第一回:現代世界の基本動向
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私たちは、それまでソ連一国であった「労働者国家」が群として、つまり複数登場し、これに触発される形で、第三世界民族解放闘争が反帝国主義の闘いとして昂揚してきた第二次世界大戦以降の時代を現代過渡期世界と呼びます。ちなみに一九一七年ロシア革命が世界初のプロレタリア革命として勝利をおさめて以来今日までを単に過渡期世界と呼んでいます。
このような概念を私たちが用いるのは、マルクスが『ゴータ綱領批判』の中で、「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外の何物でもありえない」と語ったところの「政治上の過渡期」と、「労働者国家」が群として登場し、大きな歴史の流れからいえば「資本主義社会から共産主義社会」への「過渡期」ということのできる現代世界との区別と連関を明確にするためです。
私たちは、マルクスがいう資本主義社会から共産主義社会への「革命的転化の時期」としての「過渡期」とは、マルクスが「共産主義は経験的には、主要な諸民族が《一挙かつ同時に》遂行することによってのみ可能である」「(共産主義は)ただ《世界史的》なあり方でしかおよそありえない」と語ったように共産主義が全世界的規模でしか実現不可能である以上、全世界的規模における「過渡期」として、つまり世界プロ独の実現の時期でしかありえないととらえています。そこで、これを「世界過渡期」と呼びます。そして一九一七年ロシア革命の勝利をもって始まった資本主義社会と「労働者国家」並存の時代を「過渡期世界」とよぶのです。
又このほかに「過渡期社会」という概念がありますが、これは前述した「世界過渡期」における国家と市民社会のあり方全体をさすものです。この過渡期社会と現に存在するソ連や中国などの「労働者国家」を区別する意味で、後者を「現代過渡期社会」と呼称する場合もあります。
第二次大戦後の現代を「現代過渡期世界」と概念規定するのは、戦後「労働者国家」が群として登場するなかで、帝国主義(=現代帝国主義)と「労働者国家」(=現代過渡期社会)の双方にそれ以前には存在しなかった新たな事態が生じ、これを現状分析として解明していく必要性が出てきたからです。
それは第一に「労働者国家」の群としての登場に規定されて帝国主義が第一次・第二次大戦のような相互の政治経済的矛盾の戦争への発展を回避するようになり、対立を抱えつつも「労働者国家」や民族解放闘争に対しては結束して敵対することを政策の基本とするようになった点です。つまりNATOや日米安保の形成にみられる共同反革命体制の構築です。この共同反革命のもとでの、ベトナム戦争にみられるような帝国主義の侵略反革命戦争との闘いが反帝闘争の基軸となってきたのです。
第二には、「群」としての登場をかちとったとはいえ基本的には帝国主義の包囲下にある「労働者国家」がブルジョアイデオロギーの侵蝕を受けて変質し、対内的には生産力第一主義と官僚制支配、対外的には帝国主義との平和共存を追求し、各国革命運動の制動者になってしまっていることです。つまり「労働者国家」におけるスターリニスト官僚政治の打倒=補足的第二政治革命を含む国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲の克服が問われるようになったのです。
このため私たちは第二次大戦後の現代を現代過渡期世界としてとらえ、マルクスやレーニンの革命論を継承・発展させた革命戦略(永続世界革命論)をうちたてているのです。
参考文献 ⇒「現代過渡期世界と永続世界革命」(『過渡期世界の革命』改定版)
広義の意味での「帝国主義」とは強大な軍事力をもち、征服による領土の拡張をめざす侵略主義や、侵略主義的な国家のことを指します。例えば古代ローマ帝国などは広義の意味での帝国主義の範疇に入ります。しかしわれわれが通常用いる「帝国主義」とは、レーニンが資本主義の最高の発展段階として規定した「資本主義的帝国主義」のことを言います。
