名護市長選の結果を受けた平野官房長官の「地元が合意しなくても法的措置」発言には怒りがおさまりません。
たとえ新基地建設容認派の立場に立って考えてみたとしても、よりによってこの選挙結果が出た直後になんということを言うのか!と。暴言以外のなにものでもない。およそ彼の眼中には「民意」というファクターが最初からない。あまりにも権力的かつ暴力的な発言。
平野官房長官への抗議先
●郵送で
〒100-8982
東京都千代田区永田町2-1-2衆議院第2議員会館330号室
●電話で
TEL/03(3581)5111(内7330)
●FAXで
FAX/03(3502)5025
●インターネットで(HPから意見を送信できます)
http://www.hhirano.jp/opinion.html
よく新基地建設派は「金はくれてやるから我慢しろ」みたいなことを言いますが、自民党の「地元振興策」は地域の人々の役にはあまりたたず、ついには不況のどん底に叩き込まれる中で、先の総選挙では沖縄の全選挙区で新基地建設反対派候補が当選しました。
名護市長選では今まで、新基地建設派候補は基地問題の争点化を徹底して避け、景気や地元振興を訴える作戦で過去の選挙を制してきたわけですが、だいたいこういう作戦を取らざるを得ないところに、建設反対の民意が圧倒的であることが示されています。そして今回はついにそれでも勝てないところまできたのです。
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ちょっと自分の身になって考えてみてくださいよ、自分や家族・親戚・友人が失業している時に、地元振興ばっかり訴える候補より、基地反対を訴える候補に投票するんですから、たとえ僅差であってもこれはものすごいこと、並々ならぬ強固な民意の現われなんだと知るべきです。
つまり実際の票差以上に、沖縄の民意は圧倒的に新基地反対だと考えるべきです。そしてその怒りは、何かしらの理屈やイデオロギーに基づくものではないんです。自分たちがおかれた現実からくる素朴な怒りなんです。ついに沖縄自民党でさえ「新基地反対」を打ち出すにいたったという現実がそれを示している。
だいたい「県外・国外移設」なんて議論はもちろんのこと、「もうこれ以上は新しい基地はいらない」とか、「せめて普天間飛行場だけでも返してほしい」というのは、安保体制の維持という主張とすら必ずしも矛盾しません。
だいたい新基地を作ってくれないなら普天間も返さないという根拠は、米軍再編による世界戦略上、そうしないと都合が悪くなるという理屈からです。つまり米軍が中東を含むアジアに睨みをきかせるために必要だからという話であって、そんなの「日本の防衛」とは関係のない論理です。
沖縄の米軍が今までしてきたことは、ベトナムやイラクへの侵攻のように、他国に侵攻するための踏み台として沖縄を使い、日本はその侵攻に主体的に協力してきたのであって、事実として過去も現在も、米軍は日本を守るために機能してきたのではありません。
もちろん、そのせいで日本も他国から攻撃されにくくなるという議論も理屈としては成り立つかもしれませんが、それは単なる副産物にすぎないという冷静な現状認識は必要です。だって米軍はその副産物のために日本にいるのではないのですから。
基地容認派の皆さんはそういう副産物ほしさのために用心棒のみかじめ料を払い続け、米軍の侵攻にポチのように従順に全面協力することの道義的な責任の是非はもちろんのこと、そのことによってかえって他国の民衆を敵に回したり、攻撃や憎しみの対象になってしまうという点も含め、そのリスクの是非を検討していかなくてはならないでしょう。
基本的に現在の米軍は、事実として他国からの攻撃の対処のためではなく、歴史的にも主に他国を攻撃・侵略するために客観的には存在しているわけですから、それ(侵略)に協力するべきかどうかが基地問題についての主要な争点です。
百歩譲って「協力するべきだ」という結論に達したとしましょうよ。その場合でも、どこまでどのように協力してあげるかは、私たちが自由に決めるべきことなんではないんですか?なんでそれをアメリカが勝手に決めて、日本はそれに従わざるをえないんだなんて理屈になるんでしょうか?
こっちは米軍に協力してあげてるのに、なんで「それでは足りまへんなぁ、普天間を返してやると言ったのも、考えなおさなあきまへん」なんて、悪代官みたいなことを言われなくてはならんのか。そしてそれにビビッて「そんなあ……」と涙目で震え上がり、右往左往している我が政府。なんという屈辱!
冷静に考えてもみてください。日常生活におけるごく普通の感覚で考えても、そういう関係を私たちは「友人」とは言わないはず。普通はヤクザの「親分子分」の関係とか、「パシリ」とか言っているはずです。もしこれが自分の子供だったら「そんなの友達でもなんでもないから、さっさと縁をきれ!」と言いませんか?
