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対北朝鮮人権運動の全人民化を希求します

 いよいよ大晦日ですが、皆様にはいかがおすごしでしょうか。
 今年もいろいろなことがありましたが、私にとって一番大きなニュースだったのは、仕事の都合で東京に引っ越したことでしょうか。
 実は収入はシャレにならんくらい、がくんと下がりました(泣)。個人的には生活していければそれで不満はないんですが、そこここにお金を送ることができなくなったのがつらい。親にもお金を送ることができないのが一番つらいです。住む所もない人からみたら「贅沢な悩み」に見えるかもしれませんが、自分のことより、他人様への義理を果たせないことや、親を助けてあげられないことのほうがよっぽど辛いものです。来年はこのあたりをなんとかしたいです。

 あと、せっかく東京に来たのだから、今まであまり参加する機会もなかったような場所にも顔をだしてみたい、いろいろ見聞を広めて勉強し、思索や人間の幅を広げられたらなあと、漠然と考えています。たとえば純粋な左派系以外にも、反貧困関係のボランティア活動とか、北朝鮮難民の支援活動とかです。とりわけ北朝鮮関係は、拉致問題が表面化して以降、たとえば靖国護持や歴史修正要求などの右翼が取り仕切っている印象が強すぎて、こういうイデオロギー的な政治思想に同意できない(その仲間だと思われたくない)一般の人間には敷居が高いものになってきました。本来なら、北朝鮮の人権侵害に反対することや、拉致被害者の救援は、左右を問わずに同意できる課題であり、もっと大きな運動になってもいいはずなのに、今ひとつ広がりを欠いています。本当にもったいないことだと思います。

 全民衆的な幅広い同情の存在と、運動の右翼による独占というネジレが、個別日本におけるこの問題の進展を様々に特徴づけてきました。右翼の政治戦略で考えてみれば、今後ともこういう分野から左派・リベラル・中道派を締め出し、自分たちの運動の基盤、新規参加者を獲得する動員源にしておいたほうが得策です。そのせいで参加できずに締め出された人に「北朝鮮はどうしたw」とか言っておけばいいのですから楽ですよね。けど、やっぱりそのせいで広がりを欠いて頭打ちになっているのは事実だと思いますし、本当に北朝鮮の被害者のことをこそ第一に考えるのであれば、それではいけないと思うのですよ。こうして北朝鮮問題への取り組みが広がるどころか狭まっていく中で、人種や国境を越えた普遍的な人権問題として広めていくどころか、その全く逆に、狭量な国粋主義(民族対立・レイシズム・「嫌韓」など)の具に貶めてしまう勢力が培養されてきました。

 これではいけません。これではますます一般の人が参加も賛同もできなくなっていく。そういう構造をなかば意図的に作り出しておきながら、左派も含めた広範に存在する北朝鮮への批判を、極右派は、あたかも自分たちだけが独占して代表しているようなイリュージョンを作り出して政治利用してきたのではないでしょうか。それは左派自身が反省すべき諸点とは別問題として、厳然としてある事実です。

 しかしながら、運動の一部には、本当なら広範な基盤を持っているはずなのに、今ひとつ爆発的な盛り上がりにいたらない現状を反省する人々もでています。とりわけ拉致問題の取り組みへの反省からそういうことを口にする人も多く、チベット支援ではその成果もあって、左派の参加者を多く取り込むことができました。しかしまだこういう流れも一部分にとどまっています。
 私は別に右派の人々が、その主張を取り下げることを要求する気は無いし、第一、右派の人がいくらハードルを下げたり本来の主張を隠してみたところで、彼ら(に限らず特定の政治主張を持つ人々)が広範で全市民的な運動の中心になることはできません。本当なら「右派の統一戦線」と「左派の統一戦線」があって、その上に、それこそ右は鈴木邦男のような極右から、左は世間で過激派扱いされているような「極左」まで、当人が参加しようと思えば誰でも参加できる幅広い「国民戦線」が形成されることが、運動論的に言えば理想ということになるでしょうか。