レーニンは『帝国主義論』の中で、帝国主義段階の資本主義の特徴として、(1)生産と資本の集積による独占体の形成、(2)銀行資本と産業資本の結合した金融寡頭制支配の確立、(3)商品の輸出より資本の輸出が重要な意義を有していること、(4)国際的独占体による世界の分割、(5)最大の資本主義的列強による領土的分割の完了、の「五つの標識」をかかげました。そしてレーニンは帝国主義諸列強の不均等発展から、後発帝国主義による領土の再分割の要求が生じ、植民地争奪戦が必然化するとしました。具体的に言えば第一次大戦がこのレーニンの言う植民地争奪戦です。
以上のレーニン『帝国主義論』の内容をふまえて、私たちは帝国主義の本質を、(A)重工業・鉱業を中心とする株式会社形態をとった独占体の形成、と(B)この独占体形成過程で必然化する銀行資本と産業資本の結合による金融寡頭制支配、すなわちドイツを典型とする後発帝国主義のあり方として捉えています。また金融資本の確立によって、国内においては、(ア)資本の自由競争よりも、カルテル、トラスト等の独占体の支配が優位を占め、(イ)農民・小商工業者等の小ブル層が温存されていく傾向をもち、対外政策においては、(ウ)資本輸出、商品輸出市場を確保するための対外膨張=軍事外交政策の展開が後進諸国(今日では第三世界諸国)に対して遂行される、といった点を帝国主義の特徴として押さえています。
このように帝国主義とは金融資本が支配的になった「資本主義の最高の段階」「死滅しつつある資本主義」の内外政策の諸特徴の歴史的傾向を抽出する中から定義されるものです。
この場合注意しなければならないのは、帝国主義を特徴づける諸政策とは、いついかなる時代と状況でも同じような形で遂行される法則性をもったものではなく、あくまでも歴史的な傾向性にすぎない点です。例えば、帝国主義の軍事外交政策の展開はレーニンの時代のように必ず植民地争奪戦から帝国主義間戦争に至るわけではないといったことをふまえておかねばならないのです。
従って私たちは、帝国主義の本質とその諸政策の特徴を資本主義の最高の発展段階の歴史的傾向(=段階論的本質)としておさえた上で、具体的現実的な帝国主義の動向については現状分析として明らかにしなければなりません。
その場合われわれは現代帝国主義の諸特徴として次の三点をあげています。
第一には「労働者国家」が群として登場し、帝国主義の対外膨張に政治軍事的に対立するようになったため、政治的軍事的要因が経済的要因に先行して帝国主義を規定し、帝国主義相互の対立の激化よりも結合を必要とする客観的情勢のもとにおかれていることです。
第二には「労働者国家」群との対抗関係を構築しながら世界支配を貫徹しうる帝国主義は米帝しかおらず、米帝を基軸とした反革命体制の構築が唯一の延命策となっている点。
第三には、帝国主義間の水平分業が強まり、相互依存が深まるなかで、帝国主義の不均等発展が政治軍事的対立(帝間戦争への発展)として発現せず、経済的対立は不断に妥協と協調によって調整せざるを得ないことです。
現代帝国主義の具体的動向はレーニンの時代とは大きく異なっていますが、金融資本主義としての歴史的本質と諸攻撃の傾向性においては依然として変化していません。それ故私たちは米・英・仏・独・伊・日を主要な帝国主義国として規定し、分析を加えているわけです。
⇒「レーニン『帝国主義論』ノート」(「闘う労働者」85年3月号)
⇒「現代過渡期世界と永続世界革命」(『過渡期世界の革命』改訂版)
⇒「最近の世界経済過程の現状と動向」(『人民の戦旗かかげて』)
貧困の問題は社会的、経済的に様々な角度からの考察が可能ですが、私たちの場合、まずもってこれを「帝国主義の腐朽性」の問題に着目して捉えています。ここでいう「腐朽性」とは、後発帝国主義国であるドイツや日本などに特有の政治経済的傾向性のことをいいます。
その特徴の第一は、前問でも触れたプロレタリアートとブルジョアジー以外の中間的階層が構造的に滞留してゆくこと、第二にはプロレタリア階級内部での階層分化で、上層と下層の階層分断(貧困・格差・差別)が固定化し、拡大してゆくことです。
