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(これは前回のエントリーからの続きです

 さて、こうして運動を離れ、三里塚とは疎遠になっていった私ですが、今度は普通の日常生活の中で、全く偶然なんですが在日朝鮮・韓国人の方々と知り合うようになります。政治的な表現とは関係ない部分での、あるがままの在日の方々とは、むしろ左翼運動を離れることで、はじめて知り合ったりつきあったりする機会ができたと言えます。

左翼でなくなって初めて在日の人を知るようになった

 というか、在日の方々が左翼的な考えをもって、かつそれを政治的に表現すること自体が、不安的な身分であるがゆえに、私のような普通の日本人が同じことをする場合にくらべて、はるかにリスクや危険がともなうということがあります。それゆえ、よそは知りませんが、私たちは相手が自分から求めてきた場合は別として、そうでない限り、偶然に知り合った在日の方を、私たちの方から積極的に運動や集会に誘ったりということははばかられて、あまりしなかった。

 ちゃんと国家権力の弾圧から防衛できる体制が組めないなら、安易にまきこむことは無責任との思いがありました。また、そういう中でも話し込んだり討論したりする人はもちろんいましたが、やはりそういう人は右であれ左であれ政治的にアクティブな考えを持っている人なわけで、そういう人が必ずしも「一般的な人」でないことは、日本人でも在日でも全く同じことです。

非正規移民の人たちはものすごく善良だった

 それに比べて、運動を離れてから知り合ったのは、在日の中でも全く普通の人々です。まず第一に仕事関係のおつきあいでした。食品の輸入販売会社に勤めていました関係上、ちょうどおりからの韓国食品ブームもあり、大変に多くの在日の方々と知り合いになりました。いつしか食品会社の現場で工場作業などをしている方々とも親しくなりましたが、その中の何人かは、いわゆる「不法滞在者(=非正規移民)」であることも薄々わかってきました。

 実はそういう人の多くは(というか例外なく)人間的にはものすごく善良な人ばかりであったために、私の中の「不法滞在者」というものに対するイメージが一変するということも経験しました。たとえば埼玉のカルデロンさんのご両親が、仕事ぶりも勤務態度もきわめて真面目で、地域での生活や人間関係もきわめて善良かつ温厚であったことが報道されましたが、私の経験からはそれは例外的なことではなく、むしろそれが平均的な非正規移民の姿でした。

 彼らの話によりますと、だいたい入管当局も、特に大阪なんかで中小企業の工場などを本気で徹底的に取り締まれば、かなりの人数を摘発できるのはわかっているはずなのですが、そのあたりは現場の「さじ加減」なんだということでした。だから統計上の「不法滞在者数の増減」というのは、入管職員のさじ加減の問題もあって、必ずしも非正規移民の実態を反映しているとは限らないよというのが、在日社会とはまた別の、非正規移民たちの「現場の声」でした。

 すでに下層労働力の一部に組み込まれているのだから、本当に徹底的にやれば会社によっては困るところも出てくるし、大阪全体でかなりの大騒ぎになるだろうと。まあ、こういう話を聞いたというだけで、それをどこまで言葉通りにうけとっていいのか、表の統計には出てこないことだから、もちろん本当にはわかりませんが、実感としてかなり「本当っぽい」とは思いました。

「外国人犯罪増加」という言説の実態を知る

 ただ言えることは、実際、入管が相手にしているのは普通の非正規移民だけなんだろうし、これに対して犯罪外国人は第一義的には警察の管轄になるんでしょう。ところが「外国人犯罪」の統計には警察が管轄の刑事犯以外に、入管が摘発する非正規移民を含んで発表しているというか、むしろそちらが圧倒的多数を占めているんです。

 つまり刑事犯罪全体に占める外国人の割合はほとんど増減がない一方で、非正規移民の摘発は入管のさじ加減に左右されるということです。そして実際には善良に生活している非正規移民の実態がある。

 こういうふうに、生の現実を見てきますと、「外国人犯罪の増加」という言葉も、少なくともイメージとしてはずいぶんと違って見えてくるもんなんです。特に今すぐ「大変だ!」という気持ちもなくなるし、解決の方向としても、それが治安問題だという一面的な見方ではなく、むしろ経済・労働政策の問題としての側面をこそ中心に考えないと、何一つとして解決は見えてこないということがわかるようになる。

 体験談を話しているうちに、ちょっとわき道にずれてしまいましたね。在日外国人一般の問題と、在日韓国・朝鮮人の問題、そして非正規移民の問題は、一部で重なる現象もあるでしょうが、基本的には全部別々の問題なのは、いくら愚かな私だってさすがにわかっています。これを混同していっしょくたに論じる愚をおかしているわけではありません。ただの思い出話のレベルです。

大学で出会った在日・創価・自衛隊・機動隊な友人たち

 もう少し思い出話を続けましょう。一度活動がらみで大学を中退していた私は、活動をやめてからもう一度勉強しなおし、20代の終わりから大学に進学しました。そしてそこでも多くの在日の方々と出会いました。私立大学の場合、形式よりも実質を重視して、朝鮮学校卒業生にも平等に受験資格を認めていることが多く、公平に受験を勝ち上がってきた在日朝鮮人の子弟もわりといるのです。

 あと、夜間部には現職の自衛隊員もたくさんいたし、警察官(しかも機動隊員!)もいました。創価学会の子弟もいたし、被差別部落の人もいた。そしてとりわけサークル活動(政治的なもんではないよ)ではそういう人たちがみんなまざりあって共に活動し、共に勉強し、共に遊んだり、喧嘩したり、カラオケいったり、みんなで旅行したり、本当に楽しい四年間を過ごしました。

 幸福で貴重な出会いの数々だったと今にして思います。これら大学や職場で学んだことは、国籍が違おうが、機動隊であろうが自衛隊であろうが、あるいは創価学会であろうが非正規移民であろうが、一皮むけばみんな同じ、私たちと何も変わらない善良な人々であるということ、そして私たちと同じ意味で、決して祭り上げるような聖人君子でもなんでもなかった。ただみんな必死に前を向いて生きているだけのことだったんですよ。そんなの当たり前のことですがね。その当たり前のことを忘れている人が多いんじゃないですか?