 そのためには、まず第一段階として、運動が「右翼運動」に閉塞してきた中で、そこを金城湯池として発生・培養されてしまった、いわば鬼っ子としてのレイシズム潮流を、右派の人々がちゃんと排除してくれることが先決です。左派のみならず一般市民として考えても、こういう人たちを間接的にでも応援することはできません。それは欧米で言えば「ネオナチが重要な一角を占める運動」ということであり、そんなものが「全国民的な運動」になるはずもなく、まともな神経を持った人なら応援どころか、かかわりを持つことさえ虫唾が走るというものです。「全国民的」になるということは、日本人のみならず、同時にどこの国、どんな民族や人種の人にとっても、心から同意できる普遍的な内容を持った運動や主張にならなければ絶対に不可能です。全体に占めるパーセンテージで言えば無視できるくらいの人数にすぎない「ネット上でクリック率の高い人」に頼っているようでは、惨敗を喫した麻生さんの二の舞です。

 別の言い方をするならば、最初は右派から言い出して発生したものであっても、ついには左派までも同意して主張・参加するまでくらいにならないと、到底、一般市民の参加など望めないということです。右派の枠内にとどめている限りは、「参加する=右派の人間」ということになるからです。そう思うのでいまいち私だって参加できない。左派でなくてもそういう人は山のようにいるはずなのに。もしすべての勢力が参加する(できる)運動なら、そういうレッテルがつくことなく参加できる。そこに左派や右派がいても関係ない。沖縄の県民大会などの例も参考になると思います。

 たとえば、左派市民運動でも、20数年前に中核派が三里塚闘争をめぐり、運動の内部で暴力をふるった時には、ほとんどの市民運動・反戦運動の大きな枠組からは、極めて短期間に中核派は排除されてしまいました。その後、同派がそういう姿勢を収束させた今にいたるまで、20年以上がたった今でもそうなのです。同派から分裂し、この時の「内ゲバ」について、まがりなりにも自己批判を出した未来派でさえ、未だに各種の統一戦線に復帰しきれない原状があるのです。「在特会」などに対して、右派が同じことができるか、できるとしてもいったいいつまでかかっているのか、それとも「在特会」のような人間こそが右派の本質(本流)にすぎないのか、左派が持っている自浄能力を右派も持っているのかどうか、そういうことに今後の広がりがかかっています。

 だいたい右派の人は、「もちろん幼稚な在特会なんかには同意しないが」と一言だけ枕言葉として置いて、それで自分は免罪された自由な存在と考えている人が多い。しかしながら、左派が20年前の中核派に対して示した迅速な態度と比較してみれば、そんな程度のことですまないのは一目瞭然です。「在特会には同意しない」結構。しかしそんなのは当たり前の前提。それで?ということです。現状では、同意しないだけでは「中立」あるいはもはや「容認」と同じ結果しかもたらしていないと知るべきです。

 そういう点に注目しつつ、来年は北朝鮮関係の集会や催しにも顔をだして、この場でその内容や感じたことなどを、左派の人たちの参考に紹介していきたいと考えています。同時に何よりも、北朝鮮(中国を含む)の人権侵害の被害者の方たちを第一に考え、その心情に寄り添うことができるような、かつ左派独自の立場に立った発想や思考回路を模索していきたいと考えています。

 それでは皆様、よいお年を。

今年最後のクリックお願い

<参考-「四トロ掲示板」での議論より>

レイシズム集団「在特会」と拉致被害者「救出」運動
投稿者:まこと 投稿日:2009年12月22日(火)01時48分23秒

「在特会」と「救う会」の関係を示す一例
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200907221836423 より

>7月18日、その鶴橋を“在日北朝鮮のメッカ”と位置づけ、「在特会」元関西支部長増木重夫氏の率いる救う会・大阪や、「在特会」関係者などが、「許していいのか、北朝鮮の横暴!」と題して署名街宣とデモ行進を鶴橋地区で行った。(略)

>7月18日のこの行動は、「許すな北朝鮮関西デモ実行委員会(実行委員長:西秀士氏 救う会奈良副代表)」の主催で、実行委員事務局は「MASUKI情報デスク(主宰:増木重夫 救う会大阪代表)」となっている。当初、救う会・奈良、救う会・大阪、日本を護る市民の会の共催で、「在特会・関西」、主権回復を目指す会・関西、外国人参政権に反対する市民の会・関西が応援団体となっていた(※1)。しかし、当日の行動では、共催団体から救う会・奈良、「在特会・関西」が外れている。救う会・奈良に関しては、「離脱声明」が出されたようである。(※2

