私の世代ではやはりこれ。政治的な物議をかもした曲もあったし、サイトの性格上、よほどそちらにしようかとも思ったけれど、あえてこの曲でおくりたいと思います。政治的に利用されたり、変に祭り上げられることを嫌った清志郎さんを私が送るとしたら、、やはりそうすることが一番ふさわしいように思うから。
もともと「ロック魂」に欠ける私だし、そんなにファンというわけでもなかった人間が言うのも本当におこがましいのですが、できることなら、「清志郎さん本当にありがとう、そしてごくろうさまでした」と、私にもせめて一言だけ、そう言わせてください。
忌野清志郎さん死去 58歳
朝日新聞記事より(全文)
バンドRCサクセションやソロで活躍した日本を代表するロックシンガーの忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名栗原清志〈くりはら・きよし〉)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻の栗原景子さん。
(中略) 反原発の楽曲を含むアルバム「カバーズ」(88年)、またパンク風に編曲した「君が代」を収録したアルバム「冬の十字架」(99年)がともに発売中止になり物議を醸す。「北朝鮮に行きたい」と歌うなど、社会問題を果敢に曲に取り込むことでも知られたが、同時に、何かの運動のシンボルに祭り上げられることはかたくなに拒否してきた。
清志郎さん葬儀「雨上がりの夜空に」でお別れ
スポニチニュースより(全文)
がん性リンパ管症のため2日に58歳で他界したロック歌手、忌野清志郎さんの葬儀が4日、都内で営まれた。読経の代わりに清志郎さんの名曲の数々が流れた“ロック葬”。出棺前の最後の別れでは代表曲「雨あがりの夜空に」を参列者全員で合唱。別れを惜しむ「アンコール!」の声が飛ぶなど、まるでライブハウスのような興奮と深い悲しみが交錯したフィナーレとなった。
「皆さまのアンコールにお応えしてもう1回行くぞ!」。司会者の声に約110人の参列者は「イエーッ!」と興奮の拳を突き上げた。音楽仲間もスタッフもそして遺族も、全員が「雨あがりの夜空に」の明快なリズムに合わせて拍手し、跳びはねる。でもその顔は涙でボロボロ。叫ぶように歌いながら泣いている。(後略)
▼オノ・ヨーコ(05、07年、清志郎さんがジョン・レノン・スーパー・ライブに出演)「ロックが世界を変える」と言ってあなたが熱唱してくれたイマジンを私は決して忘れることはありません。アジア、アフリカの子供たちに学校を贈るという私たちの夢をあなたも共有してくれました。感謝しています。
ほら!ここにいるぜ!
そして・・・愛しあってるかーい!
◇忌野清志郎のこと(ですぺら)
◇追悼 忌野清志郎(つぶやき手帳)
◇「パンク君が代」&「人間のクズ」(サブカル雑食手帳)
◇忌野清志郎逝く(反米嫌日戦線)
◇清志郎逝く(いとえーつれづれ草)
◇忌野清志郎さん(スナフの酔いどれ日記)
◇「忌野清志郎」…愛しあってるかい?(dr.stoneflyの戯れ言)
◇バンドマンに捧ぐ(イルコモンズのふた )
◇清志郎(千恵子@詠む)
◇忌野清志郎が死んでしまった(夕暮菜日記)
◇雨上がりの夜空に旅だった「忌野清志郎さんの死」(保坂展人のどこどこ日記)
◇忌野清志郎さん逝く(きっこのブログ)
◇「愛し合う」ということ(きっこのブログ)
◇忌野清志郎さんが亡くなった(大津留公彦のブログ2)
◇これから夜空に半月を見つけたら(JanJan)
◇いまひとりで(てつブロ)
◇忌野清志郎 追悼 期間限定BAR at 二条木屋町(まなゆうのガブ飲みワイン日記)
◇眠れやしないから、こんな夜に(なめぴょん )
◇さようなら、忌野清志郎さん(らくちんランプ)
◇追悼:忌野清志郎(七曜堂)
◇渋谷で見た。「忌野清志郎・追悼」の文字の前で跪く人(そろそろ)
◇キヨシローはオーティスに会えたかな?会えるといいね(北北東に針路をとれ)
◇追悼・忌野清志郎さん(げばらくんのぼちぼちぶろぐ)
◇僕の忌野清志郎感(こんぱすコーチの全方位日記 )
◇忌野清志郎を偲んで(プロの仕掛け人日記)
◇忌野清志郎さんにいただいたメッセージたち(1000000人のキャンドルナイト)
◇Rock’nRollの求道者 忌野清志郎(いまを書き記す)
◇忌野清志郎さんと子どもの日(草仏教ブログ)
◇忌野清志郎ショック(28歳独身♀による現実当否)
◇忌野清志郎のような「カドが立つ」表現者が、今の社会には足りている?アンケート(ヨロンチョ)
◇忌野清志郎といふ人(the world is mine)
◇忌野清志郎、もっと早くに魂に触れたかったな(Take it easy!)
