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懐古的資料

山行体験記2)私は山が嫌いだ:上州武尊山行

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上州武尊山行・個人総括(2)

この際だからはっきり言っておくが、私は山が嫌いでこればっかりは党が行けって言うから仕方なく行くのだという発想が捨て切れなかった。……
岩によいしょ!と登った瞬間、大きいと思っていた岩は実は小さく、すぐさま二千メートル下までスッキリ見渡せてしまったのだ。足のふるえが止まらない。……

 今回の山行では、全体の総括にもあげられたように、女性パーティの健闘が、獲得目標の実現=予定コースの踏破の一要因となった。わが××地区女性隊もいくつかの難所を乗り越え、根性と戦闘精神を発揮し、全体に遅れをとらず山行をやりきるという組織的勝利をかちとったのである。個人的感想を述べる前に、××地区女性隊としての勝利の根拠をまず明らかにしておきたいと思う。

 今回初の試みとしてあった女性のみのパーティ編成は、肉体的にも精神的にも男性に頼ることがそもそも許されないという形態を与えられることにより、女性が自らを自立させ、二期決戦を担いうる主体を形成していくことを目的としてなされたと思う。事前の意志統一も、「ともかく男性の力を借りずに荷物も最後まで持って全コースを闘い抜こう」ということが主要に確認されていった。

 83年から全党的に対象化せんとしてきた女性解放の観点を、500地区の女性活動家もそれぞれが自覚的=主体的にとらえ、支部は違えどそれぞれが真剣な日常的実践を重ねていることは雰囲気として伝わっていたのであり、そうした問題意識の共有化を軸とした団結によって組織的勝利が実現されていったと思う。肉体的条件の悪さをのりこえて隊長の責任を担い抜いたA同志。終始明るさを失わず闘ったB同志そして私を含めて、一言の弱音もはかずに獲得目標を実現したのである。

 肉体的にはどう見ても私が一番強そうであったし、山行の経験は雨飾山、八ヶ岳、今回と三度目であったのでテントを持つことになった。しかし体調のコントロールを誤って出発三日前から持病のぜんそくを起こしてしまい、ズッシリ重い(と主観的には感じられた)リュックを背負った瞬間からどうも暗い予感がして、かなり悲壮な覚悟を固めて山行に臨んだのである。一本600円ナリのリポビタンDの助けもあって、実際には登り始めるうちに体調をもちなおし、なんとかテントも死守することができた。

 肉体的練磨の不充分性に関しては降りてからシビアに総括し、毎日10分間の筋力卜レーニングを開始した。徐々にではあるが筋肉もつき、慢性的時間不足に追われる労働者活動家の体調維持には有効だと思う。
 余談になるが、女性はなにかしら「かよわくはかないのが美」であるというふうな社会通念があるが、これをうち破り、自己の肉体に対する自信を回復することが、精神的にも健全になることにつながるのではないだろうか。

 ところで、この際だからはっきり言っておくが、私は山が嫌いである。こればっかりは党が行けって言うから仕方なく行くのだという雇われ人的発想が捨てきれなかった。他の同志諸君のように素朴に山の景観に感動することができず、私は山に登ってコレコレの確信を得たということもなく、政治的位置が与えられなければただの苦役、という想いを持ち続けていたのだ。
 しかしながら今回は、かなりの恐怖感を味わい、新鮮さというにはあまりにもキツイ体験をしたのである。

 それは二日目、これで剣ヵ峰にやっとたどりつくという岩を、よいしょ!と登った瞬間、もう少し大きいだろうと思っていた岩の上部は実は小さくすぐさま二千メートルの下までスッキリ見わたせてしまったのだ。
 なんとか態勢をたて直し、やせ尾根を歩いたのだが、足のふるえが止まらない。もしかしたらここで死ぬんじゃないだろうか、それでは犬死にではないか。いやこれぐらいの恐怖にうち勝てずして革命戦争が闘えるか。私もゲバラのように生きようと心に誓ったではないか……。

 小ブルの動揺が先走り、同志諸君の叱咤にあってやっと進むことができたのである。しかしその後の30分程はロープに宙づりになってみたり、岩にへばりついたまま動けなかったりと醜態を演じ、「私、岩好きなの」とこともなげに登っていくC同志を横目で見ては、「ああ、この人はそもそもできが違うのだ」とうちひしがれたものだ。組織があったから闘えた、とまさにその一語につきる。
 この恐怖はかなり大きなものだったらしく、降りた日にも悪夢を見てうなされ、さめてから「こんなことでビビる私は、よほど革命家としての資質に欠けるのではないか」としみじみ哀しく思った。

 結果として、自立した女性活動家への飛躍のモメントをつかみとれたかといえば、それは極めてアイマイにならざるを得ないのであるが、日常活動の積み重ねの中で見れば、やはりそれなりの背骨は自己の中に手応えとして感じるようになり、少なくとも消耗したと言っては部屋の隈で膝を抱えて泣くということはもう(年齢的に)恥ずかしくてできなくなってしまった。その意味では、地区で労働者活動家として形成されてきたことは、悪質小ブルだった私の主体形成上とてもプラスだったと思う。これからは同情される存在ではなく、勇気を与えていく存在になりたいものだと痛切に感じる。

 最近、新日鉄釜石ラグビーの松尾が書いた本を読んだが、(講談社「勝つために何をすべきか」という本で広岡流管理野球に猛烈に反発し。「やる気」をひき出す組織を強調している。)主要メンバーが抜けても勝利しつづける組織づくり、そして強タックルを受けて倒れながらもボールを味方にパスするガッツに大きな感銘を受けた。(ちなみにラグビー魂というのは One For All、All For One だそうである。)松尾流ラグビー論に対する評価はさておき、私も、××地区の新支部建設という部署につき、勝利する組織づくりに全力を注いでいかなければならない。

 われわれはすでに稜線に出てしまい、一歩一歩が直接日本階級闘争の現実に影響を与えていくような責任重大な位置へと自らをおしあげてきてしまった。ここまで来たからには戻るわけにもいかず、全人民を領導しうる真のボリシェヴィキヘと、さらに登りつめていかねばならない。
 われわれの一歩は勝利の一歩でなければならないし、何としても滑落だけは避けねばならない。そのためには、私レベルの活動家さえもが、党の方針に責任をとりきれるような、自立した、まさに一個のレーニン主義者として主体形成をおし進めていかなくてはならないと思う。

 3・25へ向けた決戦に突入しているであろうすぺての同志諸君とともに、日帝国家権力に対する Fighting Spirit をさらに燃えたぎらせ、××地区の新支部から大動員を実現することで、山行の成果を実践的に明らかにしていきたい。

(「闘う労働者」41号 掲載時原題:「女性隊の団結で山行に勝利する」)

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