>今回の行動では、救う会と「在特会」の表立った協力はされていないように見える。しかし、中心となっている増木重夫氏(救う会・大阪代表、主権回復を目指す会・関西代表、外国人参政権に反対する市民の会・関西事務局長)は「在特会」元関西支部長である。また、参加者の中に、「在特会」現関西支部長川東大了氏の姿も見られた。つまるところ、この救う会活動には、少なからぬ「在特会」関係者がコミットしていると思われる。(以下略)

最低限の弁護を
投稿者:三浦小太郎 投稿日:2009年12月22日(火)08時19分32秒

これはベリタの記事ですが、一応この件では救う会を弁護しておきますと、増木氏は今は救う会全国協議会からは除名されていると思います。私個人は除名処分には異論がありますけど、それはそれとして、救う会全国協議会のホームページを見ていただくか直接お問合せいただければ、現時点では救う会として認められてはいないと思います。勿論、登録商標じゃないですから、救う会大阪を名乗る事は止められないのかもしれませんが。

ただ、同氏は97年以後、大阪で救う会として頑張って運動してきたことは事実ですし、私も、増木氏が拉致問題が余り世の中で広まっていなかった時期にがんばっていたことは彼の名誉の為にも否定するつもりは全くありません。ただその上で、今は救う会全国協議会とは離れていることは一応指摘しておきます。まあこういう指摘は私がするんではなく全国協議会自身がした方がいいんですけどね。ただ、これはベリタ編集部の方に言うことかもしれませんが、救う会に対し、一応取材はしているのかどうかはちょっと疑問な所もあります。批判するときに、相手が答えるかどうかは別として、ジャーナリズムなら問い合わせや取材はしてもいいんじゃないかと思いますが

救う会は結成当初から私はほんの僅かですがお手伝いしてきましたし、また今でも何か出来ることがあったらしたいと思ってますが、色んな人が関わり、また去っていったことは事実です。そのなかには在特会的な方向に行った人もいます。また、今の救う会支援者と在特会の支援者にはダブル部分も確かにあります。ただ、その上でいいますが、今の救う会(全国協議会に加盟している救う会)が主催している集会において、少なくとも民族差別的な発言、歴史論争などは、勿論左派の方が見ればやはり目に付くのかもしれませんが、主催者なりに気を使っている点もあると思いますよ。むしろ、在日批判や歴史問題(戦後の)とかは守る会の集会の方がよっぽど強いかもしれない。人が来てくれませんので余り話題にならないですけど。

救う会が、「自分たちはあらゆる民族差別主義とは絶縁する」というスローガンでも掲げるというのは一つの手段と思います。私ももうそこまで明確にした方がいいかと思いますけど、救う会が韓国の拉致被害者救出運動を、この日本国内の集会でも常にアピールしてきたこと、今も自由北韓放送という韓国の対北朝鮮民主化運動団体に支援していることは、一応、救う会なりの努力ではないでしょうか。

これは私なりに、まあ一緒にやろうと思っている団体を在特会と同じと思われるとなんなので、まずは最低限の弁護をしておきました。ただ、もっと重要な問題点は別にあると思うので、それはそれでまた改めて書こうと思います。

「救う会」の内紛は外からはどう見えるのか
投稿者:レイシストヲチ 投稿日:2009年12月22日(火)15時04分3秒

はっきりいってどっちもどっちかと。中の人たちの自負がどうあろうと、横田滋氏の「運動のための運動」(『論座』2008年3月号)という身をきるような言葉の前には自省せざるをえなかったはずだ。(そう思わない向きは本当に自己の「運動」のために拉致被害者救出を利用しているだけ)

「救う会大阪」と「救う会全国協」の泥仕合のいったんは大阪のサイトのほうに出ている。除名の手続きがあまりにも悔しかったのか「佐藤勝巳1000万円横領疑惑」をもちだして、外野からみればトホホなどっちもどっちの状態となってからはや数年。

だからたしかにベリタの記事はツッコミがあまい。7.18がかつての「救う会大阪」の中心人物による行動なら、いまだ全国協サイドにいる「救う会奈良」がジグザグするのも当然だろう。

