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八五年階級闘争を闘い抜くことによって切り拓いた勝利の地平については、以上見てきたとおりである。だがここで忘れてならないことは、ここでの勝利性を保特するためには、わが同盟は今後ますます一層の主体的苦闘を内在化させることが必要であり、その努力の継続ぬきでは勝利の地平を保障できず、総体としての党的生命力を発揮できなくなるような情況性の下に、既に否応なしに入り込んでいるという現実である。
つまりわれわれは勝利と敗北が紙一重の差しかないような闘いを繰り広げ続けているのだ。例えばゲリラ・パルチザン戦闘の組織化は、一歩誤まれば権力による逮捕・投獄を必ず招くし、大衆的実闘争の完遂も、それが獄中完黙闘争の勝利と結合されなければ、逆に組織の脆弱性を露呈するだけの闘いにも成り下がってしまう。
しかも日本におけるプロレタリア解放闘争は、わが同盟だけが闘い抜いているのではなく、前衛党の創造をめざす諸党派は他にいくつも存在しており、それら諸派との拮抗=党派闘争にかちぬくことも、絶対に避けてはとおれない課題である。早い話が双方で七十人からの殺し合いを行い、十数年にわたって党派戦争を繰り広げる革共同両派は、われわれよりも未だ強い勢力として君臨しており、その脅威に対する対処は焦眉の課題となっている。
八五年階級闘争の勝利性の確認と共に、必ずおさえられるべきことは、ゆえにわれわれが直面した課題性についてであり、如何なる困難が今直接に我々を取り巻いているのかの対象化をここで行っておかなければならない。
それはまず第一に、八三、八四、八五年のわれわれの在り方を直接に規定した八三年三・八分裂後の中核派による党派戦争宣言と、それへの対処、つまり内ゲバ主義を対日帝武装闘争の貫徹により逆規定する闘い方の到達地平=転換性の問題である。それは要するに中核派が八四年九月十九日自民党本部襲撃以来、現象的には路線転換し、八五年4・12ロケット弾による成田・羽田両空港攻撃、七~八月三里塚実力攻防、10・20三里塚大衆的実力決起、十一月動労千葉ストー斉蜂起に見られるように、対日帝実力闘争(しかも大衆的実力決起も内包した)=七〇年安保闘争型の闘い方に方向転換することによって内ゲバ攻撃を対カクマル戦に限定してしまったことにより、われわれがそれに逆に制約される、つまり逆逆規定される関係性の下に現在入りこんでいるということである。
ここでは闘い方の岐路は、人民の大義をかかげた日帝権力に対する非妥協性、不屈性、断固性の中にのみ生じることになり、現時点ではわれわれや第四インターを数倍する組織的規模を持つ彼等の戦闘力の炸裂は、権力に対し全く闘う姿勢を有さない第四インターを叩き潰してしまい、熱田派を少数派に追い込んでしまったのである。
唯一わが同盟は、自ら徹底日帝権力と闘い抜く道を選択することにより人民の支持を保持し、党勢を保つことに勝利をおさめているのであるが、しかしここでの対抗、対日帝実力闘争の爆発により最もよく権力と闘い抜く党派が人民の大義を獲得する関係性の下での党派闘争の勝利のために全力を注ぐべきことが、今やするどくわれわれに突きつけられているのである。
もちろんそれは単なる戦術のエスカレートの問題へと短絡させて把握されてはならない。
われわれはブランキストではない。まさにマルクス・レーニン主義者として、人民の支持を如何に戦闘的に集約するのか、人民の正義と大義を体現する革命党として如何に自己を実現するのかを問題にしているのであり、それが中核派との対抗のうちに闘い取られねばならないということである。
わが同盟ばボリシェヴィキをめざす革命勢力にとり必要な階梯として、そのために必要な階段を一段はいあがることを決意しなければならない。つまり八六年階級攻防にあっては、敵をも震撼せしめるような闘いを必ず実現し、もって人民の希望の星となりうる革命党への自己止揚の道を掃き清めねばならない。
第二の問題として言えることは、かくの如き情況性の到来において、一切が大衆動員のみにさしむけられればそれでよかった時代性から、今やわれわれの持てる力=組織力量は、対日帝実力闘争、ゲリラ・パルチザン戦闘、反弾圧闘争、三里塚闘争における援農・現行隊闘争等に分割して使用される以外なくなり、われわれの持てるエネルギーがそれらに分散消費されることによって、はじめて党勢が保てるような存在構造性の下で、今やわれわれが活路を見い出していかねばならないという問題である。
