by 中野由紀子
「実母散」という漢方薬だということに気づいた!調べてみたら、「当帰(とうき)」という成分の香りだった。なるほどね。
(雑学はおいといて)
夜、書き物をしていて、偶然流していた番組が興味深く見入ってしまった。
ものを書くときや作業をするとき、ボリュームを落としてずっとテレビを流しておく。なんでか書きやすい。BGMがテレビなんです。
くだらないニュースも多いしテレビが嫌いというかたもおられるでしょうが、私には学べる話題も意外に多い。聞き流しつつ、気になる話題だとそっちに目が向くというわけだ。
で、なにに見入ったかというと、児童文学作家の上條さなえさんの子供だったころのお話。
[amazon_link asins=’4062768755′ template=’hatahata’ store=’hatahata-22′ marketplace=’JP’ link_id=’258fdd04-1438-11e9-9a22-fdb5b35627f9′]上條さなえさんは、1950年東京生まれ。
小学校教員を経て、1987年、児童文学作家としてデビュー。
作家生活の傍ら、埼玉県の児童館館長を11年間勤める。
執筆や講演を通して、家族のふれあいの大切さを訴えておられるそうだ。
タイトルの本のあらすじは、
「昭和35年、父とふたり池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた著者を支えてくれたのは、街で出会った人たちだった。やくざのお兄さん、床屋のお姉さん…。ふつうの人々がやさしかった時代を生きた、10歳の女の子の記録」。
再現ドラマの「さなえちゃん役」の女の子が、上條さんいわく、「そっくり!私だわ」と涙を流されるくらいにそっくり。おかっぱ頭のこの子の演技がうまくて(というかあまりに自然で)私も泣いてしまった。
酒びたりの父ちゃんとの放浪は、ひもじくてつらくて、ちょっとだけ楽しい。父ちゃん、いよいよヤクザに諭されて(!)さなえちゃんを千葉の養護施設に預かってもらうことにした。
父ちゃんとさなえちゃんのお別れの日、父ちゃんは10円のアンパンとジャムパンを買ってさなえちゃんのリュックに入れる。さなえちゃんはパチンコで稼いだ煙草をヤクザのニイチャンたちに買ってもらってお金に換えていたわけで、「施設に行くよ」と知らせると、ヤクザのニイチャンは餞別(お札)をくれた。
さなえちゃんはそのお札を父ちゃんに気づかれないように、父ちゃんのポッケにそっと入れてバイバイした。自分のことじゃなくて父ちゃんを心配しないとならない子供だった。
施設の先生がアンパンを食べようとしてたさなえちゃんにこう言った。
「さなえちゃん、そのアンパンと、この弁当を交換してくれないか?」
「・・・・・・」
「東京のアンパンは美味しいらしいから、先生、食べてみたいんだ。この弁当は先生の女房が作ったんだけど」
丁寧に布でくるんである弁当を開けてみた。
白いごはんに赤いウインナー、黄色い玉子焼き、白菜の漬け物がきれいに並んでた。さなえちゃんはウインナーを最初にひとくち食べてみた。次に玉子焼き。ごはん!白菜!ごはん!ウインナー!どんどんどんどん食べた。おいしくておいしくて、最後の米粒ひとつまですくって食べた。
このお弁当が私を救ったんです、と今の上條さんが言う。
「こんなにおいしくて、私、この先生みたいになりたい。私みたいな子におなじことをしてあげたい。ちゃんと生きなくちゃ。悪くなんかなれない」と思ったそうです。こういう先生、今、いるかなあ。周りのひとびとも。
酒びたりの父ちゃんは根は悪い人ではない。
「なこ(さなえちゃんの呼び方@父ちゃん)、父ちゃんみたいにならないように学校に行かなきゃな」って泣き泣き言うのだった。
私は自分の父ちゃんのことを思い出して号泣した。
私の父は酒を飲まなければおとなしい人なのに、飲んでわけわからんようになって嫌われて嫌がられて、金は取られるは殴られるは。
酔ってぐずぐずのふにゃふにゃになってる父ちゃんを足蹴にして顔を踏みつけてグリグリしたヤクザを、「こいつ絶対に殺す!」と真剣に思ったのは6、7歳だったか。あのときの腫れたみじめな父ちゃんの顔が忘れられないのである。
私にとっては父ちゃんは恥であったし、家庭環境においては閉鎖的な田舎では差別の対象であった。悔しくて悲しかったが、それでも父ちゃんが恋しかった。「父ちゃんになにするー!」と向かっていくが、毎回、ヤクザに吹っ飛ばされていた。残念ながら、さなえちゃんが出会ったやさしいヤクザみたいなのはいなかった。
マジで食べるものがない時は、裏の浅間さま(浅間神社)に行く。
小さな石のほこらがあって真ん中に穴が空いてる。子供の小さな手で奥をさぐると小さく畳んだお札がひっかかってることがあって、神か仏かもわかんないが、「神さま、ごめん!」とか適当に言って、それを持って駄菓子屋に行くのだよ。(本当にすいません)
穴になんにもないときは、浅間さまにいっぱい生えてる植物を食べる。(ぎゃ~)
甘い植物で「つばな」というらしい。穂だよ、なにかの穂。穂だから口の中がばっさばさになるからまずい。
まあ、あんまり書いても悲しくなるんでこんくらいにしとこうか。(ちゃんと全部聞いたらあんまりにすごくってみんな引きまくること間違いなしだ。聞きたいという奇特なかたはいつかゆっくりと)
うわ~ん!いろいろいろいろ思い出してもーたー
私はもうね、子供のころから疲れてる部分があって、願望としては「生きてるだけでいいよ、なんとなくそこにいてくれるだけでいい。イヤなこともしなくていいし、働かなくってもいいし、活動とかだけしててくれればいいよ」とかみんなが言ってくれないかしらんと思うとるんですが。
本気で思ってるんですが。