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運動組織論

プーチンの侵略を曖昧にする戦争理解の混乱について

史上はじめて稼働中の原発が攻撃され安全神話がさらに揺らいだ(ザポリージャ原発)

プーチンの原発攻撃の愚挙に驚きながら

 プーチンが核の使用をちらつかせ、威嚇をしていることは驚きだったが、原発の攻撃までやることはさらなる驚きである。正確な情報かどうかわかららないが、僕の家で購読している新聞には原発砲撃とういう報道があった。プーチンは今度の軍事侵攻で原発をどうする気なのであろうか、彼は原発を抑え、ゼレンスキー政権を屈服させるための人質のように原発を使う気か。

 正確な情報がわからないから憶測で語るしかないが、この軍事行動で原発がどうされるのか、どう使われるのか、核兵器の使用ともども大変気になることだ。原発と戦争ということは誰も考えないで済んできたことだろうが、僕らは新しい事実というか,事態に直面している。

 戦争というのは何でもありだということになるのだろうが、原発事故の恐ろしさを見てきた僕らは事態をよく見ておかなければならないし、理由の如何に関わらず原発に手を出すなと言いたい。何をやるかわからないという恐怖が独裁的(専制的・強権的)な政治家や国家権力に抱く恐怖であり、僕らはそれを今、プーチンの言動にみている。

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抵抗続くウクライナへの支援と連帯を

国連本部前にて(毎日新聞より)

 ロシアのウクライナ侵攻から、これを書いている段階で早くも一週間が過ぎたのであるが、僕がここでまず感じることはウクライナの民衆がよく抵抗しているということであり、短期でウクライナ政権を挿げ替えるというプーチンの野望は頓挫したということである。

 プーチンは次の手立てを考えているのだろうが、短期決戦で軍事的に抑え込みということは難しくなっているのだろうと推察される。軍事力に非対称的差は、爆撃などでは大きく作用するが、人が決定的になる地上戦では、この軍事力の差は機能しないと思う。

 各国から義勇兵がかけつけているという報道をみる。僕も若かったら行きたいところだ。軍事経験がなければ足手まといになるだろうが、精神的な支援にはなるのだろうし、それが大事なのだろうと思う。

侵略をあいまいにする見解の流布について

 プーチンの軍事的侵攻は文字通り侵略でありこのことは明瞭にしておかないといけない。NATOの拡大とか、ウクライナ政権の動きにロシアの側の戦争を誘発した原因があるとか、情報が偏っているとか、いろいろの見解が流布されているが、ロシアの侵略ということをあいまいにさせてはならない。

 何故、こんな見解が流布されるのかというと二つの理由があるように思う。一つはプーチンの今度の軍事侵攻がなぜ起こされたのか認識というか、つかみにくいということがある。確かに、NATOの拡大とか、ウクライナ内部のロシア系住民との軋轢とかプーチンが口実にしてものは理由らしいものとしてある。これは情報としてあるのだが、それを信じるのでなく、こうした言説を検討してみれば、理由ではないことがすぐわかるしろものだ。

 もう一つは戦争が帝国主義戦争としてあるという観念があって、それはかつての時代では大きな力を持ってきた。この経済過程に原因を置く戦争への理解は一面的であり、第二次世界大戦後はそれだけでは戦争を全面的に理解できないということが続いてきたのだが、これが影響しているのだと思う。

かつての旧ソ連圏内部での戦争の構造

ソ連の戦車に抵抗する市民(1968年チェコ侵攻)

 第二次世界大戦後の戦争にはアメリカによる戦争とともに、社会主義圏(社会主義共同体)の内部で起こった戦争も多くあったのだが、これがきちんと総括(対象化)されずにきた。これが今度のプーチンの戦争をつかまえる妨げになっている。

 それは主要に統治権力の問題として起こったもので、これら戦後の社会主義圏(社会主義共同体)の各国で起こったのは社会主義権力(スターン主義的権力)への反抗だった。その過程で旧ソ連は社会主義圏といわれた諸国に軍事侵攻をした。ハンガリーからチェコやポーランドなどがすぐに想起される。

 そこでの問題は社会主義圏と言われた諸国とソ連の関係が、帝国主義国とその支配下にある国家とに類似した関係であったということと、旧ソ連を含め社会主義国家が独裁的・専制的権力形態をとっていたということにある。ゆえにここでの反乱は独裁的・専制的権力からの脱却を目指すものとして起こったのだが、旧ソ連はそれに戦車を差し向けたのである。

旧ソ連の立場を国家主義に転換して引き継ぐプーチン

 プーチンは旧ソ連の立場をロシア帝国の復活(社会主義共同体からロシア帝国へ)という形でその反動的再編を目指している。そして、彼は旧ソ連の独裁的・専制的統治体制をロシアが保持することでも反動的対応をしてきた。

 彼は旧ソ連が当時の社会主義国家に対して行った軍事行動を、形を変えて行っているといえるのであるが、そこにあるのはロシア帝国の復活であり、専制的、独裁的統治の保持であり、拡大である。

 プーチンはかつてのように帝国主義からの社会主義の防衛、あるいは自衛という言葉は使わない。国家危機とか安全保障の確保、ロシア系住民の権利保護などを使う。しかし、ロシア帝国の復活、あるいは独裁的・強権的統治の拡大という意味で旧ソ連の権力形態の保持を図り、そのための戦争をも辞ないということで似ている。そういえると思う。

独裁的・国家主義的な統治は必ず行き詰まる

 確かにプーチンは国家主義者であり、ロシア民族とのウクライナ民族との一体性に執着している点でナショナリズムの信奉者かもしれない。彼が独裁的・強権的政治家であり、好戦的なのはそこからきていることを見ておかなければならない。

 僕は前回の原稿でプーチンの統治(独裁的、強権的政治)の危機が、僕が想像するよりも深い形で進行しているのではないかと書いた。僕の直感というか、想像は的外れでないと思う。ロシア内部の反戦機運は静かに拡大している。情報を遮断し、軍事統制を強めている。ウクライナの市民や地域住民の抵抗とロシアの市民や地域住民の動きはまだ、分断されているが、契機があればどこかで連帯の動きが鮮明になると思う。

 これはかつての旧ソ連の社会主義国に戦車を差し向けた時とは違っていることだ。

味岡修(三上治)

※注:各章の見出しは旗旗にてつけたものです

味岡 修(三上 治)

文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。