今年は異変も伝えられますが、紫陽花の季節がやってきました。雨に濡れた紫陽花の花に魅かれるようになったのはいつの頃か定かではないのですが、こころがなごみます。
この季節、いつも国会周辺は大変なのですが、そうした中で忘れられないのが樺美智子さんです。彼女が国会構内に向かってデモの中で亡くなられたのは1960年6月15日のことです。もう、57年も前の事ですがその記憶は色あせずあります。自然に思い出されます。当時、樺さんと同じように大学生だった僕もいつの間にか70の半ばを越える年になりました。「また、立ち返る水無月の…」という言葉が自然に浮かんでくるように、あの日のことも樺さんのことも忘れずにやってきます。
あれから、僕は樺さんのことは断続的であれ、ずぅーと考え続けてきました。言葉には言いあわわせない思いという他ないものです。樺さんへの問いかけも、彼女の声として聞きとるものもいろいろと変化してきたからです。もし変わらないことがあるとすれば、僕らの生きられた時間が彼女にとって可能性としてだけあったということです。彼女の微笑み浮かべた写真に接する時のこの痛切な思いは変わらずにあります。これは、戦中派の人々が身近な戦死者のことを思う時と同じなのかもしれません。
樺さんの生きられた可能性の時間を僕らは想像するだけですが、それは樺さんとの対話であり、心の行きかいです。それは樺さんが自分の生きた歴史の一部としてあることなのでしようか。同時代を生きた証であり、縁なのかも知れません。そんな樺さん会いに行く日が6月15日です。
いつものように6月15日(木)13時から国会南門にて樺さんを偲ぶ会をやります。会はいつもと変わらないもので、主催も9条改憲阻止の会です。花はこちらで用意いたしますが、また、こころの花も含めてそれぞれでも御持ちください。この文章を持ってご案内とします(文責:三上治)。