ちなみに「救う会大阪」はまるで鬼の首をとったかのように、横田氏の「運動のための運動」との言葉を全国協批判のために利用している。自分たちはそれにはあてはまらないと思っているようだが、これこそまさに利用主義の典型。

襲撃の映像は英語版で海外にも
投稿者:臨時ニュース 投稿日:2009年12月23日(水)07時28分43秒

2009年12月22日00時08分掲載

社会
在特会の朝鮮学校襲撃に市民社会の批判が広がる  各地で抗議の集会  襲撃の映像は英語版で海外にも

日刊ベリタ
http://www.nikkanberita.com/
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200912220008182

「拉致被害者を救え」という主張自体は
投稿者:三浦小太郎 投稿日:2009年12月23日(水)11時10分35秒

「拉致被害者が家族の元に帰れることを求む」という主張自体は、自民党から共産党まで、また国民・市民レベルではもう極左から極右まで、殆ど異論は実はないと思います。例えば総連の人だって個々人はそう思っているに違いないしね。横田めぐみさんなんてどうなったっていいとか、そんなことを考えている人はまあよっぽどの人でない限りいないでしょう。ただ、そのためにはどうしたらいいかという方法論が違うだけでね。

ですから、その意味では、「拉致被害者を救え」「北朝鮮は拉致被害者を日本にかえせ」という主張自体は、どんな団体でも、どんな主張の持ち主でも使うと思います。そして、それが全て、救う会の運動であると見なされるするなら、それはちょっと救う会としてもかわいそうな気がするんですよ。

ベリタの記事をいくつか読みましたが、ちょっと不公正かなと思うのは、今その人が救う会の中でどのような立場にいるか、また「救う会会員」というのはどういう意味なのか、余り取材はされていないように思われます(事実上救う会に「会員」制度はありません)。今の救う会全国協議会の中で、また現実に加盟している組織の幹事クラスの人が、直接的、間接的にレイシズム運動に関わっているかどうか、そこをきちんと立証してはいないのでは?去っていった人びとや、救出運動のシンパレベルの人の全ての行動に救う会が責任を取るのは難しいと思います。例えば私が平和運動、護憲運動、エコロジー運動など私とは距離がある運動に対し、その中に多少極端なグループや思想を持った人がいたとして、「この運動は彼とあのセクトが関わっているから実は過激で危険な団体だ!」といったとしたら、まともな人からは笑われると思うんですよ。批判するならその運動団体が掲げている思想や論理を批判すればいいので、レッテル貼りは無意味。

ただ、救う会側がそういう動きに対しもっと明確な姿勢を取るべきだというのは最もな事と思います。その上で、もっと重要な問題についてはまた稿を改めて書きます。

レイシズムと拉致被害者「救出」運動
投稿者:まこと 投稿日:2009年12月23日(水)18時57分51秒

レイシズムと拉致被害者「救出」運動は、果たして「いろんな人達がいる」で済まされる程度の関係性なのでしょうか。

「在特会」は件の朝鮮学校への襲撃劇において、朝鮮学校の児童たちを「スパイの子」だと断じました。これは在日朝鮮人を「スパイ」視する眼差しを彼らが有していることを示唆しているわけですが、ここには荒木和博氏などの「土台人」論が影響を与えているのは間違いないでしょう。

また、人脈の面で言うならば、三浦さんも出演されたことがあり、また増元照明氏が司会を務める「拉致問題アワー」を放送している「チャンネル桜」、ここの水島総社長はかつては「在特会」の桜井誠を幾度も出演させているような人物です。というより、水島氏自身もたびたび「チャンネル桜」で在日朝鮮人への偏見や排除を煽っているではありませんか。

さらに、「救う会」の関係者が「在特会」絡みの運動に参画する動きを見せても、「救う会」全国協議会はこれらの運動と明確に一線を画す声明を出すようなことはありません。

大盛況だった朝鮮学校襲撃事件の抗議集会
投稿者:臨時ニュース 投稿日:2009年12月24日(木)07時21分1秒

2009年12月24日00時13分掲載

社会
大盛況だった朝鮮学校襲撃事件の抗議集会  海外を含む市民から激励と賛同のアピールが続々

「日刊ベリタ」
http://www.nikkanberita.com/
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200912240013524

