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そうではありません。そもそも社会主義や共産主義とは、階級が存在せず、従って階級支配の道具である国家も存在しない社会です。ゆえに社会主義、共産主義は全世界的規模でブルジョアジーが一掃されたのちにしか実現できません。
旧ソ連スターリン主義は自分たち一国でも社会主義や共産主義に到達できるとしましたがそれが全くの誤りであり、私たちの批判のほうが正しかったということが、旧ソ連の崩壊によって全面的に証明されたのです。
またスターリン主義者による共産主義論の歪曲によって、生産手段の私的所有が廃され、「国有化」や「全人民的所有」の下にある社会が社会主義であるなどとも一般に言われていますがそれも違います。
社会主義社会は世界規模でのプロレタリア独裁の中で、国家・階級が死滅したのちに到達する「共産主義の低次の段階」です。この社会では、国家そのものが死滅しているため、生産手段は「記帳と統制」を主な仕事とする共同体統制機関のもとで管理・運営されます。
労働生産物の分配にあたってはまず社会的総生産物の中から、経済的に必要な、(1)消費された生産手段の補てん分、(2)生産拡張のための追加分、(3)事故や天災に備えるフォンドの三つの部分が控除され、さらに社会の運営と共同消費にあてられるものとして、(4)生産に属さない一般行政費、(5)学校や衛生設備などのいろいろな欲求を共同で充たすための部分、(6)労働不能者のための基金の三つの部分が社会的総労働全体の中からあらかじめ控除されます。
その上で、各人は自らが社会に与えた労働の量を労働時問に還元して記帳した「労働証書」をうけとり、これをもとに社会的に貯蔵された消費財をうけとります。(この「労働証書制」にもとづく生産物との交換を「等量労働交換」といいます)
つまり各人の直接的生活の生産と再生産が共同体の共同消費によって保証されたうえで、各人は「能力に応じて働き、労働に応じてとる」関係のもとで、社会的総生産物の分配をうけるのです。従って性差別、障害者差別等の社会的不平等はこの段階ではじめて全面的に解決できるようになります。
この社会主義社会のより発展した段階すなわち共産主義社会への到達は、社会主義のもとでの圧倒的な生産カの増大から生み出される「必要労働時間の短縮」によってもたらされます。つまり共同体構成員全体の直接的生活の生産と再生産に必要とされる労働時間が圧倒的に短縮され、もはや人間がそれを意識することがなくなるような社会が共産主義社会です。
従って共産主義社会では「生きるために働かねばならない」という「外的合目的性の下での労働」による人間生活の束縛を解放することができます。共産主義社会における労働の大部分は「生活の手段」ではなく「自己目的」、すなわち人間のもつ無限の可能性とその発展を目的とする労働となるのです。
それとともに外的合目的性にもとづく労働に未だ支配されている社会では克服できない精神労働と肉体労働の対立も止揚されます。また各人への生産物の分配も等量労働交換から、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」関係へと変革されてゆきます。
マルクスの言葉を借りれぱこの共産主義社会への到達をもって人間にとっての「前史」はおわり、「本来の歴史」が始まり、「必然の国から自由の国」へと到ることになるのです。
ソ連や中国のように帝国主義と並存し、内部には農民や小商工業者といった小ブルジョア階級も広範に残存する「労働者国家」内で以上のべてきたような社会主義社会・共産主義社会の条件を満たすことはできません。従ってソ連や中国の政治・経済・社会的矛盾を指摘することで「社会主義社会」や「共産主義革命」を批判したような気分にひたっている「論客」たち、ブルジョア評論家の言論は、彼らの左翼思想への無知蒙昧、ごく初歩的な勉強すらせずに「批判」していることを自分でさらけ出しているようなものなのです。
⇒「世界共産主義の価値論的把握」(『過渡期世界の革命』改訂版)
⇒「アンパンマンと共産主義社会 – 『共産主義』ってどんなもの?」
私達はかつてのソ連のような国家を、党官僚が人民に君臨する、プロ独国家の歪曲され変質した形態として、「労働者国家」とカッコをつけて呼びます。