それは要するに、わが同盟が左翼反対派的な一サークルの位置を脱し、主流派政治を展開するまでに成長を遂げ、そうであるがゆえに日本革命運動に一層の責任を負うわねばならなくなったことの表れであるのだが、この責務に応え闘いを担いきることのみが人民の信頼の獲得につながることを、全同盟的に意志統一しきっていかねばならない。こうした経緯を経ず、責任を分与されないまま主流派になったり革命党として自立していくことは有りえないのであり、ゆえにわれわれはそうした情況の中でも泣き事をいわず動員を保持するべく闘い抜ける主体、文字どおりのボリシェヴィキ勢力への自己脱皮をかちとっていかねばならないのである。
闘えば弾圧を受けるのは自明であり、弾圧を受ければその打開のための幾多のエネルギーを消費せねばならないのは、いわずもがなのことである。ここにおいて問われることは、その困難性を突破してなおかつ党勢を拡大するような主体、「戦えば戦う程強くなる」主体へとわれわれが飛躍することであり、弾圧の前にヘタって「何故こうなってしまったのか」をいくら解釈しても、問題の解決には何もならないのだ。
八五年五月所沢航空管制所攻撃や、9・29辺田大会戦の敢行によって、まちがいなくわれわれはこうした試練にさらされた。埼玉県警の破防法弾圧=活動家潰しにより、組織したばかりの労共闘メンバーは次々と帰順させられ、又主要力-ドルを獄中に奪われることによって、例えばBCDにあっては組織の体制さえもが作れない状況が現出した。
われわれが意志統一すべきは、しかしながらそこでの困難性をお互いに承認しあうことであってはならない点である。革命党としてのわれわれは、如何なる試練にも耐え、必ず勝利せねばならないのである。
こうした点で、12・15集会で大きく盛り返したBCDはともかく、これまでの最大地区党であったGHIが停滞しつづけていることは、わが同盟の若さ、未熟さ、甘さ、脆弱性のひとつの表現であり、早急に克服されねばならない課題である。
いついかなる時であろうと、飛躍をかけて闘いぬけば、みずからが意志的に闘いぬいたという主体的責任性において、闘いに応じた弾圧や、体制の保全のために必要なエネルギーは消費されざるをえない。ゆえにわれわれに問われることは、そうした試練と困難をかいくぐってなお伸張するパトス、精神力、根性、主要には政治的器量をつちかうことであり、この課題性に八六年階級攻防においては是非とも応えきっていきたい。
第三には、第二の問題との関連で、投獄も死をも恐れず破防法弾圧にさらされることに耐えぬく主体の問題である。八五年の闘いにあっては、文字どおりわれわれは日帝権力の徹底した破防法型弾圧にさらされた。その総括としで確認されるべきことは、小手先の技術では権力に勝利できないことを覚悟し、腹を固めて非妥協に闘いぬく必然、そのための主体の飛躍である。
9・29戦闘後の弾圧に対する対処にあっては、われわれはこの点でいくつかの不充分性を残した。もちろん 「完全」などということは実際上はありえないのだということを差し引いても、主観的な「偽装転向」だとか。「全面供述」だとか、喋ってないようなふりをして実際上は雑談に応じ、「一定供述」してるとかの、様々な不充分性も部分的にではあるが露呈してしまったのである。
これはゆゆしい問題であり、断じて曖昧化してしまってはならないことである。何故ならばそこで現出していることは、革命者が権力に対し屈服するという、帰順・転向の問題なのであり、何をどうとりつくろおうと、結局は破防法弾圧への敗退の問題なのである。弾圧経験があったとかなかったとかいうことは、そこでは一切言い訳にならない。
大衆的実力闘争を組織し、ゲリラ・パルチザン戦闘を担うことは、実際大変なことである。だがその重みにヘタってしまったのでは、フィリピン人民に学ぶとか、韓国民衆に連帯する、あるいは中米人民の苦闘に応えるなどといったところで、全部ウソッパチにしかならないのである。
政治的に対象化されるべきことは、八〇年代革命闘争の地平とは、あらゆる曖昧な対処、わけても日帝国家権力に対する幻想とか、取り引きなどは一切成立しない「戦争」の連なりなのだということであり、破防法弾圧にさらされる必然性に対して、これを受けて立つ主体の構築が厳しく要請されるのである。
ゆえにわれわれは、八六年階級闘争の勝利のためには、権力に屈服することを前提化するような発想、権力と「取り引き」することが可能であるかのように思い込むサークル根性の払拭を強固に意志一致せねばならない。もはや情況は七〇年代に見られたようなモラトリアムを許さず、革命運動の牧歌的時代は既にすぎ去っているのである。
絶対に権力弾圧に対する対処については、かかる基準は厳然と守りぬかれねばならない。それが革命運動の権威を守り、人民の信頼を作り上げ、勝利を保障するのだ。
これらの点で、われわれはその前進にもかかわらず、八五年階級闘争の領導においては依然として不充分性を残し、克服すべき課題を残した。それはわれわれを取り巻く情況の困難性に還元されてはならないことであり、八六年階級闘争の根底的な勝利のためには、これらの課題の克服のために全党が尽力し、死力をつくして闘いぬくことを訴える。