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とうとうおっぱじめたか、ロシアのウクライナ侵攻

プーチン
米国にNATO拡大の中止を求めるプーチン大統領(2021.12.23 記者会会見)

by 味岡 修

戦争に言い訳の余地などない

 期待を込めてということも含めてプーチンはウクライナ侵攻を我慢するのではないか、侵攻は踏みとどまるのではないか、と思っていた。彼はウクライナ侵攻という賭けに出るかもしれないと想像はしていたが、それは五分五分とみていた。プーチンは予想超えて侵攻という賭けに出たのであるが、この行為にいかなる意味でも言い訳の余地はない。非難するのも馬鹿々々しいほどのことだ。これは明瞭に言っておくべきことであると思う。

ウクライナ避難民
戦火に追われるウクライナの人々

 報道にへだたりがあるとか、アメリカ一辺倒だとか、批判や危惧が表明されているが、そんなことは明瞭にした上での話である。繰り返すがこれははっきりと言っておくべきことである。制裁も含めた対応の問題はいろいろあるにしても、中国外相の「理解する」という擁護は各国の発言の中でも最低である。とても聞くに耐えない。中国の強権的政治を露呈させているだけといえる。

ソ連圏崩壊のはじまりだったハンガリー侵攻

 人々の反応というか、評価は様々であるだろうが、僕はなによりもプーチンのロシア統治というか、プーチン政治は僕らが予想するよりも、深刻な危機的状況にあるということを直観した。どんな経緯をたどるにしてもプーチン政治の終わりの開始だと予測する。その意味でこの蛮行に反対するロシアの人々の動きになりよりも注目している。それだけがこの問題を解決していく道であろうとも思えるからだ。ウクライナの人々には深く同情するが、それでもどんな形であれ、抵抗が続くことを願う。

 あれはまだ、中学の三年生だったと思う。学校の帰りにイギリスとフランスのエジプト介入(スエズ運河支配)に反対するナセルの武装抵抗の報道を知り、深い衝撃を受けた。イギリス帝国主義批判とアラブ革命に共感した。その同じ年のハンガリアでは国内における政治改革にソビエト(ロシア)が軍事介入し、これに対する国民の武装抵抗があった。当時のハンガリア首相(ナジ)がソ連軍に拉致され抵抗する声をラジオで聞いて興奮した。俺も同じ事態になったら武装抵抗し、戦車に火炎弾で向かっていけるだろうかと想像した。

 このハンガリー動乱は戦後のソ連圏(社会主義圏)の解体と崩壊の始まりだった。敗戦を契機に拡大したソ連圏(社会主義圏)の解体と崩壊の始まりであり、これはベルリンの壁の崩壊まで続いた。このハンガリア国民に対する軍事介入(軍事的制圧)は、ソ連(社会主義国)サイドでは、社会主義国家に対する帝国主義国家の策謀の排除、あるいは社会主義の自衛の行動という形で正当化された。

 この事件を契機にソ連圏(社会主義圏)への疑念と批判が生まれたが、ソ連の行動を正当化する考え(社会主義の防衛・自衛)が左翼では強かった。社会主義圏が崩壊するとか、ソ連が解体するとかということは想像できない絶対的体制という意識は強く、だからソ連の行動を擁護する考えも強かった。社会主義国の核兵器はきれいな兵器であるとか、社会主義国の戦争は正義の戦争だという言説がまかり通っていたのである。(ある時期、日本共産党はそういう言説を取っていた)。確かに新左翼という存在があり、こうした言説に批判的だったことはあるが、それはまだ少数派だった。

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外敵ではなく内部の強権的統治が危機を生む

 ここで指摘しておきたいことはソ連圏(社会主義圏)の崩壊と解体は、彼らがかつて言ったような帝国主義国からの介入や攻撃で起こったのではないということである。具体的にいえばNATO軍の介入や攻撃によって崩壊したのではないということである。当時、社会主義圏ではワルショワ条約があったが、NATO軍がソ連圏の内部国の反権力・反体制的動きに介入し、ワルショワ条約軍を攻撃したことはないのである。ソ連圏(社会主義)の崩壊はその内で体制(権力構造、統治権力)の矛盾で起こった、つまりは強権的で専制的な権力構造の矛盾の展開がもたらしたのである。このことはよく知っておかなければならない。

ソ連崩壊
ソ連崩壊(1991)

 プーチンがNATOの拡大が自国の安全保障の危機ということを盛んに宣伝し、戦争の理由にあげるが、NATO軍が核保有国であるロシアに戦争を仕掛けるとは誰も思っていない。こういう言説は説得力がない。このことをプーチンは百も承知のはずである。なぜこんなことを口実にし、戦争までするのか。これはプーチンには戦争で解決したい危機があり、その口実にほかの理由がないから、これを使っているだけである。要するに統治権力の危機を戦争によって解消したいのである。その口実にしているだけである。