この二つの特徴が現れる根拠はドイツ・日本などの後発帝国主義が、株式資本形態を通じ、遊休貨弊資本を集中することで独占体の形成・金融寡頭制支配を確立してきたところにあります。
株式資本形態を通じた、いわば「上からの」資本集中-独占の形成は重工業を中心として、生産手段に投下する資本(不変資本)の割合が、労働者の賃金にあてられる部分(可変資本)の割合に比して極めて高い、つまり人手を必要とする手工業的生産からはじまるのではなく、最初から高度な有機的構成の下に行なわれるため、あまり多数の労働カを必要としません。従って手工業からはじまったイギリスのように、広範な農民層の分解、一方におけるプロレタリア化と他方における地主階級の農業ブルジヨアジーへの転化が生じないままに資本主義的生産が確立することとなります。ここから農民や中小商工業者の滞留と拡大が必然化されてくるわけです。
このような構造は第二次大戦後、日本はじめ帝国主義列強の復興ー再編が、IMF、ガリオア=エロア資金を通じた主としてアメリカ帝国主義からの経済援助によってやはり上から行われたために、日本やドイツに限らない、現代帝国主義の一般的な特徴となりました。
しかも上からの資本蓄積は、戦後の日本帝国主義に典型的に現れているように、生産手段の改善・拡大を優先する、いわゆる設備投資主導型で行われます。ために企業利潤の拡大にともなう賃上げを条件とした合理化の容認部分(連合、同盟、IMF・JCなどの帝国主義労働運動指導部)を労働者階級内部に生み出す一方、そのしわよせを一身にあびる下層労働者、非正規の臨時工・社外工・日雇い・野宿労働者といった部分の存在を拡大させていくのです。
前述した滞留し拡大する中間諸階層は、景気循環の中で潜在的労働力・失業者群として産業予備軍の位置を占めつつ、労働者階級の最下層としての役割をはたします。かつての農村からの大量の出稼ぎ労働者の問題や、農村や被差別階層の中卒、高卒の下層労働者としての就職、現在の非正規・派遣労働者、日雇い・野宿労働者(ホームレス)、ワーキングプアなどがその具体的現れです。
そして以上述べてきた中間諸階層の滞留、産業予備軍としての存在の固定化と、労働者階級内部の階層分化を支える支配政策として、日帝であるならば部落差別、在日中朝人民への民族差別、女性、障害者、日雇い・野宿労働者への差別等の分断支配、差別排外主義的国民統合が行われてゆくのです。この政治・経済的構造の総体を指して私たちは帝国主義の腐朽性とよびます。
腐朽性にもとづく人民分断支配・差別排外主義的国民統合は帝国主義にとり侵略反革命政策を支えていく国内支配体制作りの重要な支柱です。従って部落差別、在日中朝人民への差別、女性・障害者差別、日雇い・野宿労働者差別等との闘いは日帝打倒の闘いとして戦略的に位置付けられねぱなりません。「部落解放なくして労働者解放なし」を合言葉に闘われた狭山闘争を初めとする部落解放闘争の高揚、被差別大衆と労働者人民の結合はその意味で画期的な意義を有していました。
腐朽性による人民分断支配と闘うにあたっては、賃上げや労働条件改善といった本工(正社員)労働者の都合による自分たちの課題や利害を被差別大衆に押しつけたり、あるいは彼らの戦闘性を本工労働者の運動の尻押しや自分たちの組織のために囲い込んで利用しようとしたりせず、また労働者人民内部に存在する差別排外思想の内的克服を果たしながら、あくまでも共通の敵である日帝打倒の共同の戦列の構築のために奮闘することが必要です。
⇒「レーニン『帝国主義論』ノート」(「闘う労働者」85年3月号)
⇒「現代革命の任務と純プロ主義の誤り」(『ブント主義の再生』)
⇒「競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へ/斉藤日出治」(コモンズ)
この設問に違和感を持つ若い読者が多いみたいなので補足しますが、冷戦時代は本当にそうで、日本を含む国際社会は、お互いに相手陣営の「脅威」を叫ぶ、米ソ二大大国の対立と核軍拡競争に振り回されていたのです(ex.ソ連脅威論)。またあんな時代に逆戻りするはこりごり。別に左翼でなくとも「中国脅威論→対応は軍拡一択」な、まるで冷戦再発を歓迎するような勢力には懐疑的になるのも当然でしょ?
