5.思想としてのスターリン主義は近代ブルジヨア・イデオロギーを克服していない
われわれの観点からいえばスターリン主義批判の核心は、一国社会主義建設可能論の存在といった単なるイデオロギー的誤謬に求められるものではなく、その政策、思想、政治の反人民的、官僚的専制的内実に対する止揚の方向においてこそ求められるべきものである。このことはブルジョア権力を打倒し、当面一国的にプロ独国家建設をなす以外ない現実下にあっても、党の政策内容においては実践的にスターリン主義を批判克服できる可能性を有していることを意味する。
世界革命の挫折や一国的孤立化にあっても、思想的対象化により真の共産主義的作風・党風をつくりだすことさえできるならば、スターリン主義は乗りこえることができるし、またそのためにわれわれは苦闘する以外ない。
そこでの基軸はブルジョア・イデオロギーの党的反映、近代ブルジョア階級の思想としての合理主義、ブルジョア・アトミズムの克服にあり、人民に立脚した共産主義思想にもとづく党とプロ独国家の建設によるその止揚にある。
スターリン主義は端的にいえばブルジョア社会における人間像、ブルジョア・アトミズムとその裏返しとしての合理主義を克服しきれぬまま、人間的なものの考え方、人間の尊厳を失ったロシア・マルクス主義であり、官僚層の国家支配においてプロレタリアートが単なるその管理操作の対象におとしこめられた、歪んだ政治経済機構により生み出されているものである。
ブルジョア社会にあっては人間性の表出は自我の表出としてたちあらわれ、他方では機械体系への人間の従属の結果として、あらゆる人格も一個の歯車としてしか存立されないというチグハグな共存を常としている。本来マルクス主義はそうした資本主義社会における人間の疎外感からの解放を、例えば『経哲草稿』における労働の四つの疎外の概念の提出をつうじ求めたものであったにもかかわらず、ロシア・マルクス主義の現実は、それをなしえなかったということなのだ。
だから、そもそもの労働力の商品化の廃絶をつうじたブルジョア的疎外からの克服が、商品経済を止揚できず、価値法則を真に規制しえない現実下にあって何一つなされていないのであり、思想的にもブルジョア近代主義を超える地平においてのプロレタリア思想が開示できないでいるのである。従ってその根っ子はブルジョア・イデオロギーと同根といえる。
だが結局それは人間生活を規制する資本家的商品経済に支配的な思想としてまとめられ、ブルジョア・イデオロギーとして形づくられていった。主体=個人の利己心の追求と繁栄をそれとして追いもとめ、貨幣の蓄積によってその実現をはかっていくという原理が、私有財産制と自由競争にもとづくそこでの本質的な原理となり、ここにあっては自己以外のすべての他在は敵であり、社会は競争の場であって、教育はいかに他者よりすぐれた労働力をつくりあげるかの手段として選ばれるようになったのである。
資本により労働力が商品化されることをつうじて、人と人との関係が物と物との関係として表現される世界、貨幣の物神崇拝をつうじその蓄積が人間的至福への道とされる世界にあってぱ、当然主体としての人間意識もまた疎外されざるをえない。そこにおいて作りだされた価値判断の体系として近代合理主義や、ブルジョア・イデオロギーは成立している。
そこでは第一に機械制大工業の発達とそれへの人間労働の従属の結果として、たやすくはとりかえのきかない物質的生産手段=機械体系のもとに、いくらでもとりかえのきく労働力として人間の従属が枠づけられており、したがって人よりも物を大事にするという観念が根本的なものとなっている。
戦争にあっては兵よりも武器を第一とするというファシスト共の思考が典型であり、商品、貨幣、資本の物神化にみられるように、本来人間の労働力により生み出されているものが自立化され、それ自体価値を生みだす源泉であるかのように錯乱して考えられ、人間労働ひいては人間そのものの蔑視と、機械や「それ自体価値形態をもち交換価値として機能する特殊な商品」(『経済学批判』マルクス)としての貨幣への崇拝が、物の崇拝思考として社会生活を規定しているのである。
