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(これは前編中編の続きです)

 さて、そんな関西の食品会社で働いていた中での一コマなんですが、ある時、朝鮮小学校を訪れる機会がありました。といっても、特に「学校訪問」したわけではありません。食品業界のとある展示会で、私の会社もおりからの韓国食品ブームに便乗して、力を入れていた韓国食品のブースを出すことになったのです。その仕事でつながりができた在日の方が、給食室の鍋釜などを貸してもらえるかもしれないと、朝鮮学校の関係者を紹介してくれたのです。

今度はあの人の肖像が…

 これは無料でしたので大変に助かりました。どうせ連休中で使わないんだから、ちゃんと洗って返してくれるならいいよということでした。
 学校備品の貸し出しという形になるわけですが、こんなふうに、よきにつけあしきにつけ、「悪いことに使うわけじゃないし、別にいいじゃないか」というアジア的な融通やコネがきいてしまう、ちょっと前までの日本みたいな所が今でも(?)残っているという感じなんでしょうね。

 これは余談ですが、この感覚が朝銀などの金融機関にもあったと言っている人が多かったので、そのあたりが破綻につながったのかとも勝手に想像しています。

 たとえば担保や保証人など以外に「あの人はすごく頑張っているから応援してあげよう」みたいなことが融資の審査基準になったり、はなはだしきは総連で顔のきく人の「本当に頑張っているから何とかしてやって」という口ぞえなどで融資が通ってしまうこともあるんだよという噂話も聞きました。

 もちろん噂ですから真実性に責任はもてませんけれど、景気のいい頃はそれで問題なく回っていたそうです。そして長期不況が続く中でもその調子だったと。金融当局が朝銀と興銀を同時期の他の銀行みたいに救済せず、さっさと潰したことについては、もちろん不満の声もあがって一部にデモなんかもありましたが、大阪の在日の多くは文句を言うより「あれはしゃあないわな」と、意外と冷静な受け止めが多かったように思います。

 さて、話を戻します。紹介してくれた彼と一緒に朝鮮学校に向かい、休日でがらんとした誰もいない校庭でしばらく待っていますと、やがて学校の方と一緒に彼が出てこられました。で、なんか、「この人はイルボンサラム(日本人)で、仕事も頑張っている真面目な人だから」みたいな紹介をいただいた上、「休みの日の一日だけ鍋釜などを貸してあげてくれないか」と一緒にたのんでくださいました。

 上に書いたように先方様は「学校がはじまる前にちゃんと洗って返しに来てくれるなら別にかわまないよ」ということになり、給食用の調理室まで案内していただいた上、ご親切にも運び出しまで手伝っていただきました。

 その途中、正面の校舎の入り口をくぐったところでふと見上げますと、ありました、あれが、若き日の金日成の肖像画が額にはいって。

 ちょうどその頃にはもう、自分が左翼活動をしていたことを思い出すことさえなくなっていたのですが、その肖像画を見た時には一瞬だけ左翼時代まで時間が戻りましたね。思わず心の中で「ナンセンス!」とか思っちゃいましたよ(笑)。この、人のいい親切な学校のおじさんに対して、いったいどういう思いでこういう肖像を毎日見ているのか、ちょっと聞いてみたい衝動にかられました。

左翼と北朝鮮との距離感

 これは主にカタカナ「ウヨク」の方への補足として。左翼にとっては常識ですが、ここは右派の方も読みにきていただいているようなので、ちょっと補足しておいたほうがいいでしょう。

 なんかウヨクの人は、左翼は北朝鮮を支持している(いた)と思い込んでいる人が多いようなのですが、それは旧社会党(内の左派)の一部やその近辺の人々にそういう傾向があっただけで、左翼は拉致問題以前から北朝鮮には極めて批判的な態度でした。80年代にはすでに日本共産党などは、自民党以上に口を極めて北朝鮮を批判していました。

 ただ、南北分断という悲劇的な状況があって、当時の私たちは、元々分断の原因を作ったのは日本の植民地支配なのだから、どこか遠い国の独裁政権を批判するのと同じ調子で、没主体的な論評はできないという雰囲気はありました。