ここは私も最近考えてる所で
投稿者:三浦小太郎 投稿日:2009年12月24日(木)09時52分9秒

まことさんへのご返事です。

実は、最近ある北朝鮮問題などでもちょっとは有名なライターの方と話したんですが、そこで言われたのは、ちょっと自分や三浦の文章、その意図があったかなかったかは別として、レイシズム的なものを補完してるんじゃないかという話になったんです。これは私も確かに最近、もしそうなら考えねばならんかなあと思うときもある。私は朝鮮総連は明確に拉致犯罪や対南工作に関わったと考えていますしそう発言もしています。ただ、だからと言って在日朝鮮人は全てスパイだとか敵だとか言っているつもりはないんですが、そこは一緒にされてるのかもしれない。

まあ、私如きの知名度で人に影響を与えているというのはむしろ傲慢だし、一応、ものを書くとき、「総連批判」「北朝鮮批判」「韓国批判」が、出来るだけ民族差別的なものに繋がらないように努力はしているつもりなんですよ。一応は。それと、私は自分の書いたものを人がどう読むかまでは責任は取れないし。ただそれはそれとして、ちょっと考えさせられはしました。

私がむしろ今問題かなと思うのは、私たちの運動が凄く閉鎖的になってきている感があるんですよ。他の団体の事を言うのはよくないから守る会だけ言うと、ちょっといつも同じ人が集まってくるだけの情況になってる。帰国者問題はもうリアリテイがないんだろうし、まあ左派の人からすればちょっと入りにくかろうとは思う(守る会って来てくれれば旧左翼が中心なのはすぐわかるんだけどねえ)。

しかしそれ以上に、どうも関心をもたれない理由の一つには、やっぱり我々のアピールが余りに内向きで一般の人には分かりにくいことと、左派批判にも意味はあったんだけど、左派やリベラル派との真摯な対話が多分足りないのかと思う。それはこちら側の姿勢にもやはり問題があるのかもしれん。「国民運動」「市民団体」を名乗ってはいるけど、結局特定の姿勢や主張、またある程度の知識を明確に持っている人しか入りにくくなっているのが、今の北朝鮮問題に関わっている運動全体にありはしないかと思います。そして、極端な場合は、もうあそこはどの運動も右翼的であると観られているとか。

ここを是正することは来年の大きなテーマとして私なりに考えていますので、そこはちょっと見ていていただくしかないかと。具体的には、私の運動方針はそろそろ大幅に変えて、少し違う意見や方針を出していかないと、ちょっと立ち行かなくなってますな、わが会は。まあ一番責任があるのは代表の私でしょうけど。

救う会についてこれ以上私が言うのもちょっと大きなお世話かもしれませんが、今、青木理氏というライターが、「世界」に三回連載で救う会運動と家族会について書く予定のようです。私はまだ読んでいませんが、批判は勿論いいんだけど、是非よく取材をして欲しい。私のところにも来てくれればいいんだけどね(笑)

蓮池さんは、色々動いているようだが
投稿者:革命 投稿日:2009年12月24日(木)22時45分12秒

蓮池透さんは、色々動いているようじゃないですか?よく知らないけど。

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  • あけましておめでとうございます。

    >「国民戦線」

    おっしゃりたいことはもちろんわかりますが、フランスの極右政党を思い出しますので、その言葉には抵抗があります...。
    「人民戦線」を希望します。

  • もし時間があるようでしたら、蓮池氏と太田昌国氏の対談が30日にあるみたいだから(旗旗カレンダー参照)行ってみては?私は両氏とは全く違う立場に立ちますが、それはそれで両方の意見を聴き比べるのも必要と思います。まあ、お二人の対談はもう本になっているし、それを大きく超える内容にはならないと思いますけどね・・・

    私の蓮池氏批判は守る会のこのニュースをお読みください
    http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00125
    http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00126

    そのうち石丸次郎氏のご尽力で、某左派系雑誌に脱北者と在日コリアン知識人の対談が掲載されるはず。是非お楽しみに。

    あと全然関係ないけど、草加さんやこのブログの読者は真面目すぎるのか、ロックとかあんまり聞かないんですかね?PANTAというミュージシャンの『オリーブの樹の下で』というアルバムがあるんですけどね、これ絶対皆さん聴いたら泣いてブログで紹介したくなると思うんだけど。「7月のムスターファ」とか「ライラのバラード」とか、絶対感動するはずですよ。宣伝と思われると難ですのでこの程度にしますが、是非お聴きあれ。私も結構適当な事を言う人間ですが、このことは本気にしないと馬鹿をみるであろう。

