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懐古的資料

山行体験記1)椅子にあわせて足を切る:上州武尊山行

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上州武尊山行・個人総括(1)

「もうダメ、落ちる」彼女の体重がかかってくる。支えている私自身が今にもずり落ちそうだ。
「ダメなら落ちていい!」と怒鳴った自分にびっくりしていた。……
中に入ってストーブを囲んだとき、A同志が言う。「一人じゃないっていいね」まったく同感である。……

 「椅子にあわせて足を切る」すごいことを言う人がいるものだ。こういう凄まじい人間にはちょっと勝てそうもない。あの椅子に座りたいがために足を切り、あの服を着たいがために腕を切り、あの山の頂上に立ちたいがためにトレーニングをし、わずらわしいこまごましたことも点検し、ゼエゼエいう体を励まし、重い荷を背負う。

 本年初頭ニつのものが私に降ってきた。なさけない言い方かもしれないが、やはり降ってきたという感が強かった。ここ数年、われわれは新支部建設を実体的に担いカードルの飛躍をめざして奮闘してきた。そしていよいよわれわれ×××××は、××××××××、×××××××××、×××××××××を担う中で、指導部として自己を形成していくことが一つ。もう一つはサークル的主体からの脱皮、という課題である。

 現在、三里塚二期決戦が切迫する中で、われわれは内外の熾烈な攻防を勝ち抜き、唯一スターリン主義を克服しうる人民の信頼に足る勝利をもたらしうる力を有した前衛としてわれわれを登場させねばならない。
 その為にはわれわれ一人ひとりが、個々の心情から、あるいは信条から闘いに決起し、個としての充足を追いもとめ、対象に対する思い入れ的なオルグをなすといったところにとどまっているのでは、かなわぬ夢を迫いかけることにしかならないということを知らねばならない。

 このことは昨年の闘いの中で、全く無自覚に表出されたサークル主義的な陥穽(かんせい)、政治的なアマチュアリズム、そのリアクションが現在に至って様々な形で組織上の“不都合”としてはね返ってきている中で痛感している私自身の総活である。
 まさに勝利をもたらしうる、賭けるに値する党として自らを形成する為にこそ、われわれ戦旗派はレーニン主義党建設をおし進め、ボリシェヴィキたらんとしてきたのであり、そうした闘いを背負う一本の柱たりえたいと願う自分はその内実を、そして政治を主体化していかねばならない。
 こうした訳で私は、二つの課題を前にして、その意味では「椅子に合わせて足を切る」決意を固めつつ、山に臨んだ。

 まず最初に戦取すべき課題は、上州武尊山縦走の貫徹である。
 昨年5月、白馬岳山行で目指したことは自力更生、決して泣きを入れないということだった。自分の弱さにばかりこだわり、果てしなく自己解釈をくりひろげ、闘えない自分を本気でつくりかえる。その糸口をつかむ決息で臨んだ。

 自分の意志で、自分が望んで頂をめざすのである。どんなに強い風が吹こうが、岩がきりたって行く手を阻もうが、それは誰にうらみごとを言うべき筋合いのものでないのはもちろん、自分がしんどいことを誰かに解ってほしい等という、うんざりするような甘えとだけはきっぱり訣別してやりきりたかった。槍ヶ岳山行の際に、隊にひっぱられ、ようやくやりきることができた、そうした組織される主体からの脱皮、受動的な依存性の中から這い出て、一つのピークを超えていくのだ。

 依拠するのは自分の意志、自分の力である。道をきりひらき、勝利をかちとっていく力を自分以外の誰かの中に見出そうとする限り、私達は無力でみじめな存在であり続けるしかないし、不断に自己の喪失感におそわれる。全人民解放への道をきりひらく力を自己の内に培い、そうした力を宿した主体として、私達の誰もが歴史の舞台に上がるのだ。今、全世界で名もない無数の人々がかけのぼっているように。

 前回の白馬山行で、ストーヴからもれたガスに火かついてあたふたするという失敗を演じながらも、まずは自己を組織し、自分に責任をもつことで、隊の勝利の一端を担うことかでき、把もうとした糸口は、しっかり把むことができたのである。

