いや~、ただでさえ筆が遅いのに、ここんとこ体調崩して、おまけに時間もなくて、この文章書くだけで一週間近くかかってしまいました。すでに喜八さんのブログでも下に沈んでしまった記事への、蒸し返し的な反応になってしまって恥ずかしいのですが、せっかくやっとこさの思いで書いたので載せておきます。
去る5月3日に自由と生存のメーデーが開催されました。これは連合や全労連などのメジャー系労組に属さない、独立系労組・派遣・非組織・日雇いなどの有象無象、いわゆるプレカリアートたちの自主的な「インディーズ系メーデー」であり、何よりも退屈な役員や政治家など「偉い人」の演説がない、メーデー本来の姿である「労働者のお祭り騒ぎ」であります。
2004年の小規模な「フリーターメーデー」を起源とし、それから参加者も毎年100人ずつくらい増え続けていましたが、今年は一気に倍増し、沿道からの大量の飛び入り参加を含め、解散地点付近ではついに1000人規模の大集団になりました。さらに今年は札幌・仙台・茨城・東京・松本・名古屋・京都・大阪・広島・福岡・熊本など全国で横断的に開催されたのが特徴です。催しの詳細については公式サイトをご覧ください。動画はこちらです。
このメーデーについては様々な人たちが生き生きとした参加レポートを書いておられます(巻末リンク参照)。その中で違和感と共感を同時に感じたのが喜八さんの参加レポートでした。「右も左もない!」をモットーにしておられる喜八さんは、御本人によれば「50代に近い40代」だそうですから、だいたい私より5歳前後年上の方かと思われます。だから私なんぞは幼少時の記憶の彼方にかすかに残っている(ような気がする)連合赤軍事件以降の、左翼が坂道を転げ落ちて崩壊していく過程を、思春期にかかる多感な頃に見聞きしておられるわけです(と思う)。
喜八さんは大衆から遊離していく過程の左派組織の嫌な面をうんと見せられた上で、それを裏返したにすぎない「右」になることも拒否し、「右も左もない!」と叫んで、理論やドグマ(教条)ではなく、何よりも自己の良心と信念に従って生きておられるわけで、その点では私の姿勢と共通するものであり、尊敬と共感をよせるものです。
さて、そんな喜八さんのレポートは、「右も左もない!」姿勢全開で、見たまま感じたまま「いやー、楽しかった!」参加して「正解でした」「来年以降は友人知人を誘っていきたい」と述べておられます。元気な女性参加者を見ては「やはり日本女性は素晴らしいと、改めて痛感した」と感嘆し、昨今のネット上ではありがちな「左っぽいから」だけで何も考えずに頭から否定みたいな、ヘンテコに偏った姿勢がない素直な感想には好感を持ちました。
なんの偏見もなく素直な目でみたら、「この画期的なデモを成功させた執行部の方々には深い敬意を表します。あなたたちは素晴らしい」というのが正直な感想ではないでしょうか。一方で、デモ出発前の宣言集会には「左翼色が強すぎてヘキエキとしました」とも述べておられます。
ただ総じて何と申しましょうか、やはり喜八さんは「ちょっと古い」と思いました(スマソ!)