しかもこうしたなかで、第二には生産手段の私的所有者が労働力以外持たざる者を、労働者として雇用し労働力を支配することにより、人間の人間の下への支配と隷属の関係もまた生みだされざるをえないわけであり、有産階級が自己に隷属するものとしての無産階級を社会的差別観念をもって見下すことが、必然的なものとなるのである。この世界で差別されない存在になるためには貧乏人は金持ちになる以外ないのであり、必然的に貨幣の蓄積を唯一の目的とする人生がそこでは展開される以外ないのだ。
第三には社会的交換価値を生みだす労働が直接に交換価値を生みださない労働に対し社会的差別、抑圧の関係をつくり出し、その結果家事育児労働に従事する女性が男性に従属するとか、もはや生産過程にかかわれなくなり労働力として機能できなくなった老人が社会的に排除されるという関係性が、不断に再生産される。そのために女性は自己の性を商品化し、男性に売り渡したりもするし、性産業としてぞれが社会的に構造化されてもいる。
第四には少数のブルジョア階級が多数の労働者階級を支配しつづけるために、常に社会的な差別観念がつくり出され、より下層に目をむけさせるための民族的差別であるとか、内なる排外主義としての部落差別が構造化される。天皇が崇拝され、ブルジョア支配の宗教的背景とされる一方で、社会的な排外主義により被抑圧民族・人民が差別・抑圧の対象とされることにより、そもそものブルジョア支配は維持されるのである。世界でもっとも進んだブルジョア国家であるアメリカにあっては、かつての奴隷であった黒人や有色人種に対する社会排外主義の風潮は、他の如何なる帝国主義よりも強いものであり、それがアメリカの自由と繁栄をうしろだてているのである。
ブルジョア社会の個人生活にあっては、いわばこうした社会生活の本質的な構造にもとづいて、一方では理念としてのヒユーマニズムがあるべき姿として空語的に強調されつつ、実際には結合されない私的労働力としての個人は自我としてのみ自己を表現することしかなされないのであり、資本に隷属した人間の疎外感の吐露だけが、そこにおける人間的自己発現の自由の領域をしめている。
言い換えればもはやどうにもならない社会的規定力をもつ資本家的商品経済社会における人間労働の疎外、社会生活における資本家支配のくびきからの逃亡と、ドロップアウトを合理化し、自己をなぐさめる手段としてのみ個人の自己発現の場はあり、それが芸術や文学活動の主要な領域をしめるのである。
同時に個人の人格は資本や社会機構に完全に隷属したものであるがゆえに、意識性としてはその呪縛からのがれでたものが強調され、尊大ぶったり、傲慢であったり、あるいは利己的で非協調的となり、また面子や体面やプライドだけを気にするという存在に、社会的な差別感、価値観に規定されることによって本来的になりがちである。
それがブルジョア的近代と、思想としての個人主義からもたらされているものであり、かつ社会生活においてつちかわれているブルジョア的価値判断の正体であるのだ。
それは19世紀ヨーロッパに既にみられた近代社会における人間の苦悩からの解放を目的とし、『ドイツ・イデオロギー』や『経哲草稿』をもっての近代ブルジョア・イデオロギーの批判をなすなかで、近代ヨーロッパをこえる世界の啓示として『ゴータ綱領批判』や『資本論』中に、まさしく万人が一人のために、一人が万人のために生きることができる共産主義社会の実現として展開されたのである。
にもかかわらずかくの如き方向性を持ったマルクス主義に、弁証法的理性を有した物質の自己運動論だとか、宇宙史の総体までも規定する万能の科学としての弁証法的唯物論だとかの、科学主義のよそおいをかぶったエセ理論をくくりつけ、労働力商品化の廃絶もなしえないままに社会主義の到来まで宣言してしまったのがスターリン主義なのである。しかもブルジョア・イデオロギーを思想的に克服し、独自のプロレタリア的世界観をつくりあげることもできぬままに、ブルジョア的な位階制のみとり入れ、マルクスの理想とは似ても似つかぬものをもって独断的な「労働者の祖国」を宣言しているのだ。
結局のところそこにあっては、近代ブルジョア思想をいかに克服しえるのかの課題を設定しえず、単なる生産力発展第一主義の観点しか持ちえず、かつ党による労働者支配の強要しかなしえていない。