米帝はソ連脅威論を叫び、平和は核で守られていると言います。しかし米帝が核の使用を検討したのは、中国革命・朝鮮戦争・ベトナム戦争に際してでした。つまり、彼等の言う平和とは、第三世界人民の民族解放闘争を圧殺し、帝国主義の権益を守ることでしかありません。
このような帝国主義側の攻撃に対し、ソ連などは核戦争になると革命の未来はないからと帝国主義との平和共存路線をうち出し、一方では人民の希望に反して「抑止力」としての際限のない核軍拡を行ないながら、他方では人民の革命闘争に対してはそれを支援せず、制動しようとしてきたのです。
しかしこうした米ソなど大国の思惑をうちやぶって、ベトナム・ニカラグア等、第三世界人民の民族解放闘争の勝利が闘いとられてきました。又、80年代に入り帝国主義の核軍拡の激化の中、帝国主義本国人民は支配者たちの美辞麗句の裏にあるこうした事実に気付き、陸続と反戦反核闘争に決起して、第三世界人民と共に帝国主義を追いつめる挟撃を開始しています。
総じて、現代世界を規定しているのは、解放を欲する人民の勝利の進撃であると言えます。核をもって自己の利益を守らんとする帝国主義と、帝国主義の核軍拡に規定され核によって自国の利益を守らんとするソ連は、共に没落と破産の姿をさらけだしているのです。
⇒「帝国主義の歴史的没落とスターリン主義の破産、労働者人民の勝利の進撃」(『武装せる蒼生』)
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これも違和感を持つ若い読者がいたので補足。当時のベトナム戦争はまだ歴史ではなく「時代を象徴する戦争」でした。弱小国のベトナムが世界の反戦運動の力もあって、超大国アメリカに勝ってしまったことは、それまでの戦争の常識や地域紛争のイメージ(米ソのような大国が自分の陣地で逆らう奴を軽々と叩き潰す)を一変させてしまいました。「米ソのような大国が世界を規定する力である」という冷戦時代の常識が揺らいだことは、反戦運動にも大きな影響を与えました。
かつての帝国主義列強は、自らの危機を植民地の獲得とその支配の強化によってのり切ろうとし、英独両陣営間での植民地支配をめぐる利害対立を中心とした帝国主義間の植民地争奪戦を演じました。
しかしロシア革命の勝利から第二次大戦を経た中国革命の勝利等に触発され、旧植民地における民族解放革命戦争は高揚し、そのため直接的軍事支配が不可能となった帝国主義は、妥協と懐柔のために旧植民地の政治的独立を認め、かわりに傀儡政権下での経済的支配をなす新植民地主義支配へと後退しました。
つまりそこでは、帝国主義は総体として弱体化し、自国単独では政治的経済的安定を保つ事ができなくなり、IMF・GATT体制の下で帝国主義間の水平分業を強めた結果、帝国主義間の経済対立は不断に政治的協調・調整をなして即戦争に至らなくなります。
そして高揚する旧植民地の解放闘争に対しては共同して対抗し、戦後唯一帝国主義として安定的地位を確保した米帝の経済・政治・軍事におけるヘゲモニーの下に、共同反革命体制(NATO・日米安保等)による傀儡政権への護持を通じて、帝国主義総体の権益を共同して守らんとしているのです。サミットなどはこういうものとしてあります。
しかし帝国主義の妥協と懐柔にもかかわらず 軍事独裁である傀儡政権を打倒し、新植民地主義支配から真の独立を達成することを目的として、民族解放闘争は更なる前進を続けます。そのため、やがて帝国主義総体をして傀儡護持の直接的な軍事介入にのめりこまざるを得ないことになっていきました。それは帝国主義の強さではなく、傀儡を通じた独裁的な手法による新植民地主義経営が破綻に瀕していることの弱さの表現でした。その典型的なものとしてベトナム戦争はありました。
ベトナム戦争は、このような現代過渡期世界の基調を鮮明に示しました。すなわち、新植民地主義支配を護持せんとするフランス、次いでアメリカ帝国主義に対するベトナム人民の民族解放・革命戦争の勝利的前進と、その圧殺をめざす帝国主義の侵略反革命戦争との戦いでした。
帝国主義は巨大な物量をこの戦争に投じましたが、結局「竹やりでB29と戦っている」と評されたベトナム人民の強固な抗戦意志と、各国帝国主義の足元で澎湃と巻き起こった巨大なベトナム反戦闘争が勝利を収めます。一九七五年サイゴン陥落は、ベトナムのみならず帝国主義の戦争策動と闘う全世界の人民の勝利と帝国主義の歴史的な没落を刻印したのです。
