を見てみたかった気がするのです。それがうまくいかなくて、はじめて「憲法や戦後教育が悪かった」と言えるのではないか。否定するならするで、その前に一度だけでも「日本国憲法を実現したらどうなるか」を見てみたかった。戦後一貫して憲法の精神を否定しながらこの社会を作ってきた責任勢力が、「憲法や戦後教育が悪かったから」というのは言い逃れの責任転嫁にすぎないだろうと思います。

> 今後、自民党が再生するとしたら、一時は少数派になることも恐れず
> (私の考える)真の保守・右派政党になることしかないと思います。
> その道筋はあるのですが、自民党にはそれを選択する勇気も思想も無かった。

 今後の自民党ということで言えば、一つは三浦さんが考えているように目的意識的に「真の保守・右派政党」に純化していく方向もあるんでしょう。少なからぬ右派の方々が同じ表現(その内容はまったく違うとしても)をしておられますが、実はもう一つの道として、昔の自民党の社民的・国民保護的な側面を強く打ち出していく道もあって、ある意味で野党らしくなるというか、自然発生的にはそちらに流されていく可能性のほうが高いんじゃないかなあ。「一時は少数派になることも恐れ」ない自民党議員がそんなにたくさんいるかなと。自民と民主のマニフェストが似てきているなんてことも言われてますしね。

 そして本当のことを言えば、ソ連や中国、そして日本共産党の現状に対置して、「真の左翼」とか「真のマルクス主義」への回帰を掲げてきた勢力に属していた身としては、そういう「真の保守」とかいう表現にも眉唾になるんですよ。つまり左翼の経験から言いますと、「真の」何かが別にあって、それにはずれたから悪かったんだという発想に立つと(もちろんそういう側面があることは否定しませんが)、結局は「やり方が悪かっただけ」という結論になってしまう。そして左翼運動やマルクス主義そのものを俎上にのせることが、逆に許されざることになっていく。やがてお互いに「真の」を競い合ってかえって窮屈になってしまうという流れになっていくわけです。行き着く先は文化大革命的な世界ですからね。戦前の天皇制を肯定する復古主義的・反憲法的な右翼は、この「やり方が悪かっただけ」という主張が強くて、「あら、昔の左翼と同じ道をたどっているよ」としか私には思えないんです。

> これからの時代に何が必要なのか、右派も左派も本当に考えないといけない。
> 今回の選挙では外交問題は全く争点になっていませんが、対アジア外交、
> 強いていえば対中国外交が今後の日本の運命に大きく作用することは確実だと思いますから

 対中国などの外交問題については、嫌中派などの民族排外主義者は論外としても、一般にこの問題について左派は急に「現実主義」になり、右派はいきなり「理想主義」になるという印象を持っています。中国・アメリカ・日本はすでに血管がつながっていますからね。どこかが倒れたらみんなが倒れるという関係です。で、アメリカとは血管どころか体がつながっているから、どんなに喧嘩してもお互いに絶対に切れないだろうけど、中国となら日本が満身創痍で血まみれになってでも本当に手を切ってしまえるような気がするというのもお互いの背景にあるんだろうと思いますが。

 確かに難しい面はありますが、この点については右派の理想主義を見習って、せめてアメリカに対するのと同じくらいの理想主義的な態度を中国に対してもはっきりと示すべきだと思っています。むしろ私がいた新左翼(マスコミ用語で「過激派」)潮流は、ソ連や中国の現状などを左の立場から批判して、それとは違う「真の」左翼運動や民衆運動を作り出していく、つまりソ連などのスターリン主義から左翼潮流を引き剥がして自立していくことを歴史的な使命として登場してきたわけですからね。今でこそ共産党も含めてそれに正面から反論できる左翼はいませんけど、まだ日本共産党が「同志スターリン」なんて言っていた時代に私たちはそれを主張して登場してきたわけで、その意味では時代にさきがけ、追いつかれて追い越されたと(笑

 確かに一人で何もかも全部はできません。私たち日本人にとっては、アメリカの世界戦略への協力の是非という問題が、日本人の運命を決する上で一番の課題であるという(左派的な)認識は変わりませんが、だからと言って拉致被害者や北朝鮮難民(脱北者)の保護はどうでもいいとか小さな問題であるということにはなりません。また、左右ということで言うなら、お互いの「得意分野」というものがあるわけで、少なくとも大きな意味での「目的」を共有している善意の人々の間では、「方法論」としての左右を競いあい、時にお互いが取り組んでいる問題についても建設的な議論ができるような関係でいられればと思います。

> ただ、左派にせよ右派にせよ、思想を語る人びとのインチキさには敏感になったと思う。
> それは決してマイナスではなく、これまでの運動の偽善性や誤りの当然の結果であり、
> それを払拭した思想や運動のみが今後受け入れられていくのだと思います。

 それは私もまったくそう思います。そういう意味では、左翼がいったん失敗したのは良かったかもしれないと思っているんですよ。
 変な人もまだまだ多いけど、それでも一時期よりはかなり淘汰されたと思うし、間違っていることは間違っているとわかったし、それを「間違っている」と誰でも言えるようになった。まあ、本当に「良かった」と言えるかどうかは今後にかかっているわけで、このまま消滅したらそうも言っていられないわけですけど。

 むしろ昔なら左派にきた変な人が今は右派に流れたりして、ある意味で右派のほうが思想的にも危ない時期なんじゃないですか。
 まあ、勉強して実践して考えていかないといけませんよね。実際には職場と寮と自宅の往復しているだけで精一杯の毎日ですが。