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三里塚勝手連

2011.01.09 三里塚反対同盟の新年デモと旗開きに参加してきました

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 去る1月9日、三里塚反対同盟(北原事務局長)の「新年デモ」と、「団結旗開き」に参加してきました。まじめな報告はエントリ巻末にリンクしてある他のサイト様の報告にゆずり、私はいつもの個人的な 「なんちゃって 報告記事」を書いてみたいと思います。 ⇒画像報告はこちら

一触即発の1-2月現地情勢(簡単な解説)

 昨年、三里塚農民の市東孝雄さん(天神峰在住)が、自分の畑に通うための道路(団結街道)を封鎖した成田空港会社は、この一月中にも、さらに市東さん宅前の道路(取香2号線)をトンネル化するために道を封鎖し、代替の切り回し道路への切り替え工事をすると通告してきました。

 これは団結街道封鎖後に市東さんが使用している脇道(旧小見川県道)をも封鎖し、市東さんが自分の畑に通うことをよりいっそう困難にする追い出し攻撃です。その先には、市東さんの畑と自宅を空港内に閉じ込めるための第3誘導路の建設、天神峰現闘本部の建物破壊、そして最終的には市東さんの農地強奪がもくろまれています。

 例年、反対同盟の新年デモは、まず参加者みんなで地域の産土神(うぶすながみ)である東峰神社の清掃と新しい注連縄(しめなわ)の張替えをすませて参拝した後、東峰十字路北側の開拓組合道路に集合して行われているのだそうです。しかし、今年はこのような一触即発の緊迫した情勢を受け、注連縄の張替えは早朝から農民の皆さんらですませ、全体は天神峰の市東さん宅そばの開拓組合道路に集合して行われました。

 今年の新年デモは、空港会社の営農破壊に対し、こちらから攻勢的に抗議と阻止の意思をはっきりと示したカウンター行動となり、例年以上の積極的な意義があったと思います。

新年デモに参加

 三里塚勝手連」からは私一人の参加でしたが、成田駅前におられた「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんに合流させていただき、座席に空きがあるからと車に便乗させていただきました。
 駅からの道路は成田山にお参りする車の列でかなりの渋滞で、四苦八苦して集合場所についた時は、すでにデモ前の簡単な集会も半ばを過ぎていました。もしあのまま市東さんの会に合流させていただけず、タクシーなどを利用していたら、もっと酷いことになったかもです。本当にありがとうございます。助かりました。

 デモ前の集会は三里塚農民の鈴木謙太郎さんの司会のもと、動労千葉などの挨拶を受けて滞りなく進みました。後の旗開き会場での挨拶でもそうでしたが、発言されたみなさんは、おしなべて今年はここ数年になかった大きな節目と決戦の年になるであろうと述べておられました。

 羽田拡張などもあり「ナリタ」の凋落に焦る空港会社が生き残りをかけ、ほとんどなりふりかまわないような攻撃に出ていること、しかしそれは反対運動に阻まれ、敵の選択肢がそれ(暴力)以外になくなってきたこと、つまりそこまで追い込んだということであり、そういう力関係をちゃんと見据えた上で、勝利の年にしていこうと口々に訴えておられました。
 あと、デモで言うと統一委員会派の方々が全国集会なみに来ていて、結果的に中核派と同じくらいに見えたのが印象に残ったかな。

 このあと旗開きもあることだし、時間もないので、残りの方々はそちらで挨拶をしてもらうということで、さっそくデモに出発です。開拓組合道路から市東さん宅の脇を通り、封鎖された団結街道をにらみつつ、その反対側に大きく迂回するデモコースであり、現在、市東さんが実際にご自分の畑まで毎日何往復もして通っているコースです。

 おじいさんの代から使用していた畑への生活道路を封鎖され、このような幹線道路をトラクターでの危険な走行を強いられている市東さん。この延々としたコースを歩くたびに、その理不尽さに怒りがこみあげてきます。切り替え道路の工事は日曜で休みのようでしたが、高い塀で封鎖された、その現場入り口をにらみつつ歩きます。

 公安私服刑事はあいかわらず無駄に大勢来ていました。だいたい200人くらいはいたでしょうか。機動隊は今回はデモの横には貼りつかず、デモ隊の後ろにやはり200人くらいの隊列を作って一緒にデモしてた(写真)。
 そのほかに、あっちこっちに機動隊や私服が50人から100人くらいで固まって、ただ立ってこちらを見ている。ちらちら見えるところだけで1000人は超えていたのではないかと。こういう場合、過去の通例からして、おそらく実際には3000人規模の、仕事にあぶれてやることのない公務員の皆さんが大量に集まっていたはずです。

 特にトラクターの運転で最も危険をともなうヘアピンカーブに、なぜか機動隊が大量に立っていて、思わず「?」です。ここには特に警備するような施設もないと思う。単に大人数が立ちやすい場所だったのかな?