つまり第二次大戦後の戦争は、帝国主義の世界制覇の時代が終りをつげ、第三世界人民を中心とした国際階級闘争の一大前進の前に帝国主義総体の覇権が切り縮められ、『死減せん』とする帝国主義のあがき的表現としての侵略反革命戦争と、これを打ち破り、民衆の侵略戦争への動員に反対して人民が勝利する、国境を超えた人民の正義の闘いを軸として捉えられるのです。
たとえば前問で語った様に、ベトナム民族解放闘争は現代における民族の問題、祖国統一の問題であり、同時にプロ独樹立の問題でもありました。
本質的に民族解放はブルジョア民主主義的要求である訳ですが、現在の帝国主義段階、とりわけ第二次大戦後の民族解放闘争はもはや「封建地主に対する資本主義の進歩」を代表するような闘いではなく、帝国主義総体に対する闘いとして現れています。
つまり、帝国主義諸国が安保やNATOなどの共同反革命体制をとっている現代では、宗主国からの独立のために、対立する他の帝国主義から援助を得る(たとえば戦前の日帝は自国権益確保のためにアジア圏の欧州帝からの独立運動を支援した)ようなことはもはや望めません。
又たとえ政治的な独立が得られたとしても、旧宗主国の新植民地主義による金融資本の経済的な隷属下(新植民地主義)では、真の抑圧の止揚は無理な為、第二次大戦後の民族解放運動は帝国主義との全面対決・プロ独樹立の道を選択するようになっていったのです。そういう意味で現代の民族解放闘争は『反帝・反独裁』の闘いとしてあるのです。
それではこうした第三世界の民族解放闘争に比べて、帝国主義本国の右翼ナショナリズムの北方領土返還や朝鮮人排撃はどうでしょうか。それは帝国主義の腐朽性による人民分断統合=差別排外主義攻撃にくみし、人民の戦争への動員をはかる一片の正義性もない、きわめて反動的で悪質なものです。
つまり何もかも「民族主義」として帝国主義本国人民と被抑圧民族とを一緒くたに論ずる事は誤まりで、プロレタリア国際主義に基づき抑圧者と被抑圧者との攻防関係の中で具体的に考えるべきなのです。私達はそういった観点で、腐朽性に抗し、被抑圧民族人民の利害を守りぬき、日帝のアジア再侵略を自国帝国主義打倒として闘いぬいていかねばなりません。
ベトナム革命の勝利は蟻がゾウを負かしたのであり、ベトナム人民が示した『北で生まれ南で死ぬ』革命精神の発露は全世界の被抑圧民族人民に限りない勇気と希望を与え、帝国主義本国の被抑圧階級に闘いのパトスをつくり出させました。
つまり第三世界人民の武装闘争は帝国主義のいかなる攻撃の前にも屈せず、闘う人民の決意と覚悟の前に帝国主義は敗北を強制されること、武装し闘う人民は必勝不敗(人民必勝不敗)であるという、現代史のすう勢を明らかにしたのです。
まさに現代世界は、武装し闘う人民の勝利の時代としてあり、帝国主義を強大なものと見、人民はそれに屈服するかのごとく捉える『帝国主義史観』は現代にあてはまらず、人民の勝利、帝国主義の敗北という『人民史観』こそ闘うわれわれのパトスでなければなりません。
一部の諸君の叫ぶ如き「今帝国主義は世界支配の為、世界戦争を準備しこのままだと負けてしまう。だから起ち上がろう」と危機ばかりアジるのは誤りであり、「全世界の闘う人民の進撃に応え、日帝を打倒しよう」と力強く訴えるべきです。
⇒「帝国主義の歴史的没落とスターリン主義の破産、労働者人民の勝利の進撃」(『武装せる蒼生』)
永続世界革命論で問題としていることは大きく言って二つあります。
第一には、自国帝国主義打倒を通じた一国におけるプロレタリア革命と、共産主義社会をかちとるために絶対に必要な世界プロレタリア革命との連関をどうとらえるか、第二には、革命党の革命戦略並びに革命党の歴史的任務は、歴史的未来のどの段階までを包含するものなのか、です。
まず第一の問題からのべていきましょう。
社会主義社会-共産主義社会の実現は、あくまでも世界的規模でのみ可能です。従って世界革命-世界プロ独の確立は前提であり、全世界は論理的のみならず時間的にも同時に世界社会主義-共産主義へと突入するわけです。
ところが、帝国主義やそのカイライ共を打倒する闘い、つまりプロレタリアートが権力奪取に到る過程での闘いはあくまでも一国のブルジョア権力に対するその国のプロレタリアートの闘いとして闘いぬく以外ありません。マルクスも『共産党宣言』で、「プロレタリアートの闘争は、内容上ではないが形式上は何よりも第一に国民的闘争である。各々の国のプロレタリアートは当然、まず自国のブルジョアジーを片付けねばならない」と言っています。これはブルジョアジーの政治権力が一国的にしか成立しておらず、全世界を一元的に支配する世界国家として存在しているわけではないからです。たとえいくつかの国で同時に革命が勝利したとしても即座に民族の枠や国家の枠をこえてプロ独が成立するとはいえません。
