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原曲は、伝説的バンド『頭脳警察』を再結成し、積極的な活動を展開するPANTAさんが、アコースティック・ユニット“響”としてリリースした1stアルバム「オリーブの樹の下で」に収録されています。重信房子さんとの書簡のやりとりにより完成した、同アルバムを代表する12分にも及ぶ大作です。
ここでは、その歌詞を重信メイさんが英訳・朗読しているものをあげておきます。これでも雰囲気はわかると思いますが、是非、原曲もお聴きください。
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◇ライラ・ハリド(Wikipedia) ◇重信房子さんを支える会
★九条を唱えし我れを嘲笑うのか君は知らざり「テロリスト」の愛(重信房子)
わたしは4才だった
誕生日のすぐ後 ハイファを追われた
ママは8人の子供等と小さな車に乗り込んだ
一人足りない それはわたし
「何故引っ越さなきゃいけないの?」
ナツメヤシのカゴの後ろに隠れたわたしを
引っ張り上げて ママが言った
「ユダヤ人に殺られちゃうよ」
パパは涙を流して 子供達にお別れのキスをした
戦火を逃れて 故郷を追われた
家も街も祖国も なにもかも奪われた
あれから半世紀過ぎても わたしは家に帰れない
わたしの物語 だけどそれはみんなの物語
パレスチナの 子供の物語 ライラ ライラ ~
わたしは5才だった
夏になって やっとパパに会えた
一文無しになり 家も店も盗られ 祖国を追われた
闘いに敗れ 父は変わった
「いつパレスチナに帰るの?」
難民となり 失くした日々を語りながら
18年後 パパは死んだ ハイファに帰る夢を 見続けて
土に還るパパに オリーブの枝をそえた
戦火を逃れて 故郷を追われた
家も街も祖国も なにもかも奪われた
あれから半世紀過ぎても わたしは家に帰れない
パパの物語 だけどそれはみんなの物語
パレスチナの 父の物語 ライラ ライラ ~
わたしは25才だった
八月のある日 祖国への旅に出た
一万フィートの上空から 祖国に還る為に
幅広のレースの帽子でわたしは言った
「乗客のみなさん ベルトをお締めください
わたしはこの機の新しい機長です
PFLPのチェゲバラ隊が この飛行機の指揮をとります」
パレスチナの海岸線に ハイファをはるかに見下ろして
戦火を逃れて 故郷を追われた
家も街も祖国も なにもかも奪われた
あれから半世紀過ぎても 世界はそ知らぬ顔してる
わたしの物語 だけどそれはみんなの物語
パレスチナの 戦士の物語 ライラ ライラ ~
わたしはいまも待っている
待つことは闘うこと 闘いつづけること
二度目のハイジャックで友を失い わたしは奪還された
それからバーシムと出会い リッダ闘争
パレスチナの恨みと希望を背負って
自由の戦士たちは 闘いつづけた
闘わなければ パレスチナの存在も 思い出に消えて
わたしも母になり 子供たちの為に いまも闘う
わが母のように
戦火を逃れて 故郷を追われた
家も街も祖国も なにもかも奪われた
あれから半世紀過ぎても 戦いの火は消えない
わたしの物語 だけどそれはみんなの物語
パレスチナの 母の物語 ライラ ライラ ~
わたしはもうすぐ60才
証言の為に日本に来ました
自由の戦士マリアンは無罪と訴える為に
あの時代はだれも 自由の戦士だった
それが何故 裁かれるのか
裁判長 あなたに訴える
わたしは パレスチナの民衆を代表して来ました
祖国を奪われた民には 抵抗する権利があると
そしてマリアンもそのひとりだと
戦火を逃れて 故郷を追われた
家も街も祖国も なにもかも奪われた
あれから半世紀過ぎても 闘いの権利は捨てない
わたしの物語 だけどそれはみんなの物語
パレスチナの 世界の友の物語 ライラ ライラ ~
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イラク戦争が終わる頃に、アメリカ軍が必死になってサダム・フセイン(イラク大統領)の行方を探して、そんな捜索劇の中、北部の小さなモスルという町で、サダム・フセインの息子、ウダイ、クサイという悪名高い二人の兄弟がいまして、その弟のクサイの14歳になったばっかりの息子のムスターファ、そしてボディガード、この4人がですね、その北部のモスルという町の小さな家に潜伏してるのをチクられまして、そこへ精鋭を誇るアメリカ第101空挺師団が200人を率いて襲撃し、4人が乗る車を一斉射撃しました。
PANTA談
ウダイ、クサイ、つまり叔父と父が殺され、ボディガードも殺された中で、14歳になったばっかりのムスターファが生き残りまして、目の前の建物に駆けこんで1時間、アメリカ軍に向かって引き金を引き続けました。14歳と言えば日本なら中学二年生です。逃げてもいい、泣きわめいてもいい、白旗を掲げてもよかった、それなのに何故、彼は一人になって引き金を引き続けたんだろう。アメリカもムスターファを生け捕りにすることはできたと思うんですが、そこはフセインの血脈を絶やす、戦国の掟みたいなものがあったのでしょう。
14歳の子どもが、たった一人で一時間にわたって「アメリカ」と戦った。もうこれはニュースにもならない出来事なんですけれど、この話を聞いた時、本当に衝撃を受けて、政治とか善悪とか、そういう問題じゃなくて、何で彼は、撃ち続けたんだ、それは忘れてはいけない、絶対に歌にして残さなきゃいけないと思って、『オリーブの樹の下で』というアルバムに入れさせてもらいました。
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