別の言い方をすれば、近代合理主義をより純化した形で生産手段の国有化をつうじ導人したにすぎず、そこでのスタハノフ運動にしろ、スースロフ流のリーベルマン方式(物質的利潤刺激)の導人にしろ、あるいはホズラチョート制度による出来高払いの採用にせよ、要するに生産力の発展を追求し、国民総生産を高めあげるという発想でしかなく、ブルジョア国家に追いつき追いこせという理念以外の何も提示していない。
またそこでの前提となるプロレタリアートの組織化、国家的目的に向かっての政治的集約ということも、極めて機能的にしか考えられず、全人民の政治的動員だとか、大衆みずからが政治経験をつうじ学ぶといった路線とはほど遠い強圧的なものでしかない。
例えば1920年に書かれたブハーリンの『過渡期経済論』には〈過渡期の経済外的強制〉の項目があるが、「より広い観点、すなわちより大きな歴史的尺度の観点からすれば、銃殺刑に始まり労働義務に終る、プロレタリア的強制のあらゆる形態は、いかに逆説的に聞こえようと資本主義時代の人的素材から共産主義的な人間をつくりあげる方法なのである」とか、「これらの範疇に属する人たちの頭のなかにある古い心理の残存物は、一部は個人主義的、一部は反プロレタリア的であるため、社会的-合目的的な計画を『自由な個人』の権利の重大な侵害だと感ずるからである。それゆえ、この場合国家による外的な強制が絶対必要になる」などとあるが、要するにここではその対象がインテリゲンツィアや技術者にむけられたものであったとしても教育とか説得とかでなく、外的強制=ゲバルトによる組織化しか語られていない。
つまりそういう説点しか持ちあわせていなかったということである。この思考方法と例えばスターリン『レーニン主義の諸問題』中にあるような、「プロレタリアの独裁は、本質的にはプロレタリアートの前衛の独裁でありプロレタリアートの基本的な指導力としての彼らの党の独裁であるといってさしつかえない」(国民文庫P38)といった考えが結合するならば、結局党が人民に君臨し、外的強制力にものをいわせて強権的な支配を貫徹するというスターリン主義の図式が、必然的にできあがってしまうのである。しかしこれでは何のためのプロレタリア革命かその意義はなくなってしまうし、何らブルジョア社会の陥穽をこえでる方向を示したことにはならない。
6.近代ブルジョア思想の克服をかけてのスターリン主義との闘い
I・ドイッチャーの場合もそうだが西欧知識人のものの見方には結局個人の性格や性分、あるいは育ちの問題に還元して生起した問題を説明しようとする傾向がつよく、それ自体ブルジョア個人主義的発想につらぬかれており、政治思想的モメントから物を考えるといった要素に乏しい。ロイ・メドヴェーデフの『歴史の法廷にむけて』(=『共産主義とは何か』)などにあっても、スターリンによってどんな暴虐がなされたかが、あますところなく書かれているが、すべてスターリンは悪かった、ひどかったというにとどまっており、思想としてのスターリン主義を対象化するにはいたっていない。
むしろこうした点で、最もすぐれた観点をわれわれに教えてくれるのは毛沢東であり、西欧的近代主義への傾斜と憧憬を退けつつ、遅れた農民に依拠し、それに学ぶことにより自己を改造するといった下放の精神の提起は、いわば思想としてのスターリン主義をたち切る方向性を示している。そこではあるいは非対象的なままにおこなわれているのかもしれないが、家父長的家族制度の残存といった特異性をもつ東洋、なかんずく中国にアプリオリに西欧的近代の開示としてのマルクス主義を持ちこむことは否定されており、中国農民に理解される内容と形態において、一方で儒教的色彩さえおびつつ独自の、つまり毛沢東思想として、共産主義が敷衍されている。
レーニンが近代的自我の確立を自明のものとみなし、西欧的知識人の集合体で事実上あったロシア社会民主党に、規約と規律の考え方を持ち込み、『何をなすべきか』的党建設として民主的中央集権制を訴え、ひいては西欧的個人主義の克服をはかっていこうとしたことは、それ自体独自の発想であり、すぐれた観点の提出であったといえるだろうが、毛沢東の場合には『党内の誤った考え方の是正について』や『党八股を克服せよ』などの整風運動が軸となり、都市中産階級やインテリゲンチャに多くみられる理論的教条主義や、逆に教育のない幹部に多くみられる自分だけの経験だけから真理をおしはかろうとする経験主義を主観主義の二つのあらわれとして批判し、主観主義を排した作風、すなわち現に存在する抑圧され、貧困にあえぐ農奴的状態にある中国農民の解放の規範としての中国共産党と人民解放軍の実践という考え方をおしすすめ、都市中産階級はこれに学び自己を改造せよと教えたのであった。
