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以上述べてきたことのまとめとして、八六年階級攻防における取り組みの骨子を最後に明らかにしたい。
八六年階級攻防は、わが同盟戦旗・共産同にとり乾坤一擲の飛躍をかけた年である。政治過程における課題の重要性(三里塚二期決戦、天皇在位六十年式典、東京サミット等)もさることながら、第四インター系列にも中核派系列にも属さない独立独歩の革命党派としてのプレゼンス、大衆運動領導における規定力、そして青年期の党派から勝利を持続させる革命党への飛躍性において、わが同盟は八六年を革命党の創造におけるターニング・ポイントにあたる年として戦取しぬかなければならない。
ありていに言えば、八六年階級攻防に対する規定力の発現において、わが同盟は革共同系列につぐ第一級の党派としての地歩を打ち固めることもできるし、又そうでない場合にはインターと同じように、結局は二流の党派でしかないのだというマイナーな位置にもおち込んでしまうのである。
そういう分水嶺にたっているのだ。ゆえにわが同盟は、全党全軍の総力をあげた決戦の年として八六年を戦取する。
その第一の核心は、まず天皇在位六十年式典(4・29)および東京サミット(5・4)粉砕闘争において、武装し闘う革命党としての戦闘力、戦争遂行能力を全的に発揮し、徹底した階級的実力攻防を作り出し、日帝支配階級に対し、日本プロレタリアート人民の不屈の意志、日本帝国主義打倒の決意性と覚悟を、はっきりと刻印することである。
中曽根の戦争国家計画は、八六年をしあげの年として仕組まれている。行革審答申も国鉄分割・民営化も国家秘密法も、立法化され実施にうつされるのはすべて八六年だ。中曽根は八六年秋の政権交代までにすべてをやり切り、それをもって手前勝手な「昭和維新」の断行に勝利したと宣言を発し、三選をも狙いつつ花道を飾ろうとしている。この右翼ファシストの夢想を絶対に許してはならない。
われわれがわれわれみずからの手でこれを粉砕するのだ。そのためにはまずもって徹底した、やれるだけのことはすべてやり切ったと言えるような闘いを、4・29~5・4に対したたきつけていかねばならない。これまでの最大のゲリラ・パルチザン戦闘、これまでの最大の大衆的実力決起を断固として敢行しぬくのだ。その力は既にわが同盟の組織力の中に完全に蓄積されている。闘う決意と勝つ覚悟は今や全党全軍にみなぎっている。動員的にも4・29~5・4に対しては、××××名の人民結集を必ず実現する決意をもって臨み、「戦えば戦う程強くなる」革命党の底力を必ず開示しようではないか。
しかるのちに第二には6・15反安保闘争の領導において、第四インター・プロ青同など協商懇右派グループが完全な無力感にさいなまれるようなヘゲモニー性を発揮し、協商懇系列の再編成に対し左からのクサビを打ちこみきり、共闘関係の再編と左のプレート形成に結節点をつくりあげることである。たんに独立独歩であるというにとどまらず、戦旗系列といえるまでの統一戦線、共闘関係的領導性を作りあげることがその獲得目標だ。
もって八三年三・八分裂以来つづいている協商懇右派構造=インター・プロ青との「党派闘争」に、とどめをさすのである。
つまりわが同盟は七五年の「連帯する会」参加以来、第四インターの「弟分」みたいに把握される位置にいたのであるが、八五~八六年の階級攻防をつうじ立場を逆転させ、わが同盟が彼等を規定する関係性に上昇しなければならない。これは必ずできる課題であり、既に実際上かかる政治関係は作り上げられつつある。この関係性の構造化、これをめざし闘いぬかねばならない。
第三には三里塚二期決戦における熱田派全体の「闘う反対同盟」としての領導、および政府・公団に対する非妥協・不屈の全人民決起の組織化である。二期予算が成立し、三段階方針にもとづく二期着工が既に開始されているとしても、決定的な地点では政府・公団が一歩も手を出せないような非和解性を作りあげること、具体的には用地内農民を守り抜き、「売らない、作らせない」の階級攻防を徹底化させることがそこでの目的である。
そのためには第十七次現行隊を必要に応じ、この春にも派遣し、又警備用道路建設に対しても、党的エネルギーのすべてを出しつくした闘いを絶対に組織化しきらねばならない。三里塚二期決戦に対する死力を尽くした決起は、これまで言ってきたことの論理の帰結であり、回避することは絶対に許されない闘いである。だからこそ必ず勝利するのだ。
軍事的戦闘能力を高めあげ、中国人民解放軍のように闘いぬき、必ず勝利をおさめようではないか。
第四には主要には夏以降の過程の問題として、皇太子皇訪韓阻止闘争(九月頃といわれている)の組織化をはかりつつ八七年四月の上福岡市議選に対する準備を開始することである。
首都圏各地区党が上福岡市内に拠点を建設し、住民票移動のうけ入れ体制を作り上げることが、そこでの課題である。それにより岩木英二氏のぜがひでもの当選を克ちとり、革命的議会主義の立場にのっとった議会進出のメドを作り上げていく必要がある。
わが同盟がさらに拡大し、日本階級闘争に対する規定力を高め上げていくためには、議会進出闘争に勝利することは絶対に必要であり、そのためにも上福岡の闘いに勝ちきることが、全党的課題なのである。
一九八三年四月の選挙闘争においては、それがはじめての党的経験であったということもあって、全党を動員して闘いぬくまでには至らなかったわけであるが、今回はそうはいかない。必勝を期し、必ず岩木氏を上福岡市議会に送り込むのだという重大な決意をもって、ありとあらゆる手段を尽し勝利を克ちとろうではないか。
全党全軍の同志諸君!