勝利への決意

 さて、今回の山行のパーティ編成の提起を、私は正直いって不安と一緒に受けとった。女性3名。私とA同志はいわば「しばしば落っこちる人」なのである。もう一人のB同志はすこぶる元気な人ではあるが、初めての縦走、初めての雪山である。しかもパーティのリーダーを務める私は、これまたこうした役割を初めて担おうとしているのであり、随分と頼りない。今度は単に、自分を維持していれば良いという訳にはいかない。

 しかしそれが何なのだ。私たちはいつまでも無力な存在でいる訳にはいかないのだ。確かに昨日の自分はもはや今日の自分ではないように、A同志は山行に向けて四キロも減量する程トレーニングを積んでいるし、私自身いつか落ちた鎖場は、二度目にはやっつけてやった。何より勝利の確信を示すベきリーダー自らか、それを己れのものにできないようでは勝てる訳がないではないか。

 なすべきことは、具体的に勝利をたぐりよせるべく、実践的に一つひとつ力をつけることだ。装備表を作り、事前にテントを張り、ストーヴの使い方を練習し、テープの使い方を習う。山行でも理論は必要だ。歩き方、休憩のとり方、テント生活のし方、これまでの山行で何とはなしに過していたことが、全て自分の判断でやる気になると全てが難しく思える。やっつけ仕事的ではあるが、一応教本を読み返し、わかった気になる。

 事前の打ち合わせで顔をそろえた私達は、まず各々の決意を語り合い討論し、そうしたパトスを個々が燃えたたせることで火をつけ合い、叱咤しあって進み、自力で前進する意志が挫けた者は置いていくことを約した。
 これは初めて参加するB同志にとってはハードであろうし、ではパーティとしての勝利は、組織として闘い勝利するということをどう考えるべきか。しかし戦争である。こだわるべきは勝利であり、ここから問題をたてなくてはならない。それに向けて自已を問い、相手の主体をも問い、戦闘的な団結をこそめざすのだ。

 自分にとっては、こうした左翼性の獲得が問われていると思う。同志達に言わせると「やさしすぎる」のだそうだ。相手の中に自分と同じ弱さを見、安易に認めてしまう傾向が強く、結局対象自身の変革も、自分をも問えずになれ合ってしまうのである。
 単に頑張れば良いのではない。縦走を貫徹すること、このことを頭に叩きこんで、皆の力をありったけ引き出すこと、これがカギのように思えた。あとは私自身が、どれだけ戦闘的に困難にたちむかえるか、ということだけである。

勝利への執念をもって歩み続けた

 いよいよザックをしょって電車に乗ると、乗りあわせたおじさんが、心配そうに私の顔をのぞきこんで言う。
 「今年はすごい雪だそうじゃないですか、新聞に載らないようにしてくださいよ」まったく、私もそう願いたい。
 スキー客の車が達なり、前日おきた雪崩も相まってバスは大幅に遅れていた。途中、雪でスリッブして止まってしまうバスを押しながら、雪の舞う宝台樹スキー場に着いたのは、早朝に出発する予定であるにもかかわらず、すでに昼近かった。ともかく私達は日が暮れるまでに幕営地到着を目指して、あわただしく出発した。

 ワカンを着けた私達は雪の中をころげながら登っていく。“こういう風に”足を運べば良いハズなのだがどうもうまくいかない。いっそとってしまおうかとも思うがここで慣れておかなくては上はもっと雪が深いだろう。
 早めに出たはずなのだが、気がつくとやっぱり最後の方だ。しかし焦っても仕方ない。着実にカメになって進むのだ。

 最初の急登をB同志はズンズン登っていく。A同志の足が重くなる。何とか励ましたいのだが、具体的にどうしたら良いものか、いつも励まされる側だった自分にはどうもよく解らない。B同志は「先に行っていいよ」と言う。そうはいかないのだ。足が止まったらピッケルで下から突きあげてでも前に進む決意で来たのだ。ともあれ、ロで突きあげながら急登を登りきる。しばらく行くと皆に追いついた。前がつまっている。そうか、ラッセルが始まったのだ。

