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それでは『帝国主義論』の具体的内容に入っていこう。ここではレーニンが「金融資本の発生史」「概念の内容」について対象化しているはじめの三章(1,生産の集積と独占体、2,銀行とその新しい役割、3,金融資本と金融寡頭制)について見ていく。
ここでのレーニンの論理は明解である。すなわち1,においてレーニンはドイツやアメリカの統計資料をひきながら、資本主義のもとで「自由競争は生産の集積を生み出し、そしてこの集積はその一定の発展段階で独占にみちびく」ことを述べている。そして2,において「銀行業が発展してそれが少数の銀行に集積されるにつれて、銀行は仲介者という控えめの役割から成長して、あらゆる資本家と小経営主のほとんどすべての貨幣資本と、さらにはその国や幾多の国々の生産手段と原料資源の大部分を意のままにする、全能の独占者に転化する」といい、銀行と産業の癒着を説いているのである。
これをシェーマ(図式)化するならぱ、「自由競争→生産の集積→独占」という論理と、「銀行と産業との融合あるいは癒着」という二つの契機によって、金融資本概念は構成されているといっていいだろう。
われわれは、このレーニンによる金融資本の規定について、まず第一に読んでみてすぐ感じることだが、「自由競争→生産の集積→独占」というシェーマがいわば自明のものとされながらあいまいにされていることに気づく。
レーニンはマルクス『資本論』の論理の延長上に如上のシェーマが展開されると考えているわけだが、『資本論』でこのことが論証されているとはいえない。
われわれは「生産の集積・独占」を『資本論』の論理に解消させるのではなく、資本主義の新たな発展段階を画する歴史的事実として、具体性のうちに把握していきたい。そして同時にレーニンにあっては軽視されていた「集積・独占」と「銀行と産業の癒着」を媒介し関連づける株式会社の意義をも明らかにしておきたい。
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まず歴史的事実として、先に述べたような金融資本が典型的に発展していったのはドイツであるので、ドイツにおける当時の資本主義の発展について見てみよう。
十九世紀中頃の世界経済は、イギリス一国に工業が集中し、他の国々は多かれ少かれ農業国として編成されていた。すなわち「世界の工場」イギリスが、ドイツ・アメリカ・インド等々の国ぐにから農産物や原料を輸入し、これらの国に綿製品を中心とする工業製品を輸出していく関係であったのである。しかしこうしたなかでも、当時の後進国ドイツは独自の仕方で、イギリスの優位に対抗しつつ資本主義化をなしていった。
ここでのドイツのイギリスに対抗した資本主義化は、一方ではイギリスの商品に保護関税をかけるとともに、他方ではイギリスが長時間かけて漸く到達した高い生産力水準をはじめから導入・採用していくことを必要とした。ところが、このように高度の生産力を一挙に採用するのには、相当巨額の資金が必要だったのである。このことを可能にしたのが株式会社形式だったのである。
株式会社形式の第一の意義は、周知の通り、株券を発行することにより、個々人の蓄積の限界をこえた全社会的遊休資本を調達することができるという点にある。
周知のとおり、株式形態は株券と引きかえに払いこまれ、生産過程に投入され、G―W…P…W´―P´(註1)の運動をくりかえす払い込み資本と、一定の配当をうける所有名義である株式資本という二重性をもっている。後者の株式資本は、配当を利子率でわった価格で売買され(註2)、資本が商品化されることとなる。
(註2) たとえぱ五十円払いこみの株式資本が年に21.5%の配当をうけるとすると、配当は6.25円になる。この時利子率が5%だとすると、百二十五円を銀行にあずけるのと同じことになり、株券は百二十五円の価値をもつものになり、その価格で売買される。ということは、はじめ五十円を払いこんだ株主は、その株券を百二十五円で売ることにより七十五円の利得をえる。これがいわゆる、創業者利得である。
株式会社形式の第二の意義は、大株主による支配力の集中の手段であることである。多くの株主が所有する株数を異にしているなかで、会社に関係するのであるから、多くの株券を所有する大株主が、会社の経営権を獲得することとなる。ここにただ配当をうけるだけで経営権をもたない小株主と、比較的に少額の自己資金によって経営の全権をにぎる大株主とにわかれるのである。