米軍の言い草は、ジャイアンがのび太に何かを要求する時にだけ「心の友よ」って言うのと同じ。本当に友人だったら、どうしても普天間を返してくれと言われても、「今までありがとう、これからもよろしくね」くらいは言えるでしょう。
民主党の一部からちらほらもれてくる「安保の見直し」は、こういう「親分子分の関係に基づく米軍の世界戦略への協力」という安保の本音を、「友人同士の関係に基づく日本の防衛問題」という元々の建前に戻そう、あるいはそういう建前にすぎないものを、安保体制の本質だと理解しているがゆえの発想だと考えれば、非常にわかりやすいのではないでしょうか。
それも(できるだけ良く解釈してあげれば)本来の保守の立場からする善意の一つだとも言えますが、アメリカはそんな綺麗な建前でものを考えてなんていません。もっとドロドロした本音の利害で動いている。それを理解して、日本政府も毅然とした態度を示さないといけないと思います。保守なら保守でかまわんから、せめて保守らしく、アメリカの子分ではなく日本人の立場で動いてほしいものです。
麻生政権時代に反麻生の声が大きくなってきた時、困った右派の一部(主にネトウヨ系)の連中が、「麻生さんに反対するならそれに代わる人を提示しないと無責任(=批判してはいけない)」というレトリックを発明したことがあります。精一杯、論理的に中立を装っても、考えるまでもなくこれは「麻生さんは正しいんだから政権交代を言うのは無責任」と言う麻生全面擁護の屁理屈だとすぐにわかる。
つか、だいたい政治家でもなんでもない普通の国民が、政治に意見や注文を言うのに、なんでいちいちそんな枠をはめられなあかんねんという話であって、あんまりアホらしいので、これに乗せられる人はいなくて、主に彼らの内部で流通しただけの理屈でしたけど、これを簡単に評すれば「おいおい、逆ギレかよ(爆笑)」ということ。
これと全く同じレトリックで、沖縄の犠牲に対する批判や同情の高まりに対して逆ギレし、「アメリカが納得しない(本音=「安保が維持できない」)じゃないかぁ!」と叫び、だから、安保体制(の副産物)にかわるものまで専門的に明示しない限り最初から批判してはいけない。沖縄には金をくれてやるから黙って我慢しろ。それが嫌なら「反日(=戦前の「非国民」の言い換え)認定」してやるといういう人がいます。まあ一見しただけでもめちゃくちゃな話なんですが、本当にそうでしょうか。
80年代、欧州でソ連とアメリカが巡航核ミサイルの配備合戦を演じて緊張が高まり、レーガンがソ連の脅威をガナリたてた時、欧州の人はこれに同意するどころかとうとう怒り出して「おまいら、どっちもいい加減にしろ!」ということになり、空前の規模で全世界的な反核闘争がまきおこりました。欧州では多くの基地が民衆に包囲されていった。
ところがその後、ソ連はとっとと自壊し、実はすでに脅威どころか軍事体制もボロボロだったことが今では判明している。おそらくアメリカなどは当時から知っていたでしょう。旧ソ連や東欧が自壊したのは戦争で負けたからではなく、存在が反人民的だから崩壊したのです。ようするに前述のネトウヨ諸氏のレトリックも、選択を迫る視点がレーガン並で出発点からして間違っている。
つか私たちと判断のステージが違うのでかみ合わないですな。これは余談になるけど、もし本当にソ連が「左翼」だと言うなら、この民衆の声の高まりを支持・連帯し、アメリカの脅威なんぞと言わずに、一方的に核ミサイルを撤去するという政治を打ってきたはず。
北朝鮮の核武装をやめろと大きな顔で言う人がいます。どころか、その政権を締め付けて崩壊させよと言う人もいます。そんなことが言える根拠は何か。それもこれもすべて自分たちが核は絶対に持たず、人権の擁護を掲げ、国家権力のために(北朝鮮の人々をも含めた)すべての民衆を犠牲にすることは許されないと考えること、それを自分たちの社会の原理する総意が存在しているからこそです。
その前提に立つとき、はじめて堂々と北朝鮮を否定することができる。つまり北朝鮮とはそもそもステージが違うから批判できる。その原理を否定して北朝鮮と同じ土俵に乗ったのでは批判の根拠が失われて、単なるヤクザの縄張り争いになってしまいます。この原理に立ち切ることこそが私たちの選択肢であり、これはソ連の崩壊、東欧革命で正しさは実践されていると考えます。
一方で、米軍に加えて日本も核を持つというなら、かつての米ソ核軍拡競争のような、危うい冷戦時代に後退することになる。その競争に勝つためなら、民衆に犠牲が出ることもやむをえないという論理です。こういう古臭いカビの生えた色眼鏡をかけている人の目には、この軍拡競争に「どっちもいい加減にしろ!」と素朴な悲鳴をあげる民衆が、「向こう側(敵)」の人間に見えるようですが、問題はそんな「どちらの味方」ということではない。
この人権派と軍拡競争(縄張り争い)派のどちらの道を選ぶのかというのが、問題の議論にあたって一番最初に問われる本当の選択肢。それ以外の具体的な議論はその次の問題なのです。
こういう現実に対して、某ネトウヨさんが、四トロ掲示板に平野発言を擁護する投稿をされました。それに対するレスを書きはじめたのですが、この方は(今回の投稿ではなく)過去に出入り禁止をくらっているのにそれを無視して投稿されたようで、それにレスすることは管理人さんへのマナー上もできませんし、当然にすぐに削除されました。
そのことに後から気がつき、上のエントリにまとめ直したのですが、せっかく書いたので、エントリ本文とかぶらない範囲で原文の一部もここに掲載しておきます。また、本文にある平野さんへの抗議先は、同掲示板に茶畑進さんが「もちろん、地元選出の民主党国会議員へのはたらきかけも重要だと思います」という一文とともに紹介していただいたものです。謹んで引用させていただきました。
■恣意的判断?
