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会員日記

憲法審査会を注視せよ~改憲派の変化に注目すべき理由

AIが描いた「日本の改憲派」のイメージw

by 味岡 修

1.改憲派の変化-注視すべきはその背景

衆議院憲法審査会

 6月4日付の朝日新聞は「憲法改正条文案を改憲会派のみで今国会に提出する動きがある」と報じていた。この記事によれば、改正案の提出方法は、(1)各党合意の上で、憲法審査会会長が行う。(2)衆院100人以上、参院50人以上の賛成議員で行うが考えられる、とある。

 現在の憲法審査会では立憲民主党や共産党の意向(反対)もあり、憲法改正原案作りが進んでいない状況とあるが、それなら改憲賛成派のみで改正条文案をつくり、国会に提出しようという動きがあるらしい。自民党内にはこの声があり、改憲賛成派として、自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党、衆院無所属会派「有志の会」の五会派を想定している、とある。

改憲勢力4党の議席数(東京新聞より引用)

 要するに賛成会派だけで改正条文案をつくり、国会に提唱しようというのだ。なお、6月6日の朝日新聞では自民党の憲法改正本部では改憲賛成派だけの強行突破(条文作り)に慎重論が相次いだという記事があった。今後の方向には結論は出なかったとも報じられている。さらに自民党では全会派での合意を目指すことにしたとあるが、いずれにせよ憲法審査会の動きは注視しておくべきだ。

 憲法審査会では各会派の合意を重んじてきたが、この慣習を破り会派の一部の合意でことを進めるということで従来の憲法改正の方法(手続き)を変えようということが動きとしてある。憲法の制定は民主主義の実現であり、そのことは改正手続きに反映しているといわれてきたし、「民主主義とは手続きである」ということが、最も象徴されることとされてきた。憲法の改正が他の法律の改正と違って衆参の議員の三分の二以上の賛成を得なければ発議されないとか、国民投票を必要とすることもその一つだった。

 その意味では憲法改正の条文作成が各会派の合意を得ることを前提にして進められてきたことは当然のことであった。これが変えられようとする動きがでてきているわけだが、その背景も含めてみておかなければならない。

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2.明確な新政治構想を打ち出せない保守政治

 憲法改正をめぐる動きの変化にはいくつかのことが考えられる。そして、ここには大きく言って二つのことが指摘できると思う。

自民党政治刷新本部会合(2024年01月16日)

 一つは、現在の自民党の政治的危機という背景がある。具体的にいえば自民党政治が裏金問題に端を発した危機に直面していることがある。裏金問題とは自民党(伝統的な保守政党)が「裏政治」で政治的地位(政権)を確保してきたことが露呈したことであり、その批判が選挙での連敗としてあらわれ、自民党の総裁(首相)の進退の問題にもなっている。政権交代の始まりの動きとして現象してきているのだ。

 もう一つはこれによって明瞭になってきていることだが、自民党には現状に対してこれといった政策というか、政治的構想がないのだ。裏金問題に対する、つけ焼刃的な資金規制法案の提起と成立のための政治的動きは自民党の政治方針(政治的構想)のなさを浮かびあがらせた。「抜け道法案」と揶揄されても致し方がない、とりあえず法案だけは成立させようというドタバタ劇は、彼らに今後の方向を示す政治的な構想のないことを露呈させた。

 このことは逆に野党にもいえる。とりあえず最低限のこととして、企業と団体の献金禁止と、支出での連座制をはっきりさせればよかったのだ。裏金問題の本質とは、金で選挙を支配することなのだから、その金を止めた上で選挙で自民党に厳罰をくわえればいい。こうした保守政治の批判は選挙で示せばいい。自民党への批判の風を政権交代に至るまで吹かせ続ければいい。

3.政権構想の代替物としての改憲

政権批判が強まる中「改憲」を前面に打ち出す岸田(TBSニュースより)

 現在の岸田政権は裏金問題に対する批判に苦慮し、なんとか、政治資金改正法案で対応し、乗り切ろうとしている。そのために公明党や維新の案を取り入れてもこの法案を成立させ、批判の声を抑え込もうとしている。しかし、最近の選挙の動向を見ていれば裏金問題による自民党批判はそんなことで収拾されるものではないことを示している。

 それは裏金問題が露呈する前には予想もしていなかった政権交代の声となってきた。もう少し事態がこのまま進めば、この政権交代の声は加速すると思える。自民党の面々は政治資金法の改正でことが収まることがないのは承知の上だろう。9月には自民党総裁選挙があるのだが、それを含めて裏金問題を相対化するためにどうしたらいいのか、彼らはいろいろと政権維持のための戦略を練っているのだと思う。岸田が首相に留まるかどうかはこの戦略と関連するだろう。

