「ニュースとお知らせ」コーナーの、京都市長選に関する記事に、珍しくコメントをいただきました。うちはアクセス数から考えても、異様なくらいコメントが少ないサイトでして(泣)、さらにニュースのコーナーへのコメントはさらに少ない(たまにランキングくらいは押せよな)。めったにないことなので、あんまり嬉しくて一生懸命にレスを書きました。一生懸命すぎて、コメント欄とは思えない、ものすごい長文になってしまいました。そういう場合の例にもれず、もったいないので、今回もエントリに再利用しちゃいます。京都市長選や反(脱)原発運動の内容的な論争について、私はまったくの無知ですので、ひょっとしたら、とんでもない的外れを書いているかもしれません。その場合はご教示いただけましたら、勉強になるので喜びます。
ゲストさん>
いろいろと重要なご指摘をありがとうございます。うちはサイトの外では感想とか激励とかよくいただくんですが、コメント投稿がめったにありません。なぜその感想を直接書いてくれないのかときくと「なんか濃すぎて書き込むのが恐い」のだそうです(笑)。それだけに、こうしてたまにコメントをいただくと、とっても嬉しいです。あらためまして、ありがとうございます。恐くないので(爆)、これからもお気軽にお願いします。
さて、沖縄知事選の「新基地反対」でもそうでしたが、重要な争点について、今まで基地や原発などに反対せず、あまつさえ推進してきた勢力が、言葉の上で「同じ主張」を掲げて争点化をさけるという戦術をとりました。争点さえあいまいにしてしまえば、あとは支持政党の基礎票の多いほうが勝つという作戦であったと思います。残念ながらこの策略が的中したことは投票率の低さが雄弁に物語っています。共産党も含めた本物の「オール与党体制」だった船橋市政時代も含めて史上4番目の低さというのですからね。市民に争点が浸透しなかった点、とりわけ無党派層を投票所へと足を運ばせるまでにいたらなかったことは深刻です。実はここをもっと「ぜひ考えてほしい」と思う。
もちろんそのような門川氏の策略が欺瞞的であることは明白です。当選さえしてしまえばあとは何とでもなるということです。門川氏はかなりの危機感をもっていたようで、唐突に「脱原発」を言い出したことはもちろん、直前の大阪市長選では対立候補を応援しておきながら、手のひらを返して橋下大阪市長に擦り寄り、その応援をあてにする無節操ぶり(→産経新聞報道)など、まさになりふりかまわないもので、「脱原発」もその流れ、いわば橋下氏にあやかったものでもあったのでしょう。本当に「脱原発」を貫けばどうなるのか、しがらみをふっきって場合によっては山田知事や自民・民主と対立することも辞さないのか、その覚悟も決意も門川氏にあるとは思えず、ちょっとしたポーズでお茶を濁すことは今から目に見えています。
この点につき、沖縄知事選でもそうでしたが、選挙期間中において、はっきりとそのことを批判し、違いを明確に示して、その違いを争点として浮上させていく努力は正当なものであると思います。沖縄知事選でも、基地問題が争点であると認識されていた選挙選のスタート時には、基礎票の違いを乗り越え、現職とほぼ互角の情勢であったものが、現職が新基地反対を言葉の上で打ち出して争点隠しをはかるにつれ、徐々に水をあけられていったものです。
それは残念なことではありますし、反省しなくてはいけない点も多々あるでしょう。ですが、とりあえず結果が出てしまった後は、今度は現職候補が言葉の上だけであろうがなんだろうが、「公約」として打ち出した「新基地は受け入れない」とか「脱原発」という約束を、しつかりと守らせていく、それを「なんちゃって」にしないで、実質を伴ったものにしていくように要求し、監視していくことが重要になっていくと思います。沖縄ではそれがそれなりの力を発揮していると思うし、少なくとも、知事は基地反対の主張に真っ向から対立することができないところに追い込まれています。
その意味で、中村氏が選挙結果を受けた第一声として、門川氏に「私と同じ公約を掲げたのだから、それをしっかり守れ」と言ったことそれ自体は正当であると思います。中村氏を支持した陣営にとって、今後は門川氏の公約を、「ちゃんとやりましたってば」というようなアリバイ工作、「なんちゃって」なものにさせず、しっかり「私と同じ」、つまり内容のともなったものにしていくよう要求する闘いが待っています。それは沖縄と同じです。