しかしプロ独国家が出発点において一国的にしか成立しえないとしても、共産主義社会が世界的規模でしか成立しない以上、一国的に成立したプロ独国家は世界革命の完遂をめざさねばなりません。マルクスが「内容上ではないが、形式上は」と注釈しているように、勝利したプロ独国家、それを担う党、軍、人民は世界革命完遂を常に日標におき自国を「世界革命の根拠地国家」としていかねばならないのです。つまり他の労働者国家や未だ帝国主義の下に支配されている人民と連帯し、帝国主義をさらに追いつめ、一国プロ独を世界プロ独へと止揚・発展させていくことが必要なのです。
私たちがスターリン主義を「一国主義」だと批判するのは、この一国プロ独の世界プロ独への止揚・発展の任務を放棄し、自国の防衛を第一に考えて、他国の人民の革命に制動を加えるからです。このようなスターリン主義との党派闘争は一国における権力奪取の過程のみならず、世界プロ独の形成に到る過程でも続行しなければなりません。
第二の問題に移ります。
一国プロ独の世界プロ独への止揚をもってブルジョ了ジーから政治権力を奪取する闘いは終わり、世界プロ独期=世界過渡期を通して階級対立の止揚と国家の揚棄が課題となります。そして世界社会主義の段階に到って、階級対立は止揚され、国家も死滅します。マルクスが『共産党宣言』で「プロレタリアートは…… 階級一般を廃止し、それによって階級としての自分自身を廃止する」それによって「各人の自由な発展が万人の自由な発展のための条件となるようなひとつの協働体があらわれる」と語っている段階への到達です。この段階までプロレタリアートは階級闘争を継続していかねばなりません。従って革命党のもつべき革命戦略はこの世界社会主義までの過程を包含するものとしてうち立てられるわけです。
しかし、世界社会主義になっても革命党それ自身の存在と任務は終わりません。共同体統制機関のもとで世界社会主義が世界共産主義へと至るまで、革命党は政治的思想的に人民を領導する任務を負います。そして世界共産主義社会、つまり「万人が一人のために一人が万人のために生きる社会」がおとずれることによって万人が共産主義者として自己形成をなしえた時、革命党はその歴史的任務を終え、死滅していくのです。
要約すれぱ、共産主義革命運動とは一国の下での政治権力奪取をもって終わるのではなく、世界プロ独樹立、世界社会主義、世界共産主義の実現までをその概念のうちにはらんでおり、また革命党の任務も同様です。この壮大な歴史的事業の達成まで、革命党は「永続的」に自らを高め、変革し、人民の先頭に立って闘いぬかねばならないというのが「永続世界革命論」の思想的ガイストです。
⇒「世界革命戦略の措定をめぐる問題」(『過渡期世界の革命』改訂版)
コメントを見る
世界プロ独とか意味が分かりません。でも楽しそうでなによりです。
ありがとうございます。
一章は討論の材料ですので、これだけ読んで即理解は厳しいかな?
でも昔の人(特に学生)はこれでちゃんと討論ができたんだよねー。
もっと言うと、70年代は高校生でもこの程度なら揶揄とかではなく、ちゃんと内容に即した批判や討論ができたらしいぞ。
共産主義が行なった(っている)国家による搾取と帝国主義との違いがわかりません。解説して下さい。
ゲストさんのおっしゃるような、いわゆるスターリン主義の人民抑圧の問題については、この問答集の中で繰り返し解説されていますので、そちらをご覧下さい。また、お尋ねの国際共産主義運動の問題については、以下の文章が詳しく論じています。
「左翼運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」
http://bund.jp/?p=25700
国内の問題については、以下が参考になるでしょう。
「共産主義的主体と党風」
http://bund.jp/?p=301
それと、全体主義の問題については、以下の文章もあわせてお読みください。
「現代ファシズム論序説」
http://bund.jp/?p=21965
どれも高校生程度の理解力で充分に読みこなせる文章です。それでもわからない言葉などございましたら、まず自分でググってください。いくらでも解説があるはずです。
すでにちゃんとした解説があるのですから、上記3つの文章をちゃんと読んで理解した上で、*具体的に*何かの感想がございましたらまた書いてください。
ただ漠然とわからないとか教えてと言われましても、私は教師ではないので、自分で調べてからもう一度出直してきてねとしか言えません。
ソ連は核戦争になると革命の未来はない!