自民党の三長老(麻生・森・菅)

 そのような中で公明党のみならず維新の政治資金規正法での自民党へのすり寄りには、政権への参加の思惑がある。選挙になれば自民党が大敗することは明瞭である。それは議席数が激減することとして現象する。その場合にもはやどうあがいても下野するほかないところまで激減するのか、連立政権で維持できるかの二つがある。

 自民党の幹部連中は単独で政権維持ができることは不可能とみており、従来の公明党に維新や国民民主を加えての連立を構想しているのではないか。こういう動きに対して、維新は立憲民主党を中心とする政権交代よりは自民党政権への参加を望んでいると思う。国民民主は微妙なところである。

維新代表・馬場伸幸

 これらは政権を軸にした政治党派のうごきであるが、その自民党には各党派を統合する政治政策がない。現在の国会は6月に終るわけだが、この国会では政治資金規正法の改正案を成立させ、とりあえず裏金問題への対処を行って、問題の鎮静化を待ちつつ、自民党の総裁選も含めた政治戦略を考えているのだろう。だがそれにふさわしい戦略案が出てくることはないだろうとみている。

 今後、自民党にとって選挙と政権維持のことが中心課題になるが、その場合それに必要な政治戦略(政策と構想)はで出てこないだろうが、そのかわりとしての憲法改正、この場合は「緊急事態条項」創設が中心だが打ち出されてくる可能性がある。つまり今回の動きはそういった流れの前兆として見ておかなければいけないのである

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4.裏政治は変えずに憲法政治の転換を目指した安倍政治

 裏金問題は安倍政治の遺産のような形で露呈したのだが、これは金の力による選挙の支配に自民党の本質があることの露呈である。裏金問題だけでなく統一教会問題に示されるような問題、あるいは利益誘導など、これら総合的な裏政治こそが自民党という保守政党の本質であり、それが伝統でもあった

 そもそも政党は立法府での議論と立法が本来の役割であるのだが、裏政治の元で政党員は立法府の議員になるだけで精いっぱいになってしまい、そこでの役割(立法担当)は行政担当の役割であるはずの官僚が担ってきた。国会で質疑や政府の答弁での官僚の役割や動きをみればそのことは明瞭である。結果として日本の政党の立法担当能力は最低となり、その矛盾を官僚との関係で補足している。官僚独裁という言葉があるくらいだ。

 こういった議会・政府と官僚機構と選挙をめぐる裏政治の構造を変えることこそが日本の政治をかえることなのであるが、かつて政権交代した民主党は官僚機構との闘いで敗北し、裏政治の安倍政権の存続を許してしまった。裏政治に依存しつつ安倍政治が試みた戦後政治の改変とはなんであったか。それは戦後政治を規定してきた、天皇制的な権威政治から転換した憲法政治を改変することであった。

民主党政権は古い保守政治を変えることができなかった

 戦後体制の転換という安倍の言葉は大きくいえば、戦後政治の転換であり、戦後憲法の改正であった。安倍が祖父の岸信介の政治意思を受け継ごうとしたのもそれだった。この憲法改正は憲法9条(戦争放棄)と憲法政治(討議による統治)の改変だった。それは憲法精神が示した憲法政治(=立憲政治)の改変だったのである

 つまり安倍は旧来の裏政治を踏襲してそれに依拠しながら、憲法改正をめざしたのである。憲法改正という時、もちろんその条文の改正や条文の創設も考えられるが、同時にそれは憲法が意味する政治構造や政治空間の改変(政治様式の改変)でもある。だから条文の改正や創設をしなくても憲法を変える解釈改憲ということもあるが、それとも違って憲法の精神そのものを変えるということがある。

 例えば、集団自衛権の解釈変更がある一方で、そこに至る過程で討議による統治を権威による統治に変更するなどである。安倍政権が行った「討議による統治」の軽視、形骸化はその具体的なものといえようか。立法府(議会)が政治の中心とされ、近代的な政治で重要視されたのは、それが「討議による統治」の具現的な存在だったからである。