それを「ついに中村は自分が門川と同じであることを自白した」みたいな書きかたでは、まるで一昔前の新左翼党派の機関紙を読まされているような気がします。そういうロジックでは同じ主張をもっている仲間内とか、運動界隈ではともかく、そういうロジックに慣れていない一般の運動経験のない人々の心に届かず、かえって反感ばかり買うのではないでしょうか。
かつてこういう「線引きロジック」が多様されたのは、自分と同じ考えのコアな「仲間」を同心円的に広げていく、つまり、あまり「一般的」とはいえない主張でまとまったセクト的な運動においては、それが極めて有効な手法であったからです。しかしネット時代においては、そういった同心円的な発展を追求する、いわば純化路線とでもいうべき手法それ自体の有効性がきわめて疑問であると私は思っています。今は「一枚岩の団結」よりも多様性を含んだ運動のほうが人を集めている。また、ごく少人数の段階ならまだしも、運動がある程度社会性を帯びてきた段階で、そもそも一枚岩の運動なんてものが、情報筒抜けのネット社会で維持できるのかという疑問がある。一方で、そういった運動の欠点である、すぐに仲間内で喧嘩になりやすいとか、外の人間から見れば「ささいな違い」で分裂してしまい、その分裂した両派ともに(=運動の総体として)力を失っていくという欠点だけが残ります。議論や批判を封じるのはよくない。まして「中村氏を批判してはいけない」とか言っているのではなく、その点を考えてうまくやっていただきたいなと思います。
さて、そのことはどうしても言っておきたかった点でして、とりあえず頭の片隅にでも置いといて、ときどきにでも思い出していただければ、それだけでも幸いです。やはり本論は「脱原発」として語られる中村氏の政策への批判ですよね。
ゲストさんの主張を要約すると、中村さん本人の問題点としてあげられているのは、1)「即時廃炉」でなく「少なくとも10年以内にすべて廃炉」と主張している。2)共産党と安斎郁郎氏を批判していない(逆に共闘している)。3)福島などから恒久的に避難させるべきと言わない。だから信用できない。いっしょにやれない。選挙でも支持するべきでない。しょせんは批判対象でしかないだろう。というようなところかなと感じました。
これについては、私としてはどうも充分にお答えできそうにありません。脱(反)原発運動については、私はまったくの素人で、そこらを歩いている人と変わりありません。今、そういう人がたくさんデモに参加しています。別の見方をするならば、私のレベルの「反原発意識をもっている人」を説得できないような主張では、とうてい他の一般の人を説得はできないと思いますよ。
また、議論については、どんなものにしてもそうですが、これはゲストさんの立ち位置や、もっている思想(発想)体系、世界観など、つまり個別の主張の先にどういった世界を見ておられるのかを、たとえ簡単にでも書いていただかないと、ちゃんとした論評はできないです。全体としての印象は、私の世代だと、80年代くらいの、ディープエコロジストによる、一般的なレベルのエコロジストや左派政党に対する批判を思いださせるものでした。私は追いかけていないのでさっぱりわからないのですが、特に欧州における、そういった論争はどうなったんでしょうね。ドイツでは緑の党が政権に参加していく過程で、強硬なディープエコロジストはむしろ党内で力を失っていったように聞いてますが(間違っていたら指摘してね)、いずれにせよちゃんと歴史化して、日本でも教訓にしていかないといけませんね。まあ、私はエコロジストではないので、教訓化していくにしても立場が違ってくると思いますが。
共産党や安斎郁郎さんについても、私も含めて世間的には脱(反)原発の側と認識されていますよね。線を引くなら「こちら側」の仲間だと。その仲間がみんなでまとまってくれて、(結果として)脱原発への道筋をちゃんとつけてくれるなら、それは「いいこと」のように、私レベルの運動や政治にまったく足がかりも発言権もない市井の人間は、単純に期待してしまうんですけどね(ダメですか?)。
その「こちら側」の内部でいろいろ論争して、少しでも早く脱原発を実現できるようにもっていくのはいいことだと思いますよ、もちろんそれはそうなんです。けれどもゲストさんの言い方ではそうではなくて、「即時」と言わないものはすべて敵(批判対象)だ、いっしょにやってはいけない、そういうふうに読めます。そういうのも、どうかなあと思ってしまいました。中村さんが「反原発右翼」と共闘して日の丸に敬礼しているとか言うんならまったく別次元の話になりますが、私らがデモや選挙でたかだか共産党と同席することとくらい、その共産党を批判することと完全に両立する(すべき)と思うんだけどなあ。