 基本的に大国に分断された朝鮮半島の問題は朝鮮民族の自決権の問題であり、自分たちは安易に口を出すべきではないし、アメリカをはじめとする大国が、冷戦構造の中で朝鮮半島に介入することをやめさせ、手を引かせることが先決であると。そして、アメリカなどの大国に手を引かせた後、選挙などで朝鮮民族の総意による自主独立の統一朝鮮ができれば、それを応援すればいいじゃないかみたいな考え方だったと思います。

 ただ、実際には内々の非公式な場では左翼同士でも北朝鮮批判とか普通にしていました。新左翼を含めて、特に50年代からあるブント・革共同などの伝統的な潮流にはその傾向が強かったように思います。左翼(共産主義者)ではない普通の大衆や市民運動のほうが、「北朝鮮路線の酷さ」より「自分たちの侵略の責任」に天秤が傾くので、むしろ甘い傾向があった。

 もちろんこれはニュアンスであって、細かいことを言い出せば非常に千差万別で幅広い考え方があったわけで、さらに今となってはこういった認識の是非も検討しないといけませんが、書き出すと長くなるので、とりあえず話を先にすすめますね。

 要するに、長い間左翼から離れていた私は、「南北統一問題については朝鮮人の自決権にまかせてそれを受け入れるべき」とか「分断の原因を作った日本が高みから、ましてや自国の利害から、安易な論評や干渉をすべきでない」という、冷戦時代の左翼的なストッパーが外れて、左翼内部で話す時のような内輪モードになっていたのかもしれません。それで肖像画を見た時に、どっと否定的な感情ばかりが前面に出てしまったのでしょう。

 たとえば皆さんもテレビなどで、どっかの施設に金日成や金正日の肖像が高い場所に飾られているのを見たことがありませんか?そしてそういう映像を見てどんな感情を持ちますか?この小学校で金日成の肖像を見た時の私も、おそらく皆さんがそういう時に感じられる感情と似たものを感じていた。そしてそれに少しばかりの左翼の理屈が上乗せされていたわけです。

神様も悪魔もない「人間」がいるだけ

 それだけならまあ、そこまでの話なんですが、同時にふとね、最初に三里塚の農家が天皇の写真を大切に飾っていた話を書きましたが、あの光景が同時によみがえってきたわけです。

 金日成の肖像を飾っている人を見て、何かしら「痛い」と感じる人が多いだろうけど、考えてみたら日本人も同じことをしていたじゃないかと。そして、なんで私は、金日成と全く同じように(というかより強く)批判していた天皇の写真を、三里塚のじっちゃんが飾っていたことは容認できて、金日成の写真を在日の親切なおじさんが飾ることは名状しがたい気持ちになるのかなと、考え込んでしまいました。これって差別感情が原因なのかなとか、それとも生まれ育った環境から、相手の心情を理解する時に差異が生じてしまうだけのことなんだろうかとか。

 たとえば金日成と昭和天皇のどっちかが「神様」で、どっちかが「悪魔」だという立場だったら話が簡単なわけですよ。お互いにお互いを指差して、「俺は神様の肖像を飾っている。あいつは悪魔を飾っている」と言えばいいわけですよね。また、左翼的に純化すれば、ちょっと高みからそんな両者を見下ろして「どっちも悪魔だよ(フフン)」と言えばいい。

 けど私はそういう発想なわけじゃない。まあ、煎じ詰めれば「どっちも悪魔」でいいだろう程度には、私はいまでもゆるやかな左翼ですが、基本的には特定の人物、それも一庶民ならともかく、権力のトップの座にある(あった)者を神様や悪魔のごとくに単純化する歴史観には、そんなことはあるまいと常に眉唾なわけですよ。

 中には「天皇はすでに名実ともに権力者ではなくなり、金日成や金正日は権力者として民衆を苦しめている」という人もいるでしょうが、昭和天皇の写真を飾るのは、戦後の存在だけを信仰していたわけではないでしょう。それに北朝鮮も天皇制もどっちもなくなった存在ではない。