わが同盟戦旗・共産同の大衆動員力は今や××××名規模にまで高め上げられているが、かつて400名動員を構造化させたのは一九八〇年のことにすぎない。それ以降の六年開に文字通り飛躍につぐ飛躍、発展につぐ発展を実現し、今日の規模にまでみずからを高め上げてきたのである。この六年間のすさまじいまでの急発展の過程は、同時に全党全軍の同志諸君の発展過程でもあったのだ。われわれは団結をかため、ひとつの党を守りはぐくむことを掟として、一歩一歩前進してきた。そして着実にたゆみなく成果をかちとってきた。その成果として今やわが同盟に対しつきつけられている課題が、この前進をひきつぎつつ、政治展開における青年期の党派からの脱皮をかけた飛躍を克ちとることである。政治展開における青年期の党派からの脱皮を克ちとるとは、力を構造化させ、定着したものとなしつつ、日本階級闘争に対する規定力においてメジャーな存在になっていくということだ。
そのための試練の年が一九八六年である。
日帝支配階級が重要な政治課題をすべてこの年に実現しようとし、しかも権力機構の再編=侵略反革命国家としての自立をかけた攻撃をしかけてきている以上、闘う日本人民の戦闘的コアとしてわれわれは、これをうけてたち、粉砕しつくさなければならないのだ。
もってフィリピン人民、韓国民衆が作り上げている素晴しい闘いの領域に一歩でも二歩でもにじりより、安保-日韓体制打倒の全アジア的決起の一翼を担うのだ。真の国際連帯、プロレタリア国際主義の旗幟を鮮明に、第二次ブントがやれなかった党建設と闘いを実現し、ブントをこえたブントとして、おのれを定立しきろうではないか。
全党全軍の同志諸君、想起せよ!
わが同盟は今日まで、ありとあらゆる試練に耐えてきた。一九七三年のアダチ分派問題も克服したし、一九八三年の中核派による党派戦争宣言に対しても、結局これをはねかえし、攻撃をしかけられない関係性をつくりあげてきた。しかもその過程で本部ビル建設に勝利し、M22を開発し、9・29辺田大会戦を組織化するなど、要するにやるといったことは必ずやりきってきた。
わが同盟の権威、不抜性に対する信頼、期待は日増しに人民の中に高まり、注目はどんどん強まっている。ゆえに今やわれわれの課題は、「闘うか闘わないかではなく、いかにすれば勝利できるのかが問題だ」という光州事態白書にみられる韓国民衆の問いかけにこたえること、つまり勝利を持続させる党の創造に勝利することだ。
あらゆる試練はそれをこえでた地点で主体に血肉化され、主体の強化は又次の発展をもたらす。その点でもわが同盟の発展は弁証法的なものである。そのための試練への挑戦、政治展開における青年期の党派からの脱皮をかけた死力を尽くした決起、これを是非とも本一九八六年においてやりきらねばならない。
目標は××××名動員を実現することと、党開設以来の、文字通り三・二六に迫り、のりこえるような闘いを実現すること、この二つだ。この二つの課題に応えきり、プロレタリア日本革命にむけた階梯を今よりも一段あがること、各人が現在よりもみずからを高めあげた存在性へと自己止揚をとげること、これを何としてでも実現しよう。殉革精神を発揮し、人民の勝利のために己をささげきり、歴史に戦旗・共産同の名を刻みこむために共に奮闘せよ!
「勝利か死か! 人民は必ず勝利する」、この言葉を断じて忘却してはならない。死をも賭す決意で一九八六年決戦に突入せよ。人民は必勝であり不敗であるがゆえに、わが同盟もまた必ず勝利する! 共に勝利を克ちとろう!
(一九八六年一月)