もちろん喜八さんが批判する旧来型の左翼はもっと「すごく古い」わけなんですけどね。つまり最初にそういうものに反発して出てきた喜八さんのような世代の考え方も、すでに少し古くなりつつあるんじゃないかと。私は「右も左もない!」ではなくて、「右も左も全部ある!」のほうが楽しいんじゃないかなあと最近は思っているのです。
私も不勉強で、これは四トロ掲示板で教えていただいた歴史なんですけど、まずイラク戦争開戦当時に盛り上がった反戦行動の中で、とにかく「左翼色」を全部消してしまえ、デモはパレードと言い換えろ、シュプレヒコールも組織の赤旗も禁止、ヘルメットなんてとんでもない、みたいな風潮が蔓延。
それはそれで一つの考えですが、とにかくちょっと集会場で旗を出しただけで主催者が血相変えて飛んでくる、デモでも「パレードっぽくない」動きをしたら警察ではなくて主催者に排除されちゃう。そんなふうに参加者をぎゅうぎゅう締め付けておきながら、解散地点では「お巡りさんご苦労さん」と挨拶して帰りましょうみたいなデモが増えてきたわけです。喜八さんの言うことを突き詰めれば結局はこういうデモにならざるを得ません。
一方、今回のインディーズ系メーデーにつながる「サウンドデモ」というのは、こういう締め付けの強い「市民ぶりっこ」に反発して嫌気がさした無党派部分を中心に広まっていった動きなんです。つまりそこでの争点というのは「右も左もない」というようなことではなくて、左であろうが右であろうが、組織(主催者)の締め付けや大衆利用主義、囲い込み、主催者の統制などに対して、「もう沢山だ!」「お巡りさんありがとうじゃねえ!お上にたてついて何が悪い!」ということだったわけです。
やがてそれがプレカリアートの運動に表現形態として結びつき、定着していったわけですが、まあ、貧乏系とサウンド系はお互いに共感しあうところがあって、人脈的にもかなり交流があっただろうと思っています。そんな底辺の若者を中心とした運動が「左翼色が強くなる」のは当たり前です。それをいけないことだという喜八さんの主張はとても窮屈(統制的)で、やはり一段階古いと思う。(→「サウンドデモ」をめぐる論争から)
喜八さんの「来年以降はもっと『右も左もない!』という雰囲気になればいいですね。いや、そうしたいと思います」という感想(こだわり)は、こういう歴史的な経緯を無視して、また統制の時代に戻ろうというものに聞こえます。私はそれが左派組織であれ右翼であれ市民(ぶりっこ)主義者であれ、思ったことや言いたいことも言えないような統制は嫌いです。喜八さんの意図とは逆に、それは「お行儀のよい」場所にせよというに等しい。私はもっとごちゃごちゃにメジャー系からは相手にされなかったり、居場所がなかったり、「その他」に分類されてしまうような、もちろんドがつくくらいの左翼を含めた有象無象がいっぱい来ればいいと思う。
そういう人が安心して来れるからこそ「楽しい」場所なんだと思うわけです。まあ、こないだの名古屋チベットデモみたいに、本物の「ノンポリ」さんたちが、一日限りの意志表示として主催しているようなデモも「あり」だと思いますけど、それは運動側が「狙って」やるもんじゃないと思う。狙った瞬間にニセモノなんじゃないでしょうか。
つまり、左派的な大衆運動の中でさえ、左翼(組織)が嫌われてしまった理由は、主張が右とか左とかいうことよりも、その大衆運動タダ乗り主義、利用主義や、民衆のエネルギーを自分たちの運動の枠内に都合よく押し込めようとする統制、つまりセクト的な運動の引き回しや囲い込みにあるのではないのでしょうか?
とにかく「左だから(理屈ぬきに)ダメ」「それでは大衆に受け入れられない」というのなら、共産党の志位委員長の国会質問がネット上で爆発的な支持を受けた理由を説明できません。本当の意味で「右も左もない」と言いたいのであれば、それは「右も左もなんにもなし」ということではなく、むしろ「右も左も何でもあり」というほうが自由で楽しくていいと思うのです。そうでなければ窮屈すぎます。
あと、少しつっこんでおきますと、喜八さんは
ところで、デモといえば警察による警備がよく話題になります。 たしかに私の見聞からも「過剰警備」ということは言えそうです。 でも(「デモ」の駄洒落ではありません)、そうなったのには歴史的背景もあるのでしょう(ここでは触れませんが)。 私(喜八)の見たところでは、大部分(99%以上)の警察官は黙々と職務を遂行していました。 なかには相当に親切な感じの警官もいました。 それらの方々には素直に「お疲れさまです」と言いたいですね。
と書いておられますが、これも歴史的な経緯を無視していると思います。警察が「黙々と職務を遂行」するようになったのはこの1、2年のことであり、それは、それこそデモ主催者が苦労して勝ち取ってきたものです。