歴史的な経過を見ていきましょう。一九一七年成立した革命ロシアは、白軍との内戦、帝国主義の反革命干渉戦争との戦いに勝利しつつも、ドイツを初めとする戦後ヨーロッパ革命の挫折により、帝国主義に包囲された労働者国家として出発することを余儀なくされました。
これは、革命は少くともヨーロッパ先進資本主義の数ヵ国で勝利するという、マルクスや当時の革命家たちの予測に反する事態であり、レーニンなどロシア共産党の指導者たちは、「資本主義から社会主義への政治的過渡期」としての世界プロ独期とは異る、「過渡期世界における一国労働者国家の建設」という課題に直面したのです。
前人未踏のこの課題の遂行をめぐり、ロシア共産党内では戦時共産主義や新経済政策(NEP)など幾多の論争が展開されましたが、一九二四年レーニン死後の主なものとしては、(1)永続革命対一国社会主義、(2)ロシアの工業化、(3)農業集団化をめぐる論争があります。
スターリンはこの過程で右派のブハーリンらと組み、たとえ一国であっても社会主義建設へ向けて闘うべきであり、しかもロシア人口の圧倒的多数をしめる農民層を敵に回すような政策を避けるべきだという主張をもって、トロツキーら左翼反対派を論破しました。
しかし、左派が論破・粉砕されたのち、一九二七~二八年の農業危機(穀物調達率二五%減少)に直面すると、突如スターリンはそれまでの左派の主張であった重工業化のための農業集団化、農民からの収奪なる主張を横取り的に展開しはじめ、従来の穏健な政策を継続すべきだと主張するブハーリンなど右翼反対派を攻撃します。そして農民へのテロル、強制的な集団化のための暴力の駆使、反対派の追放、流刑、処刑などの抑圧政策を展開しました(一九二八年の転換)。
更に、一九三〇年代ナチス・ドイツの侵略を前にしたスターリンは、命がけで反ファシズム運動を闘っているヨーロッパの左翼運動を見捨てて独ソ不可侵条約を結ぶなど各国革命運動の利害をソ連一国の利益のための犠牲とし、むしろ世界革命運動の制動者へと変質していったのです。
従来の日本の反スターリン主義左翼においては、スターリンの一国社会主義建設可能論などのマルクス主義からの逸脱・背反を理論主義的に批判することをもって、何かしら自分たちが実践的にもソ連や中国などのスターリン主義を超えでた存在であるかのように考えてきました。もちろんそこにおける理論的な批判は現在においても正しいものです。
しかしながら私たちは、まず何よりもこの「一九二八年の転換」をもって開始された労働者階級人民への政治的自由の抑圧、反対派に対するテロ、そしてロシア一国の国家利害への各国革命運動の従属などを、近代ブルジョアイデオロギー(競争に打ち勝つことが人間の価値であり、他者をその道具のように見てしまう思想)を克服していない、共産主義運動の疎外形態=「革命運動のスターリン主義的歪曲」として批判・克服しなければならないと考えています。
そこにおいて問題にされていかなければならないのは、革命の一国的孤立下にあっても世界革命をいかに前進させるのかという観点において対外政策を提出すべきこと、そしてその下での国内経済建設と人民の主体的動員をはかる国内政策が必要だということです。
特に民主主義的ルールや説得を欠いた人民に対する暴力的政策遂行の克服は、「一国社会主義建設可能論」の批判には成功しても、セクト主義や内ゲバ主義の克服を未だなしえていない日本階級闘争にとっての重要な課題でもあります。つまりスターリン主義を外的な打倒対象と考える「反スタ」ではなく、自分たち自身の問題として考える「スターリン主義の克服」という観点が重要であるということです。
→「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ!」(『武装せる蒼生』)
これは押しつけ的革命の輸出であり、アフガニスタン人民にとって民族的外圧にしか映らない、反人民的で許されない行為です。アフガニスタン革命は、アフガニスタン人民自身による自已解放の事業としてしか勝利し得ません。
アフガニスタンの左翼政権が行った福祉政策や男女平等主義、民主的な土地改革などの政策それ自体は積極的なものを含んでいたかもしれませんが、各地の部族長らの利害や民衆のイスラム的な慣習と衝突し、しかもその手法が強権的・押し付け的だったため人民に理解されず、かえって人民を土着的な地主やイスラム反政府勢カの側に追いやってしまいました。