 聞くところによれば、機動隊員の皆さんには、出動(つまり本来の仕事を普通にする)だけで、あの悪名高い「特別手当」の出る地方もわりと多いそうなんですが(大阪府警など)、千葉県警はどうなんですかね?むしろ訓練よりも楽チンであろうこんな仕事で、これだけの大人数に手当て出してたら、それこそものすごい無駄使いですから、さすがにそれはないかな。

 仕事(と言えるのか?)を作ってあげている私らには感謝してほしいくらいですが、つか、人を飯のネタにするな。こんなデモくらい、交通警官100人で充分だろ。こんな大人数を無駄に使ってそれでもプロかね?ああ、「過激派で危ない市東さんの主張に聞く耳をもったらタメにならんぞ」という脅迫キャンペーンの広報予算ですね?わかります。

はじめて見たよ!白菜の根っこ

 解散地点の市東さんの畑は、あいかわらず空港会社がお隣に挨拶もなしに敷地ギリギリに建てた高い塀に囲まれています。
 市東さんはご自分の畑に萩原進さんとともに入り、白菜の様子をチェックしておられました。そのうち二株をその場で収穫して、市東さんの会の方にプレゼント。畑にある時にはすごく大きく見えますが、実際に収穫してみると、昨年の異常気象もあって全体に小ぶりです。今年の白菜はどこのスーパーでもすんごく高いんだよね。

 しかし、なにげに市東さんが白菜の外側にある葉をピッピッとはがして畑に捨てるんだけど、その捨てられた部分の葉でさえ、私がふだんスーパーで買って食べている白菜よりも、よっぽど上物で美味しそうなことが素人目にもあきらかにわかります。さらに根っこがついた白菜ってはじめて見た。白菜の根っこって、こんなふうについているんだ!

 道々聞いた話によりますと、なんでも最近の子供は、にんじんの葉っぱも見たことがない子が多いそうで、三里塚の収穫祭に来てはじめて葉つきのにんじんを目にし、それがとってもかわいいと大喜びで、それまで食べれなかったにんじんが食べられるようになった子供もいるそうです。

 さて、それから旗開きの会場まで車に分乗して向かったのですが、とりあえず車が停めてある市東さんの自宅前まで、今きた道を歩いて戻るということでもううんざり。実際にはすぐそこなのに、いちいちぐるっと迂回。本当に不便です。

 なんつーか、マジ不便です。正直に言いますが不便です。ちょっと名前を呼ぶたびにいちいち「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ……」と言うくらいの感覚です。私は不便でイライラするくらいですみますが、市東さんにとっては死活問題です。さて、その市東さん宅前からは、鈴木謙太郎さん、加代子さんご夫妻の車で旗開きの会場まで乗っけてもらいました。

 車の中で聞いた話では、団結街道が封鎖されたことを知らずに、今でもちょくちょく車が入ってくるそうです。空港会社の作ったバリケードの前は袋小路になっていますから、Uターンも大変でしょうね。特に夜間は近くに来るまでバリケードが見えないし、スピードをあげて入ってくる車が多いのでこわいんだとか。

 市東さん宅の脇にある監視ヤグラの上から、支援の人が「危ない!通れませんよ」とドライバーに声をかけてあげると、封鎖に激怒した地元のドライバーさんから「お前らかぁ!!」と怒られることもあるそうです。違うっちゅーねん!空港会社の仕業やっちゅーねん!反対派が同じことしたら、翌日には機動隊が1万人来るっちゅーねん。

 やはり車の中の話で、旗開きでの料理はすき焼きとしゃぶしゃぶ、しかも食べ放題の飲み放題、さらにバイキングで各種の料理やお寿司、ケーキとかのデザートもあると聞いて、私は「ヒャッホーウ」な状態になって笑われた。「すき焼きとかしゃぶしゃぶなんて、もうずいぶん食ってませんよ!」と言うと、謙太郎さんは声をだして笑いながら「じゃあ一年分食っとけ!」と言われました。

 会場でも市東さんの会の方から、「朝ごはんは食べずに来て、晩ごはんは食べない覚悟で来ないとダメですよ」と冗談で言われてしまった。最初は、私のような者まで、一種の親睦会でもある旗開きにおじゃましていいものやら、デモだけで帰ろうと思っていたのですが、そんな殊勝な気持ちはどこへやら、すでに当初とは大幅に目的が変更され、大いなる期待に胸をふくらませながら、車は肉のハナマサ成田店へすべりこんだのでありました。

