懐古的資料室の一環として、「ブントスレ保管庫」をオープンさせました。
某巨大掲示板群の共産板において数年間にわたって続き、現在も一応は残っている同スレのうち、今のところ、2003年分と2004年分だけ完成しています※。今後も一週間に一年分くらいのペースで追加していく心積もりでいます。また、本編以外にも関連スレもいくつか収録しており、それは今後の分も適時収録していく予定です。
※注)サイトのシステム変更にともない、現在はブログへの統合移植作業中です(2019.05)
このスレッドは運動の歴史化という意味で非常に貴重な内容が多く、何よりもそのことを考慮して、当サイトにおいても、重要な一次資料としてここに保存しておかねばと思い立ったものです。
なお、明確な荒らしや広告投稿などは削除して話題を追いかけやすくしようかとも思いましたが、判断に迷うものもありますし、どうしても主観がまじりますので、すべて2ちゃん公開時のまんまで収録しています。問題のある投稿も散見されると思いますが、記録と言う性質上ご容赦くだされば幸いです。いずれ時間ができましたら、読みやすくした編集済みバージョンもぼちぼちと公開したいと思います。
※注)ほんのわずかですが整理に着手し、差別などの明確な人権侵害や、読書のリズムを阻害し、かつ全く無内容なものを整理しました(2019.05)
さて、最初に2ちゃんねる共産板に同スレが「80年代のブント(戦旗)活動家よ思い出を語れ」というスレタイで立ったのは2003年のことです。
1 :名無しさん@3周年:03/10/07 19:15
‘80年代、まだブント(戦旗)が左翼党派だった頃..
3・8分裂を乗り越え、用水闘争を戦い抜き、
次々と結集する仲間と共に
トマホーク、レーガン、全斗煥、諮問押捺など数々の政治的課題を
勇猛に、そして陽気に闘った仲間よ....今思い出を語れ!
オレはさっさと消耗してコケたが、まあその辺はお互い様っちゅーことで(w
80年代のブント(戦旗)活動家よ思い出を語れ
「パラチェン」とやらを果たして左翼思想からテイクオフした(要するに左翼思想を放棄した)SENKI派(=現アクティオ)は、まだまだなんかよくわかんない変な奴という目で見られていたし、さらにパラチェン後の97年に彼らが引き起こしてしまったロフト事件で叩かれまくっていた記憶もまだ新しかった頃です。騒動も下火になっていたとは言え、どうせこんなスレ立てても叩かれまくるだけで短期に消滅するだろうと思われました。
ところが実際には比較的に良スレとして展開し、ちょうど同じ頃に活動していた他党派や他潮流の元活動家も合流してその2、その3と続いて徐々に名物スレ化し、現在でも「アクティオを語れ」という後継スレが、その49として続いています。ただし当初の「80年代活動家よ思い出を語れ」という趣旨とは全く別物になっていますので、基本的には終了したスレだと言っていいと思います。
どこで「消滅」したかは判断が難しいところかもしれませんが、とにかく私も参加してとても楽しいスレだった。資料としての価値以外にも、スレのかつての参加者の皆さんや、このスレの存在を知らなかった皆さん、さらに趣味者の方々とも共有できるように、消滅したと思われる時点まで見やすい形で記録を残しておくのもいいかもしれないと思いました。
何より「読みかえしてみて面白かったから」ということがありますね。これをdat落ちのまんま埋もれさせておくのはもったいない。だって普通に面白いんだもん(笑)。一般には知られていない貴重な証言や新事実もたくさんここで公開されましたしね。繰り返しになりますが、歴史化の一環としても保存していいだろうと思ったから。
さらには、いわゆる2ちゃん独特の「煽り」や「荒らし」も適当な分量で入っている。こういう言い方が適切なのかどうか私にはわかりませんが、「古き良き2ちゃんねる」とでも言いましょうか、いわば2ちゃんの古いベテランさんが「煽りと荒らしは2ちゃんの花」とか言っている、そういう緊張感というか、今の(とりわけ政治系の板の多くで見られるような)プロ的に人を傷つけることを目的とする輩の殺伐としたものとは少し違う雰囲気がこのスレにはまだ残ってたんじゃないかと。それも保存しておきたいなと思った。
ここが良スレになった理由にはいくつかの要因があると思いますが、「80年代活動家の思い出」と限定したことが一番大きかったでしょうね。僕らより上の世代だと、もうここに書いたような「2ちゃんねるの雰囲気を楽しむ」ことができないみたいですし。単純に「読む価値のある投稿が少なすぎる」という判断になるみたい。まあ、そりゃそうかもしれません。下品な思い出話や下ネタも満載ですしね。ごめんね価値がなくて(笑)。
それと、80年代の戦旗・共産同というのは、戦旗派の歴史の中でも最良の時代だったということも大きいでしょう。情勢的にも新左翼運動の波はすでに過ぎ去っていましたが、全体的にそれなりの勢力はまだ残っていた。そしてその中で戦旗・共産同だけが数年で組織を倍以上の規模にするくらいの成長を続けていて意気軒昂だった。
みんなが生き生きしていたし、組織的な上下なんて関係なく、言いたいことを言い合う自由な雰囲気に満ちていました。そしてみんなが自己の個人的な利害なんて顧みずに、韓国民衆の民主化闘争や三里塚農民の苦闘に連帯し、純粋な思いでそれこそがむしゃらかつ「野蛮」に活動していた。弾圧も投獄もなにも怖くなかったし、いつも上を向いており、そして未来は輝いて見えたもんでした。
何よりこの頃の戦旗派というのは、ものすごく「わかりやすかった」そして運動圏の中では説得力のある主張をしていたと思うのですよ(異論があるだろうことは承知だけど)。この時代を共に過ごした人にはやはり独特の連帯感があるなあと思う。
世間がバブル全盛で浮かれている時代に、自己犠牲的な活動に邁進し、そして運動としては左翼が凋落しており、でも自分達だけはどんどん伸びている。こういう二重三重のギャップが様々な思い出を生んでいます。あとはまあ、アンチ戦旗の人が叩くために立てた「ブントについて」というスレが同時期にありましたので、アンチ派と思い出話派がうまく住み分けができたとかもありますね。
まあ、口上はこれくらいにして本編をお楽しみ(?)くださいな。
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