そこでの人民解放に献身する主体への自己の改造、人民一人ひとりの魂に触れる革命の提起は、近代個人主義とは別個の地平で共産主義的主体が確立する可能性を与えたし、いわば歴史上はじめて中国人民がみずからの手で歴史をきり開き、作りあげる主体的基礎を創造した。
われわれが中国革命と毛沢東から学ぶべきことはこの内容であり、近代合理主義を止揚しえる方向性の開示であって、思想としてとらえられるべきものであり、哲学だとかプロ独=社会主義論などの誤った理論内容ではない。そしてこれ等は、(1)党員と非党員のあいだでの差別・分断を止揚する方向をつかみとること、(2)人民の意志を代弁せず、党の意志が人民におしつけられるにすぎない政治を克服すること、あるいは(3)セクト主義を止揚できず、他派との共存を認められずに内ゲバ主義を構造化させることからの自己止揚をかちとることなどの問題として深められ、方向づけられていくべきことだと考えられる。
それは『帝国主義論』において論理的に方向づけられていったわけだが、そこでは第一に、二大階級以外の様々な階層、中間層が構造的に派生し社会的に滞留していく問題として、第二にプロレタリア、ブルジョア両階級内部に階層分化が激しくおこり、プロレタリア階級内部の上層部は超過利潤により、ブルジョア階級に買収されるという提起として、問題の整理がなされた。
このことは政治的にはロシアにあっては西欧よりもさらに遅れた条件下、近代個人主義を開花せしめるような知性なり教養なりを修得した人的素材は、ボリシェヴィキ党内部にあってもごく少数しか存在していないということに基因したのであり、いわんやムジークとよばれる農民大衆にそうした規範をさしむけることなど到底できないということを意味するものであった。
『何をなすべきか』的党建設は、ツアー専制とそこでの政治警察との死闘のために、必然ではあったが、しかし適用を誤れば人民にとり桎梏ともなる「両刃の刃」的位置をしめている。大衆の自然発生性と前衛の目的意識性といった概念は、政治の質の問題として止揚される方向をとらない場合、たんなる先走りや党的理念の大衆への押しつけにしかならない場合もある。権力掌握後のレーニンが、『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を書き、『左翼小児病』を執筆するのも、結局は党的主体の思考方法の転換の要請であり、大衆と結合し、意識性をひきだす政治の実現を呼びかけるものであった。
事実この時期のレーニンの文章には「社会主義経済の基礎を仕上げる(特に小農民の国で)というような画期的な企てを、誤りを犯すことなく、時には後退するということもなく、またなしとげなかったものや誤ってやったことに無数の手直しをすることなしに、なしとげることが可能であると考える共産主義者は敗北の運命にある」(『政論家の覚え書』)というような記述がいたるところに見られる。
そしておくれた、ギリシア正教的な考えにそまった封建的因習とも訣別できないロシアの大衆と結合しえず、その風土的現実にマルクス主義を適用しえないまま西欧的近代主義をふり回しただけの形となったトロツキーなどは、進歩的インテリ層に支持者を持ちはしたものの、結局は農民大衆から遊離し、国外に追放される以外なかった。
一方、スターリン統治下のロシアは、慣習的、風土的にはロシアを代弁する政治の質を持ちつつも、生産力の発展による資本主義への対抗という図式が基底におかれることによって、近代化=重化学工業の推進、農民の集団化=社会主義経済の実現がしゃにむに遂行されたにすぎず、工業社会としての西欧的近代への憧れの域を政治の質として少しも超えでることはできず、それゆえレーニンの意図を実現するには全くいたらなかったのである。
これらのこととの関連で言えば、中国革命における毛沢東の独自性とその思想的意義は、東洋的=中国的なものの発現として共産主義を組織したその特異性にあり、それが大躍進期における土法高炉による鉄の生産の提起、人民みずからが鉄をつくることの実践として、経済発展を実際には阻害していったという弊害を持ったとしても、なお「学ぶべき何か」をわれわれに提示している。