有意義で楽しかった(かつ満腹の)旗開き

 会場では鈴木加代子さんは受付、謙太郎さんは司会をなさっておられました。私は演壇後方の、市東さんの会の方々と同じテーブルにまぜていただきましたが、このテーブルの鍋はちょうどすき焼きでして、私は心の中で小さくガッツポーズ(よっしゃ!)。ただちょっと写真は撮りにくいポジションでしたが、ともあれ歓談しながら開会を待ちます。

 午後一時、まずは萩原富夫さんが反対同盟の皆さんと共に立ち、同盟の「2011年闘争宣言」(エントリ巻末に全文を転載)を読み上げられました。あとで萩原進さんもおっしゃっておられましたが、この闘争宣言の中に、現在の反対同盟の方針が全部つまっていると思いました。

 続いて、主催者を代表しての北原鉱治事務局長の挨拶では、とたんに新聞記者とカメラマンの方々がわっと集まってこられました。その後、市東孝雄さんが乾杯の音頭。「今年はますます攻撃が強まるだろうが力を合わせてがんばりましょう」と挨拶されました。

 それからしばらくは歓談タイム。それぞれのテーブルからバイキング形式で、肉や野菜など鍋の材料や料理をとりにいきます。ですがこの時ばかりは150人からの参加者がいっせいに取りにいったので、最初のうちは材料の確保が大変でした。

 市東さんの会のテーブルには「鍋奉行さま」がいらっしゃって、これはいつものことらしく、皆さんこの鍋奉行の指示にしたがって材料集めです。ただしこのお奉行様は官僚ではなく、料理法から食べる順番まで、とにかく参加者に一番おいしいものを食べて全員が満足してもらうことを生きがいにしているそうで、民衆からの信頼や支持もあるお奉行様。一人でせっせと作って皆さんに配ってもらえるので、こちらとしてはとっても楽。しかも確かに、適当に作るよりはあきらかに美味しい!これもラッキーでしたねえ。全部やらせてしまって申し訳ありませんでしたが、私は材料の運搬係です。

 ひととおり、各テーブルが落ち着いた頃を見計らって、参加者からの挨拶にうつります。
 最初は反対同盟が「車の両輪」と呼ぶ、動労千葉の田中委員長と、関西実行委の永井さんからの挨拶がありました。続いて反対同盟弁護団の葉山弁護士一瀬弁護士の挨拶のあと、市東さんの会の順番になりました。

 市東さんの会はいつも参加者全員が登壇されるので、テーブルの全員が移動しましたが、「じゃ、草加さんも」と言われて、「ええええー!」となってしまった。確かに私も市東さんの会の会員に登録していますけど、何もしていない私が裏方の仕事で苦労されている皆さんに混じってしまっていいのかなと思いつつ、演壇の後ろのほうで目立たないように立っていました。

 その後も歓談や飲食と平行して、各団体からの発言は続きますが、私たちも鍋奉行様のおかげで、しっかりがっつりと食べました。3,40代の貧乏人の胃袋をなめてはいけない。他のテーブルではアイスクリームやフルーツなどのデザートをとりに行く人が増える中、まだ執拗に肉を取りに行きました(笑)。せっかくの食べ放題を用意していただいたのですから、こういうのは、顰蹙をかわない程度にしっかり食べて満足して帰らないと、かえって失礼(?)。

 演壇後方の一番奥にかたまっていた中核派全学連の現地行動隊の若者たちのほうが、よっぽどおとなしくて食べる量もひかえめだったなー。10代や20代ならもっとがっつり気持ちよく食べないとなんて思っていましたが、どうやらあんまり騒いだりガツガツしないようにと、意図的に気をつけておられたようで、こんな記事まで見つけた(→「反省と言い訳」農家便り)。

 うーん、確かに立派で、大人の私が恥ずかしく思わないといけないのかもしれませんが、最近の若者の行儀のよさは「過激派」も例外ではないということかとも(笑)。その全学連のイケメン委員長である織田君の挨拶になり、いつものように元気よく発言されました。あいかわらず爽やか。私と並んだらまさに陰と陽ですなあ。

萩原進さん「まずわれわれがやる。それを見てくれ」

 そんな各団体からの発言の後、最後に、反対同盟事務局次長の萩原進さんからまとめと今後についての発言がありましたが、これはとってもわかりやすかったです。(動画とテープおこし