そしてその人民の左翼政権からの離反を武力で補完しようとするソ連スターリン主義の軍事的介入はアフガニスタン人民の民族的な尊厳や自尊心、イスラムへの素朴な信仰心を土足で踏みにじるものであり、これではかえって人民の左翼政権に対する憎悪を促進するばかりです。
ここにおいて革命党に問われているのは、毛沢東が示したような、徹底して人民に奉仕する方向をとることにより、中国農民自らが経験をつうじて学び自らの未来をかちとる事業として農業集団化に参加することを実現していったような思想内容ではないでしょうか。
アフガニスタン侵攻は、全世界人民の革命運動にとり桎梏となり、帝国主義者共に反共宣伝の材料を与えたのみでした。このような人民の実存や希望と結びつかない「革命」の押し付け、そこに見られるスターリン主義の反人民性との闘いは、今や全世界人民の勝利にとって欠くことのできない課題となっています。
しかし最も重要なことは私達はこれをあたかも自分には関係のない「他人の誤り」のように外から批判するだけであってはならないという点です。左翼によるそのような自己保身的で口先だけの「ソ連批判」には誰も納得しないでしょう。そうではなくて、スターリン主義とは違う左翼的な実践を現実の運動の中でつくりあげ、人民の目の前に示しぬいていくことこそが一番に問われているのです。
三里塚闘争をはじめとする日本階級闘争の前進をつくりだしていく日々の実践の中において、窮極の勝利は農民、労働者階級自身のものであることをかみしめつつ、そのことの実現のために自己を切開し、人民に奉仕する党風をつちかっていくような、スターリン主義の内在的克服を常に自らに問い続けていくことが重要です。
→「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ!」(『武装せる蒼生』)
たとえば中国の米国接近、国際的桧舞台への登場と台湾封じ込めといった自国利害の追求は、反米帝解放闘争を闘いとってきたベトナムとの対立へと導いていきました。このような、国際階級闘争の前進と結びつかない、スターリン主義的な一国的民族的利害の追求は、やがてベトナム侵攻など「社会主義国」同士の対立へと拡大していくのです。
そもそもプロレタリア革命は、侵略戦争を自国支配者に対する内乱に転化してロシア革命が成立したことに示されるように、労働者を侵略戦争に動員し民衆同士を殺し合わせるためのブルジョア民族主義(愛国主義イデオロギー)の鎖から人々を解放することを思想的にもめざしたものです。
ですからそこでは小国・被 抑圧民族の自立と解放を、人民の抑圧や隷属からの解放をめざす一環として承認し、民族の自由な結合にもとづく労働者国家の連邦をつうじて、民族国家の障壁 を越えた世界革命を展望していくことが問われているのであり、チベット問題もそのような視点で考えるべきものです。
左翼運動が単なる特定党派の権力獲得運動や、自国領土の拡大・保全などの民族・愛国主義運動になってしまっては、人類史の未来はありません。そのような 権威主義や愛国主義では、国家のせいで民衆が苦しめられている現代世界を変革することができないばかりか、小国・被抑圧民族にとっては「社会主義国」が帝 国主義にかわる新たな抑圧国として登場したにすぎません。
このような左翼運動の内部における愛国主義は克服されねばならず、たとえば私達帝国主義足下で闘う日本人民にとっては、私たちが日常の中で不断にさらさ れ続けている第三世界人民や在日中朝人民に対する帝国主義的差別排外主義イデオロギーと主体的に闘うことで、チベット問題に見られる中国の大国主義を超え でた内容を、実践をもって獲得しぬくことが問われているのです。
その意味で、自分達は在日中朝人民への差別排外主義を鼓吹しながら、一方ではチベット問題で他者(中国)を批難する右翼排外主義者は御都合主義であり、そこには正義性も、また中国を批判できるだけの思想的内実も資格もありません。
結局はこのようなブルジョア民族主義(愛国主義)や大国主義を実践的に越えることが全くできないスターリン主義や、右翼排外主義を克服するためにも、自らを変革する内的な革命をともなった運動をつくりあげることが問われています。
