何にでも真正面からお返事すると長文になってしまうのは当然のことですが、言葉は悪いけれども時には軽く流すことも必要かと思います。私にはなかなかそれができない(能力がない)ので、こうして「もはやレスではない」超長文になったり、時間的にそんなものを書く余裕がない時は極度の「レス不精」になってしまいます。今回もやってしまって、そんな両極端というのもちょっとどうかと自分でも思いますが、よろしければおつきあい願います。
>なによりも残念なのは、いわゆる「左派」に共感する人たちが、いわゆる「保守」の人たちには少しでも共通しそうなところがあれば賞賛する一方で、他の左派勢力に対してはいくらでも非難する材料を見つけてきて熱心に強調する、ということです。
>共産党と新社会党がいくつもの地方選挙で共闘し、国政や県議会レベルの選挙でも個々に協力しているケースもまた、いくつもあります。こうした積み重ねが、しばしば共産党に近い立場からの発言ではほとんど考慮されず、新社会党への敵意を露わにした言葉ばかりが並べられることには、しばしば悲しい思いをしております。
共産党への指摘にとどまらず、まさに左翼全体にとって耳の痛い話ですね。保守や右翼とは思想を超えて仲良くなれる人でも、こと同じ左翼内で考えの違う人とは激しく罵倒しあう・・・よく聞く話ですね。いわゆる「近親憎悪」ってやつですかね。そうなってしまう心情もわからないことはないですよね。ただ、現在的に保守の発言でも評価できるようになったのは、単に自分が弱ってふらふらになっているから、保守の人がちょっといいことを言ったら、それにさえ飛びついているだけの話だと思いますがね。もっと元気なときは「欺瞞だ!だまされるな」くらいの勢いだったのに、病気の時に受けた情けは身にしみるよねみたいな(笑)。それはともかく、旧来の左翼にありがちな体質ということで考えてみました。そこでは近親憎悪みたいな感情的なこと以外にも、いくつか政治的な理由も考えられます。
◆共産党にとっての新左翼体験のトラウマ
まる・いさんのおっしゃる「支持層はある程度重なるし、票をあまり持っていないし、共闘する相手としてあまり魅力がない」そして「社民党や共産党とあまり違いはないじゃないか、と常々言われている状況で、綱領で他党との考え方の違いを明示するのはむしろ必要なこと」というのは、実は共産党から見れば新左翼とも共通する特徴なんですね。
その新左翼(主にブントについてですが)は登場当時、共産党中央からさんざんに統制された若い党員たちが、ついに新党をたちあげて独立したという経緯をたどっています。そしてそれに共感する部分が大量にそこに合流し、非常に短期間で成長していった。まさしくなだれをうつようにです。そのため、組織体制も資金も規模の急拡大に全くついていけず、そのことがあとからボディブローのように効いてくるわけですが、それはまあ別の話で、ともかく、その最初の数ヶ月は共産党中央にとって肝が凍りつくような思いだったと思う。その後も、彼らにしてみれば「共産党にくるべき人々がだまされて」、最初から共産党を素通りして新左翼に大量に流れていった。これはもう、徹底的に批判して、潰してしまわないといけない、断固として潰す、あらゆる手段で潰す、こと新左翼を潰すということについては絶対にあいまいな態度はとらない。共産党がそう考えたのも政治的なリアリズムとしては「正しい」組織戦術だったのかもしれません。
また、新左翼側も共産党に対して妥協的な態度をとらなかった。そんなあいまいな態度ではおそらく潰されていたかもしれませんし、新左翼にとって共産党は、「左翼の理想をおろして敵と妥協した裏切り者」で、現象的には自分たちが分派でも、その旗は自分たちこそが継承して裏切り者の元から持って出たと思っていますからね。そういう文字とおりの近親憎悪があった。そこにもってきて、どうしても「他党との考え方の違いを明示」する必要がありますから、共産党を批判して、自分たちの違いを示し、「社共総評などではなく、自分たちの潮流にこそ結集せよ」という流れになる。そして特に登場初期においては、それに一定成功してきたという体験もある。もともとが非妥協的なレーニン主義の体質にプラスして、さらにこういった関係性が日本の左翼文化の土壌を決定していく。
だから大昔の新左翼系のビラを読みますと、だいたいその最初の枕か最後の締あたりに、社共両党に対する批判がある。やつらを支持しても勝利はないからこっちに来なさいというわけです。これは党派によってかなり濃淡が違いますが、とりわけ「他党派解体路線」のカクマルなどは、権力と闘うよりもせっせと共産党批判ばかりしている特異な体質の党派(現場的には右翼となんら変わらない)でした。それで「共産党の新左翼批判」といえば、この新左翼の中では極めて特殊なカクマルの論調をもって、新左翼全体を代表させることがしばしばです。まあ、はっきり言ってそれは読者の無知につけこんだデマに近いと思いますけどね。
◆共産党自身がやってきたこと