別の言い方をすれば、われわれが日本においてプロレタリア革命を推進し、天皇および日本ブルジョア階級を打倒しようとする時、西欧マルクス主義の直接導人による本工プロレタリア主義、純プロレタリア第一主義を持ち込み、近代的自我の確立を前提としたような西欧個人主義に立脚した党活動を推し進めても、われわれは日本労働者階級人民の土着性、長く天皇をその歴史の頂点にあおぎ支配をうけてきたという特殊な歴史性に、とても太刀打ちできないだろうし、従って敵権力を震憾せしめる人民の支持を得ることはできないと思えるのである。
同時にまたそれは、日本共産党および革共同的な政治の不断の孤立と、大衆からの離反をも意味するのであり、われわれ独自の発想にもとづくスターリン主義の止揚克服の道は、われわれ独自の党風・作風の確立と軌を一にするといわねばならない。そしてその方向においてのみ、日本労働者階級・人民の解放の道は広がっているのだ。
まさに近代主義として表現されるブルジョア思想が、自己を絶対化し唯一無二のものとしたがるブルジョア的尊大さと共存していることを考えるならば、党組織がスターリン主義的反人民構造におちこむ内在的根拠は、党それ自体や党的主体がシビアな自己切開の観点、自己批判の思想を欠落させ、人民の実存的苦悩から遊離する場合に生起するのであり、他者からの批判を認めず小ブルジョア的な傲慢さにひたった時、みずからのスターリン主義的偏向が指摘されねばならない。その観点を血債の思想、猛省精神と共にわれわれが守り続けることができるのか否かに、われわれの前進は求められるのであり、スターリン主義の内在的克服の道は唯一定められる。
まさしくその意味では自己を捨てて党と人民の勝利のため献身する作風のもと闘いぬいたベトナム人民や、中国人民解放軍の闘いは、一国社会主義建設可能論や二段階戦略というイデオロギー的なスターリン主義の未止揚にもかかわらず、その実践的誤謬と疎外から自由となりうる道を、一定われわれの前に先人としてさし示したといえる。その思想的内実において、いくら反スタを叫んだとしても常に自己を絶対化し、のりこえの対象だ何だといって他党派解体を自己目的化し、内ゲバ主義を構造化させるカクマルなどよりは、ずっと開かれた方向性を有しているのである。
スターリン主義を内在的に越えでた党派への自己止揚のためにも、共産主義的主体性を獲得しきり、小ブルジョア的組織体質を否定し、人民思想に立脚することにより自己批判の精神をつちかい、自己絶対化や尊大さを克服しきる党風・作風を真につくり出し、闘う人民の支持と連帯をおのがものとするならば、われわれは必ずや実践的にスターリン主義的疎外を克服しえる道をつかみうるのであり、だからこそたんなる外的世界の革命にとどまらない内的世界の革命、革命的共産主義者への自己形成の闘いが真剣なものとしてとりあげられ、課題として設定されていかなければならないのである。そのためにもブルジョア的近代主義の思想的克服は、人民思想に立脚した組織建設の実現によっておしはかられていかねばならず、その方向性においてのみスターリン主義批判は革命的意義をもってわれわれに迫ってくる。
7.『革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ』というスローガンについて
以上の如き展開からも明らかなように、われわれがスターリン主義を批判し克服しようとする方向は、たんに理論としてのスターリン主義の誤りをならべたて、それへの批判をなすことで置き換えようとするものにはなりえない。これまでの新左翼運動の多くは、スターリン主義批判を口に出しさえすれば、自分たちが既にスターリン主義をこえ出た地平において闘いを実践し、思想的内実をつくりあげているかのような、はかない幻想にひたってきたものが多く、従って主体に内在化されるスターリン主義批判の戦取といったことは、実際には何もなされてこないのが常であった。
