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天皇制

三島由紀夫の天皇論の独特さについて

by 味岡 修

師走も国会も「パッとしない」毎日だが

 経産省周辺というか、国会も含めた霞が関一帯では樹木の紅葉が日々鮮やかさをましている。普通は年末の慌ただしさがそこに加わってもいるのだが、今年なそうはなっていない。ここにきてコロナ感染者の急増が影をなげかけているのだろうか。電車は結構,混んでいるのだが、忘年会の取りやめという話が多いように、何となく沈んだ気分が浸透しているのだ。

 いつの間にか国会は終盤近くなってきているが、こちらもさえないというか、低迷というか、パッとしない。
 今頃になって「桜の見る会」の疑惑が表ざたになっているが、なるほど安倍が黒川検事総長にこだわったことも見えてきた。安倍は検察人事などに介入しながら、国会では嘘の答弁を繰り返していたのだが、これではまともな国会審議など行われるはずはなかったのだ。

 その国会がまともに取り上げずにきた原発が再稼働も含めて動きを激しくしている。菅が脱炭素社会に引っ掛けて原発推進を語ったことが背景にあるが、無責任な話だ。安倍政権は議員立法として出された「原発ゼロ法案」を凍結したまま、議論もせずにきたが、突然のごとくに原発推進を言い出したのだからである。原発新設の話まで飛び交う始末だ。今の再稼働状況をみて、原発新設などできると思っているのか。

 地上イージス建設が直ぐに行き詰ったことを見ても、原発新設など容易にできるはずがないのだ。原発をめぐる動きに注目しているが、僕らは、いま、この十年の闘いが試されているともいえるわけで、気分を新たにして、原発再稼働などに対して行きたいと思っている。

今年は三島自決から50年なのだ

 11月24日は「月例祈祷会―死者の裁き」があるので、出掛けてきたが、祈祷会を主催する日本祈祷団の面々が三島由紀夫に関心を示しているのが、僕には興味深かった。ちょうどその翌日が三島由紀夫の自刃から50年目ということもあるのだし、最近、その関連で三島由紀夫のことが話題になっているのだから、当然のことと言うべきなのかもしれない。
 僕も三島由紀夫には深い関心をよせてきた、だから、彼等が三島由紀夫のことに興味を持ち、ある種のシンパシーを抱くのは当然で、驚くことではないというべきなのだろう、と思う。僕は三島由紀夫について自分なりに考えて来たことの一端を話した。

三島事件(1970年)出典:ルートヴィヒ白鳥王 Twitter

 ふりかえれば、三島由紀夫の50年目の行動に驚きと深い衝撃を受けながら、それは時代錯誤的な、滑稽な行為であるという印象は変ってはいない。自衛隊にでかけ憲法の改正を提起したこと、割腹自殺と言うべき行為が明確な主張として僕らに届くような内容を持ってなかったことは当時も、今も変わらない。「文化概念としての天皇」というのが今一つ明瞭ではないのだが、その防衛と市ヶ谷での行動がどういう関連にあるのかも明瞭ではない。

 ただ、三島由紀夫が、戦後の体制というか、社会に空虚を感じ、いら立ちを持ち、それゆえに、批判的だったことは、僕らと共通の基盤にあると感ずるところはあった、独占資本制社会、というか社会の高度化と政治体制の成熟に疎外感を持ち、その感覚や意識が反体制。反権力の意識として出て来ることの共通性と言ってもよかった。ただ、戦後の体制や社会に対する批判の立ち位置というか、その社会を超えるビジョンは三島と僕では違ったし、それは今でも変わらない。

「文化概念としての天皇」論への疑問

 三島由紀夫の戦後の体制と社会に対する危機感としては日本の文化が失われていくということにあった。これは戦後が喪失しつつあるものと言ってもよかった。ここで彼は「文化としての天皇」ということを提起し、その防衛を提示した。これは『文化防衛論』としてあらわされてもいるが、僕からは疑問の多いものだった。

 日本文化というのは日本人の精神状態(精神の存在様式)だが、その体現した存在が天皇であり、三島の文化概念として天皇である。これは日本列島の中で生まれた文化であり、雅とか美とかいう言葉で示されるが、日本人の政治的。社会的共同体を超えた日本人の共同の意識であり。政治的・社会的な共同意識を包み込むものであり、永続的なものだというのが三島の天皇論だった。

 だが日本列島の住民の生んだ文化というのは長い時間を持ち、天皇が文化の体現者と言うなら、その場合の文化はあまりにも時間(歴史)が浅い。日本文化はもっと長い歴史(時間)と広い空間の中にあり、天皇が体現するのはその一部に過ぎない。沖縄と天皇ということを考えてもいいが、天皇が日本文化の体現者であるというのは近代の神話に過ぎない。

 そして、また。国家主権、天皇統治という国体概念としての天皇、つまりは戦前の天皇は何だったということが問題になる。自由と民主制を抑圧する天皇(天皇制)とはそれがナショナリズムの体現者であれば、それは何かということになる。

 国家統治の主体としての天皇は戦争の推力になり、非民主的な統治(超権力的な統治)の役割を果たした。戦争と非民主的統治の主体となった天皇は戦後にその反省から、非政治化されて象徴になった。これを天皇は「現人神」から人間宣言をすることで現わした。三島は人間宣言をした天皇を批判するわけだから、その「文化概念としての天皇」は戦前の国体下の天皇の復権をいうことになったのだろうか。

「官僚天皇制」批判からの独特の論理

 戦後の右翼や保守主義者が敗戦によって失った日本的なものとは国体であり、天皇が国家主権者であったのが日本だというのはよく知られた話だ。三島由紀夫はそういう右翼とみなされてもよいし、そういう側面がある。