 さらにとりわけ中曽根内閣の時代から顕著になっているわけですが、支配層の国民集約、すなわち支配の道具として天皇は戦後も一貫して利用され続けています。それは民主党政権になっても同じです。
 どうも極右派は民主党に対してだけは天皇を利用することが気に入らないようですけどね。自民だ民主だという狭い視点を突き放して大きく見れば、どっちもやってきたことは同じです。

 いずれにせよ(私の立場からすれば)戦前戦後のひとつながりの歴史の中で、天皇の写真を飾って崇め奉るのも、金日成の肖像を飾って崇め奉るのも、どっちもたいして違わない結論になるはずなんです。
 だいたい、今は権力者でないんだから素朴な信仰は認めてやれと言うのなら、死んじゃったスターリンや毛沢東なんて、まだ支配層の一員だった存命中の昭和天皇以上に、究極的に「もう権力者じゃない」わけですからね。それはいいのかという話になる。

 最終的にその時の私はですね、三里塚の時と同じ判断をすることになるわけです。三里塚の農家で天皇の写真を叩き壊したり、素朴な農家のおじいさんやおばあさんを糾弾して天皇制批判の演説をしなかったように、金日成の肖像を叩き壊したり、朝鮮学校の親切なおじさんを糾弾して北朝鮮批判の演説をすることはしなかったのです。

 実際問題として立場上もそんなことできないのはもちろんですが、「したいけど我慢した」のではなくて、どちらの場合も「まっ、いいか」と思ってそのまんまスルーしたわけです。

 写真や肖像を見てからその判断にいたるまで、三里塚の場合0.5秒、朝鮮学校の場合2.3秒といったところか(笑)。まあ、ガキじゃあるまいし、その必要も無いのに「政治的な話を持ち出さない」というのは大人の礼儀としては、イロハのイですからね。どっちの場合も(特に朝鮮学校では)単にそういうマナーの問題にすぎないわけですけども。

支配したいのか?それとも守りたいのか?

 ただしマナーと主義主張は違いますよね。ですから私がその場では天皇制批判や北朝鮮批判の演説をしなかったからといって、普段の主張でこれらを批判したり打倒せよと言うことには何の矛盾もありません。

 さらにこういう礼儀の問題以外に思うのは、特に権力者でも政治活動家でもない、ごく普通の農家のおじいさんや在日のおじさんに対して、いちいちその生活レベルの言動にまで文句をつけて従わせようとするのが正しいことなのかという点です。
 それは「人民のために」だとか「日本を守る」といいながら、要するに運動や組織が、民衆を守るのではなくて、民衆の上に君臨して自分の言うことを聞かせようとする態度に他ならないのではないかということです。

 こういう人たちのタチが悪いのは、そうやって民衆に君臨して支配しようとしているだけなのに、本人さんたちは人民だか民族だか知らないが、そういうもんを守るために身を粉にして「敵」と闘っていると妄想している点ですね。「在特会」もその典型ですが、実はこういう人たちが一番恐い。

 それに比べれば、理想ではなく、自分の私利私欲のために動いている人のほうが100倍マシで安全というものです。ですから、とりわけても、何らかの理想を掲げて運動しているような人は、この点を徹底的に肝に銘じないといけないと思います。自分たちは人民を従わせるために運動しているのか、それとも守るために運動しているのかと。
 考えても見てください。もし、三里塚で天皇の写真を飾っている家を訪問して糾弾・批判していたら、私たちは農民の信頼を勝ち取ることができたでしょうか。

 ひるがえってあなたのやっていることや考えていることはどうですか?民衆を守るという初心を忘れ、ただ従わせようとし、自分と考えの違う人間がすべて「敵」に見えるようになると、やがては自分と違う側の人間を見つけては、三角帽子をかぶらせて通りを引き回したい衝動にかられるようになるものです。

 そういう人は「日本を守る」なんて言わずに、とっとと「日本を支配する」と言えばいい。私はむしろ安倍首相をはじめとするそんな人たちとこそ闘いたいですね。それを「反革命」だの「反日」だの言いたいのなら勝手に言えばいい。何と言われようと私は私です。