旧ソ連のようなスターリン主義は、本質的には近代ブルジョアイデオロギー(経済的な競争に打ち勝つことが人間の価値であり、他者をその道具のように見てしまう思想)を克服していない、共産主義運動の疎外形態に他なりません。旧ソ連や中国、北朝鮮は、労働者国家のブルジョア的に歪められた官僚制国家として規定する事が出来ます。
ですから、究極的にスターリン主義を止揚・消滅させる為には、帝国主義を打倒して、このようなブルジョアイデオロギーが再生産され続ける物質的根拠そのものを消滅させる事が最終的に必要です。
これはどういうことかと言えば、こうした世界革命勝利の日まで、スターリン主義は決して自分の外に存在する「他の誰か」ではなく、自分たち自身の中に存在し続けるものだということ、その日まで共産主義者は不断に自己をとりまぐブルジョアイデオロギーとの闘争をおこなわなければならないということです。
つまり、スターリン主義はブルジョアイデオロギー(資本主義社会)の元では誰でもが陥る可能性のあるものなのです。ですから「こうすれば旧ソ連や北朝鮮のような政権には『絶対に』なりません」という万能の処方箋は『絶対に』ありません。むしろ自分にもその危険性があるのだと自覚していること、不断に自己を点検し続け、他者からの批判に耳を傾けることこそが唯一の処方箋と言えるのです。
そういう意味では「私たちにはソ連も北朝鮮も関係ない」という日本共産党の態度は全く誤った尊大な考え方です。私たちが共産党をスターリン主義だというのは、一国社会主義論や議会主義などの理論的な誤りからだけではありません。そうではなく、私たちはスターリン主義を自分自身に突きつけられた問題と考え、それを克服するためには、常に革命の原点を問い続けることによって、ブルジョアイデオロギーを真にこえた地平における、人間尊重の共産主義的な世界観の獲得と主体形成を永続的に追求し続ける事が必要だと考えているからです。
すなわち、意見の違う同士の党派闘争の必然性は認めますが、それはどちらがより権力と闘うかを競うことで、人民からの支持を巡って争われるべきであり、そこで衝突が発生してもお互いに権力を利することのない方法で収拾をはかるべきであり、日本共産党の自分と考えの違う他の左翼党派や左派人士に対する独善的で権力さえ利用する、暴力的で謀略的な態度こそがすでに実践的にスターリン主義だと考えるのです。
現在的にもこのようなスターリン主義批判は単なる理論的作業の積み重ねにとどまってはならず、自分達が現実に他者(他党派や人民大衆、組織内の反対派)に対し、どのような対処をするのか、また、しているのか、その日々の実践における政治展開のなかでこそ、スターリン主義批判の内実は貫かれていなければ意味がありません。
まさしく、不断に自己絶対化を克服し、他者の批判に耳を傾け、自己を検証し続ける実践を通して、真に人民に貢献しうる主体を形成していく事が問われているのです。
→「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ!(『武装せる蒼生』)
そんなことはありません。もちろん私達は戦争、差別、抑圧の原因である資本主義社会を止揚する為、私的所有を否定します。しかし、それは人間が直接的生活を再生産する為に消費する服・食料・家具・パソコンなどのような個人的な所有物、つまり消費手段のことではなく、土地・工場設備・インフラなどの社会的な生産手段の私的所有に他なりません。
資本主義社会では、社会的な財産であるはずの生産手段を資本家が私的に所有してしまっているため、労働者は自己の唯一の財産である労働力を資本家に売って賃金奴隷とならなくては、社会的な生産手段にアクセスすることができず、資本家の下でしか自分の労働を実現し、生活資料を得る事が出来ないのです。
このような賃金労働制度では、人間もまた機械の一部分のような「商品」としてしか自己の価値を表現することができなくなるのです。
この人間の商品化をまるで「良いこと」のように考え、そのために人間同士を競争させて他人を蹴落とすのがブルジョアジーのイデオロギーであり、彼らは自分の姿に似せて社会を作りあげていきます。資本主義社会では誰もがこの「自由競争」というイデオロギーに染まってしまい、それが差別や戦争の元凶になっていきます。スターリン主義の人民抑圧は、このブルジョアイデオロギーを克服できず、その上に一党独裁や形式的な国営化を連結するところから発生してきました。