安斎さんは脱原発の講演会でもよく呼ばれているみたいで、わりとコアな話や専門的な話よりも、もっと一般にわかりやすいというか、受け入れやすいような話をする人だと思っていましたが、違うのかな。それを安斎さんとリアルでお知り合いでもあるだろう中村さんが、全体として「安斎さんは素晴らしい人」と言っても、その一言だけをもってして、中村さんを全否定することは私にはできないなあ。
これに対して、ガレキの話はとてもわかりやすかったです。「ガレキではなく避難の受け入れを」というのもわかりやすい。でも中村さんはガレキは受け入れないと言っているわけですよね。きっといろいろ悩んでよく考えて、その末に「福島のガレキは受け入れるべきでない」という結論に達したのではないでしょうか。私は中村さんが自分の頭で考えて悩んでそういう結論に達したことを歓迎したいと思います。それを表明が遅くなったことを自己批判(?)しろというのはあんまりだと感じました。共産党が「受け入れ拒否」の候補を支援しつつも、一方でこの問題に沈黙していることを批判するのは大切だと思うけれど、だからこそ中村さんの表明はむしろ歓迎すべき方向で、応援するべきだと思いました。
反原発の内容について、ちゃんとした反応ができなくて申し訳ありません。でも、コメントの趣旨は、「中村は味方ではない。信用できない。いっしょにやるな。応援するな」ということですよね。で、共産党批判にウェイトがかかっているなと感じました。だからその趣旨に対する反応を書かせていただいたわけです。
総じてまず第一に、「復興なんかではなく、まだ残っている人を即時かつ恒久的に避難させねばならない」、「食品に安全な基準などない『微量』でも放射線があったら全部アウトなのだ」、「原発の周辺に人が住んでいること自体が許せない犠牲である」、そういうことが読者の前提として当然にあるかのような文章ですが、残念ながら、必ずしもそれは広く一般的な認識になっているとは言い難いのではないでしょうか。煎じ詰めれば中村さんたちが、こういった認識を共有していないことを批判しておられるわけでしょ?だったら運動内部の討論ならいざ知らず、ネットで一般に呼びかけるのなら、まずそのことを説明していただいて、それから「にもかかわらず中村氏は」と続けていただいたほうが、私としてはわかりやすかったですね。
これは老婆心ですが、そうでないと、一般に「凝り固まった人なのかな」という印象を与えてしまって反感を呼びやすいです。ゲストさんからは「この認識の浅い愚民め」と罵られそうですが、そう思ってしまうくらい、書きかたや話し方ひとつで、あなたはずいぶんと損をされていると思いますよ。この人は、自分の主張に100%同意できない人を「敵」認定しているんだろうな、運動の多様性を認められない人なのかなと(実際は違うにしても)そう思えてしまうのです。
第二に、「原発はすべてなくしてしまうべきだ」という人を応援してはいけないのかなと思いました。
もちろん「原発はないほうがいいけれども現状では(ムニャムニャ)」という言い方をする勢力は、電力会社の掲げる「原発によるバラ色の未来」キャンペーンがまかり通っていた10年20年前ならまた別ですが、現在では味方とはいえません。なぜなら、今現在そう言っている人の本質は「脱原発の皮をかぶった推進派」だからです。「ないほうがいい」のはもはや全人民的に共有された当たり前の前提となった。今やそれだけでは何も言ったことにならない。ゆえにそれは「バラ色の原発」に変わって出てきた原発推進派の新手のレトリックなんですよね。つまり推進派がその線まで撤退し、こぞってそこに結集し、時には脱原発派を詐称してまで「絶対防衛線」を敷いているということであり、逆に言えば私たちがそこまで押しているということです。次はこの絶対防衛線を共同した力で破らないといけないのが今の情勢です。
まあ、どちらにしても推進派が「敵」であることはわかりますが、「すべてなくすべき」という人の内部で、「即時に」と「順次に」という人が合い争うというのは、外部の人間としてはついていけないものを感じます。いずれは原発の廃止が決定して、そういうことが第一の争点になる日がくるのだろうし、その時には「順次派」は第一の論敵であって「味方」ではなくなるでしょう。ですが、今そんなことで分裂していられるほど余裕しゃくしゃくな段階なんだろうかと考え込んでしまいます。