革命の未来?
つか、人類の未来がないと思います。
まあ、その前に「ソ連」がなくなりましたが(^O^)
>Q3.貧困や格差の問題をどのように考えるべきですか
繰り返して読みましたが、腐朽性という言葉がよくわかりません。私は、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は帝国主義と敵対していると思っているのですが(北京放送や朝鮮ラジオではそう言ってました)、これらの国の方が相対的に腐朽性が高いと思うのは間違っているのでしょうか。
腐朽性というのは経済学用語の日本語訳として使われている言葉です。法律学の用語でも「善意・悪意」という言葉があって、日常会話で使われる意味とは若干ずれているのと同じことです。
腐朽性に対する言葉で寄生性というのもあります。この二つの言葉は、第一次大戦にまでいたる資本主義発展の過程における、ドイツ型モデルとイギリス型モデルと思えばわかりやすいと思います。日本はドイツ型です。
北朝鮮については、典型的な後発スターリン主義国で、特に初期においては開発独裁と言われるものに近いという印象ですが、わたしも調べたことがないのでよくわかりません。
ただ、中国については、ご指摘の通り、日米欧との妥協と和解によって調達した資金や援助を投下しての、上からの急速な資本主義化、そのことによる貧富の格差の拡大、貧困層の増大、農村や地方の窮乏化など、腐朽性理論に合致する側面が大きいと私も思います。
現代の戦争はベトナムでは行なわれていないと思います(たぶん)。シリアやスーダンについてどう理解すればよいか教えてください。
ここで言われている「現代の戦争」は「現在(進行中)の戦争」という意味ではありません。現代と現在の違いくらいはわかっていただけると思います。
その上でまあ、私もこの文章は現在的には不十分だと思います。冷戦終結後の情勢を加味していないからです。
シリアやスーダン情勢については、私も「教える」ほどの知見をもちません。つーか、まず自分がこの文章に対置する、あなたなりの世界情勢に対する認識や歴史観を書いていただかないと、何をどのように答えていいのかわかりません。私は評論家でも学者でもないし、ましてやこの文章の著者でもないのですから。
ただ、特にシリアについてはアメリカの意向だけをベッタリと反映した報道に対して、もう少し客観的に分析するべきだという趣旨から、いろいろなシンポジウムが開催されているようです。私に聞くより、そちらの記事をググってご覧になったほうがいいと思います。
「本質的に民族解放はブルジョア民主主義的要求である」という意味が判りません。専門用語満載、オタッキーです。
え?読んで字の通りですよ。「民族解放」という要求は、本来は左翼のスローガンではないということ。そのまんまの意味です。
封建制や植民地、それによる奴隷的境遇からの解放は、ブルジョア市民革命によってはじまりました。詳しくは中学校の時の教科書をもう一度開いてみてください。
さてはあなた世界史の時間に居眠りしてた?(笑)。まあ、私も物理の時間には居眠りしてたから人のことは言えませんけど(^O^)
それとここは、共産趣味系のオタクサイトでもあるんですよ。まあ、ある意味、ネット上の政治系サイトは7割方がオタッキーです。それを変に「正義」だとか「愛国」だの、自分(たち)だけがこの世の真理を代表したみたいな勘違い野郎が多いから、ネットが住みにくくなるんですよ。お互いにもっと肩の力を抜いていきましょう。
あとなんか勘違いしているみたいですが、この文章は30年くらい前に書かれた古文書です。それをどう料理するかは読む人次第です。オタッキー(共産趣味者)として楽しむもよし、大真面目かつ現在的に議論することだってできるでしょうが、別に冷笑して鼻で笑って済ましてもかまわないんですよ。
なんつーか、あなたちょっとナイーブすぎじゃない?