この様なブルジョアイデオロギーを克服して疎外された労働を廃絶し、労働を自己の可能性を実現して社会に参加していくためのより人間らしいものに転化して、資本による搾取を廃絶するためには、生産手段を私的所有から社会的所有に転化する事は絶対に必要な事です。つまりそれは、他人の労働によってのみ増大し、再び他人の労働を支配するような私有財産(=資本)の廃止なのであって、その事を通じて初めて諸個人は自己の支出した労働を基礎として消費することができるようになるのです。
社会主義社会を実現していく過程としての革命運動は、労働者階級を文化・芸術から遠ざける社会秩序をうち壊し、解き放たれた民衆の革命芸術をも生み出します。さらに芸術・文化の歴史を吸収していく労働者階級は、社会主義社会の建設をつうじ労働者階級自身を含めて階級を死滅させていくのと同時に、芸術を利潤追求と階級支配の呪縛から解放して人間的感性の普遍的で豊かな表現の発展を可能にしていくのです。
たとえばロシア革命でもその初期段階においては、文学・映画など革命芸術が花開き、革命は労働者階級が芸術を獲得する原動力としての意義を発揮しました。しかしその後のスターリン主義は、文化・芸術・科学を「革命運動に役に立つかどうか」だけを基準にレッテルをはって統制してしまったため、ついに芸術家、インテリそして労働者の感性をも窒息させていってしまいました。
さらに日本においてもカクマル派などは、彼らが支配する早稲田大学の自治会において、自らの指導者である黒田寛一の唱えるリアリズム芸術論を文化団体や諸サークルに押し付け、自分たちに従わないものを一切許さないような監視の目を光らせています。これなどは彼らが口(理論)では「反スタ」を言いながら、実践的にはただの一つもスターリン主義を克服できていないことの表れではないでしょうか。
これら内外の事例に芸術家や表現者が不安を抱くのはもっともなことです。しかし本来、労働者を原動力とする革命は、インテリの自己を豊かに表現する能力や、すぐれたブルジョア文学の人間的情熱、感情、個性を抑圧するどころか、逆に人類解放を希望し躍動する価値観の下にこれらを吸収・摂取・合流することにより、人間の感性の全的発展を導き得るものです。
革命運動の中で、階級支配の道具としての商業芸術とは別の、様々な文化・芸術活動が取り組まれ、百家争鳴の中で花開くのは良いことであり、必要なことです。スターリンやカクマルのやったことはそれとは全く異なるただの人民抑圧に他なりません。
いずれにせよ「どんな芸術がよいのか」は、権力、党派、前衛組織などが介入して「決定」したり、レッテルを貼ったりするものではないということです。
他人を蹴落す競争心、利己心(個人主義・エゴイズム)は、資本主義社会に於ける生存競争の個人への反映であり、機械体系への服従による個性の喪失に対する即時的な反発として資本主義社会に特有の思想です。
マルクスは、資本主義社会で特徴的に発生してくるこのような利己的イデオロギーの原因を、労働力の商品化、生産手段の私的所有の下での疎外された労働としてまとめ、ここからの解放を訴えました。実際、勝利した革命における道徳的な高揚感と一体感は、近代的な自我が、こういったブルジョア的な個人主義とは別個の地平で成立することが可能であることを示しています。
この問題についてはよく「個人主義か全体主義か」という問題の立て方がされますが、そこで言われている「全体」とは、結局は一部の人々(ブルジョア階級)の利害にしか過ぎません。全体主義の問題とは、このような一部の者の利害を「全体」と偽り、そこに労働者を動員して犠牲を強いることにあります。従って反動的・右翼的な立場からの個人主義批判には一片の正当性もなく、社民主義者や自由主義者による全体主義批判もその限りにおいて意味があります。これに対して共産主義は労働者階級が自分たち自身を含むすべての階級を廃絶し、ブルジョア「民主主義」では決して解決されない「個と全体の対立」を止揚し、終局的には統一させるものです。
にもかかわらず、ロシア・マルクス主義は、革命後、科学万能主義、生産力発展第一主義を取り、形式的な企業の国有化や党による労働者の法的、暴力的支配を行なった為、人間が本来持っている内的な欲求としての協調性、協働性を創出出来ず、更に、出来高払制による生産力向上を計った為、ブルジョア的利己心を解決する事は出来ませんでした。