 「(成田にしても沖縄にしても)菅政権はもう問題の解決能力を失っている」「成田空港は没落の危機にあり、われわれにとってもチャンス」「もう一度沖縄の中に三里塚の旗を掲げていく」「ここで農地死守、空港粉砕の原則を掲げて闘おう」と今後の展望を語られつつ、「しかしわれわれはこれを人民に押し付けたりしませんよ。まずわれわれ自身が自分たちでそういう闘いをやるんです。それを見てもらって、この指とまれという旗を反対同盟がふる。そして一人でも多くの人に、三里塚に来てもらってその土を踏んでもらうことが大切」と語られました。さらっと聞いてしまいがちですが、最後のこれはとても大きな決意だと思います。

 さらに萩原さんは「もう休んでいる暇はない。すでに1~2月決戦のただ中にある」と、この1,2月の現地攻防を訴え、2月4日の天神峰現闘本部裁判闘争、そして、3・27全国集会の大結集を訴えられました。特にこの2・4現闘本部裁判では、その結果しだいでただちに現闘本部の破壊工事が行われるかもしれないという緊迫した状況だってあるのですから。

日本中おんなじ風景にすることが「発展」なのか

 こうして、楽しいひとときの最後に、あらためて気を引き締め、明日からの闘いを誓い、最後に団結ガンバローを三唱してしめくくりました。ただ、私たちのテーブルは、参加者が帰りはじめてから、締めのアイスクリームにとりかかりましたけれども(笑

 それから帰りに駅まで車で送っていただきました。その道中でも、「あ、ここも(建売の)家になった」「ここには藪があったのに」という会話が続きます。そう言えば、行きの鈴木さんの車の中でも外の景色を見ながらそういう話が続いていたっけ。「どうして日本中どこにでもあるような風景にしたがるかねえ」誰かがつぶやきました。

 これって、意外と重い言葉かもしれませんね。考えると長くなりそうです。別に便利になることが悪いと言っているわけではありません。けど、あなたの街って、100年後にどうなっているんでしょうね。何が残って、何が消えていると思いますか。何を誇れるものがあるでしょう。そして街だけでなく、この国にも。今一度、考えてみませんか。

最後まで読んでくれてありがとう!

<資料>反対同盟・2011年闘争宣言

 世界を覆う恐慌が、ついに戦争の予感を現実のものとした。韓国・延坪島(ヨンピョンド)の砲撃戦は、この危うい現実を衝撃的に突きだした。ふたたび朝鮮侵略戦争を繰り返すのか、──すべての人々にこのことが問われ、反戦の力がとめどもない奔流となって世界を動かす時がきた。

 危機と混迷を深める菅政権は、延命の道を財界にすがり、その意を受けてブロック化と戦争に向かって暴走している。TPP(環太平洋経済協定)はその象徴であり、日本農業を壊滅させ、労働者の首切りを極限にまでおし進める暴政にほかならない。成田空港は沖縄と一体の米軍事拠点である。

 この動乱のさなかにおいてなお、死活的なインフラ=成田空港は、闘いに阻まれ破たんにあえいでいる。昨年激しく進行した三里塚闘争破壊の攻撃は、起死回生をはかる民主党・菅政権の凶暴なあがきであった。

 反対同盟は、現闘本部撤去仮執行を粉砕し、団結街道封鎖と闘う市東孝雄さんの実力決起で、この攻撃をあざやかに打ち破った。そして一つの確信を新たにした。理不尽きわまる国策=空港建設に対して、「軍事空港建設反対」「農地死守」を掲げ、身体を張って闘うことは圧倒的な正義である。

 絶対反対で闘うことはたやすいことではないが、この道の正しさを反対同盟は確信する。農地と農民の権利を守り、改憲・戦争に反対する三里塚がいよいよ真価を発揮する時がきた。

 2011年、攻勢的に大胆に、闘おう。基地全面撤去と闘う沖縄の火はいよいよ燃え広がるであろう。労農連帯の旗の下、検修全面外注化と闘う動労千葉を先頭に、大失業・戦争と闘う労働者の決起が国境を越えて広がるであろう。学生の鮮烈な決起が始まった。三里塚は沖縄や関西住民を始めとする広範な住民運動、市民運動と完全にひとつだ。三里塚は共闘と結集の砦である。

 第3誘導路粉砕! 暫定滑走路南進のための東峰地区破壊策動を許すな! 2・4現闘本部控訴審闘争は審理打ち切り・仮執行を阻止する大決戦である。大結集を呼びかける。迂回道路トンネル化のための1月道路切り替え阻止! 団結街道仮処分に勝利しよう。市東さんの農地裁判を闘い、3・27全国集会に空前の大結集を闘いとろう。

2011年1月9日
三里塚芝山連合空港反対同盟

参考リンク

決戦に向け意気高く闘争宣言(反対同盟ブログ)
2011年 三里塚反対同盟団結旗き(関実・三里塚)
三里塚で新年第1波の現地デモと団結旗びらき(『前進』速報版)
旗開き(農家便り)

   

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