著:高杉 健人(1981年10月)
初出『若きボリシェヴィキ』社会主義学生同盟機関誌2号
一九八〇年代以降、革命的左翼の多くが革命的危機の到来を直感しつつも、あるものはそれを「日米争闘戦の危機」と語り、またあるものは「米ソ争闘戦」を語り、より悪質な部分に至っては「ソ社帝主敵」論をかかげ、総じて日帝の戦争策動の本気を看破することなく、むしろこれに屈服しつつあるのがいつわりない現実だ。
今日、革命的左翼の多くの部分が、情勢の「一九三〇年代へのラセン的回帰」とか「ファシズムヘの突入」をかかげ、一九二〇年代におけるドイツ共産党の敗北に対する一面的理解にも助けられつつ、対ファシスト戦への突入を結論づけるという陥穽(かんせい)の中にある。
そしてその根拠とされているのが、一九二〇~三〇年代におけるドイツ共産党の陥穽としての「ファシスト過小評価」であり「社民主要打撃」論なのであるが、しかしながら、ファシストへの「過小評価」は、必ずしも彼らの反革命性、暴力性に対するそれとは言えないのであり、むしろ、何故ファシストは大衆を獲得するに至ったのかという点を、他者の責任や謀略宣伝一般に解消することなく、主体的に切開しえない点にこそ、敗北の真の要因はあったのである。
したがって、この点を無視し、ただもっぱらファシストの暴力性のみに目を奪われるならば、ドイツ共産党の陥穽の裏返しとしての「ファシスト過大評価」に陥るに他ならず、いわば「社民主要打撃」論の裏返しとしての「ファシスト主要打撃」論を展開するにすぎなくなってしまうのだ。そしてそのいきつく先は、帝国主義そのもの=敵の本陣との闘いの回避でしかないのである。
そうであるが故にこそ、われわれはドイツ共産党の敗北を真にとらえ返し、ファシズムとのたたかいを、安保ー日韓闘争の中に位置づけていかねばならない。本稿が追求するのはまさにこの一点である。
すべての同志諸君が本稿を一つの糧としてファシズムの本質をつかみとり、安保-日韓体制打倒闘争の前進に尽力されんことをのぞむものである。