 社会主義圏が次々と崩壊し、ソ連も崩壊したのは統治権力のあり方をめぐる問題であった。だから、どういう統治権力を作るかが課題であったし、それに成功しなければ政治的不安定を抱えることになる。
 社会主義権力(強権的、専制的権力)の後にどういう統治権力を創るかは旧社会主義国家の課題であったが、プーチンはイデオロギー的に社会主義というのは掲げないが、強権的で専制的な国家権力を存続させた。エリツインの政権もあったから、旧ソ連の統治権力をイデオロギー抜きで再生、保持してきたというべきか。彼の帝国主義的政治と言われるものである。この展開は中国では徹底した強権的体制としてあり、人々の意識や意思を抑えこむことで安定しているように見える。だがそれは批判や政治意思を社会の深部に閉じ込めているだけである。抑え込んでいるだけなのだ。

内部矛盾を戦争に転嫁する権力者のあり方

 プーチンは習近平と似ているといえる。違う点は、プーチンは反体制派というか、そういう部分を抱えていて政治的に不安定であるということだ。プーチンは強権的に自己の反対派などを抑え込み切れてはいない。ここにプーチンが戦争に乗り出す大きな契機があると考えられる。戦争はある段階までは統治権力を強める。どのような理由であれ、強い拝外主義とナショナルな契機を生み統治観力を強めるのである。統治権力の危機を一時的せよ延ばさせる。

プーチンと習近平
プーチンは習近平と似ている

 戦争を形成する条件は人々が他(他の国家あるいは共同体)に対して恐怖の共同意識を持つことである。この恐怖の意識はいろいろの形で培われるものである。例えば、9・11はアメリカの人々に衝撃と恐怖感をもたらした。これは9・11のビル攻撃の規模と正体不明さが恐怖感を生み出したのだが、時の政府(ブッシュ大統領)はこれを戦争に誘導したのである。

 もともとこの攻撃は他の国家からしかけられたものではなく、政治グループから仕掛けられたものだから、治安的、警察的に対応すべきことだった。それを戦争にしたのはブッシュが戦争を望んでいたからである。ただ、ここで見ておくべきはここには人々の恐怖の共同性ということがすでにあったことだ。9・11で生まれた恐怖の共同性をアフガニスタン戦争やイラクまで戦争まで誘導したのだが、その基盤はあったことは見ておくべきことだ。

強権化するしかないプーチンの矛盾

 プーチンは戦争の動機にNATOの拡大によるロシアの安全保障が脅かされるという。これは一般的な国家危機論である。これは一般的なお話というか、通りのいい言葉であるが、少し立ち入って検討すれば根拠がないことがすぐわかる。

NATO軍事同盟の東方拡大
NATO軍事同盟の拡大

 確かにアメリカの追い込みかたにそのことは幾分かみいだせるということはある。アメリカは外交解決を口にしてはいるが本気で外交解決する気はなかった。これに対するプーチンは自己の統治権力のありようが支持を得ない、反対派が多いという危機感がある。彼の恐怖は自己の統治権力が弱く、絶えず反対派の動きにかき回されることだ。この解決は国民の支持を得る権力へと統治権力を変革するしかない。そこで彼は強権化し、専制を強める形でしか対応できない。これは習近平も同じである。

 プーチンはこのことが自己の統治権力の弱さの解決にならないことはよくわかっているし、旧社会主義権力がなぜ崩壊したかも熟知しているはずだ。ただ、彼は旧社会主義権力をイデオロギーだけ抜いて再生させ、保持している。そこで深まる危機に対して、かつてなら社会主義にたいする攻撃としたものを、ロシア国家への攻撃として対応しようとする。それがNATOの拡大がロシアの安全保障上の危機だという場合の中身である。かつてなら社会主義への資本主義からの攻撃としていたものを、ロシアへの国家攻撃にかえてやっているのである。

 ここで実はプーチンは自己の統治権力の危機を、国家危機にすり変えるということをやっているわけだ。プーチンは自己の統治観力の弱さ、そこからくる恐怖を、NATOの拡大による恐怖(軍事的に侵攻されるかもしれないという恐怖)にすり替えている。自己の統治権力の弱さを、他国に対する戦争によって、国民の統治権力への支持で補おうとしているのだ。そのためには他国(NATO)からの脅威をでっちあげ、そこから対抗的戦争の口実を生みだし、戦争まで仕掛けているのだ。

 このプーチンの政治的策術はプーチンを支える政治的支持層(官僚)や軍などには一定程度は共有されると推察される、何故なら、彼らはプーチンの統治権力の危機と国家権力の危機を重ねられる場にあるからだ、彼らは国家危機(プーチンのいう安全保障上の危機)を危機として受け取れる立場にあるからだ。他の国家からの脅威というのは国家権力の立場にあれば、それは受け取りやすい。