本多書記長をカクマルに殺害された中核派の苦しみ、やむにやまれぬ報復の心情は理解できたとしても、だからといって帝国主義国家権力とカクマルに対する闘いを、対カクマルニ重対峙報復戦のように戦略的に固定化し、日帝打倒闘争と直接に等置していくことは、スターリン主義批判の内実を形づくっていく闘いとしては正しい方向といえるだろうか。もとよりそれは世界にも例をみない、自分たち以外のあらゆる対立党派の打倒ののちに、はじめて帝国主義との闘いがはじまるといったのりこえ運動を提起し、敵権力の背後からわれわれを襲撃してくる日本階級闘争史上における全く特異なカクマルという党派の存在に規定されたことであったとしても、結局は連合赤軍による14名もの同志殺害事件とならんで、この構造化された内ゲバ主義が70年代階級闘争の前進をばばんできたことは否定できない事実であるし、だからこそこのデッド・ロックからの止揚を、われわれは願うものである。
つまり、われわれが新たに「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」とのスローガンを提起するのは、われわれ自身が内在的に未だ克服したものとはいえない革命運動のスターリン主義的歪曲を、みずからの課題として克服しようとするからに他ならず、理論としてスターリン主義を批判すればすまされるというような現実に、日本階級闘争それ自体がおかれていないと考えるからに他ならない。
その意味から言えば、「反帝・反社帝」としてソ連に対する批判を綱領化させ、みずからが理論的にもスターリン主義をこえでていない現実にほっかぶリする、現在の中共派系ブント諸派もまた、全くの客観主義的な没主体的存在であり、革命的イストヘの自己形成の闘いをネグレクトした発想といわねばならない。問題はソ連が悪いということを百万回口にすることでも、その反対に中国がいいということをならべたてることでもなく、みずからの課題として共産主義運動が切り拓くべき方向を明確化することであり、スターリン主義の内在的止揚にむけて奮闘することである。
ソ連が国際共産主義運動を裏切り続けてきたことは事実であるけれども、中国もまたベトナムヘ侵攻することにより、全く民族主義的な一国的利害をあらわにし、プロレタリア国際主義の精神を踏みにじってきたことを無視することはできず、否それ以上に日本の戦闘的労農学人民に対し、われわれ新左翼白身が内ゲバ主義を止揚できず、混乱と失望のみを与えていることを忘れてはならないのである。だから外在的にスターリン主義を批判し、いくら悪いといったところで、われわれがその陥穽から自由になりえないようなモメントをもってしては、われわれの闘いの旗じるしとなすことはできない。自己に内在しえる、内なる革命をはたしえる内実を持つものとしてのみ、スターリン主義批判は位置を持つし、巨大な歴史的意義を持つ。
われわれが「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」と呼びかけるのも、まさしくその意味においてであって、反スタ主義を標榜したがるなどという理論主義的なアプローチからではない。これは厳然と峻別されねばならない。
われわれは他のブント系諸派のように、「トロツキー主義か、それとも毛沢東主義か」などという二者択一において問題をとらえることはできないと考えるし、その意味ではわれわれはブント主義の結実化をめざすのであって他のいずれにも与するものでもない。
トロツキーからも毛沢東からも学び、日本におけるプロレタリア革命の推進の独自の条件を考えぬくことによって、いずれわれわれ戦旗派は不抜の第三次ブントをつくりあげ、日本労働者階級人民の解放に一歩でも貢献する決意である。スターリン主義の批判と克服、それはまさに、革命的共産主義者への自己形成の闘いと同一であり、「人民を大事にし、人民を助け、人民を守る」気概を持つものだけが結局は実現しえるのだとわれわれは確信する。
「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ!」のスローガンは、かかる方向性の下に提起されており、かつその内容には近代ブルジョア思想をこえでる地平での、われわれ独自の共産主義思想の確立を希求する意味がこめられている。
すべての同志、友人、兄弟達!
われわれがスターリン主義の止揚克服につき対象化しえる領域は未だせまく、極めて不充分なものでしかないが、以上述べてきたことをふまえることによって、日本労働者階級人民の解放のために貢献しぬける、独自の思想性をもち独自の戦争の論理を駆使しうる不抜の戦旗・共産主義者同盟の建設をめざし、最後の最後まで共に闘い抜かん!