 手小屋沢避難小屋をこえたあたりだろうか(?)もう薄暗くなってからテントを張り、シュラフにもぐりこんだときは、もう9時を回っていた。その夜は雪も風もやさしく静かに、いく張りもの私達のテントを包みこんでくれた。

 朝は早かった。たぷんテントを撤収したのは私達のパーティが一番遅い。カメを自認する私達は決して出遅れまいという意志一致の下で、B同志は慣れないパッキングも急いでやりおえた。さあこれで朝の戦争の勝利のうえにたって今日の闘いにむかえるぞ。と思いきや、しばらく行くうちにふと気がつくと、やっぱり後ろから二番目ぐらいだ。

 雪が深い。先をゆく部隊がラッセルをしてつけていくトレースをたどる。何人もの人が踏み固めていくのだが、それでももぐってしまい足をとられる。先頭で道をきりひらくのはどんなに大変だろう。自分もラッセルをやってみたいななどと思いながら歩を進める。
 また急登だ。これを登ればたぶんもうすぐに武尊山頂だ。前を行くA同志はどうも登りづらそうだ必死で一歩一歩登っていく。
 そうだ、私はここでラッセル隊になるべきなんだ。何で気がつかなかったんだろう。私は彼女の前に出て、できるだけ雪を踏み固めて登った。

 「もうダメ、落ちる」前を行く○○地区の人が今にも頭の上に落ちてきそうだった。しがみついていて足場を見つけられないのだ。私はピッケルを斜面に突きたてて足場にして、そこに彼女の足をのせた。体重がかかってくる。ささえている私自身がいまにもずり落ちそうだ。ようやく彼女がはい上がり、私はホッとするよりも、「ダメなら落ちていい!」と怒鳴った自分にびっくりしていた。

 息つく間もなくA同志が登ってくる。念のためと思いテープで確保したのだが、やはり一度練習したぐらいでは所詮付焼刃である。テープを思うように引きあげることができす、仕方なくとっさに自分の手に巻きつけたのだ。A同志かすべるごとに手がちぎれそうになった。
 A同志がほとんど自力で登りきったから無事に済んだものの、やはり自分がきちんと訓練を積んでいないものをあてにはできないものだ。

 もうすぐ山頂だ、風が出てきて雪を舞いあげる。いよいよきたぞと思いながら身を固めて登っていくと、先に行ったはずの同志が戻ってくる。予定が遅れており、日程が延びる関係で、ここから戻って下山する隊と二つに分けるのだという。私達の隊は全員前にすすむ。
 武尊山頃は展望が良いはずなのだが、煙って何も見えないうえに雪が吹きつけ、どんどん身体が冷えてくる。私達は早々に山頂をあとにした。ともあれ一つの目標である山頂を戦取したのだ。

 視界が狭い。前を行く隊も後の隊も見えない。たいした風ではないが、精神的には大分圧力がかかる。先頭を行くB同志はなおさらだろう。ルートを決めるのが不安そうだ。そうだ、こういうときは前に出てひっぱらなくては。何を言っていたのか思いだせないが、とにかく志気をあげようとよくしゃべった。ニ人はたんたんと歩いてくる。結局、自分自身を励ましていたのかもしれない。
 先は見えないが、すこし行くたびに赤い布を結んだ竹が見える。それをたどっていくうちに、いつのまにか視界が開けてきた。

 さあ次は剣ヵ峰、鎖場だ。皆手こずっているのか、前がつまっていてなかなか進まない。風が吹きつける岩の上で、30分程こごえて待った。ザイルが張ってある。降り口で指示している同志は、もっと長いことこの風の中にいるのだろう。
 まずA同志がテープを確保してもらって降りていく。上からはよく見えないが、7~8メートルはありそうだ。次はB同志が行く。確保はしない。頑張れ、頑張れと心の中でくり返していると、いいぞとD同志が私を呼ぶ。ああ、無事に降りたんだ。