基準は人権侵害

 かと言って、「何でもOK」ということにはなりませんよね。いくら自由だと言っても、人を殺して回る自由はありませんし、また、言論・表現の自由は大切だと言っても、他人を差別する自由なんて誰にもありません(→参照)。これらをまとめて言えば、人権(人間の尊厳)を否定する行為は許されないということになると思います。

 私は北朝鮮に反対します。金正日に反対します。打倒すべしという立場に立ちます。それは国籍も国境も関係なく、人権を尊重、擁護すべきだと思うからです。人権の侵害(=人間の尊厳の否定)に反対するのは、内政干渉ではありません。

 ゆえに私は北朝鮮に反対するのと全く同じ理由で、在日の人たちの人権を、国籍も国境も関係なく尊重、擁護し、「在特会」による人間の尊厳の否定を許せないと思います。むしろ日本人とっては、そちらのほうがより身近で大きな問題でしょう。

 もちろん、「在特会」やその支持者にも人権はあります。それは暴力団員にも人権があるのと同じことです。だからと言って、「在特会」や暴力団のやっている「行為」が許される理屈にはなりません。なぜなら、彼ら「在特会」や暴力団の活動そのものが人権を侵害しているからです。その存在を許すことは、かえって彼らの人権を認める思想と矛盾すると知るべきです。

 たとえば在日の方たちの中にだって、いまだに金正日を擁護する人だっているでしょう。私はそういう考えに同意しないし、反対します。しかしそれが何だと言うのでしょうか。たとえばそういう人たちが徒党を組んで、差別でも何でもなく、北朝鮮の人権侵害に反対するだけの集会まで阻止しようとするならば、そういう「行為」には反対します。そのことに民族や国籍は関係ありません。

 が、そうではなく、そもそも最初からある種の人たちを人権擁護の枠から外して考えるような発想は「在特会」と同じレベルに自分を落とすことです。同じレベル、同じ土俵で喧嘩しているにすぎません。そんなのはヤクザの縄張り争いと一緒で、どちらの勢力が勝っても人類史の未来はありません。

 「打倒」や「粉砕」とは、弱者が強者による人権侵害に抵抗する時にのみ許される言葉だと思います。そして「闘い」とは闘いをなくすための手段としてのみ存在するべきであり、究極的には「人による人の支配」をなくそうとする方向においてそれは許されるのだと思っています。

 単に支配者を交代させたり、支配構造を強化するための「闘い」など、どちらを支持することもできません。支配者同士の争いや戦争など問題外です。

社会も民族も常に変化し続けるもの

 さて、体験談に話を戻します。そのうちに、私と同世代の方々の在日のご家庭に何度かお邪魔する機会もありました。この世代になりますと、在日社会でも日本と同じく核家族が主流で、そのお宅もそうでした。

 夫婦ともに在日で子供を朝鮮学校に通わせているような家庭ですが、家に金日成の写真はおろか、見える場所に「北朝鮮グッズ」は一つも置いてないですね。なんかちょっとそれっぽい物を見たいと、冗談半分にさがしてもらったけど出てこなかった(残念)。念のために言っておきますと、拉致問題とかで大騒ぎになる何年も前ですよ。日本のアイドルの写真やアニメのグッズは普通にありましたけど(笑)。

 これは日本人家庭の天皇の写真や、休日に掲げていた日の丸と同じことですね。私も子供の頃は、祝日には喜んで日の丸とか出してましたから。子ども心に「学校がお休みの日の旗」くらいの認識でしたけど。特に都会では、今はほとんど見かけません。

 要するに、料理の献立・冠婚葬祭・親戚つきあい(「親戚」の範囲が異様に広い)以外は、日本の家庭とあんまり変わらない。日本の70年代くらいの感覚でしょうか?冠婚葬祭や法事なんかも、やはり日本の古い農村と同様に種類が多くて大規模(「チェサ」とか言う)なんだけど、それも都会では近年少しずつ簡素化して減ってきているみたいでした。

 さらに夕食をおよばれしながら話していますと、それでもやはり親の世代くらいまでは、それなりのこだわりがあったらしくて、女子高生時代に日本人の彼氏ができた時は、親が猛然と反対して会うのに苦労したとか言う話をお聞きしました。自分たちは同じ朝鮮人同士で結婚したけれど、もう自分の子供に対しては、本人同士が好きならば、相手が日本人でも、それはそれでかまわないと思っているそうです。