現在的にも日本共産党に代表されるロシア・マルクス主義の系譜に属するスターリン主義政党は、そこにおける労働者への暴力支配を「自分には関係ない」と形式的に批判しているだけであり、実際にやっていることは都市部中産階級に対して「自分たちに投票したら得をする」と訴えて議席獲得に結びつける「諸要求貫徹運動」であり、これではマルクスの提唱した人間解放の思想をもってスターリン主義を実践的に乗り越えようとしているとは言えません。
これに対し、たとえば中国共産党の大躍進政策は結果的には失敗したものの、大衆自ら、スクラップを集め、工場を造り、ヤカン製造から出発し赤外線ランプをも作れる様になりました。その過程で大衆自らが討論を重ね、経験を通じて学び、目的の重要性と生産の喜びを共に分かち合える様な方法を取りました。
この大躍進政策の経験は、右派のみならず、左翼を含む合理主義・個人主義の西欧的な知識人からは極めて軽視され、侮蔑さえされています。しかし私達はスターリン主義中国の行った事だからと何でも否定するよりも、そこにおける一種東洋的とも言える方法論と、さらにはその経済的な失敗の原因と教訓を批判的に研究することにより、少なからぬヒントを得る事が出来ると考えています。
→中国経済建設と毛―鄧路線の研究(『理論戦線』16号)
今日のブルジョア議会は、資本主義社会におけるブルジョア階級独裁を前提としたブルジョア「民主主義」であり、意識的に議会への幻想を人民に植え付け、労働者の不満や怒りを鎮静化させようとします。そのため、ブルジョア独裁体制をゆるがせるおそれが少ない段階では労働者政党の議会参加を容認します。
社民党や共産党はブルジョア議会への労働者の「窓口」となりつつも、議会を労働者のために利用するのではなく、逆に議会への幻想を労働者に強制し、そのエネルギーを押し止めて自派のために利用しつつ、その一方で自分たちの運動や組織の枠(自党派の議席拡大運動)におさまりきらない部分には制動を加え、時には権力の労働者弾圧を容認・協力さえする「体制の左足」としての役割をも担っているのが現状です。
つまり一言で言って、「民主主義」といえどもそれは超歴史的に、現実の社会の構造や動向とは関係なく存在し得るものではないということ、つまり民主主義にも階級性があるということです。わかりやすい例をあげれば、古代ギリシャの都市国家は「民主制」とされていますが、奴隷階級の目から見たら、それは民主国家だったと言えるでしょうか?
これほど極端でわかりやすい例でなくとも、民主主義も支配階級による支配の方法の一つであることは違いありません。私たちはブルジョア階級による支配の方法である「民主主義」を、まず圧倒的多数者であるプロレタリア階級による支配の方法としての民主主義と置き換え、それがやがては階級そのものが死滅して民主主義(=政治や国家)そのものが(廃止や否定ではなく)不要になる(止揚される)ような社会への過渡期の役割を果たすべきだと考えています。それがプロレタリア独裁であり、プロレタリア民主主義です。
ブルジョア階級の持ち物である「議会」を人民に奉仕する議会に“作り変える”ことは不可能であり非現実的です。革命後の議会(代議制度)はこれがプロレタリア階級独裁を前提としたプロレタリア民主主義に“置き換え”られます。この議会は労働者、農民、兵士を代表とするソビエト(評議会)によって運営され、ブルジョア残存分子による反革命策動を打ち破り、革命運動を前進させ、階級死滅の為の過渡期としての役割を果します。
この議会は複数主義によって運営されます。レーニンはこの革命後の議会において、ブルジョア独裁内部におけるのと同じように、プロレタリア独裁内部における平和的政権交代もあるだろうことを想定しています。プロレタリア民主主義を保障しない「一党独裁」はスターリン主義者の政策です。
このソビエト(評議会)は「行動する議会」として、党と人民との結合を日常的に追求し、代議員にあっては、1)常時の解任(リコール)制、2)既得権の廃止、3)議員の労働者並の賃金制(コミューン3原則)を通じ、特権官僚化を未然に防ぐ政策が取られます。
つまりそこではソビエト(評議会)に選出された各党の議員の一人一人が政府の権力の行使に責任を負い、いかなる特権も持たず、常に民衆の生活の中に入って問題を討論・解決するべきことが求められ、そして自分を選出した選挙民からいつでもリコールされるのです。議会と議員は民衆の実存から学ぶことが求められ、民衆自身も政治経験を通じて政治的に成熟していくことが可能となります。