だいたいこのデモの人数がどんどん増え始め、誰の目にも今後発展しそうな注目株だと思われたのが3年くらい前です。すると警察はその翌年には、今まで都内でさんざんに行われてきたサウンドデモを突然に「違法だ」と手の平を返して主催者に通告してきました。
もちろん法律が改正されたわけでもなんでもありません。そしてデモがはじまるや、先頭のサウンドカーを100人以上で取り囲んでDJを逮捕し、おまけにサウンドシステムごとトラックを「押収」してしまったのです。その時の一部始終の映像がこちらに残っています。力ずくの暴力で押さえ込まれた屈辱感の上に「サウンドの無いサウンドデモ」です。その時の参加者の悔しさや惨めな気持ちがわかるでしょう。
繰り返しますが、それまで都内でサウンドデモなんてさんざんに行われています。そして一度も違法なんて言われたことはありません。法律も条例も変わっていません。このメーデーにしたところが、平穏に終わったその前年と全く同じ形式で行われていたのです。なぜ去年は合法だったものが、今年は突然に違法になるのですか。それは警察がこのメーデーを「大きくならんうちに、ここらでちょっとヤキいれとくか」と思ったからだけではないのでしょうか。
さらに映像でも映っていると思いますが、機動隊の指揮車(というか、これじゃ右翼の宣伝カーです)がデモにぴったりと張り付いて、サウンドカーの音楽が聞こえなくなるような大音響でひっきりなしに「市民のみなさん、ほら、デモが迷惑をかけていますよ」みたいなことを言い続け、デモ隊に対して詰問・命令口調で「右に曲がりなさい」「次の角は左に曲がりなさい。曲がり方は…」と、まるでデモ隊が違法行進でもしているかのような言い方を続けていますよね。
これ、私もやられたことがある警察の常套手段の一つですが、デモコールも聞こえない大音響で実際に真横でやられてごらんなさい、本当に悔しくて、めちゃくちゃ腹たちますよ。きっと喜八さんでも絶対に腹立つと思う。別にデモが気に入らないのはいいんだけれど、そんなことは非番の日に右翼の特攻服着て職を賭けてやれと言いたい。そしたら根性だけは認めますよ。
デモに対して賛成・反対とかの意見の違いではなく、絶対に安全な場所から、絶対に反撃してこれない相手に向かって、権力をカサにきた弱いものイジメとしてやるのが許せないのです。それでもデモ隊は文句も言わずに従っているではないですか。
今年みたいに平穏に行われたのは、この後に主催者が泣き寝入りせず、あらゆる法的・道義的な責任追及を徹底的に行い、さらに警察とも粘り強い交渉を行ってきたからです。逮捕されたDJさんの救援会も立ち上げられ、裁判所にサウンドカーの「押収」は違法だと抗告したら、警察が審理される前にあわてて返却してきました。抗議行動が広がり、かえって運動が大きくなってしまったところで、やっと警察も引いたのです。
こういう主催者の粘り強い努力、そして過剰警備(つうか、はっきりした弾圧です)を行えば、警察でも収拾がつかない大混乱になりかねないくらいの大人数が集まるようになったこと、弾圧すれば反撃があって運動が大きくなっちゃうこと、そんなこんなで運動が広がって、警察に「有無をいわせぬ」くらいになったからこそ「黙々と職務を遂行」するようになったのであって、ここにくるまでは本当に大きな大きな苦労や犠牲があったのです。主催者に敬意を表するなら、そういうところも見てあげないといけないと思う。
さらに喜八さんは、警察を批判するのであれば
市民が政治家とともに「上からの警察改革」を狙うのが現実的ではないでしょうか(「市民のための警察」を実現する改革。真面目に働く警察官が報われる改革)。
と書いておられますが、実はすでに警察(および検察)官僚のトップクラスの上層部にいけばいくほど、比較的にリベラルな考えの人間がわりといるのです。警察関係に強いジャーナリストの魚住昭さんは、私が聞いた講演会の中で、警察庁の「トップ3以内の役職の人」が、卒業式の君が代斉唱に反対していた教員が逮捕されたことに関して、「あれのどこが『事件』なんですか」「現場が石原都知事にゴマすりしただけのこと」と、思想弾圧であると言わんばかりに非常な不快感を表明していたエピソードを紹介しておられます。
また、社民党の辻元さんが逮捕された時にも、最後まで検察トップの中では「この事例で逮捕したら『社民党弾圧』と言われても仕方がなくなるではないか」として反対する声が大きかったことが報道されています。いわばあの逮捕は反対の声を押し切って強行されたものだったわけです。
魚住さんが言うに、警察の中の「みんな逮捕しちゃえばいいんだよ」みたいな滅茶苦茶な人は急に出てきたんじゃなくて、昔からずっといたんだと、でも一方で、それを押さえてある程度のところまで戻す力(穏健派)が警察の内部にもあってバランスをとっていたのだと。しかし今では、(私が思うに小泉さん登場以降くらいから)こういう無茶な人を抑える力が警察の中で弱まってしまい、上記のサウンドデモ弾圧みたいなことをする人が一方的に暴走できるようになっていると言うのです。
