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反原発

だまし討ちというほかないテント裁判の結審

by 味岡 修

テント日誌12月4日(木)
経産省前テントひろば1181日商業用原発停止444日

 傍聴席にいた僕は一瞬何が起こったのかわからなかった。多分、多くの傍聴者も同じことだったに違いない。12月3日の法廷で生じた事態である。第9回の口頭弁論は弁護側の申請した亀谷幸子さんの陳述が終わり、村上正敏裁判長は「合議のため5分間の休憩に入ります」と宣言して合議室に消えた。再度、法廷に出てきた裁判長は弁護士の証拠・証人調べ請求を却下した。続いて「今回の法廷で弁論は終結」と宣言、つまり結審をした。このつぶやくような結審の宣言のあと、村上裁判長は逃げるように姿を決した。

 この結審という事態は「早期結審と請求の判決」を要求していた経産省側(国側)の要求にそうものだが、その訴訟指揮はだまし討ち的なものであり、到底容認できることではない。何故なら、裁判長は進行協議において次回の公判として2月26日を決めていたし、弁護側の証拠・証人調べにも一定の採用という態度を示していたからだ。もっともそれは彼の戦術であり、そんなものに騙されるのは「お前たちがお人よしだから」と言われるかもしれない。しかし、裁判長の法廷指揮権が委ねられている以上はフェア(公正)であることを求めるのは当然であり、それは被告の権利でもある。

 弁護団は村上裁判長をはじめ。北嶋典子・伊藤健太郎両裁判官の忌避をした。現在、裁判は進行を停止しているが、裁判が新たな段階に入ったことはたしかだ。この忌避の行方など裁判の見通しをかたることはできないが、今後を見守って欲しい。

◆民事訴訟法第24条1項=裁判の公正を妨げるべき事情があるとき、当事者が、その裁判官を忌避することができる。
◆民事訴訟法第26条=忌避の申立てがあったときは、その申立てについての決定が確定するまで訴訟手続きを停止しなければならない。

 裁判は現在までのところ、ということは12月3日の段階までであるが、9回の口頭弁論を重ねてきた。この間に僕ら(弁護側)はこの経産省前にテント立て、経産省の一角を占拠している行動(行為)についてその目的、手段の正統性について主張をしてきた。国側はこれに耳を傾けることもなく、ということはその主張についての反論も展開せずに、早期の弁論の終結(結審)と判決を要求してきた。彼らにはテントの排除ということがあり、これが訴訟の請求内容であるが、それは一方的なものであることはいうまでもないことである。

 その骨子は「表現の自由は絶対無制限のものではなく、公共の福祉のためには制限を受けること」「また、他人の財産権。管理権を不当に害することは許されない」という点に尽きるのであるが、この公共の福祉ということがテントによる占拠とどう関係するのか、つまりは公共の福祉のため制限という観点と同関連するのかということは何一つ明らかにはされていないのである。

 表現の自由といえども無制限なものではないとする一般的な法例を持ち出してくることで、表現の自由ということに対抗しようとしたのであろうが、これが経産省の進めてきた原発政策や再稼働に反対する行動の目的に対して何ら答えないで、その行為は公共の福祉から制限させるべきと言っているにすぎないのだ。

 彼らの主張の中心は財産権。管理権の侵害であるということであり、そのことを理由としてテントによる占拠の排除である。これは国有地である公共の場所の使用、あるいは使用請求の排除の理由になるのか。この点について彼らの管理権の主張は「他人の財産権、管理権の不当な侵害」ということであり、私有地の論理をそのまま持ってきているだけで、国有地つまりは公共の土地の使用や使用請求に答えるものではない。他人の財産権、管理権と言っても、国のいうならもともと公共のものであり、中でも特殊の場所である経産省前ひろばという性格を無視しているのだ。

 僕らはテントの設置による経産省の土地を占拠してきた。これは法的には占有ということになるが、その主張を法的にも展開してきた。確かに経産省側が「管理権の侵害」ということの繰り返しでそれを排除してきたことは彼らの立場であるとみなせる。しかし、テントによる占拠(占有)にこうした法を適用することは不当であると主張してきたのである。

 この法の適用によるテントの排除ということ、テント行動の目的を関係のない法でもって排除することの不当性は繰り返しいわなければなない。これは国家権力が政治的意思表示の行動に道路交通法などを持ち出すことと同じである。そしてさらに、この法の適用がテント行動にたいしてなされる場合にこれはこちらの法的主張に対応できないものである。それ故に彼らは法廷での弁論などを排除し、ひたすら結審を促すのである。

 彼らにとって法は自己(権力)の意志を実現する手段としてしてしか考えられていないことを暴露している。法は権利であり、国民の意志の表現であり、法的な争いはそこに根拠があり、権力は自己の意志を押し付けるのではなく、法的な争いの場でも権力に異議を唱える部分の見解に対応する義務がるのだ。

 裁判所が弁護側の証人を却下し、弁論を封じるのは法の趣旨に反しているのであり、これに対する対抗として裁判官に対する忌避が提起されたのは当然である。裁判については傍聴記が報告として続くと思うが。見守ってもらいたい。(三上治)

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。