 次は私だ。絶対落ちないと自分自身に宣言して手袋をはずした。ザイルを腕にからめながら降りてゆく。足場はないことはないのだが、確実に腕の力が抜けていく。手の感覚も失せていく。まるで冷凍庫の中の肉である。早く降りなくては力が尽きてしまう。くそう落ちるもんか。手に頼らず足場をちゃんと確保するのだと言いきかせつつ、ようやく下にたどりついた。
 手がまるで動かない。私はある同志の教えを思い出して、腕をブンブン振り回し、口の中で指を暖め、「解凍」しながら進んだ。

 岩場を登りきると二人の顔が見えた。私はやたら感動してしまい、思わずB同志を抱きしめてしまった。出発まぎわにパッキングを終えて、さあザックを背負ってみようとすると、どうしても自力で背中にのせられずに、どうなることかと私達を不安の中に落っことしたB同志が、あんな所を自力で弱音も吐かずにやりきったのだ。初めて雪山に行った頃の自分とくらべると、なんとも頼もしいではないか。こうして決起してくる彼女達に恥じない、その闘いに応えうる自分をつくっていかなくてはと思いながら、私達はまた一つ勝利を確認し合って先を急いだ。

 幕営地に着く頃には、昨日と違い天気も少しくずれ、そろそろバテてきてもいたが、全員で、休む間もなくテントを張り、手わけしてあらゆることを整えた。中に入ってストーヴを囲んだとき、A同志が言う。「一人じゃないっていいね」まったく同感である。

やった!やればできる

 不動ヵ岳の鎖場が次の日の難所である。数人の同志たちが献身的に雪と氷の張りついた岩場をルート工作し、ザイルを張って道をきりひらいてくれた。
 私達は登っていく人を見ながらあそこをああやって、そうかああすると身動きがとれなくなるからあれだけはしてはいけない、とかさんざん研究して岩に臨んだ。
 やった!今度はA同志もテープ確保なしでこれをやっつけたのだ。いつか一緒に行った鎖場で落ちた彼女を思うと(私も同じ所で落ちたのだが)ウソのようである。トレーニングを積んだのだ。本当に私達はやれば何でもできるようになるということを示してくれた。

 あとはひたすら下っていく。先頭で下っていくA同志の速さに驚嘆しつつ、前を行くB同志を励まして後を追う。ホレ行け、ヤレ行けとB同志をせっつきながら、私自身足元が段々あやうくなっている。そういえばザックが重い。この山行中初めて自分のことが気になった。やけに急に重たく感じてきた。そうだ、ゆうべ凍りついてしまって、フライングドロップをくらわせてやっとたたんで詰め込んだテントのせいだ。予算がなくて買い換えなかったあの重いテルモスだ、などと考えていると、急に全てが白一色になった。
 なんのことはない。自分の足に自分でつまずいて頭から雪の中に突っこんでしまったのだ。斜面で頭が下になり、ザックにつぷされてまるで身動きがとれない。随分こっけいであろう自分の姿を思うと、あがきながらも笑いが止まらない。やけにせいせいした気分である。

 私達は闘いの中で様々な関係をとり結ぶ。積極的なものであれ、いわゆるしがらみといえるものであれ、自分にまとわりついたり、はがれ落ちていくもの、課されてくるものを、与えられた条件と、自分が求め、求めてきたことのあたりまえの帰結として、あたりまえにいさぎよく全てを受けとめつつ、その重たさに歩みをととめられることなく、へ夕ることなくウンセウンセと担ぎあげ、求め続けて前に進み続けるのだ。
 今回の山行で、私は初めて隊を組織することを、その中でどんなことが自己に問われてくるのかを端初的にではあるが、実践的に学びとることができたと思う。これから新たな支部建設を担っていく中で、組織を組織しうる主体への飛躍をかけて、今度は最先頭でラッセルを担う決意をもって、同志達とともに奮闘し、強固な闘う労働者の支部をつくっていきたい。
 さあ、2・13戦闘の勝利を手に、次に勝ちとるべきは3・25三里塚闘争の大爆発だ!

(「闘う労働者」41号 掲載時原題:「勝利への執念をもって歩み続けた」)

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