Q1から読んできましたが、疲れました。どこにでも書いてあることばかりで、酔っぱらいのオッサンより説得力がありません。中国によるチベット支配、アラブにおける宗教紛争などもっと現実的なことで人権の擁護、人類の未来に貢献して下さることを期待します。私の思うところは、世界平和です。皆の平和、あなたの平和。
チベット問題については、このFAQの中に論及があります。
http://bund.jp/?p=25684#12
しかしそもそもこのFAQの内容が「どこにでも書いてある」とはちょっと驚きました。
これは30年前の「過激派」が書いた、武力革命を訴えるための古文書ですよ!それがどこにでも書いてあるのなら、世界は革命情勢ですね(笑)。
だから「説得力がない」というよりは、世の中の標準からして、「全くもって一般的とは言い難い」内容だというのが、特定の価値観に立たない公平な表現だと思いますよ。
むしろゲストさんが断片的に書いておられる価値観のほうが、よ~っぽど一般的で「どこにでも書いてある」ことなのではないですか?
なんせこんな私でも、ブログでは常々そう書いているくらいですからね(爆)。反対する人なんていないんじゃないかな。
だからゲストさんは「世の中の標準」という意味では間違っていない。自信持っていいですよ(笑)。
ただなんか勘違いされておられるようでが、これは「懐古的資料」であって「ブログ記事」ではないんで、この内容でゲストさんを「説得」する気はないです。つか、あまり過度に説得されてしまっても、逆に責任とれないのでちょっと困る(笑)。
シリアについては「シリア アサド政権の40年史 (平凡社新書)が私には大変参考になりました。ただ、ここで書かれているアサド論が正しいかどうかの評価は知識不足で下せませんが、読後の感想としては公正なものを感じます。
アメリカの意向べったりという一面もあるのでしょうが、アラブの報道も今回に関してはシリアに対しどちらかというと批判的ではないかと思います。それは確かにアサドの責任もあるでしょう。これまでやってきた軍事覇権主義を観ればね(しかもベイルート戦争ではPLO見捨てるし)しかし、草加さんのおっしゃるように、確かにアサド側の言い分があまりにも報道されない中、この本はそのバランスをただし、アサド、そしてアサドを支持する側の声も伝えようという意思を感じさせます。アサドがバース党独裁を肯定する憲法の改正を考えていたことなどは初めて知りました
シンポジウムやサイトもいいけど、まだまだ本は大切ですね。まとまった情報が得られます。
ご紹介ありがとうございます
そうですね。やはり本が基本だと思います。
ただ、どうしても、評価の定まっていない現在進行中の問題については、著者の価値観やイデオロギーが強く出ている場合が多いように感じます。どういうものを信じてよいのかと。
そういうときに、自分なりの意見を持つために必要な、本当に信頼できる情報や視点を提供してくれるのが、プロの評論家というものだと思うのですが、最近はむしろ自分の個人的な意見を前面に出す人のほうが受けがよいようです。
いずれにせよ、参考になる書籍のご紹介をありがとうございます。
<過渡期世界論の誤り>
20世紀のロシア革命から、第二次世界大戦を経験し、民族解放闘争を経て、世界地図は赤い国が増え続け、このような楽観論が支配し、攻撃型階級闘争論まで生み出された。
しかし、それは幻だった。
ソ連・東欧の崩壊や市場経済導入の歴史が、現実が、「現代過渡期世界論」の誤謬を証明している。
労働者国家群など存在したのか。社会主義国家などあったのか。
ノーメンクラツーナ(特権官僚)の独裁国家でしかなかった。
既存の「社会主義国家」「労働者国家」は、市場経済導入で、特権官僚がブルジョア化して、強権体制は維持されているので、国家独占資本主義に変容した。
プチブルも増えた。中露も覇権国家そのもので、『帝国主義論』の時代に逆戻り。第一次世界大戦の前夜を彷彿とさせる。
>空飛ぶ杭 さま
ご投稿ありがとうございます。
空飛ぶ杭さまのあげている「反論」は革マル派の理論かな?それとも中国共産党派?まあ今さらどっちでもいいんですけど。
「ソ連=国家独占資本主義」論に対しては、「国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」論文で軽くですが反論が載ってます。
余談かもですが革マル派と言えば、米ソ対立をレーニンの「帝国主義論」に当てはめて、ソ連のほうが押しているくらいの勢いで、ほとんど「ソ連主敵論」でしたよね、あそこは。
んで、もう、ご本人さんたちの主観とは裏腹に、実態的には右翼と変わらなくなっちゃって。左翼の言葉使いでやってることは右翼。あそこまでいくともはやカルトでしたねー。
その「世界を席巻している」主要敵のはずのソ連東欧が一気に瓦解してしまって、かなり整合性をとるのにご苦労なされたようですが(笑)。