 それなら国民はどうだろうか、多分、ロシアの国民はプーチンの恐怖感を共同の恐怖感として受け止めていないように思う。プーチンのすり替えをわかっているともいえる。ロシアの国民はウクライナ問題に関心が薄いと伝えられるが、多分、これは正しいのであろう。国民はウクライナがNATOにはいればロシアの安全保障が侵される、つまりは戦争状態が生まれるなどとは思っていない。ウクライナのロシア系住民の権利保護という点では心動かされるところもあるだろうが、そこにある政治的工作もわかっているはずだ。

 ロシア国民はNATO拡大の脅威、そのための自衛、そのための戦争を必要と思っていない。プーチンは安全保障の危機ということでナショナリズムを喚起しようとするのだろうが、その心的基盤をロシアの民衆は共有していないと思う。この推測は間違ってはいないと思う。そして、どんな形になるにせよロシアの民衆の中から反戦の声は広く出てくると思う。それが戦争の続行をとどめる力になると思う。その可能性は高い。

「他国の脅威」を体制維持に使う欺瞞性

 ハンガリア事件から始まった社会主義圏の崩壊は社会主義権力の内部矛盾によって生まれたものである。この権力を守ろうとした者たちは自己に批判的な部分を軍事的抑圧し、権力を維持した。その口実に帝国主義やそれに連なるところからの攻撃があり、その自衛のためにやったという宣伝をしてきた。

スターリン漫画

 ウクライナ政権のNATO加盟をそれと同じように使っているのがプーチンだが、プーチンが政権の転覆を呼びかけるというのはその形である。ウクライナ政権がネオナチ的というか、これも帝国主義が攻撃というその類である。自分の方がネオナチなのにそんな批判は滑稽である。かつてソ連がナチ(フアシズム)と闘ったという歴史がそういわしめるのだろうが、それは古い話でソ連を含めた社会主義権力がかつてのフアシズムに類似している強権的、専制的権力であることが明瞭になった現在、こんな批判は当たらない。

 社会主義権力が進歩的なものだという幻想が、戦争はいつも帝国主義戦争だという幻想と重なっていた時代があった。これが旧社会主義権力の宣伝を浸透させていた。それで人々を戸惑わせてもいた。そんなことを想起したが、民衆の殺戮と蛮行を見る目を曇らされてはいけないと思った。

アメリカ民主主義の欠点も露呈

バイデン
アメリカの「正義」は戦争を必要とする

 アメリカの動きについてであるが、バイデンがプーチンを戦争の方に追い詰めているということはある。これは伝統的なアメリカのやり方である。バイデンの大統領選挙で勝利した後の宣言を見れば明瞭であるが、アメリカの民主主義は戦争を媒介にしてあるものだ。いうなら戦争を必要としている。これは戦争の否定を内包する民主主義という現在的課題の民主主義とは相いれない。戦争と民主主義は矛盾するし、非戦と民主主義は両輪のようなものとしてある。それが現在の民主主義だ。

 戦争とセットになっているアメリカの民主主義の限界とそれを超える課題を提示したのは戦後の歴史だ。社会主義権力が崩壊したのはアメリカの民主主義の力ではない。冷戦の結果であり、それをアメリカはアメリカ民主主義の勝利とうぬぼれたのだ。アメリカの権力は民主主義権力であるという幻想を暴いたのはトランプの登場だったが、それに勝利したバイデンは古い戦後のアメリカ民主主義を再確認したにすぎない。

 NATOへのウクライナ加盟などNATO 拡大がロシアに国家不安の口実を与えることになっていることは多くのひとが指摘するがそれはあると思う。それがプーチンの言い分を浸透させることになっている。そこは見ておかなければならない。アメリカの民主主義は対抗的民主主義であり、限界のあるものだ。自立的民主主義ではない。非民主的な統治権力を敵対視し、それを戦争でもって民主化させるということもやりかねない。

 それは統治権力の民主主義への転換を、統治権力の歴史性を踏まえてやること、つまり内在的に展開していく過程を無視するという傾向をもつのであり、戦争でそれを押し付けるということをやる。
 ここは民主主義が統治権力の歴史性を踏まえて、いうなら統治権力の支配をめぐる闘いの中でそれをどう達成するかということであり、一番難しい点なのだが、そこにアメリカ民主主義は問題というか欠陥がある。

 今回、口では外交的解決と言いながら、本気でそれをやらなかったことは、ある意味でプーチンを戦争に追いやったこともあり、アメリカが結果において戦争に加担しているともいえる。これは僕らが見ておかなければいけないことだ

味岡 修(三上 治)

※注:各章の見出しは旗旗にてつけたものです

ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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味岡 修(三上 治)souka
文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。