  • すいません途中で送信しちゃった。
    ロックといってもこのアルバムはアコーステイック・サウンドで、草加さんんのようなフォーク派にも聴きやすいと思う。

    「七月のムスターファ」というのは、たった1人で200人のアメリカ軍と戦い、ついに全身を撃ち抜かれて死んだ14歳の少年のことを歌ったもの。
    彼はフセイン一家の確かクサイの息子で、隠れている所を米軍が襲撃。
    父親も数名の護衛兵も皆斃れたあとも、銃弾がなくなるまで撃ち続け、最後に弾がなくなっても降伏せずに銃を米軍に向けたまま撃たれた。

    イラク戦争やアメリカについての評価は私と草加さんや皆さんとは違う。しかし、この少年が一体1時間何を思いながら、何を見つめながら銃を抱えていたのか、それは政治的な立場とは関係なく、全ての人に重いものを考えさせられる。

  • 三浦さん>

    蓮池さんの、従来の運動や政府に対する批判についてはよくわかるのですが、では現実にどうするのかということになると、北朝鮮との「対話派」と行動を共にするしかないという点について、危うさを感じて蓮池さんの今後を心配しています。
    別の言い方をすれば、蓮池さんの結論に対しては左翼として強い違和感を感じてしまうということです。

    ですが、蓮池さんは政党政派の人間ではないという意味で、あくまでも個人ですから(極右派と行動を共にしていた時代の意見を含め)、政治に翻弄された民衆の意見(叫び)として、左右の政治勢力は、蓮池さんの素朴なレベルでの批判について、真摯な態度で受け止めていくしかないと思っています。

    結局は右翼強硬派と融和派のどちらかしかいないというのは、誰にとっても不幸な気がします。まあ、そんなこと三浦さんに言っても釈迦に説法だし、三浦さんは三浦さんなりに(右の立場から)こういう現状に一石を投じておられるわけで、左の立場からそういう人がいないことにもっと危機感をもつべきだろうと思います。

    ただ、このイベントは行ってみたほうがいいかなとは思っていました。とにかくまずは話を聞かないとね。ですが、今、暇はあるけど金がないんですよ。集会に参加するくらい、たいしてお金はかからんと思われるでしょうが、本気でそれすら危ない。つか、食費がどうこうという状況でして、とにかく、サーバーのレンタル費用とドメインの維持費だけななんとかしたいと思っていますが、今月末には一時的に(?)『旗旗』が表示されなくなる可能性があります。

  • 『オリーブの樹の下で』は持っていますよー. (^▽^)/
    私もすごく感動して、mixi とかメーリングリストでは積極的に紹介や宣伝しました。アルバム発売前に京大西部講堂でのコンサートで「ライラのバラード」を聴きまして、発売後の全国ツアーでは京都・哲学の道「カフェテラッツァ」のコンサートに杏さんと一緒に行きました。ご存知のように、このアルバムはPANTAさんと菊池琢己さんのお二人によるアコースティックユニット『響(ひびき)』名義で発表されたものですが、哲学の道のコンサートでは、お二人からCDにサインまでしてもらいました。

    ただ、あんまり思い入れが強すぎて、かえって書けなかったんですよね。「ライラのバラード」と「7月のムスターファ」は聴きながら、どうしちゃったんだと思うほど涙が止まりませんでした。CDを聴いて、こんなに涙が止まらなかったことは初めてでした。mixi 日記とかなら気軽に宣伝できるけど、なんか「旗旗」の記事だと個人の生活や日常での感想とか、へんにかまえて書きにくくて。赤軍派とか重信さんのことも言及しなきゃいかんような気がして。