ところが現在のブルジョア独裁制では、議員は選挙民に法的な責任を負わないことになっており、民衆と議員と政府が一体となって対等の立場で討論を重ねてお互いに問題を学びながら解決することもありませんし、いかに公約を翻して選挙民を裏切ってもリコールされることはありません。
民衆にとって議会と議員は遠い存在であり、にもかかわらず大きな特権と報酬を得ています。レーニンはこのような空虚な議会を「おしゃべり小屋」と呼び、これを「行動的団体」と置き換えるべきだと主張しました。まさに政治的エリートにかわる労働者の議会です。
ただしこのような政策は、民衆自身が革命運動の中で経験を通じて学び、ブルジョアイデオロギー克服の方向が示されたプロレタリア独裁の中でしか機能しません。たとえば(あり得ないことですが)現在的にこのような「議会改革」が行われたとしても、むしろブルジョア独裁は強化され、議員は今以上に利権にまみれ、選挙区の地域利害や圧力団体の利益代表になるだけのことでしょう。
したがって今日言われているような議会の空洞化・弱体化、行政権力の肥大化、民衆の実存から浮きあがった官僚の跋扈、政治の代行主義など、ブルジョア民主主義の矛盾はプロレタリア独裁とソビエト(評議会)によってのみ解決され得るのです。
未だソビエト(評議会)がブルジョア議会に対抗して存在していない現在的にも、その精神を守り、適用し、全人民の政治的動員や、幹部が労働者活動家に学び、率先してその先頭に立って任務をやりきる作風など、革命的自己犠牲精神の日常的発揚が、運動や組織の幹部の特権化を防ぎ、党と人民との結合を実現しうる方向です。
→「アジェンデの悲劇と革命的左翼の道」(『ブント主義の再生』)
現代世界に於ける、差別、抑圧、支配、戦争などの根本的な原因は、階級対立にあります。特に資本主義社会にあっては、生産手段(土地、工場設備等)を資本家が握り、労働者は自らの労働力を商品として資本家に売り、賃金を受けとるといった構造にあります。
ここから、労働者は賃金奴隷として、一握りの資本家階級によって支配され、資本家階級は無限の利潤追求の為、労働者階級を支配、抑圧しています。また、労働者には、「商品」としての優劣を与え、同じ労働者同士を相対立させる為に差別意識を植えつけ、もって支配を維持しようとしています。そして更に、自らの利潤を国内のみならず、海外市場にも求め、その結果、第二次大戦の様な、植民地争奪戦にまで至るのです。
私達がめざすプロレタリア革命は、これらの根本原因たる階級対立を止揚する出発点です。まず資本家階級を労働者階級の側の革命で打倒し、次いで社会主義社会の全世界的規模での達成を志向しています。この過程で旧来の価値観(労働力=商品)の変革も同時に追求し、階級対立の死滅によって差別を無くして抑圧、支配、戦争の一切を無くす事が初めて可能となるのであり、階級対立を残したままでは、これらを永遠に解決することはできません。日本における私たちの運動は、全世界の民衆によって闘われているこのような人類史的プロジェクトの一部分であり、一人一人がその歴史の大河の一滴なのです。
このような左翼の最終目標はあまりに壮大で非現実的だと思う人がいるかもしれません。しかし人類の歴史のほとんど大部分は生産力が低く、従って搾取のしようもなかった無階級の原始共産制がしめています。その後、生産力の向上によって他人の労働を搾取することが可能になるに従って階級社会が発生しますが、それは古代奴隷制にはじまり資本主義に至るまで、人類史全体の中ではほんの一瞬の出来事、いわば例外的な時期にすぎません。
差別や抑圧や戦争、それによって今も繰り返されている人々の悲惨な苦しみは、この階級社会の支配者の都合によって人為的に作られたものです。人間が作ったものなら人間の力でなくすことができます。そんな生き方は自分にはおよびもつかぬことだと、人々の苦しみを未来に先送りし、永遠に放置しておいてもいいのでしょうか?私たちは一刻も早くこの人類の無秩序で野蛮な混乱期(階級社会)を、発展した生産力を自然と共生しつつ、人々の幸福のためにのみ節度を持って使う無階級社会へと止揚することが必要だと考えています。マルクスはこれをもって「人類の本史への突入」と呼んでいます。