 似たような話は複数の方から聞きましたから、どうも私と同年代の方の親の世代までは、日本人との結婚に抵抗感を持っておられ、私と同世代以降はそれはそれで仕方ないと思っておられる方が多いように感じました。実際、すでに在日師弟の結婚相手の過半数は日本人だという統計も見たことがあります。

 あるいは朝鮮民族として生きていて、子供も朝鮮学校に通わせているけれども、日本国籍を取得している純然たる日本人(朝鮮系日本人)もたくさんおられます。最近、すでに朝鮮学校の生徒の過半数は日本人が占めているという話を聞いて驚きました。 大昔なら日本人になったらもう朝鮮民族じゃない、どちらかと言えば裏切り者という風潮さえあったけど、 時代は変わっている。

 政治的には極右派でありつつ、同時に韓国通でもある漫画家の高信太郎さんが言っておられましたが、韓国人と日本人は国民性がよく似ており、他国に移民した場合、世代を重ねるごとにその国に溶け込んでいくスピードが早いのも同じだということらしいです。まあ、まだ第一世代が存命な家庭が残っていたり、できるだけ民族性を維持したいと考えていてもこういう現状ですからね。

 高さんによれば、幾世代を重ねても溶け込まずに独自性を残し続けることができる民族は、せいぜいユダヤ人と華僑くらいのもので、それ以外は良いか悪いかは別にして、どうしても溶け込んでいくものだし、それが自然なんだそうです。まあ、それはそうでしょうね。いろいろな団体の上の方の人たちは頑張っておられるようですけれども、そういう努力にかかわらず、良い悪いは別にして、50年、100年とたっていくうちには、事実としてだんだんとそうなるんでしょうね。

 つまり、日本人と在日と彼らの母国(韓国・朝鮮)の三者の問題について、いろいろな人がいろいろ言っているわけですが、肝要なのは、人間も社会も民族も国も、常に変化し続けているんだということを念頭に置いて考えないといけんと思うのですよ。右翼の人みたいにそれが千年前から未来永劫まで固定的な存在であったかのように観念して、両者の関係を考えていくことはできないと思うのですね。

差別と排外主義さえ乗り越えれば諸問題の解決は容易

 以上の在日の方々との体験談は、通販番組風に言うと「あくまで個人の感想です」。嘘はいっさいありませんが、地域性もあるので固定的に考えてはかえって間違うかもです。逆に統計資料などだけを頼りにして、こういう実情を無視しても間違うと思って公開してみました。何にしても脳内の願望やイデオロギーに合わせて一つのデータに頼ると間違いの元です。ネトウヨさんを笑えません。

 上記はすべて大阪の在日とのおつきあいでの体験なんですが、大学で知り合った京都の在日の方は、またちょっと雰囲気が違ったかもしれません。考えてみれば当たり前のことなんですが、その地域の「県民性」というものが、日本人だけでなくて、ごく普通に在日の方々にもあてはまるようなのです。いずれにせよ、日韓両国とは全く文化や国民性が違う国から見たら、ほとんど小さな違いにすぎないんでしょうけど。

 こうして様々な要因の中で、自然な流れとして変化していくことを前提に、どう上手に舵をきっていくかという観点からも、たとえば定住外国人の参政権問題に対する態度なども決めていかねばならんと考えています。何しろ100年どころか、たった数十年でこれだけの変化があるわけなんですから。

 そして私は、私たちの中にある「在特会」のような民族排外主義や、狭量な国粋主義などさえ克服することができるならば(それが大変なわけなんですが)、いくらでも知恵を出し合うことはできるし、少しも八方ふさがりでもなんでもないと、そういう意味では楽観しているのです。

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  • 私は、金日成と昭和天皇を同一視する事は出来ない。
    昭和天皇は間違いなく侵略者である。金日成は民族主義者ではあるが、侵略者ではない。その前提で話さないと日本人としての歴史総括が出来ていないのではないかと思う。