これは特に京都でよく聞かされる話なんですが、かつては(つーても大昔ですが)社会党の牙城だった京都が、いつのまにか共産党の拠点になっている。その経過で社会党の人はいつも「ひさしを貸して母屋をとられた!」といっていたわけです。社会党は革新共闘のために共産党と組み続け、居場所を与えてそれなりに気も使ったわけですけど、それは主流派政治というよりも、単にお人よしで貫徹力がなかっただけかもしれませんね。共闘というのはその中でどちらがよく闘うのかを競うという側面から見れば、本来の意味での正しい党派闘争の形態こそが共闘だと思うのです。そして社会党はその党派闘争に負けただけのことです。いつのまにか、京都の社会党はすごく小さくなって、共産党に全部地盤をとられてしまった。そういう体験的な反発もあって、京都の社会党内部は右派がすごく強い地区になっちゃった。
もちろん、社会党を敵の側に追いやってしまった共産党の側も批判されるべきで、やはりそこにも主流派政治という観点はまったくない。まずは「正しい主張」を掲げて、敵か味方かを選別し、敵と選別したらあとは徹底的に叩くのみ。そういう少数派根性の政治を打っているようにしか見えません。社会党はこれに有効に反論して競わなかったし、お互いに批判しあいながらも、自民党に対しては共に闘うという豊かな関係を、どちらの党も作れなかった。
共産党のやり方は、これもまた政治的なリアリズムとしては正しかったのかもしれませんが、いつまでもそういう発想しかもっていないと周辺からは嫌われて近親憎悪を拡大再生産し続けてしまう。新左翼並みに小さくてあまり相手にしてもらえない時代は、それくらいのトンガリ具合でちょうどいいと思いますが、やはりどこかの時点でそういう政治からは脱却しないといけない。共産党は過去の成功体験や失敗体験にとらわれて、そういう視点を失ってしまったように思えます。しかしいつまでたってもそういうトンガリ体質の党に国政をゆだねるなんて恐くてとてもできません。
昔の共産党と社会党の関係を考えてみれば、まさしく今の新社会党と共産党との関係はそのミニチュア版だといえます。そして共産党は昔の社会党ほど甘くはない。絶対に「ひさしを貸す」ことはしない。そういうことだと思います。むしろどちらかといえば、小さいうちに潰してしまいたいくらいの(本当に潰しにかかるとは思いませんが)気分でいると思います。現在の社民党にとってもそう。自分たちにとっては何のメリットもないですからね。ただしある程度、新社会党が地方議員などを抱えて基礎票が読める地域では、これを取り込むメリットがあるので、調子よくそこでだけは共闘するということでしょう。この場合は実は少数派の新社会党のほうが多数派の社共にひさしを貸しているからこそ成り立っている関係なのです。ただしそれもまた本来の意味での共闘ではなく、単に切羽詰った少数派同士がやむなく手を組んでいるにすぎないように見えます。
◆新社会党にのぞむこと
つまりですね、一言でいって「どちらかが伸びれば他方が沈む」という左翼内部での陣取り合戦になっちゃうんですよ。本当は保守支持層からぶんどってくるのが理想ですが、小さいうちは支持層が閉鎖的になりがちですから、一定は仕方がない面もある。そして共産党はそういう陣取り合戦で勝ちあがってきた経験も、手痛い目にあわされた経験も蓄積しているということです。経験や歴史性を世代を超えて蓄積しうるというのは、党にとって非常に大切な資質ではあるんですがね。あと、それに加えて前のエントリーで書きましたが、「諸要求貫徹」路線でゆるく「共産党系」の囲いを作ってきたので、その囲いの中に他人を入れるようなまねは絶対にできない運動構造ということもあるのでしょう。
こういうにっちもさっちもいかない関係に今はある。これを突破する方法は一つだけ。新社会党自身が無視し得ない力をつけることです。まず組織本体を拡大し、「新社会党系」と言いうるような潮流を作り出すこと。それと、共闘関係の拡大ですが、これも国会に議席をもつ政党ではなく、市民運動などの在野勢力との関係を豊富化していくこと。これは「すでにやってる」とおっしゃるかもしれないけど、運動圏で新社会党って、そんなに特別評判がいいわけでもないですよ。とにかく共闘すればいいってんでは、昔の社会党と変わらないし、あるいは新社会党が共産党なみに大きくなった時に、今の共産党みたいな意味でのリアリズムに陥らないなんて保障は見えません。つまり私みたいな人間にとっては、新社会党が「仲間」だという意識が希薄なんです。
これは内情を知らないので想像にすぎませんが、昔の社会党の成功体験の一部(全国の少数派を束ねて可視化させる)とその手法を引きずっているのかなと思っています。選挙の時期になると、社会党の議員さんが5分くらいずつこういう団体や人々の間を駆け足で挨拶まわりとかしてましたよね。共に社会を作り変えていく仲間というより、「支持者」としか見られてないなというのが見え見えでした。そういう意味ではどうせ大労組より優先順位は低いだろうしね。もし新社会党にいくつかの大労組の支持がついたとして、そこと喧嘩してでも筋を通す根性が新社会党にあるかといえば、「どうせないだろうな」という目で見られているのでは?まあ、リアリズム的にはそれが正しいのかもしれませんし、新社会党に限らず議会主義政党の共通した弱点ではあると思うのですが。それに筋を通せばどうせ「左傾化」とか言ってまるで悪いことみたいにマスコミからは叩かれまくるんだろうし。
