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自由と権利(反弾圧)

機動隊は日雇い労働者をサミット警備の練習台にするな!

 今年のG8サミットは洞爺湖での首脳会談をはじめとして各地で開催されますが、公安警察ではこれを奇貨とし、行きがけの駄賃に市民運動などを弾圧してやろうと手ぐすねひいている姿が各地で見え隠れしてきました。

 このご時世で「サミットの警備」と言えば多少のことならなんでも通ると思って大喜びなんでしょうが、不当なものについてはちゃんと監視していかなくてはなりません。仕事がなくなって巨大なる無用の長物と化した公安警察の存在アピールのためだけに、無辜の市民があちこちで逮捕されるような事態が頻発するのではないかと大変に心配しています。

 たとえば今年の1月14には東京の山谷で日雇い・野宿の底辺労働者たちが「反失業デモ」を行ったところ、いつもと違う機動隊の動きが見られ、機動隊の側からデモ隊を積極的に襲撃してこれに抗議した参加者を隊列からゴボウ抜きにし、3名を逮捕するという機動隊の「訓練」が行われました。うち2名はいつものように事後に逮捕容疑をこじつけることすらできず即日に釈放されました。資料として主催者からの抗議声明をエントリーの巻末に転載しておきます。

 ところでこの抗議声明にある通り、公安警察はマスコミの取材に対しこの釈放せざる得なかった2名のデモ参加者について、なんと「(あれは逮捕ではなく)目撃証人として同行を願い聴取したんだ」と冷や汗タラタラで言い訳したそうですが、これは全くの大嘘です。2名は当人の意思に反して機動隊に暴力的に拘束されたのだからこれは「逮捕」です。つまり警察ですら言い訳が不可能な明々白々な機動隊の不当逮捕だったことを公安刑事自身が自白しているのです。残りの1名も釈放された2名と全く同様の状況であったのに、ただ警察のメンツのために、一人だけ留め置いているにすぎません。

 参加した方の証言によると、今回機動隊は、コースに面したすべての路地の入り口に阻止線を張るというデモの警備としては全く意味のない体制を敷いており、初めからG8サミット警備の「練習」ではないかと思ったそうです。デモの後半に機動隊が無意味な挑発を繰り返してわざと現場を大混乱させ、多数のケガ人や逮捕者まで出してしまったことについても全く理解しがたいということでした。

 これで思い出したのは1983年の米レーガン大統領来日の警備に際して、やはり山谷の日雇い労働者たちが事前の「練習台」に使われたことです。たまたま見ていたテレビニュースで「レーガン来日時の警備体制」の話題を報じていたのですが、その時、すでにデモを終え公園で解散集会を開いている日雇い労働者たちに対し、機動隊員が公園にいっせいに突入して日雇い労働者を蹴散らしていく映像が流れました。機動隊の指揮者が白い指揮棒を振り回して大声をあげつつ先頭にたって突入すると、公園の入り口付近で警戒していた女性を含む4,5人の支援ボランティアの人たちが、あっという声をあげる間もなく機動隊の紺色の乱闘服の波に飲み込まれて見えなくなっていく姿を今でもはっきりと覚えています。

 ニュースのアナウンサーは「こういう動きは予行演習的な警備ではないかと一部で批判も出ています」と言ってましたが、そういう声は大きくならなかった。同じことを共産党や社会党(当時)の隊列に対して行ったら目立ちすぎてもっと大きな問題になったでしょう。日雇い・野宿労働者に対する社会的な注目は、当時は今よりさらに低かったため、彼らになら少々のことをしても抗議してくる人が少ないだろうということを見越した上での「訓練」でした。

 80年代当時においてすでに街頭での大規模な大衆的反乱は消滅していましたから、若い隊員たちに「実戦感覚」を身につけさせるにはかっこうの練習台だったわけです。この時には機動隊はガス銃部隊まで投入して「訓練」しました(さすがに命にかかわるので実際には使用しませんでしたが)。おそらく彼らの年代ではガス銃なんて一度も使ったことはないでしょうからね。