レーニンはこのことについて「株式会社の事業を切り盛りするためには株式の四〇%をもっていれば十分である。なぜなら、ばらばらな小株主の一定部分は、実際には株主総会に出席したりすることが決してできないからである。株式所有の『民主化』ということから、ブルジョア的詭弁家や日和見主義的『でも社会民主主義者』たちは、『資本の民主化』、小規模生産の役割と意義の増大、等々を期待しているが、この株式所有の『民主化』は、実際には金融寡頭制の威力を増大させる方法の一つなのである」といっている。
さらに第三に、最も重要なこととして、株式会社形式を母体として、産業と銀行の関係がふかまり癒着してゆくことである。
マルクスの時代の銀行は、各産業企業の遊休資本をあずかり他の企業に融通して、その利ざやを利潤としていく商業銀行としての業務を中心としていた。ところが株式会社の設立がさかんになってから、銀行は株式の発行業務をひきうけ自ら株主となると同時に、株を売り出して巨額の創業者利得をえるようになる。また株式を担保として巨額の長期貸出しをおこなうようになり、株式会社の経営にますます重大な関心をもつようになる。そしてこの過程は、こうした新たな業務に積極的にのりだせない中小の商業銀行が淘汰され、消滅していく過程でもあったのだ。
ヤイデルスは言う。「銀行は産業企業にたいして、その出生から死亡に至るまで、設立から解散に至るまでの道づれとなり、その事業の生涯におこるあらゆる日常的並びに非常時的金融を援助し、また自らも利益を得つつ付添ってやらざるをえなくなる」こうして銀行は、会社に重役を派遣するなど、「人的結合」=癒着をふかめるのである。
十九世紀後半のこの頃は、ヨーロッパでアメリカで、そしてその他後進農業地域で鉄道の建設が拡大されていった。このため鉄の需要が増加して鉄工業が盛んになっていた。鉄工業では綿工業などのいわゆる軽工業に比して巨大な規模の設備投資が必要とされるわけだが、ドイツでは先に述べたように株式会社形式により社会的遊休資本を広く集中して鉄工業にのりだしていった。
鉄工業は、巨大な設備=固定資本を必要とするため、不況になったからといって容易に生産を切りちぢめたり、他のより利潤率の高い産業部門へと資本を移動することができない。そのために、不況期には価格の低落をくいとめるため競争をやめ、いくつかの企業どうしで協定をむすぶようになる(カルテル)。
また不況期の窮状を打開するだけでなく、好況期にも好況を利用するためにカルテルが採用されるようになった。価格協定・販路分割などの協定からはじまったカルテルは、生産制限なども行うようになり、全体で一つの販売会社を設立するシンジケートにまで発展する。
ドイツでは、一八七〇年代後半以後の大不況の中で、企業と結びついた大銀行の主導によって資本の集中・合併がおこなわれ、鉄工業・石炭業を中心とした独占体が形成されるようになったのである。それとともに、石炭業や鉄工業などのいくつかの作業過程を結合させた混合事業が、経済的に有利であるため主流となり力をもっていった。
こうして、大銀行と結びつき組織的独占体を形成すると同時に、設備の巨大化、混合事業化をおしすすめていったドイツ鉄工業は、多額の独占利潤をあげるとともに、生産高でもイギリスを追いぬくようになる。
以上がドイツにおける金融資本の形成過程である。伝統的な資本主義国イギリスでは、個人の蓄積を背景として個人企業的伝統が強かったため、株式会社化やそれを媒介とした産業と銀行の関係強化ということはそれほど見られなかった。また十九世紀半ばから、全世界のあらゆる地域に「資本の輸出」をおこない、その利子によって生活する金利生活者国家化していった。またアメリカもドイツと同じ時期に金融資本化が進展したが、法律上の制限のためカルテルが阻害され、トラスト(企業合同)が中心となった。
レーニン『帝国主義論』では、こうしたドイツ、イギリスを両極の典型とする帝国主義のタイプをひとつの論理のうちに包含して、「生産の集積・集中→独占」としているのだが、われわれは、二つの典型を区別して見なければならない。鉄工業の発展を軸として活力あふれる攻撃的な帝国主義ドイツと、なんとかして「世界の工場」の地位を守らんとする消極的な帝国主義イギリスとの関係が、のちの第一次大戦の勃発を根本で規定するのである。
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@suzu1879 ③しかし、荒派のi人々は、経済的総括は、次です。
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マルクス入門『賃労働と資本』ノート/草加耕助
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レーニン『帝国主義論』ノート/谷川 昇
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