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頭の中には何もうかんでこない。寒くて眠れない。朝がくるのをただひたすら待ちながら時計ばかりをみていた。
幸い気温がそれほど下がらずなんとか生きて朝を迎えた。Bさんも眠れなかったと言っていたが、ほとんどイビキをかいていた。
組織山行は、雪山の入門書の購入から始まった。私にとって組織山行は初めて、しかも雪山は、昨年晩秋の八ッ岳を登った程度でほとんどといっていいほど未経験だった。装備はもちろんのこと、雪山に対する予備知識もほとんどなかった。だから、私にとって組織山行へのとりくみは、こうした事前の準備が大切であった。組織山行である以上、未経験であろうとなかろうと、山行の成功に向けて事前に準備しておかなければと思っていたからだ。
支部では、ラッセル部隊に加わって山行を牽引するという決意で意志統一もやっていた。こうした確認をするにあたっても、未経験だからといって絶対に甘えるわけにいかないと思ったし、なによりも、山行を領導するぐらいの気概を持つことが部隊にとっても私にとっても重要だと思った。
事前にアイゼンを着けたり、地図の検討を行ない、全員でコンロの操作を習熟するため練習を行なったりした。こうした事前の準備がこの山行を主体的に担うという意志を強めていった。
こうした準備の進みぐあいとは裏腹に、私は、前々からかかっていたカゼが当日近くになって発熱・下痢・喉の化膿とほどんど最悪の状態になってしまった。当日の朝まで行くか行かないか決断できなかったが、喉の痛み以外はすベてなくなり参加を決めた。
一日目、バスが先着したこともあって先頭集団になる、リュックの重さは肩にこたえるものの、体調は良く、ラッセルも数回参加。××地区の仲間もラッセルを行ない、この日前半は部隊として積極的に前進した。中でもAさんのがんばりはめだっていた。後半は、個人個人、がんばれる人はラッセルに加わり、へばってしまう人は後方になってしまい××地区全体で牽引するということにはならなかった。
二日日は、朝から出だしの悪いことになってしまった。共同作業であるべきテントの撤収作業をBさんにすべてまかしてしまい、私たちは、自分の荷物のパッキングに専念してしまったのが原因。組織山行でありながら、個人が優先してしまい、全体で山行をやり切ろうという確認に反するものであった。遅れて出発してすぐに、私のワカンが歩くたびにはずれてしまいあわててしまう。先に行っていたBさんが「だいじょうぶか」と言いながら戻ってくる。原因はヒモがねじれていただけだったのだが、遅れまいとよけいあわてていてそれに気がつかなかった。事前の準備でワカンの着け方だけは練習していないのが禍した。
急登にさしかかると全体が遅くなり、なかなか進まない。前の人の足をみながら登る。ラッセル部隊に参加してがんばるんではなかったのかなあと思いながらも別ルートをつくるわけにもいかずゆっくりと登る。後方でクイズを出している人もいて、戦旗派にもいろんな人がいると思いながら、何となくイライラしながら急登を続ける。こうした雰囲気に流されてしまい、事前の決意とは逆になり、なりゆきまかせの気分になっていった。
沖武尊山を前に、下山部隊と続行部隊に分かれる。私は13日も休暇をとってあったので続行したが、気分的には早く帰りたいと思ってしまい、ここにいたっては、ほとんど主体的に山行をやり切るという決意はどこかへすっとんでしまっていた。組織を牽引すると決意はしてみたもののそれが実態として自らの思想に血肉化されていないことをこの時いやというほど知ったのである。
こうした状況の中でAさんが「私は登る」と決意し、はっとさせられた。私もその言葉につき動かされるように武尊山頂をめざし一歩をつき出す。今までの暗い気もちにふんぎりをつけるかのように。山頂で、荷物を下におろして登っていたCさんに会う。荷物を下においているのだから下山するんだろうとかってに思っていたが、続行すると言う。Cさんの意志力に敬服してしまった。こうした同志が戦旗派を創りあげてきたのかと思った。
剣ヵ峰の岩場地帯ではDさんがルートにローブを確保し、××地区は先頭になる。懸垂下降を覚える絶好のチャンスであったが、うまくできずに手にロープをまきつけ。一気に降りる。前武尊で、他部隊の到着を待つ。山頂には山スキーの跡があり、なんとなく人なつかしい気分になった。下方にはスキーのリフトが見え、山行もほぼやり切ったという安心感が広がる。
前武尊で幕営か、スキー場に降りるかなど、様々な話が出る中、私は、このままスキー場に降りれば今日か明日の朝には帰れるなあとまたもや個に戻ってしまう。組織全体が山行を成功させるのだという思想が不断にくずれてしまっていた。
幕営の方針が出たので、Bさんと雪洞を作る。『山・渓』の雪洞のつくり方を思い出そうとするが、頭の中には何もうかんでこない。事前の準備もたいして役に立たなかった。入り口が広すぎてふさぎきれなかった、なんとかなるということで寝るのだが、寒くて眠れない、アルコールは下山したEさんが持っていってしまっている。朝が来るのをただひたすら待ちながら時計ばかりを見ていた。幸い気温がそれほど下がらずなんとか生きて朝を迎えた。Bさんも眠れなかったと言っていたが、ほとんどイビキをかいていた。
三日目、テントで朝食。暖気で生きかえった気分になる。テントの撤収も終え出発。不動ヵ岳ではルートを確保する同志たちの努力に、組織山行をやりきるには、こうした同志の主体的な力が全体をもり上げ牽引していくのだなと強く思った。私たち××地区も、ただラッセルのついた道をついていくのではなく、党の先頭に立ち、牽引していくことが実際上なされなければ、事前の決意も絵に書いたモチになってしまうと思った。
支部ではラッセルに加わってやりぬこうという確認があったが、山行の過程では、一度も確認されず、その場その場のなりゆきまかせになってしまっていた。結果としてラッセルをやったりやらなかったりで、ほとんど組織性・意識性を持つことができなくなってしまった。一日の終わりに、その日の総括・明日の行動提起は一切行なわれず、その場まかせの山行になってしまった。これは、日常活動の反映である。その日その日のスケジュールをこなすことに追われ、政治的・組織的なとらえ返しの不充分性が、山行の中で露呈した。
××地区にとっては、子持ちの女性同志の参加が、共同保育の端緒的形態を通じて確保され、子持ち活動家の活動の保障が可能になったこと。二つの部隊を作って、従来の経験豊かな同志に依存していた傾向を脱却し、それぞれの主体性で山行が取り組めたことは評価すべき点であろう、こうした点を確認しながらも、山行を牽引し得なかったことについても今から、活動の中で克服してゆきたい。
(「闘う労働者」41号 掲載時原題:「未経験さに甘えず初めての雪山を踏破する」)