 ですから私は前述の山谷労働者逮捕のニュースを聞いた時、「え~!いまだにそんなことやってんのか!」とほとほと驚き、また呆れはてました。時代は進むどころか退歩しています。運動の側はどんどん変化して進んでいるのに、公安警察の頭の中は今でも’69年あたりの冷戦構造で止まったままです。そして現在では通用しないそのアナクロな時代認識を、今の市民運動などに無理やり当てはめて「過激派がくるぞ!」「危険だぁ!」と狼少年のように叫んで一人でむなしく走り回っています(それはネトウヨも同じですが)。そのアナクロさは駅に貼ってある「過激派のアジト摘発に御協力ください」という、もはやプロパガンダ(政治宣伝)として以外には何の意味もなくなった超時代遅れのポスターを見れば一目瞭然ではないですか(こんなもんに税金使うな)。

 いや、まだ昔の公安は、自分たちが相手にしている「過激派」のメンバーの実存が、実はちょっと正義感が旺盛な普通の人間にすぎないことを知っていました。むしろ自分のほうが特殊な人間であるという自覚もあったかもしれない。ところが「過激派」なんて存在しない時代の今の公安は、伝聞情報でしか昔のことを知らないから、何かしら反体制派全般が特殊な人間のように思いこんでいるだけに、本当にたちが悪い人たちばかりになっちゃっているということだろうと思います。

声明】1.14日雇全協反失業総決起集会/デモにおける3名の労働者への弾圧を許さない!

 2008年1月14日、東京・山谷の玉姫公園において、全国の日雇・野宿労働者、支援者の結集のもと、「佐藤満夫さん・山岡強一さん虐殺弾劾!金町一家解体!日雇全協反失業総決起集会・デモ」が開催された。
 この集会・デモは、1984年12月と1986年1月、ともに右翼ヤクザ金町一家の刺客によって生命を絶たれた佐藤満夫さん、山岡強一さんを追悼し、その死にやりかえす決意をかためるとともに、全国各地で闘われた越年の取り組みを報告する場として、実に22年にわたって毎年開催されてきたものである。

 今年は、この間の各地の情勢の厳しさと、それに抗する運動の前進を反映して、昨年をうわまわる250名もの結集で集会がかちとられた。これに対して、警察は多数の私服を配備するとともに、警視庁第6機動隊120名以上の体制でのぞんできた。
 デモ隊は、これに毅然と対峙しながら進んでいったが、デモの後半近く、機動隊の挑発によって労働者の隊列は大混乱におとしいられた。その過程で3名の労働者が連れ去られた。事態の詳細は定かではないが、仲間の救出や機動隊への抗議の過程での弾圧であったことはあきらかである。
 またこの時、なりふりかまわぬ機動隊員の暴力によって、多くの仲間が傷を負い、めがねを破壊され、靴をぬがされるなどの被害をこうむったことも許されるものではない。

 この第6機動隊のデタラメな弾圧・暴行、デモへの公然たる破壊行為は、断固として弾劾されなければならない。非はあきらかに警視庁第6機動隊が負うべきである。これを恥じてか、2名は2時間後には釈放されたが、警察は、2名に関しては何と「目撃証人として同行を願い聴取した」などと、マスコミに言明したという。自らの失策(誤認逮捕)をとりつくろう、卑劣な捏造である。はっきり言っておくが、 2名の仲間は、殴る、蹴るの暴行のあげく連行されたのである。 1月15日現在、1名の労働者はなお公務執行妨害の名のもと、拘束されつづけている。

 警察は、マスコミをつかって、今年7月の北海道洞爺湖G8サミットへ向けて、さかんに「過激派がやってくる」キャンペーンをはりめぐらせている。しかし、暴力的で破壊的なのは、何より警察自身であることを今回の弾圧は満天下にしめした。
 われわれは、今回の弾圧に屈することなく、渋谷をはじめ各地での排除の動きと闘い、昨年来の「生存」と「居住」の権利のための取り組みを、さらにすすめていくだろう。

逮捕した労働者をただちに解放せよ!
警視庁第6機動隊の暴行を許さないぞ!

2008年1月16日
山谷争議団/反失実
山谷労働者福祉会館活動委員会