陸軍兵を統監する昭和天皇裕仁(1940年)出典:ジャパンアーカイブス

 ただ、三島の天皇論が独特なのは、戦前の国体下の天皇は官僚が関与することで歪められたものであり、官僚天皇制ということで批判している。軍や官僚が統治のために利用したのであり、彼の言う「文化概念」としての天皇とは違うという側面を指摘する。ここは三島の天皇論の独特の性格と言えるが、彼はここのところを本当は突き詰めてはいない。

 彼の「文化概念としての天皇」は政治や社会の共同性を超えるものであり、それを包括するものだという。これは三島が天皇に与えた幻想であり、天皇に持った幻想であるが、天皇が政治権力から遠ざけられながら、存続してきたことに対する解釈に過ぎないと思う。権威と権力が二重化して存在してきた、我が国の国家構成(国家構造)の問題であって、天皇が政治権力を包括する超越的で永続的な存在などではありえない、それは歴史に反することである。

 天皇は政治権力(官僚)に権威として利用されてあり、その利用形態は時代によってかわるのである。権力と権威を分離し存続させるというのは我が国の国家構成としてあり続けてきたものだし、天皇はそれによくはまったというにすぎない。現在の国家の最大の問題である、戦争や非民主的統治(強権的統治)を解決しえるものを、天皇や天皇制が持たないことは明瞭である。三島のいう雅や美としての天皇などはそんな存在ではない。

三島は天皇の中に「自由」をみたのか

 三島由紀夫が「文化防衛論」で提起した天皇論は右翼思想の系譜にあると言えるが、独特のところもあった。その意味では面白かったが、矛盾の多い問題だった。明治維新を成し遂げた権力が日本の国家構成として天皇や天皇制を据えたことは謎めいたところも多いが、なかなか議論の尽きないところだ。

 戦後世代としてのぼくらは天皇や天皇制には関心が薄く、それに関心をいだくようになるのは、1970年前後からであり、それには三島由紀夫の「文化防衛論」や市谷での行動が大きかった。僕はあれから、天皇や天皇制について、また三島由紀夫についての探究をしてきたが、三島の市谷での行動から50年近くを経た今、また三島に対する関心が高まっているのは何故か、と考える。

三島由紀夫VS東大全共闘-50年目の真実」より

 三島は「文化概念の天皇」を提起し、東大全共闘のメンバーの主催する会に出掛けてきて、「諸君が天皇陛下万歳といえば合流する」と言ったことをあらためて考える。これは僕の解釈だが、三島は何故、天皇にこだわったのか、それが日本文化の根源だという事も含めて、三島は自由という事の希求があったのだのでは推測する。これは想像だし、三島の僕等に与えて来たものを考えてのことだが、そんなことを考える。

 三島とって天皇とは自由の理念的存在ではなかったのか。これは僕の仮説ということになるが、作家としての三島に自由へのこだわりがあり、それは天皇論と不可欠に結びついていたのだと思う。僕にとって天皇は自由の概念との対立存在ではある。特に国体概念の根底をなした天皇という存在は自由と対立する。

 その意味で僕の三島への違和感は消し難くあるのだが、三島は自由と天皇を同一的なものと考えようとしたことを検討してみたい、と思っている。

三上治(味岡修)※文中見出しは旗旗でつけました。

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<参考>現代右翼の研究-『情況』秋号の特集から

ルネサンス研究所12月定例研究会(転載者:草加耕助)

■ 日時:2020年12月8日(火)
 18:00時開場、18:30開始

■ 会場:専修大学神田校舎7号館8階782教室
 東京都千代田区神田神保町3-8
 https://www.senshu-u.ac.jp/access.html

■ 資料代:500円

■ 報告
1 概説 アジア主義の源流から現代右翼まで 横山茂彦
2 ネット右翼 横山
3 日本会議の実像 大谷浩幸(『年誌』編集委員)
4 三島由紀夫の市ヶ谷蹶起の深層・最新の研究から 横山
※議論を中心に進めます。

 今回は、最新号で「現代右翼」を特集した雑誌『情況』(2020.10月号)とのタイアップ企画です。「右翼」と聞いて私たちが真っ先に思い浮かべるのは、今秋に退陣した安倍政権とその取り巻きたち。『正論』や『月刊Hanada』とか『月刊WiLL』などに書いている「右翼文化人」たち。さらには「ネトウヨ」と称される匿名・実名入り乱れてのネット上での炎上。ついには在日外国人や声を上げる女性たち、政府の歴史認識を批判する人たちを口汚く罵り脅迫する排外主義右翼のヘイトスピーチなど。ろくなものではありません。

 屈従的な日米地位協定を放置したままアメリカからの兵器爆買いの要求に屈する国、10年前の原発事故を忘れて原発再稼働に突き進む国、TPPやRCEPで自国の農業をさらに衰退させる国、「インバウンド効果」を狙って貴重な自然環境や景観を外資に売り渡す国。これが現在の日本です。これに腹を立て闘う右翼が大挙して出てこないのが私たちには不思議で仕方ありません。今、日本の右翼はどうなっているのか? イチから学んでみましょう。

 また、去る11月25日は、作家の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけて割腹自殺を遂げてから50年でした。そこで作家の横山茂彦さんに三島を取り巻くイデオロギー状況についても語っていただきます。

※新型コロナ・ウイルスの再度の蔓延が指摘されています。マスクの着用を必ずお願いします。会場の換気を心がけますので部屋が寒くなります。防寒対策も併せてお願いします。

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。