私がこういうことを書くのも、90年代にせっかく脱原発の機運が盛り上がりながら、脱原発派と反原発派(これも外部からみると違いがよくわかりません)が、会議のたびにつかみあいの大喧嘩になり、お互いの違いばかり強調しあって、ついていけなくなった一般の人がどんどん離れていき、運動がやせ細ってつぶれていったという話をあちこちで聞かされたことがあります。なんでそんなことになるのか、運動の外の人間にはさっぱり理解できません。
きっとご本人たちには無視できない重要な「違い」だったのでしょうが、それにしてもガキすぎると思います。福島事故の責任は、推進派はもちろんのこと万死に値しますが、せっかく盛り上がった運動を、こんなガキな態度で自壊させていった反対運動の側も、その責任の一端を負うことは免れないと思います。そこは最近運動に入った人も含めて自覚してほしい。そして絶対に同じことを繰り返さないでほしい。もちろん議論を抑圧して口をふさぐのはよくありません。大いにしていただいて、「運動内部のモザイク的な多様性」は何が何でも保障しないといけんと思います。でもそんなつぶしあいが「議論」の名に値するのかなと思います。
まあ、ブログとか読んでもらえればわかりますが、私はこういう発想の人間です。そしてそれは、運動に深くかかわっていない(つまり大多数の)人と同じだと思っています。誰それを「批判していない」とか言われても、「原発推進と反原発」など誰が見てもあきらかな、大衆的に明確になっているものならいざ知らず、そうではない運動内部の議論を「大衆的な課題」にまで押し上げて踏み絵を迫るその発想そのものが、内ゲバ主義以外の何者でもないと思います。そういうのに大衆はとてもじゃないがついていけないのです。
とりあえず、ご自分でも言っておられるように、自分のいるところ、やっている運動をしっかりしていきましょうよ。反対派内部で潰しあうのではなくてね。しっかりと献身的に運動している人には黙っていても人はついてきますし、その足を引っ張る人からは離れていくものです。ちょうど安保闘争や全共闘運動、三里塚闘争などに人が魅力や正義性を感じてそこに集まり、それに敵対した共産党が現場では孤立していったようにです。共産党を批判するのなら、そういう形で実践的に示していくことで実現されていくのだと思いますよ。社共や総評が強かった時代には、それを批判して違いを際立たせ、そこから人を引っ張ってくるという戦術(主にカクマルのお得意ですが)も有効性がありましたが、今やそんな「資源」は枯渇しています。左派内部でさえ、社共批判なんてとっくのとうに前提であり、そんなものは織り込み済みの上で一緒にやっているのですから。
ともかく、「ことあるごとに足を引っ張る人」になってはいけません。ガレキの問題でもきっとそうです。運動を続けていく中では「エゴ」で反対している人にもきっと出会うと思う。そういう不安感にのっかって支持を集めるのはある意味簡単だし、逆にそういう部分をいちいち「敵」として攻撃し、切って捨てていくのも簡単です。ですが、それこそ議論を深めて認識を共有し、運動の質を高めていってほしい。そこに人は感動し、応援していくようになると思います。まあ、口で言うのは簡単だという話ではありますが、どうか頑張ってください。私は私の場所で頑張りますから。「共に闘わん」です。
追記:原発推進より脱原発派が市民の多数だとしても、市長選は「脱原発」だけで決まるわけではありません。何かに反対するというだけでなく、どういった京都をつくるのか、夢のあるビジョンを示せるのか、市民はそういった総合的なもので候補を判断するでしょう。また、特に魅力を感じる候補がいなければ、消去法で無難な人を選ぶから、現職は何かと有利でしょう。そのような意味でも、投票率の低さは深刻だと思うのです。
私の場合は、中村さんの政策にざっと目を通しただけですが、「人員削減・統廃合と経済活性化、新自由主義と復古主義をミックスした愛国教育」の門川氏より、中村さんのほうにより魅力を感じたので応援したいと思いました。この二人しか選択肢がないのですから、そのことは何も間違っていないと思っています。所詮は選挙ってそういうものでしょ?自分とまったく同じ考えの、心から応援したい候補が立つなんてことは(特に私ら少数派には)めったにない幸福なことなんであって、ゲストさんは少し選挙に過大な意味を付与しすぎではないのかなあ。
「手ごたえ感じた選挙だった」 中村和雄さんあいさつ(2012/02/05京都民報)
