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会員日記

新型コロナウィルスについて思うこと~政治への不信が不安を増大させている

by 味岡 修

悲観論に傾く心情へ

 テレビでは新型コロナウィルスによる肺炎の世界的な広がりの問題を繰り返し報じている。この過剰という報道ぶりにうんざりというところもあるのだが、そうは言っても目を離せない。報道で事態の本当のことを知り、不安感を解消したいのだが、不安感は徐々に深まっている。

 この新型コロナウィルスの感染と症状については楽観論と悲観論があり、僕は楽観論であって欲しいと思ってきた。楽観論に何となしに組みしたい心理が働いていたのだと思う。新型コロナウィルスが中国で発生し、身近な問題というよりは自分には遠い存在だと思ってきたこともあると言えようか。でも、最近、どちらかというと悲観論に傾いている。

 暖かくなったら収まっていくのではないかという楽観論で収まってくれればいいのだが、僕の見方は悲観論に傾斜している。これは意外と身近なところにやってくることかもしれないと思い始めていることでもある。

 もとより、新型コロナウィルスのことはわからないし、僕の判断はテレビや新聞などで手に入れた知識で素人の判断に過ぎないことは十二分に分かっている。信頼できる専門家(医療)の診断というか、評価が欲しい。信頼できる専門家の診断(科学的判断)が欲しいが、これについては誰を信頼していいのかわからない。

 友人に専門家がいて見解をメールでいただいた。それを読んでホットしたのは事実だが、彼の見解はどちらかというと楽観論で、悲観的意識が強まってきている今はもう少し突っ込んだものが欲しいと思っている。ただ、新型コロナウィルスによる肺炎についての認識(診断)や対応については政治権力の問題があり、それへの不信があって、僕の不安をより強めているのかも知れない。

データ隠しや改ざんがあまりに頻繁で…

 いうまでもなく、新型コロナウィルスは中国(武漢)で発生した。その性格や病状、また対処方法を仕切ってきたのは中国政府である。僕は中国政府の発表などは信用してはいない。日本の政府筋も同じである。それは中国と日本の権力に同じような不信があるからだ。本当のことを発表し、伝えるはずがないという不信があるからだ。

 例えば、日本の政府は新型コロナウィルスの感染や広がりがオリンピックに関わるような事態になれば、本当のことを隠し、操作を施した発表をするかもしれない。そんな馬鹿なことをするはずがないと思うかもしれないが、僕はそうではないと考えている。福島事故への科学的対処でなく、オリンピックのために復興を掲げ臆面もなく語っていることは一つの例だ。

 国会では「桜問題」の質疑が続いており、安倍首相はそれにしびれをきらし、「質問が非生産的」で、「意味のない質問だ」とヤジを飛ばし、混乱を助長させている。確かに、国会での質疑は政府がやろうとしている政治政策をめぐって行われるべきだろう。それが、本来の姿であろう。けれども、そうでない事態を生み出しているのは政府を含めた現在の政治のあり方に起因するのである。これはデーター偽装などの政治的不正が蔓延していることでなどをあげれば明瞭なことだ。

 例えば辺野古基地建設において地盤調査のデーター(工事の根拠覆す実測価)を伏したまま工事をすすめていることがある。同じように敦賀原発では原電が原発の下に「活断層」があるというデーター(地質データー)の書き換えをやっている。これらはほんの一例だが、こうした不正が蔓延している。それが明るみに出る時、人々は衝撃を受けるが、反応がマヒしてしまうほど頻繁な事態になっている。

 いうまでもなく、「森友・加計」学園問題の疑惑とそれへの対応はその象徴と言っていいのであり、桜疑惑もそうである。何らかの政策の是非の以前の政治が腐っているということである。政治家が倫理やモラルを失っているとも言えるし、政治が最低限の規範を失っているともいえる。

 だから、新型コロナウィルスについても正確な事実でなく、改竄したデーターを公表するかもしれないと疑ってかかることに根拠があるのだ。不正行為を自分たちの都合のために恥じらいもなくやるということを政治がやれば、社会にもそれは蔓延する。それが現在の事態である。

政治のあり方でコロナへの不安が加速

 こういう政治(権力)の存在の批判は権力がどのような政策を行うかということの批判と違って難しい。こういうことを容認する構造ができているからだ。これを糺して行くことに困難を感じ、下手をするとニヒルな心的状態に置かれることになりかねない。ニヒルな心的状態に陥りがちな中で、腐って行く政治と闘わなければならないのは困難なことだ。

 新型コロナウィルスの今後に僕が悲観的な気分になるには、それを押さえこんで行くことに困難性があるのではと予測していることもあるが、現在の政治のありようも関係している。現在の政治は新型コロナウィルスの広がりに伴う不安を加速させる契機になっているのだ。これは中国だけのことではない。

(三上治 2/9記)

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。