◇忌野清志郎といふ人(the world is mine)
◇忌野清志郎氏と在野精神(弁護士ニシカワケンイチの日々ブログ)
◇忌野清志郎さんありがとう(るるる♪日記)
◇忌野清志郎の魂(英語教育の哲学的探究2)
◇忌野清志郎・死去(世評不感症の詩)
◇忌野清志郎さん、さようなら(NPO法人スウィング)
◇世の中全部、黒く、黒く、ぬりつぶせ!(へそ帝あみの華麗なる日常)
◇保守系オピニオン誌「諸君!」休刊。そして忌野清志郎さんのロックの保守感覚(unimogroove の音楽中毒生活)
◇忌野清志郎さんが亡くなったショックはでかい(何を見ても何かを思い出す)
寿命だぜ、ベイベー!! 天国でそんな風に清志郎さんはシャウトしているかもしれない。 また会おうと微笑んでいるかもしれない。
NPO法人スウィング 木ノ戸さんのブログより
清志郎さんは死んでしまったが、 清志郎さんの遺した音楽、言葉、生き方は、 これからも生き続けてゆく。 それらの宝物を強く抱きしめ、 清志郎さんがそうしたように どんなブルースだって楽しみ、生きてゆきたい。
ずっと夢見させてくれてありがとう 僕は Day Dream Believer …
ぼくらの大好きなおじさん。 さようなら。
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草加様、トラバありがとうございました。
「北北東に針路をとれ」の管理人natunohi69です。今、なぜか、キヨシロー
のフォーク・トリオ時代の名曲『シュー』(別名『烏合の衆』)の歌詞が心にしみています。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND29141/index.html
なぜか、RCのライブはYOU TUBEにないので、MOJO CLUBのバージョンを貼り付けておきます。悪しからず。
http://www.youtube.com/watch?v=0zm3q26F-lQ
トラックバックありがとう!
サイトトップにあるチェ・ゲバラの台詞、私も大好きです。
4/9の記事ですが、、、、
デスラーやドメルは、ヤマトの乗組員に相応の敬意を払ってます。
ネトウヨと同列にするのは、いかがのものかと。。。
忌野清志郎さんが亡くなったショックはでかい
ぼくらの世代にとって、彼(およびRCサクセション)の存在は音楽ライフを語る上でとてつもなく大きい。 思えば高校生の頃に、友人が「聴いてみろよ」と貸してくれたカセットテープが初のRC体験だった。日本のロックというものを訳もなく軽蔑していた八〇年代初頭の高校生...
一言だけ。
最後のアルバム『夢助』は大傑作。特に「激しい雨」は泣ける。
歌い手は去ってしまっても、歌は永遠に生き続ける。キヨシローは不滅なのだ。
また、一人、己のみを信じて、あらゆる国家、組織、党派を信じず生きたつわものが、亡くなりました。
「将軍」太田 竜 5月19日死す。
毀誉褒貶の多い人生を送った方ですが、日本にいち早くトロツキズムを紹介した貴重な先人の一人であったことは間違いないです。
1969年夏、法政大学のバリケードの中で直接教わった、「あらゆる、国家、組織、党派を盲信するな」という太田「将軍」の教えは、今も私の中に生きています。