5日投開票の京都市長選挙で、現職門川大作氏の当確報道を受け、「京都市政を刷新する会」の中村和雄氏は、午後8時過ぎ、同会事務所であいさつしました。
中村氏は「脱原発をめざす若い方々や市民が頑張ってくれ、手ごたえを感じた選挙だった。力いっぱいがんばることができました。やることは充分やった。どこが足りなかったのか、ゆっくりと考えたい。ありがとうございました。門川市長の公約は私と同じことを掲げており、公契約条例、脱原発などマニュフェストに書かれたことは必ず実行してほしい」と述べました。
同会代表の出口治男弁護士は「今回の結果は正直言って残念。選挙戦を通じてママパパの会など新しい動きが生まれました。新しい層に政策を訴えてきましたが、私たちの努力が足りなかった。中村さんという立派な候補者がいながら残念です」と述べました。
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Re: 門川氏の再選が確実 京都市長選・・・「同じこと」
投稿者 ゲストさん 投稿日時: 2012-2-8 21:57
中村氏は、「門川市長の公約は私と同じことを掲げており、公契約条例、脱原発などマニュフェストに書かれたことは必ず実行してほしい」というに至った。これは、京都民報報道だ。
みんな真剣に考えてほしい。
1、
脱原発とはどういうことか?
中村氏は、選挙中、自分は脱原発だ。脱原発依存の門川氏とは全く違うといってきた。しかし、同じ主張であったことを今認めたのだ。ひどいじゃないか。
山本太郎さんは、必死で、応援で原発即時全面廃炉と言ってきた。しかし中村氏は、そんなんじゃないんだ。公約でも「少なくとも10年で廃炉」と言っている。おかしかったのだ。
三条河原町で、中村さんは、「電力も足りていることは、枝野大臣も認めた」といった。それなのに、山本太郎さんと同じように、即時全面廃炉にするとは中村さんは言わないのだ。10年間原発を強いられるのは大飯か?伊方か?玄海か?浜岡か?それも言わない。そのことに、中村氏の門川氏と同じという姿ははっきりと見えていたんだ。
2、
中村氏は、がれき問題で、がれき拒否という重要な意見変更を行った。それは、私たちにとって、いいことだと思う。だが、それまでの反省が全くない。また、日本共産党への意見もない。おかしい。知られているように、東京都石原知事の放射能瓦礫受け入れに対して、日本共産党は、全く反対していない。このことについての話し合いの経過なども全く明らかにされていない。到底信用できない。
3つは、放射能食品のことだ。安斎郁郎氏を立派という中村氏。その安斎氏は、「今回最も数値が高い牛肉(3200ベクレル)で換算すると0・01ミリシーベルトだ。」とし、これについて、「安斎教授は「毎日食べている食事にはカリウム40という天然の放射性物質が含まれており、人はカリウム40で年間0・2ミリシーベルト被曝している。0・01ミリシーベルトはこの20分の1。何回か食べても、放射線が目に見えて健康に影響するレベルではない」と話す。野田総理もびっくりだ。食品の500ベクレルの100ベクレルへの規制値変更など全く反対というかのような態度だ。中村氏は、この点でも信用できない。
4つは、避難のことだ。この点も、子供たちの夏休みなど一時的な避難受け入れは言うが、それ以上ではない。この点でも信用できない。
山田京都府知事に対してのがれき問題で追及の態度もみられない。ほか、いろいろあるが、こんな重要な点で、中村氏は、門川氏と同じだと本人が言っているのだ。この点、ぜひ考えてほしい。
京都では、すでに、がれき問題で、必死にならねばならない時だ。共産党は、がれき受け入れに反対しない。東京を見れば明らかだ。しかし、神奈川でも、静岡でも、大衆的に爆発している。山本太郎さんの東奔西走はすごい。この闘いをしっかりとしたい。がれき反対の人は、必ず、避難支援!になる。エゴじゃない。
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(↑風営法でクラブが規制を受けているなかで、どうすればより良い方向にいけるかを話し合った会合)
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◇違法公金支出訴訟 門川京都市長と江口参院議員(みんなの党)への尋問報告(チョイさんの京都・沖縄日記)
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