| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 49 souka431 2016/2/27 17:06 473 0
ベトナム戦争時の機体。 朝鮮戦争を契機に嘉手納の軍用機はジェット機に変わり、以降次々と新鋭機が投入され続けている。 ベトナム戦争ではB52爆撃機やF4ファントム戦闘機などが投入され、嘉手納から直接ベトナムに出撃していくこともあった。米軍のベトナム侵攻は沖縄なくして実行できなかったし、ベトナム戦争は沖縄の人にとって身近な戦争であった。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 32 souka431 2016/2/27 17:06 481 0
「かでな道の駅」で休憩。正面には嘉手納町出身の野口総管の銅像があります。中国から甘藷を持ち帰って琉球に広め、度重なる飢饉から人々を救った功績でウムウプスー(芋大主)と呼ばれて慕われたそうです。 この琉球の甘藷を1615年にイギリス人が長崎に伝え、さつま芋の名前でたびたびの飢饉から日本の農民を救った。つまり野口総管は間接的に琉球のみならず日本の人々も救った偉人で嘉手納の誇りであるということらしいです。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 53 souka431 2016/2/27 17:06 493 0
「基地の重圧」 土地を盗られただけでなく、生活の隣に入り込んできた軍用基地は、周辺で暮らす人たちに多大な危険と重圧をもたらすものだった。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 24 souka431 2016/2/27 17:06 494 0
「沖縄ぜんざい」というメニューがあったので、甘味が好きな私は興味をもって注文してみました。 かき氷の上につぶあんと白玉をトッピングしたもの。本土の宇治金時などと違って、すごくさっぱりしていて何杯でも食べられそうです。こいつはまた食べたいな。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 46 souka431 2016/2/27 17:06 500 0
こちらが戦前の嘉手納町です。 沖縄戦までの嘉手納町は沖縄本島中部の中核都市として栄えていました。のどかな農産地帯であると同時に、鉄道が走り、製糖工場や学校などがここに集積し、沖縄中部で一番にぎやかな場所として経済的にも発展していました。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 69 souka431 2016/2/27 17:06 506 0
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 66 souka431 2016/2/27 17:06 519 0
さらに北部を目指して車を走らせます。 やっと基地が終わって海辺に出た。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 67 souka431 2016/2/27 17:06 521 0
都会っ子(死語)としては、海が見えるとテンションあがりました。街路樹をはじめとした植生も、本土とは違っていて面白かった。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 34 souka431 2016/2/27 17:06 526 0
見渡せるといっても、広大すぎて端は見えません。そしてものすごい勢いで米軍機が離発着しています。その光景に言葉もありません。
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| 2・22 ジグザグ会沖縄派遣団1日目 15 souka431 2016/2/27 17:06 538 0
沖縄戦の激戦地でもあった嘉数高台についての解説板。
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