テント裁判第6回口頭弁論(4月23日)での淵上意見書
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意見書 淵上太郎
本意見書は、本件と密接に関連する原発、特に九州電力川内原発の再稼働の問題について述べると同時に、新たに着任された裁判官殿に、被告がどのようなスタンスで本件に臨んでいるのか明らかにしようとするものであります。
1.
本件は、国が所有管理する当該国有地について、被告がこれを不法に占拠しているので、これを直ちに明け渡し、今日までの占有に対して当該土地の路線価による損害賠償を求めるものとなっています。
被告は、本件土地が国有地であるとしても、その有効利用という点では大いに争うところであります。その使用という点で、不法に占有して使用しているのではなく、国民の一人として、2011 年3月の東電福島原発大事故に関連して、止むに止まれぬ政治的・具体的理由のもとで、当該土地にテントを設置するなどして、国民に訴え、国あるいは経済産業省に対して抗議をする、そのような場として使用しているに過ぎないと、考えている次第です。
東電福島原発事故は、世界でもまれに見る大事故であり、3年が過ぎた今日でも事故は引き続いており、なおかつ東電はもとよりその監督官庁も、全く責任を取っていません。我が脱原発テントは2011 年9月来、監督官庁である原発事故に最大の責任を負うべき経産省が管理する当該土地で、大事故の責任を問い、原発推進及びその再稼働に抗議する場、国民的議論の場として2年有余存在してきています。
全国の人々がこのテントに集い、全世界の人々がこのテントに関心を寄せ、脱原発のかけがえのない物理的空間として存在してきたのであります。つい先頃には、チェルノブイリ原発事故の被害者(当時妊娠中で死産されたベラルーシの女性など)もこのテントを訪れており、いわゆる国際貢献にも重要な役割を果たしております。
私たちは、国有地にテントを設けて、無用な騒ぎを起こしているわけではありません。わが国憲法等で保障されている国民的諸権利を行使しているだけであり、東電福島原発大事故がなければ、そもそも存在しなかったものです。
2.
さて原子力規制委員会に審査請求が出されている10 原発17 機の原発のうち、川内原発の1、2号機の適合性審査を優先して進めることが決定されています。優先的に審査をするということは、川内原発が一番先に再稼働に至る可能性が高い、ということでもあります。
適合性審査は、昨年7月に施行された原子力新規制基準に、それぞれの原発が「適合しているか否か」の審査ですが、原子力規制委員会田中委員長は「最終的に審査の合格が出る方向に向かって進めることができるという判断だ」と言うように、一番早く適合性審査を終了し、合格となるということであります。
だが原子力規制委員会の審査なるものは、自らがつくった「新規制基準」に適合しているか、否かを判断するのみです。そして「適合性審査に合格した」ことによって、原発の安全が保障されるものではない、ということを、規制委員会自身が認めているものです。しかも、新規制基準は東電福島事故以後の「最低の基準」であって、それ以上のことは原発事業者が責任をもって更なる安全性を確保・追求すべきである、とされています。つまり万一の原発大事故にあっても、規制委員会は、規制基準に適合しているかどうかの判断をしただけで当該原発の安全性を保障したことはないと、主張することになるのです。
他方、電力事業者は、規制委員会の指導に従い規制基準に適合しているとの審査結果を得たのであり、法的に何ら逸脱していない、と主張するのは火を見るより明らかです。 国は、4月11 日に閣議決定した「エネルギー計画」では、「原子力規制委員会により規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し原子力発電所の再稼働を進める」と公言するものですが、昨年12 月に総合資源エネルギー調査会基本政策分科会が纏めた「エネルギー基本計画に対する意見」(前回陳述書別紙1)の、「原子力規制委員会によって安全性が確認された原子力発電所について再稼動を進める」とあるものを若干修正しています。にもかかわらず、今日までの経過からすれば、政府は「規制基準に適合すると認められた場合=安全」という解釈をあちこちで言い張るでしょう。但し、厳密な意味では、政府としての正式な安全宣言のようなものは出さないはずです。
政府は、安全性の担保はあくまでも、規制委員会にあるとする「逃げ」の体制です。安全性については、全く自信がないからです。そして次には、(安全だから)、再稼働させる、実際のところ、これだけが至上命令ですから、そのために「地元の」理解・協力を得るように、政府として努力する、ということになります。
政府は安全性に関する責任が明確になるような閣議決定などはやらず、野田内閣時代のような4大臣による決定なども行わない、ということになっています。こうした文脈から、再稼働しようというとりわけ川内原発の「安全性」については、誰が、どこの官庁が責任を負うのか全く不明瞭であります。まさか全てを鹿児島県など地方自治体に押しつけるわけでもありますまい。
これでは、東電福島原発事故及びその経緯と全く変わることはありません。国を含めてどこの誰が責任を負うのか全く不明瞭なまま、原発の再稼働が行われるという、世にも不思議な事態が、今、進行しつつあるのです。
3.
結局、原発の再稼働は、法的にも全くの無責任体制のもとにあり、安全性が真に確保されているか否かではないというところに、重要な問題があるのです。
全ては政府=安倍内閣の責任であることは言をまたないのですが、このような無責任体制は絶対にゆるされるべきものではありません。
わがテントは当初から「原発再稼働」に反対して設立されたものであります。そうした中で、再稼働を進めんとする経産省=国=原告がテント等の撤去・立ち退きを求める本訴訟は、本末転倒の問題外であります。
原告は国として恥ずべき訴訟であったとして、自ら本訴訟を取り下げるべきだし、司法は本訴訟を直ちに棄却すべきであります。