 ただ大学で出会った共産党の人だけはね(笑)。どうしてもそこで運動作ったりオルグしようとかするし、対立する勢力には頭から湯気立てるからね。共産党やその主張にどうこうということではなく、ネット上のネトウヨ現象もそうなんですが、そういう人が多くなるとなんか自由じゃなくなるというか、一言で言えば「うざい」という雰囲気は、在日だろうが機動隊だろうがみんなが共通してもってました。

 ただそれはね、共産党の人が「一皮むいて」いないから、どうしても共産党という仮面を通して目の前に現れるからだったと思う。活動をやっていた最初の学生時代の私も、他の人からはこんなふうに見えていたんだろうなと思いますよ。そしてそんな仮面をはずして生身で接する時の彼らは、やはり私たちと何の変わりもありませんでした。

「違い」とは自分自身がつけている仮面のことだった

 要するにみんないくつも数え切れないくらいの仮面をかぶって、その仮面にがんじがらめにされている。「日本人」というのも一つの仮面ですよね。社会で生きている限りはそれ(役割意識)も仕方ないし、必要な部分もあるとは思います。そしてその仮面をつけることが、同じ仮面をつけていない人をも含めて幸福にするのなら、それもいいのかなとさえ思います。

 ですが、いつのまにか仮面の奴隷にまでなり下がっては本末転倒。ついには仮面がないと不安だというような生き方をしているから、お互いに相手の本当の姿が見えなくなっているだけなんだと思います。
 大学の中では、そういう仮面をすべて取り去って、ただ「同じ大学の学生」という仮面だけが残り、かつ学生としては公平・平等に扱われるという環境の中で、はじめてそういう本当のことが見えたのだと思う。

 差別というのは慣習的なことも含めて、制度的にあらゆる面で公平に扱われてこそはじめてなくしていけるんだと知りました。そしてそれは主義主張や理念として「差別をなくさねばならない」ではなく、差別なんてなくしたほうが絶対に楽しい!という実感からそう思うようになったのです。

 特に差別している本人が、それを差別だとさえ認識していない、最も酷くて残酷で愚劣なレベルの差別ほど、徹底的になくしたほうがみんなが楽しくて生きよい世の中になると確信できるようになりました。差別はされるほうはもちろん、するほうの心まで蝕んでがんじがらめにして不幸にしているんですよ。そんなのまっぴらごめんです。

 これは差別に苦しんでいる人が聞いたら怒るかもしれないとは思いますが、私は「在特会」やその支持者の人々のような、人を差別する不幸な人間になるくらいなら、まだ差別されるほうがマシだと、今となっては思うようになれました。

 制度的・慣習的な不公平というものを、それを「当たり前だ」などと感じている人々との軋轢を打ち破って、とにもかくにもまずなくしていくこと。そのほうが差別を「当たり前」だとか「根拠がある」なんて窮屈な考えより、現実問題としてはるかに自由で風通しがよくて、心も軽くなる住みよい社会であり国なんだろうと心から思います。

 活動家時代にイデオロギーを通じて考え、在日の人々に逆の意味で「偏見」をもっていた頃より、むしろやめてからのほうが、こういうことを軽やかに考えられるようになったと思います。右翼イデオロギーの人にも、こういう軽やかさは是非経験してほしいです。

 そしてそういう現実離れしたイデオロギーで作り上げた脳内イメージから解放された後で、もう一度自分なりに、現実の民衆のリアルな生活実存に根ざした場所から、自分なりに(右派でも左派でもいいけど)イデオロギーを再構築していけばそれでいいんではないでしょうか。そういう地に足をつけた場所から組み立てた考えは、そんなに間違った極端なものにはならないと思います。

違いを楽しむことができれば

 さて、在日の方々との関係で言いますと、こうして同年代の方を中心として、その前後の世代の方たちとも友達や仕事仲間としてつきあうようになりました。もちろん「一皮むけば同じ人間」なわけですが、一皮むかないところでは感覚などが違うところも多々あったわけです。

 それでもお互いに生まれた時から同じ社会で暮らしているわけですから、そんなに常識はずれで深刻な問題にはならなかった。むしろ違いを面白がるくらいの余裕があって、今から考えればお互いにかなり無神経というか、失礼というか、活動家時代なら大騒ぎになったようなことも互いに言い合っていたような気がしないでもない今日この頃です(笑)。

 それでも険悪な雰囲気にはならなかったし、「侵略の歴史」とか言って構えた考えでいた頃とは比べ物にならないくらい自由で気楽なつきあいでした。だいたい相手は私の活動家としての過去を知らないわけですし、日本人がネトウヨばりの非常識なふるまいをしない限りは、いちいちそんな深刻な雰囲気にはなりませんよ。ごく普通のつきあいです。当然ですね。

  もちろん本当に酷い差別に耐えてきた年配の方や、その思いを重く継承しているような方にはまた違う考えがあるのかもしれません。そういう上の世代の方、日本人で言えば団塊世代以上の方とはあまりつきあいがありませんでしたが、私と同年代の在日の方は「親の世代」からいろいろ言われて育ったみたいな話も聞きました。そしていろいろと在日の生活空間なんかを垣間見る機会もありました。そのことについても少し書きます。

三里塚と昭和天皇と金日成(後編)に続く>

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