    でも、いろいろ巡回してみますと、政治的には全くノンポリ(←この言葉は元々蔑称なんで抵抗感あるんですが)で、パレスチナ解放戦争や、それへの赤軍派の参加について何もしらなかった方々が、「ライラのバラード」に衝撃的に感動して、その歌詞の全文を引用紹介しておられるのを何度もみました。んで、パンタさんや事務所(フライングパブリッシャーズ)も、そういう自然発生的な広がりに、あんまり著作権がどうのみたいな白ける対応はしておられないように思いました。この歌はコードも簡単だし、もっと広めないとと思います。ただちょっと長いんだよね(笑

    せっかく話題をふってもらえたんで、あらためて書いてみようなかな。

  • 流れ流れてここにたどり着きました。

    最近いろいろとネット発言でのストレスがありますけど、
    もみほぐされる感じがいたします。

    思えば、小林よしのり氏が左派言論に疑問を持った始まりが、
    薬害エイズ訴訟での和解だったかの後に、
    原告の多くが左派の別の活動にも参加しだしたことへの疑念から始まったことを思い出しました。
    薬害エイズ原告団の支援者は右も左もなかったはずですが、
    小林氏は、原告団解散後の原告たちの行動を左派の懐柔によるものかもしれないと見えてしまった。
    そこから皆様ご存じのようなネトウヨ発生への道筋が出来てしまった。

    漫画による思想批評という新たな地平を開いた小林氏ですが、
    その代償も大きいと僕は思っています。
    薬害エイズの顛末を見ると、それの裏返しで
    拉致被害者家族関連では、右派がかっちり固めているのではないかとの幼稚な邪推をしてしまいます。
    本当に稚拙な考えですが、言い出さずにはいられなかったものなので、失礼いたしました。

  • 牧田さん>

    小林さんについては、西部さんの影響が大きいのかなと思っています。西部さんの書くものはそれなりに説得力があって、読んでいても面白いですしね。でも、小林さんについては、全然面白くなくなってしまったので途中から読むのをやめました。なんでもかんでも「左翼の陰謀だあ!」という、お手軽なレッテル貼りと陰謀論で片付けてしまうようになり、それ以上つっこんだ内容の吟味がなくなっちゃったもんで、結果として、漫画(エンタメ)としても面白くなくなったんで、自然に読まなくなりました。それから何年もたちましたが、今はどうなってるんすかね?

    あと、薬害エイズの被害者が「左傾化」したり、拉致問題の被害者が「右傾化」するのは、ある意味自然なことだと思いますがね。被害者を利用し、その後ろに隠れて政敵を撃つようなことはやめていただきたいが、被害者を大切にしてその意向をくむことを「懐柔」だのなんだの言われてはかないませんね。気持ちはわからんでもないが、なんでそんな狭苦しい考え方をするんかなあと思います。人権(人間)を大切にするという基盤があれば、薬害被害者も拉致被害者も沖縄民衆も三里塚農民も、みんな同じように救援の対象として考えることができるはず。あっちは応援するがこっちは応援できないというのは、左右の別なく確かにニセモノではあるでしょうね。人権擁護という共通の基盤があれば、あとはその方法論をめぐって対話なり討論なりして(野合ではなく)競っていけばいいことだと思います。

  • お久しぶりです。
    萩原遼氏が天国に旅立ちました。
    萩原氏に対しては様々な評価も、批判もおありと思いますが、朝鮮半島の問題、帰国事業の問題を生涯かけて引き受けようとした人の一人だったと思います。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171225-00050118-yom-ent

    萩原氏はある意味、旧左翼が朝鮮問題にかかわっていく中でのいろいろな矛盾を体現していたようなところがありました。もし未読でしたら、萩原氏の「北朝鮮に消えた友と私の物語」は読んでいただければと思います。

    • 萩原さんとは集会場で一度だけ名刺をいただいたことがあります。
      たしかその時には、北朝鮮監修による朝鮮高生向けの教科書を読め読めとすすめられたことを覚えています(萩原さんを知らない第三者の方に念のために書きますが、もちろん勧めているのではなく、こんなに酷い内容だと知ってほしいという意味です)。

      以下、新旧左翼の朝鮮問題に対する認識の変化について書きましたが、ここで書くようなことでもないので消しました。
      ただ萩原さんが真摯に問題に取り組んでおられたことは、短い邂逅でも一目でわかりました。実生活や運動の中ではすれ違っただけの方ですが、僭越ながらご冥福をお祈りいたします。