(初掲1980年4月『戦旗』415号)
参考
◇反スターリン主義(Wikipedia)
◇宮内広利:アジアから吹く風とレーニン(ネチズンカレッジ→図書館→学術論文データベース)
◇「科学的社会主義」討論欄(さざ波通信)
中核派(系)での運動体験がある方々の論考
◇スターリン主義はなぜ起こったか?(たたかうあるみさんのブログ)
◇スターリン主義に対する考察(たたかうあるみさんのブログ)
◇スターリン主義 NEP(たわいもない話)
◇スターリン主義について(アッテンボローの雑記帳)
◇スターリン主義はいかにして発生したか(労働者によるマルクス主義研究)
◇「唯一前衛党」神話とボルシェビキ(労働者によるマルクス主義研究)
◇新左翼運動を総括する視点(労働者によるマルクス主義研究)
その他左派の論考
◇ソ連邦の崩壊とトロツキズム(かけはし)
◇党独裁論から党・国家官僚制へ(労働者共産党)
右派・中道の方々の論考
◇日本共産党・スターリン主義等めぐる断想 (メンフィスからの声)
◇スターリン主義とナチズム(防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究ブログ)
◇スターリン主義(つれづれなるままに)
◇中核派も革マル派も、ともにスターリン主義の権化(留美子のブログ)
◇ポスト・ポストモダンの思想(road to true)
◇まず隗より始めよ(内田樹の研究室)
◇情報を抜く(内田樹の研究室)
◇理論は理想をどう語り得るか-ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクスにおける<自由>の問題(探求)
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最後の文章を読むと、「しらじらしい」と感じます。
しかし、大枠からいって、本論文が誤っているとは思えません。
そうあいつも昔は、輝いていたネということかな。
それから黒目さんの言うことは、それはそれでいいのではないかと。
しかし、そう思っていただけでは、何も語ったことにはなりません。
問題は、そう思う=結論=上向行的総合にいたる対自化の内容の過程にあると、僕は考えます。
だから草加さんは、別に落ち込む必要はないのではないかと。
別に黒目さんの投稿で落ち込んだりはしませんでしたよ(笑
私なりに解釈しますと、黒目さんのおっしゃっていることは、スターリン主義批判を一国社会主義論などの理論的な批判のみですませ、自分とは関係ない外部の打倒対象としてしか見ない、かつ、そのことによってすでに自分たちがスターリン主義を超えたものという幻想にひたっている新左翼党派(とりわけ革共同系列)に対する、ノンセクト大衆からの反発、セクト批判はすでにあったということかと。
それはこの論文のみならず、私が党派に結集する以前から感じていた問題意識でもあったのですから、私ごときが考えることなんて、すでにどこかの誰かによって語られていたわけです。おそらくはそれに類するような考察も読んだことがあります。
この論文が出る以前、それこそ1950年代から左翼内部でソ連などのスターリン主義への批判は連綿として続いたわけです。
それが70年安保-全共闘運動などを経る中で、党派が口では自明のものとしてスターリン主義批判を語り、理想主義を掲げながら、一方では現実主義的なセクト政治を行うことに対する大衆からの反発や考察があったということでしょう。
また、第四インターにあっては、それを「反内ゲバ主義」という名前の極めてセクト的な「主義」にまで高めあげて中核派との党派闘争を闘うという構造がありました。そのため、インターが強い地域では、逆にセクト主義的、官僚的に、大衆に対して「反内ゲバ主義」を強要するという、なんだかよくわからない構造になってしまいました。
ことほどさようにスターリン主義の根絶なり克服は非常に難しい課題です。さらに、「スターリン主義的な政治の打ち方」ということで言えば、それは決して「左翼限定」の問題ですらありません。それどころか政治に限らず類似の現象は社会のどこでも見られる現象なので、いわば必ずしも左翼でなくとも、誰でも何かが言える領域だと思います。
ただし共産主義運動でなぜこういう問題が発生してくるかということの考察は、少なくとも左翼自身が語る限りにおいて、そういう一般論に解消してはいけない問題だと思います。「中核派はひどい!」と百万回くりかえしても(左翼の言い分としては)あんまり意味があることとは思えません。結局は「あんなやつらは左翼ではない」という共産党と同じレトリックの延長にしか過ぎず、大衆には「左翼のいいわけ」としかうつらないのです。
何が言いたいのかと言えば、要するにこの論文もまた、いきなり発明的に何もないところからポンと出てきたものではもちろんなく、1950年代に黒田寛一がつき出した反スタ論から、全共闘運動の中で語られた党派や新左翼運動そのものへのとらえ返し、さらにインターなどの反内ゲバ主義を軸としたセクト政治など、そういう左翼運動の歴史、さらに言うならそれこそロシア革命以来の歴史の延長上に、今、自分たちの目の前にある石をのけるための極めて実践的な要請の上に書かれて出てきたものだということです。そういう意味でも、すでに語られてきたものだという指摘は当然でもあるし、むしろ発明された論理ではなくて、今までの議論や問題点を整理する中で、左翼が進むべき方向性を喝破した点に実践的な意義があったのだろうと思っています。
>最後の文章を読むと、「しらじらしい」と感じます
はい、私もそう感じます(笑
この論文が懐かしくて、やっと実家に行って見つけてきました。荒岱介氏の『武装せる蒼生』に収録されていました。当時は、反帝「反スタ」でなく、「スターリン主義は克服の対象」だとの主張が心を揺さぶりました。85~6年です。社学同と、「スタ克」「日革展(宮顕)」で論争(?)しましたwww。若かったですぅ。