ただね、なんというか、共産党なり民主集中性をいくら批判しても、それだけでは「負け犬の遠吠え」なんですよ。党を名乗るからにはね。じゃあ自分たちは何を作ろうとしているのか、共産党とは違う実践を作り上げて、わかりやすくそれを見せてもらわないといけません。綱領や言葉で示すことも大切ですが、やはり直感的に目で見てそれがわかるというのが大切です。口では何とでも言えますからね。まずは党内の関係からです。次は共闘関係の中で、そして周辺、やがては全国に。右派から批判される際にも、社民党や共産党とは違う、新社会党独自の批判を受けるくらいになって一人前ですよ。共産党(宮本顕治派)は議席ゼロの地平から、内容の是非は別にしてまがりなりにもそれを作ってきたということはあると思う。そういう路線的な貫徹力は必要です。
外の人間として新社会党に望むことは、ぶら下がりや利用ではない、仲間としての共闘関係の構築と共に、そこでの路線的貫徹力があるのか、少数派としてのトンガリや、場所に応じては余裕のある主流派政治が打てるのか、あるいは党内でどういう豊かな関係を作っているのかを見せてほしい。単に「ゆるい」とか「何でもあり」みたいに党派性がないことをもってして、共産党(民主集中制)に対するアンチや違いを語ってもしょうがないと思います。また、逆に誠意をもって仲間として接しようとするあまりに、共闘関係や市民運動の中に党が溶解してしまい、党派的な貫徹力が喪失してしまうのもよくある話でしたが、それでもいけない。確かに「仲間」として良好な関係は保てるでしょうが、いくら「わが党は市民運動を内部から支えている」と胸をはったところで、それは単に都合がいい存在というだけで、親しまれてはいても尊敬されはしない。最終的にそういう党に自己を賭けてみようなんてことは誰も思いません。大労組に対するだけでなく、市民運動とだって時には「筋を通して嫌われる」覚悟は必要です。第一そういう「ゆるい」組織のエライさんが、官僚化しないかと言えば全然そんなことはないわけで、むしろ守旧化することのほうが多いんではないでしょうかね。
もちろん、今回のまる・いさんのコメントの核心は、「いわゆる『左派』に共感する人たちが、いわゆる『保守』の人たちには少しでも共通しそうなところがあれば賞賛する一方で、他の左派勢力に対してはいくらでも非難する材料を見つけてきて熱心に強調する」という部分と、「共産党に近い立場からの発言では(せっかく現実に行われている共闘の積み重ねが)ほとんど考慮されず、新社会党への敵意を露わにした言葉ばかりが並べられることには、しばしば悲しい思いをしております」の部分の二つです。ですから、私のこういうお返事は、まる・いさんにとっては心外だったりピントはずれに見える点もあると思います。そういう意味ではお詫びしておきたいと思います。ですがこれも「そう言わずにお互いに頑張りましょう」という期待の表明と解釈していただければ幸いです。
今「方法は一つだけ」と書きましたが、もう一つ思いつきました。社民党や共産党が衰退を続けて、新社会党と同じくらいかそれよりも小さい勢力になっちゃうことです。そうしたら新左翼系とさえも共闘の芽がでてくるでしょう。むしろこちらのほうがリアルな話に感じられるのが恐いですね(笑)。まあ、幸いにも共産党も新社会党も共に党員は増加傾向に転じたそうですが、実際にはもうそこまでいっちゃわないとわからないんでしょうね。新左翼系もここまで衰退してから、やっといろいろ気がついて風通しもよくなり、すごく面白くなってきているわけですから。だから社共も長い目でみれば、実はいったんそうなったほうがいいのかもしれないとさえ思いますね。
追記:一番大切なことを書くのを忘れていました!「いつも勉強させていただいています」なんて、たとえお世辞や社交辞令でもやめてくれー!好き勝手なことをほざいていることに、いつも多少の後ろめたさを感じています。その上こんなこと言われたら、もう恐ろしくて何も書けまへん(笑
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お返事ありがとうございました。いろいろ、考える材料がまたできて、弱小政党を応援する励みにもなりました。「追記」についてですが、面白いな、いろいろまた考えてみよう、と思ったときによくああいう書き方をする癖があるようです。あまり硬い意味で使っているつもりはないのですが、ちょっと構えた言い方になってしまっているようなので、気をつけないといけないな、と思っています。
現在、また母屋を貸す状態になろうとしていることもあって、母屋の件やトンガリと余裕の使い方など、私にとっては目新しい見方で、ひとまず納得して読みました。具体的な事柄も含めて改めて近いうちに、草加さんのご意見をもとに新たに考えたことをまとめてみたいと思っています。とりあえず新社会党には、出来ないのにうまく立ち回ろうとしたがる点は改善して欲しいな、と思っています。これも社会党時代の「成功体験」に引きずられているのかもしれません。