「そりゃおかしい」ということが内部であろうが上層部であろうが言えなくなっている。それは警察だけではなく、外務省をはじめとする中央省庁でもおしなべてそうで、いわば「穏健派」が駆逐されて強硬派ばかりが幅をきかせているのがここ数年の現状なんだと。つまりことは警察だけの問題だけでなく、政治や社会全体を変えていかないといけない。
喜八さんは『わが罪はつねにわが前にあり』という、元警視監が書かれた本を読まれましたか?警視監とは警視総監に次ぐNo.2の地位です。その人の意見が全く通らずに改革なんてできなかったという本です。最近でこそ警察の裏金作りが全国いたる所で行われている現状や、法を無視した違法な捜査や取調べが(やっと)明るみに出て、政府も「警察改革委員会」とやらを作らざるを得なくなりましたが、それよりずっと以前に、この問題を改革しようとしたトップがいたのです。
Amazonの書評には「この本は、いかに改革が難しいか(特に内部からの)を物語る名著」なんてありますが、まさにそうで、「改革」は上からではなく、まさに下から暴露・指弾された時にだけ、彼らは重い腰をあげるのです。だいたい軍隊と警察(特に公安)というのは、予算でも「聖域」扱いで、とりわけその「出」つまり使い道は公にしなくてもいいし、それが当然みたいにされてきました。防衛利権もそうですが、こういうところでは必ず腐敗や不正が渦巻くのです。
ところで喜八さんが左翼アレルギーになった一番の原点は、連合赤軍事件だそうです。(→「鈴木邦男さんの「内ゲバ」論」)だいたい喜八さん以前の年代の「ちょっと生意気なガキ」というのは、おおむね左がかったことを言っていたわけですよね。それが今は右がかったことを言っているだけの話なのですが、私はその間に挟まれたいわゆる「シラケ世代」→「新人類」とか言われた年代であります。
そんな私の年代の左派にとっての「連赤事件」なんて、「はあ?10万人規模の人が左翼運動にかかわった中で、その中のほんの20人だか30人だかの人が、大昔にそういう事件をおこしたこともあったそうですね。小さかったのでよく憶えてませんが、それが何か?」という感じで、よくも悪くも熱くは語れない。やはり「しらけた」目で見てるんですよね。
だからねー、自分より上の世代の左翼がなんで“あんなもの”にいつまでもこだわっているのか、さっぱりわからなかったです。いわば普通の仏教徒が「オウム事件」にこだわって「仏教は正しいのだろうか」なんて悩んでいるような感じにしか見えなかった。不思議に思ったり、失礼ながら滑稽にさえ見えました。
まあ、そんな簡単なものでもないかなと最近は思ってきていますが、それも「左翼」というよりは「人間」という存在そのものに関して考えることが多いような気がしています。この手の事件は何も左翼の専売特許ではなくて、古今東西の様々な運動でおこっていることですしね。左翼がそれを乗り越えられなかった問題としてあると思います。
まあ、私のいた党派(戦旗・共産同)は、70年安保にはちょっと遅れて参加できなかった年代の人々を、70年安保では左翼組織の嫌な面を見せられて失望した人々が組織化して出来上がったような党派でした。だから「左翼はこのままではイカン」みたいな問題意識を持ちやすい党派でしたね。
ただ「このままではイカン」と考える人はだいたいが「今までの左翼の否定」みたいな発想になるんだけど、それが喜八さんとは逆の「新左翼運動の立て直し」という、いわば「原点に戻ろう」というか、左翼肯定の方向に行って、実際、新左翼党派が崩壊か良くても横ばいの80年代において、唯一倍々ゲーム的に勢力を伸ばしていました。私はちょうどその頃に参加していたんですよね。そのあたりで喜八さんとは問題意識は同じだけど、方向は逆みたいになる面があるのかもしれません。
考えてみれば、「内ゲバ主義反対」を掲げた第四インター派が、倍々ゲームどころじゃない、爆発的に伸びた時期がありますが、それも内ゲバにのめりこんでしまった新左翼主流の中核派に対して、「権力の不正と実力で闘う」「人民内部からの反対意見には討論で対応するべき」という新左翼の原点に戻ったところが受けたのだろうと思うのです。それがなんか、最終的に「今までの左翼の否定」路線にまで行ってしまった所で組織的にふるわなくなっていった(と私には思える)。やはり人間なんでも「迷ったら原点に戻ってそこから考えてみる」ことは大切なんだろうなあと、単純に「人生訓」として思うわけです(ホンマに余談やったな)。
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コメントを見る
草加さん、こんばんは。
弊ブログ記事を紹介いただきまして有難うございます。
先日、コメントを残したつもりだったのですが、ちゃんと書き込めていなかったようです(汗)。
改めて御礼を申し上げます。
今後ともヨロシクお願いします。