これはちょっとびっくりです。だいたい法律的にどっかの誰かの「専権事項」の場合(たとえば特定の外国人の入国を許可するか否かとか)、「これは××の専権事項であるから、恣意的判断でない限りは異議を申し述べることはできない」というふうに法的には構成されるのが普通です。それを政府が地元を無視して恣意的に決定できるとか、それに地元は反対することができないとは。
恣意的というのは、まず第一には動機が不純、目的が不当というのがあると思います。これに、手段が非道、結果が過酷などを加えてもいいかもしれない。一言でいって、いくら専権事項であるからといって、勝手気ままになんでもやっていい(恣意的判断をしてもいい)ということではない。普通はそんな酷いことはしない(はず)なので、決定の政策的な妥当性を争う余地がある場合にも、専権事項とされるとなかなかこれを覆すのが難しいということになります。
ところが、××さんの意見(と平野官房長官の発言)は、昔、公安私服刑事が私に言い放った、「そうとも、俺たちは権力だ。権力があるんだから何をしてもいいんだ。お前たちウジムシの言うことなんて聞く必要はないんだ」という言葉と大差がありません。「金をくれてやるんだから文句言うな」ですむはずもない。なんで沖縄の人が平野発言に怒っているのか、そのポイントがわかっていない。
煎じ詰めれば、その発想の中に「民意」というファクターが全くない。政府高官の話として「強行すれば、成田闘争のようになってしまう」という発言が報道されましたが、この発言のほうが、××さんよりよほど今回の問題の肝がわかっている。
だいたい恣意的判断が許されるのであれば、国会の専権事項である選挙区の区割りについて、裁判所で違憲判断を下す余地があるはずもない。違憲立法審査なんて成り立たない。一方、手続きが間違っている場合は違憲も専権もくそもない全くの違法行為。
(後はエントリの文章とかぶるので略
◇自民党政治の残滓としての「平野官房長官」(インターネット新聞JANJAN)
◇官邸よ、地に足をつけて民意を尊重すべし(保坂展人のどこどこ日記)
◇米国の意図が読めない鳩山首相の外交オンチ(天木直人のブログ)
◇美ら海に基地はいらない(壊れる前に…)
◇【転載】平野官房長官への抗議文(広島瀬戸内新聞ニュース)
◇民意に真摯に向き合わずして何が民主政治か!(大脇道場)
◇平野の民意軽視発言のナゾ+小沢関連(日本がアブナイ!)
◇正体の見えた「労組ゴロ」、平野官房長官を更迭せよ(ジャッカルの目)
◇なんだかなあ、平野(痛みに耐えるのはこれからだ)
◇ヒラの官房長官・・脱力もの(偏西風にのって)
◇「アメリカとの合意は守るが、地元との約束はいらない」平野官房長官は米国高官か?(ブログで情報交換)
◇お読みください。1月31日の日曜版(ときどき日記)
◇名護市長選結果を受けた官房長官の「斟酌する理由ない」発言に市民反発(どこへ行く、日本)
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ども、こんにちは☆
私は米軍基地in沖縄容認派なわけですが、平野官房長官の最近の発言には「はぁ!?」とさせられる事が多すぎてこの人の脳みその中をはかりかねております。
マニフェストの撤回や変更にあれだけ「民意だから」と国民を利用しておいて今度は一転「そんなの関係ねぇ!!(小島よしおふうに)」とは、何それと言いたくもなるわけで。言うにしてももう少し言い方ってもんがあるでしょうによ、と思わずTVにツッコミ入れてみたり。
経歴を見てもどのへんに政治思想の軸足置いている人なのかピンと来ないなあ。
RRさん>
まあ、要するに体質的に政治家つーより、官僚なんじゃないですか?
民間の大労組出身者(いわゆる労働貴族)にはたまにいますよ。
軸足もくそもない。労組のくせに、自分たちの身分のためなら平気で派遣切りにも協力しちゃうタイプ。
まあ、組織の中だけならそういう官僚でも意外に通用するというか、かえって出世しちゃうんでしょうが、同じことを政府でやってるだけなんじゃないかなあ。仲間内からは重宝されるが、絶対にリーダーにはなれず、敵からは尊敬されない。
左派からは総スカンだし、右派に支持されるほどでもないし、一般からは何を考えているのかよくわからないし、目立たないし、コツコツ地味に真面目に毅然としている風でもないし・・・
あげくに「官房長官じゃなくて傍観長官」とか言われて、いざ口を開けばこれだし。
なんか、ずっと旧民社党の議員を輩出してきた松下労組の出身らしいが。
こいつ切らないと、参院選は危ないんじゃんじゃないかと、余計なお世話ながら思ってしまいますよ。
官僚。なるほど得心しました。
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