 憲法の精神とは、権力の制限や国民の政治参加と同時に討議による統治ということだったのであり、そのありようは条文でも政治的自由の規定などとして具体化されているが、それが政治的な実践行為としてあるのだ。その憲法の精神は憲法の根本法としての存在はともかく、期待された本来の力を発揮しその役割を果たしてきたとは言えない。それが日本の近代の政治の現状ではあるのだが、それでも、明治憲法下の天皇統治からくらべれば、戦後の転換は立憲政治に歩を進めたことは疑いがない。

集団的自衛権法制化反対デモ(2015)

5.討議から権威へ、民主主義から多数決原理へ

大日本帝国議会之図(芳景 作:1890)

 立法府は「討議による統治」の場であり、天皇の統治(権威による統治)を転換させたものだ。天皇の官僚が戦後の政治的空間でも大きな役割を保持することで立法府は本来の役割を果たし得ないできたが、それでも重要な政治空間であり、それなりの機能も果たしてきた。一般には戦後民主主義と呼ばれた戦後政治の形態は立憲的精神(憲法精神)の実現という意味では不十分さを有していたが、戦前に比すれば相対的に歩を進めてきたことはたしかだ。憲法精神の実現という意味ではどこまでも相対的にではあったが、それなりの意味を持ってはいたのである。

自民党と統一教会の関係も岸信介からはじまった(教祖の文鮮明と岸の会談)

 安倍が主張した戦後体制の転換とは戦後の憲法政治の転換であった。それは憲法9条に象徴される戦争放棄の放棄であると同時に、「討議による統治」と形骸化でもあった。それは祖父の岸信介が強行採決によってはじめたともいえるが、強行採決で法案を通すことが最初から前提で、国会での審議を形骸化させてきたのである。手続きとしての民主主義は多数決原理にすり替えられてきたのである。

 討議を経て法案を成立させるということと、手続き民主主義は関連しているのであり、権力が強権的に法を成立させることとは対立することなのだ。安倍は「討議による統治」という憲法精神を形骸化させたのであり、それこそが集団的自衛権などの憲法解釈の面だけでなく、彼が進行させた憲法の改正だったといえる。そしてこの安倍政治は裏政治によって支えられてきたのである

参照】60年安保闘争の年表

6.政党政治の当面の課題

 菅-岸田と続いた安倍後の自民党政権はこの安倍政治の踏襲であり、裏政治が統一教会、裏金問題であるが、これが戦後の保守政治の根幹をなしてきたものだった。保守政治がそのような自己の政治体質(政治手法)を変えるには自民党を解体して出直すしかない。もしそうでないとすれば政権にしがみつき、これまでの伝統的な保守政治を保持するしかなく、しかしこれには選挙での危機的状況が待ち構えているという構図だ。

 すると連立政権の枠組みを広げることで、つまりは公明党にプラスして維新や国民民主を加えることで政治的な対応をするということになる。それは一時的には成立するにしても長続きしないであろう。その場合の連立各党に共通するのは反立憲民主党ということになるのだが、その隠された主題は反共産党ということだろう。反立憲民主党というのは政権戦略をめぐる一時的な対立軸にはなるにしても、持続的なものにはなり得ない。

日本共産党_志位委員長(時事通信より)

 共産党の問題は共産党が社会主義政権を目指す綱領的立場(プロレタリア独裁による統治という政治権力の形成をめざす立場)を清算し、憲法政治(立憲政治)に立つ立場を明瞭にできるかどうかにかかっている。遅かれ、早かれ共産党は党名変更も加えてそこヘの立場に立たなければ影響力のある存在ではなくなるだろう。

 立憲民主党が立つ立場の問題にも関わるが、そのような共産の党的立場が明瞭になっていけば、野党による政権を維持することも強固になるはずである。その過程での問題は、選挙協力、閣外協力などと明瞭にしていけばいいことだ。そこらがちゃんと明確であれば、あとは選挙民が判断するだろうし、政党政治における「反共産党」というのはあまり意味を持たなくなっていくと思う。

7.最後に

「死に体」化の岸田首相の最期の賭けは改憲しかない?

 岸田政権は「死に体」であり、何らかの政治方針の提起において政治的延命を果たす立場にない、そういう力もないと言われるが、その細い道としての「改憲の提起」は残されていると思われる。

 緊急事態法の創設というのがその具体的な提示内容になるのだろうが、これはコロナ問題を通して「権威による政治」(強権政治)が強まり、それにウクライナ戦争とパレスチナ戦争が拍車をかけている現状の反映ともいえるのであり、日本でも「権威による政治」はこういう形で波及してくると言える。ゆえに憲法審査会の動きを注視していて欲しい。

味岡修(三上治)(見出しは旗旗でつけたものです)

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。